28.ほろ苦くて、時折、甘い先輩の態度
先輩がものすごく微妙な顔をして、ざわざわと動いている、ムカデやイモ虫柄の玉子を眺めていた。き、気持ち悪い! しかも大きいし……。中からぶわっと、大量の虫が出てきそうで怖いんですけど!? がたがたと震えながら、先輩の背後に隠れる。私が制服を掴んでいても、何も言わなかった。
「うーん……。これは一体どうなってんだ?」
「わっ、分かりません!! とりあえず色々と詰め込んで、玉子にすればいいんじゃないかな? と思ってしてみたんですけど……。ほら、先輩が以前に教えてくれたでしょ? 相手の攻撃を無効化して、水とか霧に変える術語!」
「その通りに使えよ!! くそ、改悪しやがって」
「か、改悪? で、でも、攻撃を玉子にするのって改悪なんかじゃ、」
「いいや、改悪だ。俺が教えたのは、相手の魔術を他のものに変えて無効化する術語だ。玉子にする魔術なんざ、教えてねぇよ!」
「で、ですよね! 改悪でした、すみません……」
そうこうしているうちに、玉子がごとごとと動き出した。私が「ひゃあああああっ!! 出てこようとしてるーっ!? 先輩、先輩!」と叫んでしがみつけば、静かにトラ耳を押さえた。あっ、いいな。ふわふわしてそう。
「耳がキーンってなるからやめろ……。人間と違って、俺達獣人は聴力が優れてる。ちょっとした音でもきつい時があるのに、お前ときたら」
「す、すみません! だっ、だ、黙りますね……!! で、でも、どうしよう? 殻を突き破って出てくるんですかね? なっ、中から大量の虫がっ!」
「いや、大丈夫だ。多分。呪いが凝縮された玉子だから、封印が効くだろ」
「封印が?」
「そう。あと、比較的簡単に解呪ができるが、レベルが高いものだ。何が何でも呪ってやろうという執念は感じさせないが……。腹いせのような気がする」
「腹いせですか。ブラウンさんは特に何も言ってませんでしたけど、犯人について」
「……あの様子から察するに、知り合いなんだろ」
確かに、やたらと歯切れが悪かった。何度も何度も「虫がいなくなれば、それでいいので」と口にしていた。見るからに気の弱そうな男性だったし、そのせいかなと思ってたんだけど。私が悩んでいる隙に、先輩が玉子を封印した。よく分からないけど、多分そう。ピシピシと甲高い音を立てて、氷が玉子の表面を覆っていった。完全に凍ったあと、緩やかなスピードで氷が溶けてゆく。
「お、おお~……すごいですね! 虫柄が動かなくなりましたね? でも、あとはこれ、どうするんですか?」
「持ち主に返す。嫌がらせも兼ねて」
「嫌がらせも兼ねて!?」
「……ああ。貴重な魔術書ばっかり並んでるし、妬みだろ。ようするに」
「妬み!? たっ、たったそれだけでこんな呪いを?」
「これだけの数を揃えるとなると、かなり金がかかるぞ? そうだな、家が二、三軒ほど建つ」
「ひっ!? そんなに高いんですか!? 魔術書って!」
「おう。特に古い魔術書が並んでるからな……。あとで読ませて貰えねぇかな。まあ、頼まないけど」
先輩が頭の後ろを掻きながら、ちらっ、ちらっと、後ろの本棚を振り返った。マジか~、あの先輩がこういう反応になっちゃうぐらい、ここにある魔術書って珍しくて高いんだ? へー。でも、ただひたすらアドバイスとエッセイと、術語が並んでいるだけで、魔術書ってちっとも面白くないんだよね……。中には「そんな器用な真似、できないって!!」って叫んじゃうような方法も載ってるし。ぜんぜん興味ないなぁ。私が渋い顔つきになってると、先輩が苦笑した。
「顏に出てるぞ、全部。考えてることが」
「えっ!? じゃあ、当ててみてくださいよ!」
「魔術書なんてもの、どこがいいんだろうって顔してる。とりあえず終わったし、行くぞ」
「はーい……。思いっきりばれてますね」
「フィオナは全部顏に出てるから」
「よく言われます、それ!」
書庫の階段を上がっていくと、落ち着かない様子でうろうろと、歩き回っているブラウンさんがいた。私達に気付くなり、はっと、深いグリーンの瞳を見開いて、階段を降りようとする。でも、すぐさま狭い階段に戸惑って、ばつの悪そうな表情で足を引っ込めた。
ブラウンさんはちょっと伸び気味の黒髪と、深いグリーンの瞳を持った男性で、いかにも優しそう雰囲気を漂わせている。白いシャツの上に、紺色のニットベストを重ねた、お育ちよさそげな服装が余計そう感じさせるのかも。どことなくアンドリュー君を連想させるなぁ、この人。一体、いくつなんだろ? 気になる。先輩が階段を登り切って、壁際に立った。ろ、廊下が狭いからか、筋肉質の先輩が立つとみっちり感が生まれる。狭い!
