2.二度と会わないことを祈る!
でも、すぐに憂鬱な気分が吹っ飛んだ。ここだけ一足先に春がやってきたみたいで、空気が暖かい。白い壁に囲まれた中庭は広々としていて、芝生敷きの斜面には、ほんのりと青い花をつけた木々が植えられていた。小さくて青い花が沢山集まっていて可愛い! おまけに川まで流れているし、どういうこと? 維持費と設計費が気になる……。
「わあ、すごいすごい! ちょっ、ここで二人きりなの贅沢すぎませんか!? 川まで流れてるし! 水どうなってるんだろ~。あと、暖かいのはどうしてですか? あっ、魔術ですかね!?」
「落ち着いて。また転びますよ」
「冷静な指摘! どうもありがとうございます……」
振り返ってみると、ちょっとだけ笑ってた。あああああっ、普段は冷たい双眸が笑うと一気に細くなって、優しげな感じになるのが好き! トラやライオンの獣人はみんなぴりついていて、もっとこう、近寄りがたい感じだと思ってたけど、ぜんぜん違う。本当は優しくて、穏やかな人なんじゃないかな……。陽の光の下で見るアディントンさんは、いかつくて超絶美形で、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。どう見ても、あきらかに一般人じゃない。彫師やってそう。
「ねえ! ここ、一体どうなってるんですか? 暖かいんですけど、空調が効いている感じはしないし、やっぱり魔術仕掛けなんですか?」
「そうですね、ここは春の庭と呼ばれています。こっちに飲食禁止じゃないエリアがあるので、行きましょう。そこに薔薇が咲いて、」
「薔薇!? 薔薇まであるんですか!? そうだ、定期的に庭師の方が出入りしているんですかね?」
「そうでしょうね、たまに見かけます。あと、昼飯って食べましたか?」
「ああああっ、すみません!! 今ってお昼休憩の時間ですよね!? 私、あなたのお昼休憩を奪っちゃってるんじゃ!?」
「大丈夫です。セドリックに十二時で、と伝えたのは俺なので」
「セドリックさん……?」
誰だろう、それ。私が首を傾げていると、ほっとしたような顔をして頷く。若干疲れてるように見える~……誰のせい? って私のせいか。ちょっと落ち着こう。でも、顔が見たいので、後ろ向きになって歩く。人いないし、大丈夫大丈夫! ぶつからないでしょ。
「はい。あなたからの電話を取った同僚で……今日はあいつらがうるさく騒ぐもんだから、ここで飯でも食おうと思って誘ったんです」
「ご飯!? えっ、どこに? 売店でもあるんですか?」
「いや、買ってきました。ほら、ここに」
「うえっ!?」
トラの尻尾を揺らめかせながら、茶色い紙袋を見せつけてくる。や、やばい、顔しか見てなかった……!! 顔しか見ていなくて、手に持っている紙袋が見えなかったってどういうこと? やばすぎじゃない? 私。視野が狭すぎ問題。いや、前から分かってたけど。通りすがりのイケメン見てて、すっ転んで、血が出たことあるし。冷や汗を掻きながら見てみると、紙袋には“私の好きな美味しいサンドイッチ”という店名が書かれていた。
「あっ、私の好きなサンドイッチ専門店のやつ!!」
「この間、聞いてもいないのにべらべら喋っていたので……」
「お、おおう、すみませんでした! でも、私の分も買ってきてくださったんですね!? もしかして、海老アボカドタルタルソースパニーニ&フレンチフライポテトのセットですか!?」
「ああ、それです。その呪文っぽいやつです。それが耳にこびりついて離れなかったので、買ってきました」
「呪文……!?」
「はい。店内はあなたみたいな女性であふれ返っていましたよ、耳がおかしくなりそうでした」
「す、すみませんでした!! でも、覚えていてくださったんですね? 嬉しいです」
じゃあ、今日は私の好きなサンドイッチを一緒に食べれるのか~。なんだか、微妙に拒絶されているような気がするけど、気にしない気にしない! 一目会えるだけでいいと思っていたんだから、我慢しないと。ご機嫌で歩いていると、いきなり溜め息を吐き出した。
