1.先輩はどのスイーツよりも甘くて最高な男
とうとう、スイーツブッフェに行く日が来てしまった。嬉しいんだよ? 嬉しいんだけど、あの先輩がドレスアップすると考えただけで心臓がおかしくなりそう。高級ホテルだから、お前もちゃんとした格好してこいよ、って言ってたけど、お前もってことは、先輩もかなりおしゃれしてくるってことですよね……!?
「あっ、ああああああああーっ!! メイクと服、どうしよう!? でも、お腹いっぱい食べたい! あのティターニアホテルだし、うあ、うああっ、うわあああああん……」
死ぬっほど悩んだ挙句、可憐なお嬢様風で行くことにした。品を、品を大事にしなきゃ……。だって、あの先輩だよ? セクシーさと品の良さを併せ持ってる先輩だよ!? 育ちが良いからか、ワイルドでセクシーなのに、どことなく品の良さを漂わせてるから、ちょっとこめかみの辺りに手の甲を当てて、肘を突いている姿を見ると、「うわっ、うわああああ!!」って叫びそうになる。
そんな先輩が張り切っておしゃれしてくることを考えるだけで、首の裏が熱くなった。美容室の鏡に映っている自分の顔を見て、恥ずかしくなる。顏、真っ赤じゃん……。薄目にして、なるべく自分の顔を見ないようにしていると、仲良しのイケメン美容師さんが、私の髪を編みながら、気さくに話しかけてきた。
「それにしても、今日はこれから結婚式ですかー?」
「けっこんしき!? ちっ、ち、違います! えーっと、ほ、ほら、ティ、ティターニアホテルでスイーツブッフェがあって、それに行くんです」
「えっ!? あそこに行くんですか? すごいですね~」
だめだ。自慢になっちゃうから、あんまり言いたくなかったんだけど。緊張で変な汗が止まらない。首筋と髪の生え際にうっすら汗が滲んでる。メイクが崩れなきゃいいんだけど。今日は気温も高いし……。喉がからからだった。
自分の顔を見たくなくて、薄目にしておきたいんだけど、失礼になるから目を開けてみる。鏡に映った、毛先が青い黒髪のイケメン────オスカーさんがにっこりと微笑みかけてきた。うーん、相変わらずかっこいいなぁ。この人。先輩には負けるけど。黒いTシャツの上から、茶色いジレを羽織っていて、それが抜群に似合っていた。
「じゃあ、結婚式に出席するんじゃなくて、デートですか? それとも女子会?」
「んっ、んん、男友達? んっ、んんん~……職場で気になる人がいて。その人に誘われたから行くことになって」
「デートですね!」
「いやぁ、うーん! ちっ、違うと思ってるんですけどね!? 私としては!」
「でも、ホテルのスイーツブッフェでしょ? フィオナさん美人だし、向こうもそのつもりでいますよ。フィオナさんだって意識してるから、こうやって予約取ってくれたんじゃないんですか?」
「あ~、うん。高いでしょ? あそこ。自分でヘアセットするよりも、プロに任せた方が安心かなぁって。下手な髪型で行けない……」
「あー、確かに。緊張してると、失敗しがちですもんねえ。大丈夫、俺がとびっきり可愛くしますよ!」
ぱぁっと嬉しそうな笑顔を浮かべた。ほ、ほどほどにって言えない……。先輩に「こいつ、気合い入ってんなぁ」って思われたくない!! でも、一番安い部屋でも、私の月給が消し飛ぶ高さ。スイートルームは到底、手が届かないお値段。スイーツブッフェだってかなりする。
憧れのホテルだから、きちんとおしゃれしていきたいと思って、ヘアアレンジを頼んだんだけど、しない方が良かった!? みんな、そこまで気合い入れて来ないかなぁ……。あれ? おかしいかもって気がしてきた。高級ホテルといえば高級ホテルなんだけど、昼間のスイーツブッフェだし、結婚式に招待された時に着ていくような、パーティドレス風のワンピースじゃおかしい?