「終わりましたよ、ブラウンさん。お待たせしました。えーっと、それでこれが呪いの玉子です」
「呪いの玉子!? うわっ、気持ち悪いですね……。こんなものがずっと書庫にあったなんて。気が付きませんでした」
「いえ、これはフィオナが生み出したんです」
「えっ!? フィ、フィオナさんが?」
「す、すみませんでした……。敵の攻撃をええっと、無効化する術語を使ったんですよ」
「そ、それがどうして玉子の形に!? あ、ひょっとして書庫に気を使ってくださったんですか? ありがとうざいます」
「はい! き、貴重な魔術書もいっぱいあったので……」
ここはもう、全力で乗っかっておこう。違うけど! 先輩が肩を震わせながら、笑っていた。ちょっ、ちょっと待って!? ばれるからやめてー! 内心焦っていると、ブラウンさんが笑顔で「ありがとうございます、フィオナさん」と改めて言ってくれた。や、優しい、この人。嬉しくなって笑い返した瞬間、先輩が本題を切り出した。
「それで、知ってますよね? 呪いをかけてきた人物を。呪具自体は魔術書で、本棚にまぎれこんでいました。あの場所に出入りできる人間って、限られていますよね?」
「ああ、はい……。知っています。でも、波風立てたくないし、どうだっていいんです。もう。あいつだって、虫が嫌いな僕をびびらせるために、面白半分で呪いをかけただけなんでしょうし」
「……そういうわけにもいかないんですよ、ブラウンさん。そいつの住所と氏名を教えて貰えませんか? 罰金を取り立てに行きたいんです」
「ですが……」
何か不都合なことでもあるのか、困惑した表情を浮かべる。先輩が一つ、大きな溜め息を吐いた。背が高いし、筋肉質だし、獣人だしでかなり威圧感がある。先輩は気付いてないのかもしれないけど、ブラウンさん、かなり怯えちゃってますよー! こ、ここは私が仲裁に入らなくちゃ。青ざめて、足元を見つめているブラウンさんに向かって、いつもより明るく話しかけてみた。
「まっ、まあまあ! 落ち着いてくださいよ、ブラウンさん。まずは理由を聞かせて貰えませんか? どうして教えたくないんですか? 最初から言いづらそうにしてましたよね?」
「す、すみません。呪いをかけてきた人物とは幼馴染でして」
「幼馴染? ……仲が悪いんですか?」
「はい、多分。僕としては上手くやっていきたいし、仲が良いつもりでいたんですが……。昔から僕のことを、ちょっと見下しているようなところがありまして」
「なるほど。相手は男性ですか? 女性ですか?」
「あ、同い年の男です。実はこの近所に住んでいまして……」
あー、だから言い淀んでたんだ? すぐに行けるもんね、私達。先輩が真顔で「近所って、正確に言うとどこですか? 隣の家とか?」と聞く。早い早い! 先輩は効率重視だから早い。私がせっかく聞き出したのに、また心を閉ざしたような表情を浮かべ、ブラウンさんが黙りこくった。ああ、もう!
「先輩、落ち着いてくださいよ。何が何でも言わない、とは言ってないんですから……」
「そうだな、悪い。もう黙ってる」
「あっ、はい。その方が助かります。ええっと、ブラウンさん? 罰金とは言っても大した額じゃありませんし、ブラウンさんがその家まで案内する必要はないんですよ?」
「ですが……。向こうだって、面白半分でやっただけでしょうし。それに、ご近所付き合いだってあります。僕の母が、そいつのお母さん、おばさんと仲が良いので」
「あ~……。じゃあ、お母さんに叱って貰いましょうか!」
「えっ!? ど、どういう意味ですか?」
波風立てたくない気持ちは分かるんだけど。私だってそういうタイプだから。でもね? 虫まみれになった私の気持ちも、ちょっとは考えてみてよ!! もーっ、またこういうことが起きて駆り出されでもしたら、死んじゃうんですけど!?
