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魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
一章 私が自分史上最高のイケメンを見つけて、転職した話
31/78

30.期限は一年。気付かれないように、じっくり口説いていく

 


 な、何とか無事に仕事が終わった。良かった……。紺色の小花柄ワンピースに着替えたあと、汗臭いのが気になって、柑橘系のコロンを一吹きしていれば、隣でリップクリームを塗っていたステラちゃんが話しかけてきた。今日はキーネックの白いブラウスに、デニムを合わせている。


「ねえ、あいつとデートに行ったあとにさぁ」

「デ、デートじゃないって! だから!! 先輩にそんなつもりは無いだろうし!」

「そうかしら? 分かりやすいと思うけどねえ」

「あっ、あああああっ、ジュリアナさん! お疲れ様です……!!」

「どうも。お疲れ様」


 豊かに波打った赤茶色の髪が美しい、ジュリアナさんが私の隣に立った。ロッカーを開けてから、躊躇なく胸元のボタンに手をかける。うおあーっ! 別に同じ女性同士なんだから、見たっていいんだろうけど、でも、ちょっと目にするのが罪悪感というか、そんな感じがする!! き、着替えてるところを見ないようにしなきゃ……。必死で目を逸らしていると、ジュリアナさんがのんびりした口調で話し出した。


「ヒューのね、耳と尻尾がすごいのよ。気付いていないんでしょうけど、フィオナちゃんが酷いことを言うたびに、」

「ひっ、酷いこと!? 私、先輩に対してそんなこと言ってましたか……?」

「あ~ん、ジュリアナさん! つまんなくない!? ここで言っちゃうと!」

「それもそうねえ。まあ、勝手にしたらいいわ。ヒューもあなたも子供じゃないんだし」

「どっ、どどういう意味ですか!? あと、先輩と私は本当にそんなんじゃ、」

「フィオナちゃんは可愛いんだから、気を付けなさい。ぺろりと食べられちゃいそうよ」

「た、食べ……」


 とんでもない発言が出てきた。でも、先輩って本当にそんな感じじゃないんだけどなぁ。私が騒いだら「うるさい!」って怒るし、今日だってミス連発して、しこたま怒られちゃったし……。今日このあとだって、みっちりお勉強だし。


 ああ、憂鬱! この年になってまた勉強するなんて、思ってもいなかったよ~……。でも、憧れの職業だったから嬉しい。アンソニーさんに高校性の頃、「将来はどういう仕事に就きたいと思っているんだ?」って聞かれた時、魔術師って答えられなかった、胸の苦しさを思い出せば、なんてことないような気がする。ふと、頭の中に奥様の顏が浮かんだ。あのねっとりとした眼差しと、嫌悪が絡みついた甘い声……。


(私、いいのかな? ここで楽しくしてて。お父さんにお金出して貰って、勉強して、本当は試験なんて受けるべきじゃなかったのに)


 暗い考えに沈みかけた時、隣のステラちゃんが話しかけてきた。私の肩を揺すってる。


「ねえ、フィオナちゃん! 聞いてる? 疲れちゃった?」

「あ、ごめん。き、聞いてなかった。どうしたの?」

「だからー、デートの感想! 教えてよね。こと細かく! スイーツブッフェとぉ、ドライブデートとぉ」

「やっ、やめて!! 違うから、本当に! 先輩だってそんな気無いよ」

「ええええ~? でも、牽制がすごかったじゃん?」

「牽制?」

「じゃ、お疲れ様。気を付けてね、フィオナちゃん」

「あっ、ああ、ジュリアナさん! ありがとうございます!! きょっ、今日も美しいお姿が見れて嬉しかったです!!」

「ありがとう~」


 軽い! シンプルな白シャツと細身のズボンを着たジュリアナさんは、モデル級の美しさだった。はあ、何? あの腰の位置は……。足が細いのに、お尻がぷりんとしてる。背が高いし、美人だし、気の抜けたような話し方もまた、ミステリアスで素敵! うっとり見惚れていたら、ステラちゃんが笑顔で「お疲れ様でぇーす」と言った。