(あ、やばい……。どうしよう。緊張で目が遠くなってきた)
選んだのは、瞳の色と同じペールグリーンのワンピース。上から花柄模様のレースケープを羽織っているように見えるデザインで、ウエスト部分にはサテンリボンが巻いてある。た、多少食べても、ケープとリボンでお腹が目立たないかな? でも、腰のラインがはっきりと出てるから、スタイル良く見える。
ミモレ丈で上品だし、結婚式に着ていくには、微妙な華やかさだと思って選んだんだけど。でも、オスカーさんが「これから結婚式ですか?」って聞いてきたしな……!! 当のオスカーさんは難しい顔をして、私の黒髪をいじっていた。
「うーん、どうしようかなぁ。フィオナさん、髪下ろしませんか? 絶対にまとめるよりも、下ろした方が似合いますよ! でも、食べる時邪魔になるかな? それで、髪をまとめてくれって言ったんですか?」
「えっ? そ、そうじゃなくて、このワンピースなら、まとめ髪が似合うかなぁって思っただけで」
「じゃあ、下ろしましょうよ! 絶対可愛いですよ、大丈夫! 食べる時、邪魔にならないようにするんで」
「じゃ、じゃあ、お願いします……。で、でも、デートじゃないし、そこまで可愛くしなくても、」
「お時間大丈夫ですか? すみません、今から髪を巻きたいんですけど」
「だ、大丈夫です……。まだ余裕あります」
「なら大丈夫ですね! 待ち合わせって何時からですか?」
にこにこ笑顔で、私の要望を無視してきた。あっ、ああ、デートじゃないなんて、何言ってるんだろう、この人って考えがひしひしと伝わってくる! でも、今日は別にデートじゃないんだから。先輩だってそのつもりでいるんだし。
(……リボンとパールのイヤリングにしたけど、可愛すぎたかなぁ)
だめだ、緊張しすぎて喉がからからで死にそう。着いたら、早速冷たいジュースでも飲みたい。あるよね? ジュースぐらい。暑い季節に近付いてきたんだし、冷たいジュースぐらいあるか。温かい紅茶とコーヒーしか無かったらどうしよう? 苦笑しながら、ホテル近くの公園へ向かう。最寄り駅は観光客でごった返してるし、先輩の格好を見て、好きに騒げないし、落ち着かないから、待ち合わせ場所をホテル近くの公園にして貰った。
ベージュと白のタイル張りの公園には、小さな噴水と木立があって、公園というよりも広場っぽい。都会の中にあるオアシス、って感じ。履き慣れないベージュパンプスに戸惑いながらも、一歩足を踏み入れたら、黒い時計の下に先輩がたたずんでいるのを発見した。不思議と胸が高鳴る。夏の匂いを含んだ春風が、私の黒髪を揺らしていった。せ、先輩が渋いグレーのスリーピースを着てる……!! でも、秋冬物よりワントーン高くて淡い。
ベストは掠れたブルーと白のストライプ柄。ネクタイは無難なグレーだった。それまでぼんやりしていた先輩が、こっちを見て微笑む。耐えきれなくなって、バッグのチェーンを握り締め、慌てて駈け寄ったら、嬉しそうに笑いながら近付いてきた。転びそうな勢いで走ってきた私の両手を、しっかりと握り締める。銀髪を後ろへ撫でつけて、美しい額を出していた。
「フィオナ! 転ぶぞ?」
「せっ、せせせせんぱぁいっ!! かっ、かっこよすぎるんですけど!? 死ぬ、死んじゃう、死ぬっ、死ぬーっ!!」
「えっ? せ、せっかく可愛い格好してんのにお前、」
「かっこいい!! 型を! 型を取りたいぐらい、かっこいいです!! 私がお金持ちだったら等身大の彫刻を作って、リビングに飾ってるところでした! ぼたぼたと、よだれと鼻水が出てきそうなぐらい、かっこいいです!! もうスイーツブッフェに行かず、先輩の写真を撮りまくりたいっ! 先輩がどのスイーツよりも甘くて最高のスイーツです!」
「落ち着けって! せっかく可愛い恰好してんのに、目がやばくなってるって」