「覚えていたというか、覚えさせられたというか……。あと、そろそろ前を向いて歩いたらどうですか?」
「すっ、すみません! 美味しさを力説したかったんですよ! あと、前を向いて歩く気は無いです」
「無いんですか……」
「ここ、パンをお店で焼いているんですよ!? 自家製酵母を使っているからかすっごく美味しいし、ふわふわなやつは本当にふわっふわだし、具材もたっぷり入っていて、」
「あ、いいです。もう聞き飽きました」
「聞き飽きた……!! すみません、語り足りないんですけど、しぶしぶ黙りますね!?」
「そうしてください。あそこに座って食べましょう」
「わぁ、綺麗! 可愛い~」
アディントンさんを見ながら歩いてたから、ぜんぜん気付かなかったけど、ピンク色の薔薇が咲き誇っている屋根の下に、木のテーブルとベンチが置いてあった。
「可愛い~!! 私、てっきりピクニックエリアによくあるテーブルとベンチだと思っていて! だって、そういうのが大抵でしょう? 薔薇のお手入れ大変そう! でも、可愛い~!」
「喜ぶと思っていました。やっぱり、こういうのがお好きなんですか?」
「やだ、座ろうとしてる姿もかっこいい!! 写真撮ってもいいですか!?」
「頼むから、少しは落ち着いてください……。あと、カメラもしまって。早く!」
「うっ、だめですか!? 一枚だけ! 一枚だけ!! じゃないと、心置きなく死ねないです! 一生後悔しちゃう!」
「知るか! いいから、さっさと落ち着いて座ってください!」
「ふぁい……」
泣きそうになりながら、黒い小型のカメラをバッグにしまっていると、向かいにあるベンチに腰かけた。あああああっ、薔薇から落ちる陽射しに照らされたアディントンさん、最高に美しくて死ぬ! 銀髪、つやっつや! 月明かりの下でも美しかったけど、陽の光に照らされると、筋肉の盛り上がった感じとか、長いまつげとか際立っていて、色気があって死ぬ! かっこいい! 少しでもその顔を見るため、必死でまばたきしないよう、限界まで目をかっぴらいて、凝視していると怯え始めた。
「……怖い! 顔が。息出来てるんですか? それ」
「で、出来てないです……!! あの、私の目の保護のためにも、あとで写真を撮ってもいいですか!?」
「目の保護?」
「ま、まばたきするのが惜しくて、目が痛くなってきちゃいました……!!」
「アホか。まばたきぐらい、ちゃんとしてください」
「私、まばたきする一秒すら惜しいんです! それぐらい、あなたの顔が好きだし、ずっとずっと見ていたいんです……。どうか、どうか、お願いだから写真を撮らせて貰えませんか!? 一枚、一枚だけでも!」
「そ、そんな、泣かなくても!」
一人でさっさと食べようとしていたアディントンさんが、ぎょっとした顔をして慌てる。あ~、なんで自分でも涙が出てくるのか、よく分かんない。でも、写真が撮りたい。写真さえあれば、この辛さが少しはまぎれるような気がする。浮かんできた涙を指先で拭っていると、かなり大きい溜め息を吐き出した。
「……分かりました! 撮ってもいいので、早く泣き止んで座ってください。食べますよ」
「あっ、あああありがとうございます!! やった、やった」
めそめそと泣きながら、ベンチに腰かける。呆れた顔をして、紙袋から白いボックスを取り出した。
「はい。これ、あなたの分です」
「ありがとうございます……。今、写真撮ってもいいですか? 食べているところが撮りたいです」
「一枚だけですよ。ん」
「ぶふっ!! なんで、なんでそんなポーズなんですか!?」
「しぶしぶだからです」
おそろしく真顔のアディントンさんが、サンドイッチを手に持ったまま、ピースサインを作った。ぶふふ、笑って手が震えちゃう。お葬式に出席してる人みたいな顔! 笑いながら撮れば、すぐさま手をおろして、また食べ始めた。バゲットに、美味しそうな焦げ目がついたソーセージとレタスが挟まっている。あれ、中にチーズが入っていて美味しいんだよな~。じゅわっと出てきた肉汁に、塩気のあるチーズが絡まってたまらないやつ!