「じゃあ、私達も行こうか。ステラちゃんさえ良ければ、カフェまで一緒に行かない?」

「えっ? うん。別にいいけど、二人のデートを邪魔することになっちゃうんじゃないかなぁって」

「デートじゃないって、だから! ただのお勉強だから!! みっちり術語を詰め込まれるんだよ!? 分かる!? 私がパンクしそうになった時、集中力を回復させるどろっとした、まずい緑色の液体を飲まされる気持ちが! 甘酸っぱさなんて、ちぃーっとも無いから! びっくりするぐらい、無いからね!?」

「あははは、ごめんごめん。ごめんって。お疲れ様~」

「最初だけだったよ、ほんのり甘酸っぱいのは……!!」


 カフェでの先輩の厳しい態度を見ていると、本当に私って、手のかかる面倒臭い後輩なんだなぁって痛感させられる。ステラちゃんと一緒にロッカールームを出ると、右から、光り輝いた何かが漂ってきた。こ、これは先輩! 先輩のオーラ! ぐるんと振り返ってみれば、予想通り、先輩が壁にもたれかかって待っていた。暑くなってきたからか、黒いシャツの袖をめくって、ボタンでしっかり留めている。暗がりの中では、青灰色に見える瞳が私を見つけるなり、少し細められた。口元に笑みが浮かぶ。


「フィオナ、待ってたぞ。じゃ、勉強しに行くか」

「あーっ、勉強っていう単語が入らなければ完璧な台詞なのに!! 先輩!」

「何言ってるんだ、アホか」

「あ、今日はカフェの前までついて行くから~」

「げっ」

「もうちょい隠す努力しなよ。私に喧嘩売ってんの?」

「まっ、まあまあ、私、今日はステラちゃんとお喋りしたい気分なんだよね! 行こうよ。ねっ?」


 なだめると、ステラちゃんがにっと猫のように笑って、腕を組んできた。可愛い~! ステラちゃんがスキンシップに抵抗が無い女の子で良かった。ハグも、何なら手つなぎもしてくれる。幸せ……。


「だね~! 行こっか! あんなやつは置いといてラブラブしよ~」

「ふへへへ、ラブラブしよ~! そうだ、幼馴染との進展は!?」

「えっ? 進展させる気無いけど?」

「か、可哀想……。でも、話を聞いてたら相性が良いんじゃないかなって思っててさ!」

「力説するねえ、フィオナちゃん。どうしよっかなぁ。でも、他にいいのもいるしなぁ」

「真面目な幼馴染一択!!」


 私達がべちゃくちゃと賑やかにお喋りしてる間、先輩は黙って後ろを歩いていた。うん、この距離感でちょうどいい。私と先輩はこれでいいんだ。二人きりで遊びに行ったりもするけど、つかず離れずの距離感を保って、無責任にきゃあきゃあ騒いでいたい。甘い雰囲気もすっかり霧散したし、順調、順調。


 そう思っていたのに、センターから出た瞬間、息が止まった。私を待ち構えるようにして立っていたのは、アンソニーさんだった。暗がりの中で浮かぶ、アイスグレーのジャケット。汗ばむ気温でも涼しい顔して、きっちりと、プレスが効いたスラックスとジャケットを身につけていた。黒縁メガネのつるを押し上げ、歩み寄ってくる。


「フィオナ、待っていたぞ。何度連絡しても返信してくれないから、」

「わーっ!? ど、どうしてここにいるんですか!? アンソニーさんが!」

「どうしてって、フィオナが俺の連絡を無視するからだろう。会えないってどういうことだ? そんなに俺のことが嫌いか?」

「ああああああーっ!! ちょっ、ま、待ってください! ちょっと本当に待って! ごめんね、ステラちゃん! きょ、今日はこの人と一緒に帰るから! せ、先輩もあの、すみません、さようなら……」