先輩の手から手を放して、ぎゅうっと、シワにならない程度にジャケットを握り締める。急に腕の辺りを握り締められたからか、困惑していた。
「せ、せんぱいぃ~……!! ありがとうございます、ありがとうございます!! スリーピースは先輩のえっちな魅力を引き出すために生まれてきた服です、ありがとうございます! 私の! 角膜が!! 喜んでます、幸せです! 先輩のこの姿を撮って、私の棺桶に入れて貰います!!」
「やめろ! いいから落ち着け、息を吸うんだ。息を」
「せ、先輩の吐く、二酸化炭素だけで生きていけそうですっ……」
「ちゃんと酸素を吸え。いいから落ち着け」
「ふぁい……。すみません、興奮しちゃって。今日はもうケーキより、先輩の姿に夢中になっちゃいそうです」
「まったく。休みの日でも相変わらずだな、フィオナは」
先輩が困ったように笑って、ブルーのハンカチを差し出してきた。不思議に思って見上げれば、指先でとんとんと、自分の目元を叩いた。かっこいい!! やっぱり品の良さがある、かっこいい。別格。
「涙が出てる。拭いとけ」
「えっ!? ほ、本当だ、けっこう泣いてる……」
目元を触ってみたら、指先が濡れた。え、何? 私、先輩がかっこよすぎて、泣きながら駈け寄ったってこと? かなりやばい。知ってたけど、自分がやばいなんて。ハンカチを受け取って、目元をそっと押さえる。あ、しまった。押さえながら気が付いた。ハンカチ汚しちゃったかも? 目元をハンカチで押さえながら、先輩を見上げてみると、一瞬だけ動揺したかのように、銀混じりの青い瞳を瞠った。
「すみません。これ、メイクで汚しちゃったかも……」
「い、いや、別に大丈夫だ。安物だしな」
「……先輩、もしかして緊張してます? トラの目になってますよ」
「あ、ああ、つい」
いつもは普通の目なのに、白目がほんのり青くなって、きゅっと銀色の瞳孔が小さくなっている。私の視線から逃れるように、目元を押さえ、ふーっと息を吐き出した。へー、先輩でも緊張するんだ。まあ、でも、そういうお高いところに慣れてなさそうだもんね。
「私もさっきから緊張しっぱなしで……。先輩は行ったことあります? ティターニアホテルに」
「何度かある」
「何度か!? お、お金持ち……」
「姉貴のお気に入りで、誕生日に何度か利用した。でも、さすがに泊まったことはねぇなぁ。レストランだけだ、行ったのは」
「なるほど。でも、やっぱりボンボンですね」
「……そういうフィオナの方こそ、お金持ちのお嬢様だろ?」
「えっ!? い、いやいや、庶民ですよ、庶民! れっきとした庶民ですって!」
最近、先輩がやたらと私の家族を気にするようになってきた。突然やって来たアンソニーさんについて、親戚のおじさんだって改めて嘘を吐いたら、納得してくれたんだけど……。でも、本当は納得なんかしてないのかもしれない。もしかして、兄妹だってことがばれた? 似てないけど、気付いたのかもしれない。
「ほ、ほらっ、早く行きましょうよ! って、あれ? 先輩、耳と尻尾は!? わ、忘れてきたんですか!? 取り外し可能なんですか!?」
「怖いだろ、そんなの……。出来ねぇって」
「え、ええっ!? それとも消せるんですか!? せ、先輩のトレードマークであり、チャームポイントなのに!? も、もしかして手術で取っちゃったとかじゃないですよね!?」
「落ち着け! 違う。一時的に消す薬があって、それを飲んだんだ」
「そんな薬が? あ、す、すみません。つい胸ぐらを掴んじゃって」
「本当に。綺麗な格好してんのなぁ」
先輩がネクタイを整えながら、呆れた表情で見下ろしてくる。き、綺麗な格好。うん、大丈夫! 服を褒めて貰っただけだし……。人間の耳がついた先輩は新鮮で、何だかどぎまぎしてしまう。不思議。でも、耳と尻尾がついてないと寂しいなぁ。かっこいい先輩に、ぴこぴこと動く可愛い耳と尻尾がついてるのがたまらないのに!