「ふふ、私がおすすめしたやつ買ってくれたんですね? ありがとうございます!」
「うまいですよ、なかなか。女性向けのサンドイッチしか売ってないと思ってたんですけど、意外とこういうのもあるんですね」
「はい! 学校帰りの学生がわらわら入っていく時もありますよ~。あっ、そうだ。見ました!? 今限定のチェダーチーズと厚切りベーコンのサンドイッチ! あれ美味しそうですよね!」
「……買って帰る予定です。癪ですけど」
「しゃくっ!? なんで!?」
「なんとなく。あと、用事が無いのならもう会いに来ないでください。迷惑なので」
「清々しいまでの塩対応……!! ひょっとして、彼女いるんですか?」
私の言葉を聞いて、ぴたりと止まる。えっ、彼女いたのなら、本当に申し訳ないことをしてしまった……。このかっこいい非現実的な男性を見ていたら、彼女がいるとかいないとか、そういう概念がスポーンと抜けてしまって! 私、だめだなぁ。そうだ、年齢も知らない。名前しか知らない。
「……いや、彼女はいませんけど。あなたが電話したせいで、うちのバカどもが騒ぎに騒いで迷惑なんですよ。だから」
「じゃあ、連絡先を交換しませんか!? 一生お友達でいましょう!」
「一生って」
「私、あなたの顔が好きなんです! でも、モテそうだし、ぜんぜん誠実そうなタイプには見えないから付き合いたくはなくて……」
「正直すぎる!! もっと隠せ、本音を!」
「あっ、いいですね! その感じ! 見たところ私よりも年上っぽいし、タメ口でどうぞどうぞ~」
「いや、距離を取りたいんで。敬語に戻します」
「ひどい!! でも、本当に友達になりませんか? 心臓に悪そうなので一週間に一回、いや、十日間に一回ぐらい会いたいです! 本当に顔を見て、解散で構わないので! あ、もしも、写真を何十枚か撮るのを許して頂けるのなら、二週間に一回ぐらいでいいんですけど!!」
「却下! いいから、さっさと食べて帰ってください」
「そんなぁ~……お金払いますから!」
「いらないです。お金に困ってないので」
ぐっ、魔術師だもんね? そうだよね!? ぐぬぬぬ、と唸りながら見ていると鼻で笑った。かっこいい!!
「いいから早く食べてください。早く食べて帰ってください」
「は、はい……あ、美味しい。焼きたて? なわけないか」
ボックスに詰まっていたポテトをつまみあげて食べると、ほっくりと崩れ落ちていった。温かい。粒が大きい岩塩とバジルにまみれていて、相変わらず美味しい。
「保温魔術をかけておきました。寒くて、あっという間に冷めそうだったから」
「えーっ!? ありがとうございます! わざわざ、そんなことまでして頂いて……」
「いや、俺の分にかけるついでですから」
「デ、デレてるの可愛いっ……!!」
「デレてはいません。当たり前です」
「当たり前?」
「こういう気遣いは当たり前って意味です」
「や、優しい……」
「普通です」
つんけんしているくせに、私の言葉を無視しないでちゃんと返してくれる。ああ、胸のときめきが止まらない。本当はこのまま友達になって、休みの日にバシャバシャ写真を撮りまくる幸せな日々を送りたいんだけど!! 本人にその気が無いみたいだから、諦めなくちゃ。諦め、諦め……。
「だめだ、血反吐が出そうなぐらい辛い!! アディントンさん、本当にお金を払うから写真を撮らせて貰えませんか!? もちろん、きわどい水着姿が撮りたいなんてわがまま言いませんから! 尻尾の付け根部分が撮りたいなんてことも、口が裂けたって言いませんから、どうかどうか撮らせて貰えませんか!? 健全なっ、健全な着衣姿だけでいいんです!!」
「いや、言ってるじゃないですか……。よく喋りますね」
「えっ? 感想?」
「はい。よく喋るなと思って」
「ひ、ひどい……!! しゃしん、写真はっ!?」
「だめです。さっき撮ったでしょう? あれで我慢してください。あと、そろそろ昼休憩が終わるので……」
「そんな! 好きな食べ物と嫌いな食べ物、成年月日と年齢と住所を聞き出そうと思っていたところなのに!」
「ぞっとしました。もう部署に戻ります。食べきれなかった分は持って帰ってください」
「そ、そんな……!! あっ、お礼! どうぞ!」
「ん? いらないって言ったのに」
すっかり忘れていた紙袋を差し出せば、「仕方ないから受け取ってやる」と書かれた顔で受け取ってくれた。でも、かっこいい~。本当に私、このかっこいい顔が見れなくなるの? 永遠に? すっと通った鼻梁とか、神秘的な青灰色の瞳とか、逞しい肩から二の腕にかけてのラインとか、全部見れなくなっちゃうのか~……。