 どうしよう。ばれたくない、怖い。私が愛人の娘だってばれたら、先輩に軽蔑されそうで嫌だ。怖い。心臓がばっくんばっくんと、嫌な音を立てていた。早くここから立ち去りたい、逃げてしまいたい。先輩にこの人が異母兄だって、ばれる前に早く……!! 私がアンソニーさんの腕にしがみついていたら、先輩が近付いてきた。表情が読めない。でも、怒ってる? 周囲にいる人の視線が突き刺さった。そ、そうだ、ここ正面玄関だし、早くどこかに逃げないと。


「あなたはフィオナの知り合いですか? 彼女は俺との予定があるので、話ならまた今度にして貰いたいのですが」

「予定だって? 何のだ。もう夜も遅いだろ?」

「アンソニーさん! お願い、余計なことを言わないで黙ってて!!」

「そういう訳にもいかない。でも、安心しろ。お前が言って欲しくないのなら、言わないから」

「あ、は、はい……」


 でも、だめだって! それじゃ! 似てないんだし、怪しい関係だって思われるじゃん!? アンソニーさんはがっつり結婚指輪をはめてるんだし、最悪の場合、私が既婚者と不倫してるって疑われちゃう……。不倫も浮気もしたことないのに! ていうか、これからずっと一生するつもりなんて無いのに。がたがたと震えながら、アンソニーさんの腕を引っ張ってみると、足を踏ん張った。ちょっと! この人、まだ何か余計なこと言うつもり!? 先輩を睨みつけ、冷たく言い放った。


「フィオナとお前はどういう関係だ?」

「お願いだから、黙っててって! ご、ごめん、ステラちゃん!? せ、先輩を連れてって、よろしく! まっ、また明日ー!」

「おい、フィオナ。それはいくら何でも雑すぎるだろ。この人に付きまとわれてるのか? 大丈夫か?」

「つきっ……!! 俺がそ、そんなことをしているとでも!?」

「傍から見ればそうですよ。フィオナが嫌がってるじゃないですか」

「い、嫌がってるわけじゃない! ただ、そう、この子はちょっと照れ臭くて、焦っているだけだ」

「もーっ!! だから、さっきから誤解されるような発言をするのはやめてくださいよ!? 嫌なんですって! き、急に来られても困るんですけど!」


 ああ、どうしよう!? 私も誤解されるようなことしか言えない……。おもむろに、先輩がふっと鼻で笑った。アンソニーさんにしがみついている私へと腕を伸ばして、自分の方へ引き寄せる。あっさりと体から力が抜けた。も、もう少し踏ん張れば良かったのに、それが出来なかった。アンソニーさんが口を開けて、呆然とした表情になる。


「ほら、やっぱり嫌がっているじゃないですか。フィオナと一体、どういう関係なんですか?」

「……それはこちらの台詞だ。随分と親しそうだが、お前は? 一体何だ?」

「しょっ、職場の先輩です! 失礼なこと言わないでくださいよ、私の人間関係をめちゃくちゃにするつもりですか!?」

「いや、そんなつもりはない。大体だ、お前が俺のことをここまで避けなかったら、」

「あーっ、もう、聞こえない、聞こえない!! 分かりました! 話しに行けばいいんでしょ、行けば! すみません、先輩。助けてくださってありがとうございます。でも、付きまとわれているわけじゃないし、」

「本当か? フィオナ。俺の目を見て、ちゃんと言えるな?」

「えっ? は、はい?」


 先輩を見上げて話していたら、急に肩を掴んできた。真剣な顔をしてる。きょっ、距離が近い!! ちょっと待って? 何もかもを忘れて、その憂いを帯びた眼差しを鑑賞しちゃうんですけど、面食いの私にどうしろと……!? 涙が滲み出てきた。ちょっと待って、顏が良すぎる! 慣れてきたと思ったのに、至近距離で見つめられると、恥ずかしいのと緊張と興奮がごっちゃになって、涙が出てくる……。私が硬直していたら、アンソニーさんが先輩の腕を掴んだ。かなり怒っていた。