ふいにさっき、先輩にお姫様抱っこされたことを思い出した。い、いやいやいや……!! あれは幻覚、あれは幻覚。幻覚、幻覚。幻聴、幻覚。冷静になる呪文を唱え、にっこりと微笑みかける。
「そのままの意味です。今後、またこういったことが起きたら困るでしょう? こちらとしても、また頼まれたら困ります。私達の仕事は解呪じゃないんですよ」
「あ……それも確かに」
「人に呪いをかけたら罰金、って決まっているので! 申し訳ありませんが、どの家か教えて貰えませんか? 今から取り立てに行きます」
「はい……。でも、ちょっと待ってください。あいつに手紙を書いて渡したいので、時間を貰えませんか?」
「分かりました。じゃあ、待ってますね」
「はい」
ほっとした様子で頷き、先輩に向けて頭を下げたあと、手紙を書きに行った。それにしても手紙か~。何を書くんだろう? 文句とか? ん~、それはなさそう。先輩を見てみると、腕を組んで、廊下の壁にもたれていた。くせなのかな、もたれるのが。
「先輩、ブラウンさんってアンドリュー君にちょっと似てますよね! あ、そうだ。すみません。尻拭いさせちゃったうえに、黙ってろって言わんばかりのことを言っちゃって……」
「いや、大丈夫だ。俺はどうも上手く説得できないから、それでいい。悪いな、任せちゃって」
「いやいや、そんな……。大したことじゃありませんし! それで、似てると思いません? 私、将来ああいうタイプの人と結婚したいな~」
「へえ。ああいう、地味で平凡な男がタイプなのか」
「地味……!! それはそうなんですけど! でも、結婚するならああいうタイプがいいんですよね。浮気とかしなさそうだし、大事にしてくれそう」
「へー」
「興味なさそう! すみません、もう黙ってます……」
先輩、こういう話に食いついてこないよなぁ。いつもどうでもよさそうな顔をしている。一つあくびをして、壁から背中を離した。
「まあ、いいんじゃないか? 極度の面食いであるフィオナが、それで満足できるって到底思えないけど」
「うっ! でも、顏の良さと性格の良さを両立してる人って、そうそういませんし……。イケメンって中にはこう、女性を見下しているというか、すぐ自分の思い通りになる生き物だって考えてる人もいますし」
それでもいいって言う女性も多いみたいなんだけど、私には絶対無理。自分のこと、大事にしてくれない人じゃなきゃ無理……。先輩がまた「へえ」って、どうでもよさそうに相槌を打った。
「まあ、いるよな。中にはそんなやつも」
「あっ、はい。自分好みの顔で、私のことを大事にしてくれる人がいたらいいんですけど、そういうわけにもいきませんから! ははは、難しいですよね~」
「……じゃあ、もしも自分好みの顏で、フィオナのことを大事にしてくれる男が現れたらどうする?」
「えっ? いや、でも」
「もしもの話だ。どうする? 付き合うのか?」
も、もしもの話? もしもの話なんだよね……!? でも、そんな話をしているとは思えないぐらい、真剣な表情だった。出会った頃と同じ、砂漠の夜空に浮かんでいる月のような、銀が混じった青灰色の瞳で見つめてくる。どくんと、一瞬だけ鼓動が速くなった。そ、そんな雰囲気じゃないんですけど!? 軽く「どうする~?」みたいな、そんな雰囲気じゃないんですけど!? 昼間なのに、暗い廊下がそうさせるのかもしれない。先輩に見つめられて、やたらと緊張した。
「あ、ええっと、もしも話なんですよね!?」
「ん」
「えーっと、じゃあ、本当にそういう人が現れたら嬉しいですけど……。そりゃ、付き合いますけど! でも、そんな人って早々いないし、そうだ! あと一年ぐらいは絶対に、誰とも付き合わないって決めてるんで! 恋愛するには、気力と体力が必要なんですよね~。わ、私、元彼に刺されかけてから、懲りずに一目惚れして、猛アタックして速攻だめになったんですよ!? いい加減、懲りるべきですよね!?」