そうだ、手を見ておこう。きっ、綺麗! 顔にしか目がいってなかったけど、綺麗! 彫刻のような浅黒い手。もう少しごつごつしていて、荒れているかと思ったけど違った。爪の形がオーバルで美しい。あっ、毛が生えてる。もう指毛を見ているだけで満足出来るかもしれない、私。指毛を一本持って帰って、大事に出来る自信さえある。
「だから、顔が怖いって!! 聞いてますか!? 人の話!」
「す、すみません……。何も聞こえませんでした。どうかしましたか?」
「いや、どうかしましたかじゃなくて! 戻りますよ、廊下に」
「はい……」
あああああ、これで見納めかぁ。ダメ元で一本、指毛をくださいって言っちゃおうかな……。いやいや、でも、ここは髪の毛だよね? 引かれそうで嫌だし、銀髪を束でくださいって言うだけに留めておいた方が無難だよね? いつ言おうかどうしようか、悩みながら歩いていると、急に振り返って話しかけてきた。
「また何か困ったことがあれば、相談に乗るのでいつでも言ってください!」
「えっ? はい」
「何も、そんなに落ち込まなくても……」
「へ? 落ち込み?」
「警察に相談するまでもない相談に乗るのが、俺達の仕事でもあるので。遠慮なく頼ってください」
「じゃっ、じゃあ、髪の毛を貰えませんか!? 指毛でもいいんですけど!」
「はあ!? 警察に相談するまでもない相談ですか!? それって!」
「すみません、髪の毛を束でください!! それを言おうかどうしようか、ずっと迷っていて……」
「心配して損した! クソが!」
「あぶっ!?」
深々と頭を下げて、両手を出したのに、思いっきりべしんって叩かれてしまった……。でも、触れた! 今日は手を洗わないでおこうかなぁ。あとで手を嗅ぎまくったら、ほんのりアディントンさんの香りがするかもしれない。よし、帰ってから嗅ぎまくろう。自分の手を凝視していると、また怒り出した。
「顔が怖い! もういいから、さっさと帰ってください。疲れました」
「あっ、はい。すみません……でも、最後に尻尾を触らせて貰えませんか!?」
「嫌です! おいそれと触らせるようなもんじゃないので」
「分かりました、お金を払います」
「そういう問題じゃねぇよ! いいから、さっさともう帰れ!!」
「ブチギレてるけど、怖くありません……」
「あ?」
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって。昼休憩も潰してしまったし」
「ええ。まったく、その通りですね」
「でも、優しくしてくださって嬉しかったです。そうだ、お金! 尻尾を触らせて貰う代じゃなくて、サンドイッチ代払います」
「……いらないです。お礼も頂きましたし」
「あっ、前を向いた!」
「前ぐらい向きます」
見れなくなるじゃん、顔が! 慌ててダッシュして回り込み、後ろ向きで歩いていたら、また怒られた。
「転びますよ!? 前を向いて歩いてください! 第一、落ち着かない!」
「そんなぁ~……もう最後なのに!?」
「あなたの運が良くて、俺の運が悪い日、街中で偶然会えるでしょうね」
「そんな、運任せ!? 連絡先交換は……?」
「しません! ほら、もう帰ってください」
「あっ、はい……」
入る時と同じく、急に現われたドアを開け、不機嫌そうな顔をする。前を通り過ぎる時、鼻から思いっきり息を吸い込んでしまった。シトラスみたいな良い香りがする。
「そうだ! シャンプー、何使ってますか!?」
「……頭痛がしてきた。話があまりにも通じなくて」
「もっ、申し訳ありません!! そ、そうだ! 助けてくださって、本当にありがとうございました……。嬉しかったです。家まで送ってくれたのも、サンドイッチをご馳走してくれたのも」
笑って見上げれば、ようやく笑ってくれた。心臓がどっぷりと、蜂蜜入りのラズベリージュースに浸かったかと思った。そんなことを考えてしまうぐらい、甘酸っぱいときめきが猛然と襲いかかってきた。銀箔が散りばめられたかのような、青灰色の瞳が細められる。
「いえ、どれもこれも大したことないですよ。それが俺の仕事ですから」
「はっ、はい!! また来てもいいですか!? あなたに会いたいがあまりに不眠症になって、正気を失って徘徊して、急に店の窓ガラスを叩き割って強盗してしまいそうなんです!!」
「もしも、不眠症になったら精神科に行ってください。きっと、よく眠れる薬を処方してくれますよ。それでは、これで。二度と会わないことを祈ってます」