「俺は別に付きまとってなんかいない! 離して貰おうか。フィオナとは話があるんだ」

「……あなたは、どういう関係の人なんですか? もしかして言えないような関係、」

「あーっ! こ、この人は親戚のおじさんですよ!! ちょっ、ちょっと母のことで話があって! それじゃあ、先輩! 失礼しまーす! あ、えっと、ステラちゃんも何かごめんね!? ばいばぁいっ!!」

「あはは、そんな風にばいばいって言われたのは初めてかも~。ばいばい、フィオナちゃん。また詳しく聞かせてね~」

「あっ、う、うん! ごめんね、ばいばい! せ、先輩もっ、さようなら! ほら、行きますよ。アンソニーおじさん」

「おじさ……」


 ものすごく何か言いたげな顔をして、むっつりと黙り込んでいる先輩に笑いかけたあと、おじさんと言われてショックを受けている、アンソニーさんを引っ張ってその場から立ち去った。ああ、危ない。ばれちゃうところだった! もう嫌なのに。愛人の子だってばれるのは。腕を引っ張って、一生懸命歩いていたら、ふいにアンソニーさんが呟いた。


「……そんなに嫌か? 俺が兄ってばれるのは」

「だ、だって、半分しか血が繋がってないんだし!」

「それでも、兄妹であることに変わりはないだろう。半分しか血が繋がってないなんて、見ただけじゃ分からないんだし、嘘を吐かなくても」

「ア、アンソニーさんに私の気持ちは分からない! それに、ぜんぜん似てないでしょ!? 私達! 似てないから、色々言われるんだよ。年が離れてるみたいだけど、いくつ? とか、根掘り葉掘り聞かれているうちに、私、嘘が吐けないから、どうしてもばれちゃう……」


 ビルの前の歩道を歩きながら、うつむいていると、気遣わし気な声で「フィオナ」って呼んできた。そんな声を出すんだったら、最初から来て欲しくなかった。アンソニーさんには分からない、私の気持ちなんて。愛人の娘だってばれて、友達の態度が微妙に変化していくこととか、人間関係が上手くいかなくなっていくあの辛さを、理解なんて出来ない。腕から手を放して、アンソニーさんを見ないようにする。


「私、私、お兄ちゃんが来た時に散々言われたんだから! け、結局、あのままグループにいられなくなっちゃって」

「いつの話だ? それは」

「いつの話かなんてどうでもいいでしょ!? とにかくもう、職場へは来ないで! 奥様に恨まれてるんだし、私とはあんまり仲良くしない方がいいでしょ」

「母さんのことなら気にしなくてもいい。昔からああいう人なんだ。いつも誰かのせいにする」

「嘘! 絶対に嘘だ……!!」

「嘘じゃない、本当だ。ごめん、フィオナ。もう二度と来ない、二度と来ないから」


 涙ぐむ私の手首を引っ張って、強引に抱き締めてきた。喧嘩している最中のカップルに見えるかな? それとも、別れ話がこじれた不倫カップル? 色々気になったけど、耐えれなくなってしがみついた。声を押し殺して泣く、私の背中を優しく擦ってくれた。


「ど、どっちの話が本当なの? 分かんない、分かんないの……。三人ともぜんぜん違う話をするから」

「俺だって分からない。でも、母さんは嘘を吐いてる。それだけは言える」

「なんで? どうしてそう、はっきりと言い切れるの?」

「……そういう人だからだ。あの人はそういう人なんだよ、フィオナ。昔から嘘を吐いて、人の気を引こうとする。常に自分が中心で目立ってなきゃ、気が済まない人なんだよ。だから、夫婦関係が破綻したのはフィオナのせいじゃない。元から破綻していたんだ」


 どっちの話を信じればいいんだろう? 私は。にっこりと微笑みながら、言われたあの時の言葉が忘れられない。今でも鮮明に思い出せる。品の良い服装をした奥様が、愛想良く微笑みながらこう言った。