「……ああ、まぁな。じゃ、誰とも付き合わない方がいいんじゃないか?」
「ですよねー! ははは、私もそう思います! あっ、そうだ。幼馴染と言えば、ステラちゃんがこの間……」
全力でステラちゃんの話をする。あっ、危ない、危ない! うっかり、うっかり、気を抜いてときめいちゃうところだった……。先輩って、微妙に甘い態度を取ってくるなぁ。ほろ苦いアイスコーヒーに、ちょっとだけ垂らされたガムシロップを味わうみたいに、ほんの時折、出てくる甘さを堪能したいなと思っちゃう時がある。
そうこうしているうちに、ブラウンさんが白い便箋を片手に戻ってきた。聞けば、呪いをかけてきた男性は隣の家に住んでいるそう。家を出て、隣の家へと向かう最中に、あの魔術書は父と二人でこつこつ集めてきたもので、呪いをかけてきた理由は、自分がずっと狙っていた魔術書を、ぽんと手にしたからじゃないかと、話してくれた。
「言ったんですけどね、僕は。そんなに欲しいのならあげるよって。ただ、それを言ったら、かなり怒っちゃって……」
「あ~、プライドが高そうな人ですもんね! 話を聞いただけで分かります」
「そうですか? でも、確かにプライドは高いです。面白くなかったんでしょうね……」
落ち込んで、溜め息を吐いた。い、言えない。さすがに軽々しく「あなたは何も悪くありませんよ」って言えないなぁ。昔から付き合いがあるし、こうなったことを本当に落ち込んでいるように見えた。先輩は慰める気すらないのか、平然とした顔して歩いている。うん、まあ、そんなことだろうと思った……。
気まずかったけど、隣だから早く到着して助かった。目に眩しい、真っ白な壁と赤茶色の屋根の家がたたずんでいた。庭も広い! 黒い門の向こうには、芝生敷きの庭が広がっていた。玄関までのアプローチには、樹木と花が植えられている。なんかこう、いかにもお金持ちの家って感じ。緊張していると、ブラウンさんがインターホンを鳴らした。
「あの、すみません。こんにちは~。オリバー君、いますか?」
「それがね、ごめんね~。今いないのよ。もうすぐ帰ってくると思うんだけど。どうかしたの?」
「あっ、いいです。連絡がつかないので……。渡したいものがあったんですけど」
いくつか話してから、三人で溜め息を吐く。どうやら、オリバー君はふらっと一人で遊びに行ったみたい。
「わっ、私が、虫にまみれて奮闘している最中に、遊びに行ったりなんかして……!!」
「す、すみません! 頼んじゃって!」
「ここで待ってるっていうのもちょっとなぁ。ん? ……ひょっとして、あれですかね? 買い物袋持ってる男が、こっちに向かって来てるんですけど」
「えっ!? あ、本当だ!」
先輩が指差す方向を見てみると、確かに一人の男性がこっちに向かってきていた。Tシャツの上から、青と白のストライプシャツを羽織ってる。もうどこにでもいそうな服装。でも、多分、あの人イケメン。鼻持ちならないイケメンと見た。私のイケメンセンサーがそう告げている!
「そ、そうですね……。あれがオリバーです。あ~、なんて声かけたらいいんだろ?」
「……逃げますね、あいつ多分」
「えっ!? で、でも、話しかけてもいないのにそんな、」
「立ち止まりましたから。赤い制服を着てますし、分かるんでしょうね。捕まえます」
「捕まえるって……」
「走って捕まえますか!?」
「バカ言え、フィオナ。俺達は魔術師だぞ? そんなことをする必要は無い。すぐに捕まえられる」
先輩がにっと笑って、いきなり足元を凍らせた。ブラウンさんが驚いて「わっ!?」と言う。すごい、早い。もう術語を暗記しちゃってるから、こうも素早く魔術がかけられるんだろうな……。
すぐに氷がピシピシと、ちょっと不快な音を立てながら、向こうで立ちすくんでいる男性の下まで、一直線に走ってゆく。そういう風に見えた。歩道に一筋の氷が生まれ、ぐんぐんと迫ってゆく。慌てて逃げようとしたけど、すぐに追いつかれて転んだ。どうも、足を凍らせてるっぽい?