「えー、でも、寂しいなぁ。どうして薬を飲んじゃったんですか?」
「一応な。格式高い場所では、耳と尻尾を隠すのがマナーだから」
「そうなんですね? 知りませんでした。薬の効果っていつまでなんですか?」
「半日程度。……その格好のフィオナを見てると、隠してきたのが正解って気がする」
「えっ!? 変、変ですかね!? あ、そうだ、私、張り切りすぎちゃったかもしれません……。いくらティターニアホテルとはいえども、派手ですかね? 他の人達、こんなに気合いを入れてないんじゃ」
「いや、わりと気合い入ってるぞ。女性は特に」
「ですよねー! スイーツブッフェに行ったことあるんですか?」
「無いけど、ロビーに女性がいたから。見れば分かる」
「あー、なるほど……」
その一言で察した。うん、あのティターニアホテルだもんね……。張り切る理由もよく分かる。並んで歩いていたら、ふいに先輩がこっちを見下ろしてきた。
「それにしても、可愛いな。髪」
「えっ!? ええっ!? だ、これは、びっ、美容室でやって貰ったんですけどね!? ヘアセットお願いしました!」
「どんだけ驚くんだよ。あー、そういう格好して、黙っていれば可愛いのになぁ」
「黙っていれば……」
「今日は変顔禁止な? その格好でやばい顏するなよ」
「へっ、変顏って! してませんよ、そんな顏!」
「いーや、してる。自然としてる。目つきがおかしいし、表情筋が狂ってる」
「ひ、酷い! もーっ、そこは普通に可愛いねって言ってくださいよ! 素直に喜べたのに~」
「フィオナは可愛い。びっくりした、いつもと違いすぎて。そのワンピースも髪型もよく似合ってる」
先輩が穏やかに微笑みながら、見下ろしてきた。急に、顔面の良さという凶器でぼっこぼこに殴られたもんだから、息が止まってしまった。思わず立ち止まって、震えていたら、先輩がおかしそうに笑う。じっと真っ直ぐ、私の目を見下ろしていた。そして、おもむろに手を伸ばしてくる。
「顏が真っ赤で可愛いな……」
「まっ、ま、えっ!? えっ!?」
「髪に糸くずがついてるから。動くなって」
「へ? は、はい……」
指先が頬に触れる。死にそうになった。笑いをこらえたような顔して、先輩が私の髪を梳かしていった。やばい、死ぬ! スイーツブッフェに辿り着く前に死ぬ、絶対に死んじゃう……!! また涙が滲み出てきた。先輩を見上げてみると、ゆったり微笑みを深める。み、耳が無いせいでかっこよさが爆発しちゃってる!!
「い、糸くず取れました? で、で、でも、美容師さんがセットしてくれたんだし、そんなはずは」
「悪い、嘘吐いた」
「嘘っ!? な、なんで……」
「つい、綺麗で。フィオナの髪があまりにも綺麗だから、触りたくなった。ごめん」
「えうっ、あ、え……!?」
だめだ、うめき声しか出ない。平然と言い放ったあと、前を向いて歩き出した。あー、そういうところ! 先輩は! そういうところが悪くてだめで尊い!! 心臓を殺しにかかってる。健康寿命を縮めるイケメン、それが先輩。
「わっ、悪い男というか、たらしこんでません!? そうやって他の女の子のことも!」
「しないって、そういうことは絶対。フィオナだけだから」
「あーっ! 全面に、そのスーツ全面にアヒル柄プリントしちゃいますよ!? いいんですか!?」
「いいわけねぇだろ。ごめん、からかいすぎた」
先輩がちっとも反省していない様子で笑みを浮かべ、私を見下ろしてきた。まっ、負けない! ここで好きになったら恥をかくだけ。先輩は絶対絶対、私のことなんか好きじゃない! からかって遊んでるだけなんだ……。
「き、禁止ですからね!? 今日はもうからかうのはっ! 私は変顔禁止、先輩はからかうの禁止!」
「ごめんごめん。さらっと変顔してること、認めたな……」
「おかしな顔になってる自覚はあるんです。でも、いつも先輩が私の表情筋をおかしくしてるんですから、責任取って、腹筋の写真でも撮らせてください!」
「……今日は変態発言も禁止な? せっかく綺麗な格好してんのに」
「他に撮りたいのは大殿筋、腸腰筋、脊柱起立筋、ヒラメ筋、頭板状筋……」
「やめろって! 呪文かよ。筋肉の名称を唱えるのも禁止」