『あなたには何の罪も無いって分かってるんだけどね。でも、死んでくれないかしら』







 フィオナのことを考えながら歩いていると、何も無い道でつまずいた。舌打ちしたい気持ちをこらえていれば、案の定、ステラが嫌な笑い方をする。耳に障る。どうして、フィオナはこの性悪女と仲良くしたがるのか。意味が分からん、合わないだろうに。


「ふっ、ふふふ、そぉ~んなにフィオナちゃんのことが気になるんだ? 元彼かもしれないしねえ」

「……親戚のおじさんって言ってただろ」

「え? あんなにバレバレの嘘、信じちゃったの? 信じられないから、何も無い道で転んじゃうんでしょ~?」

「もういい、黙れ。知られたくないようだったから、あんまり問い詰めるなよ。そういうの、フィオナは気に病むから」

「へー。彼氏面、うっざ! 何だっけ? 絶対に付き合いたくない、鑑賞用の顔立ちだっけ? あんたは」


 ことごとく神経を逆撫でしてくるな、ステラは。……落ち着け、落ち着け。フィオナのことになると、冷静でいられなくなってきている。良くない兆候だ。もう二度と同じことを繰り返したりはしない。あっという間に、取り返しがつかないことになるから。


 過去の嫌な出来事を思い出せば、ステラへの苛立ちが徐々に収まっていった。去り際の、フィオナの泣き出しそうな笑顔が頭から離れない。あいつはいつも、自分がどういう顔をしているかなんて、気にしてないんだろうなぁ……。足元を見ながら歩いていると、ステラがほくそ笑んだ。


「ねえ、聞かせてよ。ここにはフィオナちゃんもいないことだし?」

「……一体何をだ? 主語をつけろ、主語を」

「え~? いちいちうるさいなぁ、もう。分かってるでしょ? フィオナちゃんのこと! 好きなんなんでしょ? まだ来て一か月も経ってないけど」

「前からの知り合いだから、フィオナとは」

「へー、ほー、ふーん? へえええ? 否定してるわけでも、肯定してるわけでもない返事だよね? それって」

「鬱陶しい聞き方はやめろ。率直に聞けばいいだろ? 本当にフィオナちゃんのことが好きなのかどうなのか、付き合う気なのか? って」


 ステラを見下ろせば、驚いたように青い瞳を瞠った。こいつは中々に使える。上手く利用してやればいい。笑って前を向くと、距離を縮めてきた。ボロを出さないように、立ち回らなきゃな。


「そうは言ったってさぁ~、あんたが素直に話すとは思えないし? 聞いたら教えてくれるの?」

「まだ好きになってはいない。でも、他の男に搔っ攫われるのは我慢ならないんだよ」

「へー。それって好きって言うんじゃないの?」

「想像してみろ。それなりのイケメンがお前のことを可愛い、こんな美人見たことがないって言って、ちやほやしてきたのに、周りの女を褒めていたら? しれっと、そいつと付き合おうとしてたら?」

「……そりゃ、むかつくけど。ええ~? そういうこと?」

「そういうことだ。俺の顔を好き好き言っておきながら、あっさり他の男と良い雰囲気になりやがる。それが気に食わなくて、邪魔してるんだよ」


 さて、どう出るか。とは言っても、この性悪女のことだ。目に見えている。悲しいぐらい俺の予想を裏切らず、意地の悪い笑みを浮かべた。


「好きなんでしょ、やっぱり~! 素直に認めないところが本当にダサいんですけど。別に言ったりしないよ? だって、面白いんだもん! あんたがフィオナちゃんのことで、あたふたしてる様子が!」

「好きじゃないって、だから」

「……いい加減、素直になったら? 尻尾と耳で丸分かりだからね?」


 ぴくりと、自分の耳が動いた。分かってる。フィオナの前でだと、耳も尻尾も制御出来ない。でも、どうしようもないだろ! お前だってくしゃみを我慢出来るか? 出来ないだろ? 鼻がむず痒くなったら、唐突に出る。それと一緒でフィオナの前では、尻尾や耳が制御出来なくなる、と言おうとしたがやめておいた。格好の餌食にされるだけだ。俺が黙って歩いていると、つんつんと、癪に障る突き方をしてきた。これがフィオナだったら嬉しいんだけどなぁ……。