「先輩、すごいですね! 速い、速い!」
「落ち着け、フィオナ。行くぞ。凍傷になる前に、氷を溶かしてやらなきゃな」
「は、はは、すごいですね……。俺も才能があれば、魔術師になりたかったんですけど」
あれ? 才能ない私でもなれたから、いけるんじゃ……? パニックになって、アヒルを大量に降らせたりしてるけど、先輩がサポートしてくれる甲斐あって、きちんと魔術師として働けてますよ! って言おうと思ったけど、やめておいた。先輩に怒られそうだし。真面目な顔をして、男性に会いに行くと、いきなり舌打ちをした。足が凍ってるのに、強気すぎない? こいつ。先輩もイラッとしたのか、より眉間のシワを深くさせる。
「分かってるとは思うんですけど、罰金を取り立てに来ました。どうします? 手持ちの金がないのなら、あなたのご両親に請求しますけど?」
「大げさな! たかだか、虫が出る呪いぐらいで……」
「あ?」
先輩が一言、威圧感を増しながら放った。こ、怖い! 筋肉質だし、揺らめく銀色の尻尾がまた、威圧感を醸し出している。ちょっとだけ首筋がひりひりした。黒髪に青い瞳の、いかにも高慢そうなイケメンのオリバー君が青ざめ、黙り込む。先輩がそれを見て、思いっきりバカにするような笑みを浮かべた。
「それじゃ、払って貰えますよね? 虫を駆除したのは俺達なんですよ。分かりますか?」
「はい……」
「あ、オリバー。ご、ごめん、こういうことになっちゃって。でも、まさか、呪いまでかけてくるとは思わなかった」
「……」
「何か言って貰えるって思ってないけど、別に。せ、せめて、これを受け取って欲しい。手紙、書いてきたから」
「手紙? っふ」
「笑うなよ……。こうでもしないと、オリバーは話を聞いてくれないだろ? 僕にだって言いたいことぐらい、あるんだって」
ものすごく嫌そうな顔をしながら、手紙を受け取った。こういうやつに優しくしなくてもいいと思うんですけどー! 絶対絶対、話が通じないと思うんですけどー!! って叫びたくなっちゃったけど、我慢した。先輩が溜め息を吐いてから、静かに足元の氷を解く。自由になった両足を、おそるおそる動かしていたオリバー君へ、ついでとばかりに虫柄の玉子を渡した。
「ほい。自分で自分のしたことに責任を持て。ちなみに、こいつが改悪した呪いだから、どんなものが跳ね返ってくるかは未知数だ。封印も解いておいた」
「はっ、はあ!? あんた達が自分で何とかしろよ! 日々、俺が何のために税金を払っているんだと、」
「もういい加減に黙れ。そろそろ、自分が幼稚でみっともないことをしてるってことに気付け。じゃあな。その玉子を飾るなり、割るなり、好きにしたらいい。あ、そうそう。捨てても捨てても、術者の下へ帰ってくる魔術もかけておいたから」
「はあ!? そんな……分かった、謝ればいいんだろ!? 罰金でも何でも支払うからこれ、どうにかしてくれ! 買った店でアフターサービスはしていなくて、」
「おじさんに言いつけようか? オリバー」
ブラウンさんの冷ややかな言葉を聞いて、ぐっと黙り込む。へー、そうなんだ。お父さんが怖いんだ? 強烈な舌打ちをしてから、その玉子を買い物袋の中へ投げ入れ、立ち上がった。
「罰金は母さんに請求しといてくれ。それじゃ」
「オリバー! いくら何でもそれは……」
「大丈夫だって。あのおばさん、金を出すしか能がないし」
うわーっ、嫌だーっ!! 虫並みに嫌だなぁ、この人! その一言だけでどういう家庭環境か、分かるような気がした。ぞわぞわする二の腕を擦っていると、先輩が静かに鼻を鳴らす。それから、片足へと重心を移動させただけなんだけど、びくっとしてしまうような、圧迫感が漂い始めた。瞬時に空気が張りつめ、立ち去ろうとしていたオリバーが怯む。
「……じゃあ、あなたのお母さんに請求しておきますね。それから、もう二度とこういったことはしないでください。次に同じようなことをしでかしたら、俺があなたに呪いを返します」