「ねえ、好きなんでしょ? 手伝ってあげよっか? ふ、ふふふっ」

「嫌な予感しかしねぇな。でも、まだはっきり好きとは言えない。時間が足りない」

「まあ、そうだけど。やけにあっさり認めるじゃん?」

「……俺のことを手伝ってくれないか? ステラ。今、ここで他の男と付き合われたら困るんだよ。一年ほど恋愛はしないとか何とか言ってるが、どうだか。気が変わって、あっさり他の男と付き合いそうだ」


 こいつには、率直に頼むのが一番効く。それに、ある程度弱みを見せておいた方が、俺の思う通りに動いてくれる。真剣な顔を作って見下ろせば、面白そうな笑みを浮かべ、「ふーん?」とのたまった。


「……ねえ、あっさり認めるとは思ってなかったんだけど? 誤魔化さなくていいの? さっきみたいに」

「誤魔化したって無駄だろ。もうばれてるんだから」

「へ~、いいよ。面白そうだし、手伝ってあげる。何やればいいの? 私は。ノープランじゃないでしょ?」

「当然だ。まずはそうだな、ニコラスの気持ちを探ってくれ。あいつ、面白半分なんだか本気なんだか、よく分からないが、フィオナに言い寄ってきやがる」

「好みのタイプなんじゃないの? フィオナちゃんって胸も大きいしね」

「……とにかくもだ。俺の方から問い詰めるのもあれだから、それとなく聞き出しておいてくれ。頼んだ」

「了解。とりあえず、今聞こうかなぁ。素直に言うとは思えないけど」

「今かよ」

「だって、忘れるもん。疲れてるし。疲れてる時って、ポロッと本音を漏らしちゃうでしょ?」


 疲れてるのはお前じゃなくて、ニコラスか。良かった。散々人をおちょくる元気はあるのに、疲れているのかと嫌味を言いそうになった。余計なことは言わないのが一番だ。ステラが魔術手帳を開き、あろうことか電話をかけ始める。……怖いな、行動が早い! こいつのこういうところが嫌なんだよ、本当に。余計なことをする時だけ、すぐに動きやがる。


「あ、もしもし? ニコラスくぅ~ん。お疲れ様ぁ。え? 酷くない? わざとだよ、わざと! じゃなきゃ、ニコラス相手に猫撫で声なんか出すわけないじゃん」


 ぐだぐだと当たり障りのない話をしたあと、本題を切り出して、さらっと痛いところを突いた。若干動揺していたが、俺が聞いていると思っていないからか、あっさりと本音を口にした。


「フィオナさんのことは別に、まだ好きじゃありませんよ。付き合ってと言われたら、そりゃ付き合いますけどね」

「へ~? それにしては熱が入ってたじゃん? 今日、ヒューと睨み合いなんかしちゃってさぁ」

「単純に体と顏が好みなんです。俺が何を言っても気にしない人ですし、二人で飲みに行ったら、チャンスあるかなと思って」

「ふーん、体目当てかぁ。良い度胸してるね? 私、フィオナちゃんの友達なんだけど?」

「ステラさんが言わなきゃ、それで済む話じゃないですか。失礼します」

「あっ、切れた~……。ねえねえ、聞いた? 今の。あいつ、体目当てだったって、うわっ!? ぶ、ふふふっ、ひ、酷い顔してるんだけど! めちゃくちゃ怖いんですけど!?」

「……うるさいな」


 迎えに行くつもりだったけど、最初から乱入した方がいいか? 頭の血管が狭くなる。だめだ、制御しろ。あっという間に血が上るのが、俺の悪いくせだ。深く息を吸い込んでから、吐き出した。拳を強く握り締めていると、ステラが鼻で笑う。


「ま、良かったんじゃない? 本気で好きじゃなくて」

「ああ、そうだな。助かった、ありがとう」

「他には? 何かある?」

「……フィオナに今のやり取りを話しておいてくれ。気をつけろとも」

「言われなくても、そうするつもりだったけどね~。あとは?」

「それから、今までニコラスがしてきた頭のおかしい所業の数々を、嘘を交えて吹き込んでおいてくれ」

「嘘はだめでしょ、嘘は! すぐにばれそう」


 ステラが肩にかけたバッグに、魔術手帳をしまいながら笑う。じゃあ今度、俺からそれとなく嘘を吹き込んでおくか。仕方ない。近寄ってくるニコラスのことを悪く言えば、好意を見透かされそうな気が……いいや、それは無いか。鈍感だもんな、フィオナは。今度言っておくか。


「それと、フィオナは浮気する男が嫌いだからな。ニコラスは浮気する男だって言っておいてくれ。そんな話、聞いたことねぇけど」

「ちょっとー! 面白すぎるんですけど!?」

「お前なら出来るだろ? ステラ。ありそうな話を作って、吹き込んでおいてくれ。とにかく、全力でニコラスの邪魔をしてくれたら助かる」

「え~? 私、いいように使われてない?」

「……金でも渡そうか? いくらか」


 にっと笑った。こちらを見ずに、軽く手を振る。お嬢様育ちだから通用しないとは思っていたが、予想通りか。でも、味方でいてくれないと困る。今、職場の中で一番フィオナに近いのはステラだから。


「いいよ、いらない。お金に困ってるわけじゃないしねぇ……。あ、そうだ。今度フィオナちゃんの写真を撮ってきてよ。私に送るって言ってさ」

「分かった」

「イチャイチャ写真、よろしく~」

「は?」

「いや、こっちがは? って言いたいんですけど! 人のことを散々コキ使っておいて、まさか、何もしないつもりなの? それじゃあ、つまらないじゃん。せっかくの海とブッフェなんだし、関係を進展させなよ!」


 そうだった。こいつはこういうことを言うやつだった……。早まったか? でも、フィオナに気付かれずに、周りの男を排除しておきたい。好意を悟られずに、邪魔者を消す必要がある。それにはステラの協力が必要不可欠だ。それとなく、ニコラスやアンドリューの悪口を吹き込んで貰いたい。フィオナは単純だから、すぐに信じるだろ。


「……分かった。じゃ、送ってやるよ。ありがとう」

「え~? 素直で気持ち悪い! 本気なんだ? フィオナちゃんのこと」

「目を離したらすぐに失敗するし、怪我をするし、アホだし、魔術はろくに使えねぇし」

「えっ? ちょっとやめてよ、悪口なんて! まさかそれが惚気って言わないよね? だとしたらあんた、とんでもないモラハラ男だよ? 分かってる?」

「なのに、自分一人で何とか出来ると思い込んで、無茶しやがる。見ていると心配なんだよ。厄介ごとに巻き込まれそうで。だから、不安の芽は潰しておきたい」


 怪しい壺を買わされそうになってないかとか、借金の連帯保証人になってやしないかとか、友達の厄介ごとに巻き込まれてないかとか、自分でも引くほどに不安が絶えない。分かってる。フィオナがある程度、自分で解決出来るってことは。隣を歩いているステラが、何とも言えない表情になった。


「あー、うん。分かるけどねえ、言いたいことは。そこが好きなんだ? 庇護欲がそそられるから?」

「んー、ちょっと違うな」

「もったいぶってないで言いなよー! どこが好きになったの?」

「だから、まだ完璧に好きになったわけじゃねぇって」

「えーっ!? つまんない! まあ、まだ一か月も経ってないもんね。当然かぁ」


 意外とあっさり信じてくれたな。良かった。好きだとしても言うわけないだろ。アホかよ、こいつ。……でも、庇護欲をそそられるからだけじゃない。好きになったのは。明確に引かれた一線がもどかしい。フィオナは自分の話をあまりしない。最初はそのことに気が付かなかったが、喋っているうちに気が付いた。踏み込んでも、すぐに話してくれるものと思い込んでいた。でも、話して貰えなかった。特に、子供の頃の話をするのを嫌がる。


(何かあるんだな? さっきのおっさんといい、子連れを見つめる時の寂しそうな目といい)


 暴きたい、聞き出したい。そう思っているうちに、無理やり笑う姿や、疲れを隠し通そうとする様子にどんどん惹かれていった。それに、フィオナは意外と真面目でちゃんとしている。俺が尻尾に触るなと言えば、その通りにしているし、あれから、耳や尻尾を触らせろと言ってこない。もう少し、うるさく騒ぐかと思ったのに。連絡先を交換した時だってそうだ。鬱陶しいからあまり送ってくるなと言ったら、生真面目に「分かりました」とだけ言って頷いた。


 拍子抜けさせられる。しつこい時と、しつこくない時の差が激しい。どうせ連絡してくるだろうなと思っていたら、一向にしてこない。フィオナからの連絡が来ていないか、魔術手帳をしょっちゅう確認しているうちに気が付いた。俺がフィオナからの連絡を心待ちにしている。尻尾だって、触らせて欲しいと言われたいことに気付いた。……好きなのか。認めたくは無かったが、どんどん気持ちが膨らんでいった。抑えが効かない。最近はフィオナのことばっかり考えている。


(さっきの男は誰なんだ? 親戚には見えなかった。もしかして……)


 去り際の、辛そうな表情をまた思い出した。フィオナが泣き出しそうな顏で笑っているのを見ると、強烈に慰めたくなる。どうした? 何があったんだ? と聞きたかったが、到底聞けなかった。あの時、無理やり腕を引っ張って、カフェに連れて行って、話を聞き出して、泣くフィオナのことを抱き締めてやれたらどんなに────……。


「……ねえ、トラの目になってるんだけど? 何考えてんの? ひょっとしてフィオナちゃんのこと?」

「ああ、まぁな。さっきの男は一体誰だろうな?」

「不倫相手とか?」

「フィオナはそんなことするやつじゃない! 分かってるだろ?」

「じゃあ、独身だと思って付き合っていたら既婚者で、別れを切り出したらしつこく迫ってきた男」

「ありうるな……」


 聞き出した方がいいか。いや、そういうのは嫌がるしなぁ。悩んでいたら、ステラが笑って「じゃあ、私はこれで。ばいばーい」と言う。助かる。適当に手を振ったあと、閑散としている住宅街の道を黙々と歩いた。夜空には月が浮かんでいる。でも、頭に浮かぶのはフィオナの顔ばかり。月を見る気が起きない。


「……一年。一年か」


 一年かけて、じっくり口説き落とす。フィオナに好意がばれたら、すぐにでもバディを変更して、逃げられそうだ。最悪、転職するな。絶対に。フィオナに気付かれないよう、言い寄ってくる男達を排除して、警戒されない程度に距離を縮め、もしも警戒されたら、わざと冷たくして突き放す。フィオナに好意を見破られないように、距離を縮めて、意識して貰うのが重要だ。ただ、男への不信感が根強い。その辺りを払拭するために、真面目さや、浮気しない誠実さをアピールしていく必要もあるか。


「何だか、気が遠くなってきたなぁ」


 だが、期限は一年。うかうかしていると、あっという間に他の男に取られる。さいわい、フィオナはアホだし、何とかなるだろ。アホの子ほど可愛いと言うが、まさしくその通りだ。フィオナに嘘を吹き込んでいる時が一番楽しい。笑ってしまいそうになる。真っ直ぐで、キラキラと光り輝いているグリーンの瞳に見つめられると、もっともっと嘘を吹き込みたくなる。


(庇護対象だから、手を繋ぎたくなるって嘘を吐いた時が一番楽しかったなぁ……。さて、次はどんな嘘を吐こうか)


 ごめんな、フィオナ。逃がしてやれなくて。これから嘘を吹き込んでいって、フィオナがアホなのをいいことにイチャつくか。そうでもしなきゃ、やってられない。


「くそ!! 付き合いたくないって、十一回も言いやがって……!! デリカシーが本当に無いな、フィオナは」







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