「もう返してるだろ、これ。変な玉子押し付けやがって」
「へっ、変で悪かったですね! でも、あなたがしたことでしょう!? わっ、私が虫まみれになったのはあなたのせいですからね!? 次、同じことやったら、先輩がベッドにムカデを仕込みますからね!?」
「俺が仕込むのかよ……。まあ、とりあえず落ち着け。フィオナ。請求しに行こうぜ」
「あっ、はい……」
オリバーが何も言わず、不機嫌そうに来た道を引き返した。ブラウンさんがぐったりとした様子で、溜め息を吐く。
「いっつもああいう感じなんですよね……。すみませんでした、ご迷惑をおかけして」
「いや、これが仕事なんで大丈夫ですよ。ブラウンさんも災難でしたね。まあ、縁を切ることをおすすめします」
「本当にその通りで……。もう付き合いを絶ちます。あの様子を見て吹っ切れました」
さすがの先輩も、心配そうな表情で見下ろしている。何はともあれ、ようやく終わったー! もう一度インターホンを鳴らして、事の経緯を説明したあと、罰金を取り立てる。口止め料のつもりなのか、上品なマダムといった感じのお母さんが、罰金とは別で、私達にお金を手渡してきた。何度断っても断っても、聞いて貰えず、しぶしぶ受け取ることになっちゃったんだけど……。
「い、いいんですかね? これ! 受け取っちゃっても。賄賂的な扱い、されませんかね!?」
「言わなきゃばれないから、いいんじゃないか? 別に。口外して欲しくないんだろ。それに、たったの数万だしなぁ」
「あー……。た、たったの!? 薄給だった時期が長いから、そうは思えないんですけど!」
「……そうか。じゃ、これもいるか?」
「えっ!? いりません、いりません! 大丈夫です!! 普段から奢って貰ってるし、申し訳ないんで」
先輩もなんだかんだ言って、お金持ちのボンボンって感じがするなぁ。溜め息を吐いて、花柄の財布に紙幣をしまっていると、無言で差し出してきた。あっ、これ、引く気がないやつだ!
「先輩!? いりませんってば! 私、まだそこまで落ちてないし!」
「落ちて……?」
「浅ましい人間にはなりたくないんですよ。それはもう先輩のお金ですから、いりません!」
「じゃあ、これで何か買うか。何が欲しい? プレゼントって形なら問題無いだろ?」
「ありますけど!? せ、先輩が自分で欲しいものを買ってくださいよ……」
「フィオナが欲しいものが、俺の欲しいものだから。問題無い」
さらりと言い放った。えっ、何これ。動揺しちゃう私が悪いの? 先輩と話してると感覚が狂うというか、私が過剰反応してるだけかな? ってつい思っちゃうんだけど、違うよね……!? しれっとした、美しすぎる横顔をガン見しながら歩いていると、急にこっちを見下ろしてきた。あ、やばい。先輩しか目に入らない。転んじゃいそう。
「というわけで、何か欲しいもんはあるか?」
「とっ、というわけでって!?」
「無いのなら、無いでいい。俺が勝手に選ぶから」
「ちょっと待ってください、ストップ、ストップ! いいですか!? 冷静になってよく考えてもみてくださいよ! 先輩ははした金って言うけど、数万ですよ!? それをただの後輩に使うって!」
「分かった分かった、落ち着けって。じゃあ、俺が好きなように使う。それでいいんだろ?」
「は、はい……。それでいいんですよ、それで!」
あー、焦っちゃった。でも、分かってくれたみたいだし、良かった……。そこでまた、ふとお姫様抱っこされたことを思い出す。安心安全な場所でまたって、言ってたような気がするんだけど!? おそるおそる見上げてみたら、「魔術を使ったせいか、腹が減ったなぁ」と呟いた。あれ? やっぱり幻覚と幻聴? あれって。
「……先輩? あのですね、さっきですね」
「ん? どうした? さっき?」
「なっ、何でもありません! は、背筋と腹筋と二の腕の筋肉を攻略したことですし、あとは先輩のふくらはぎを触らせて欲しいんですけど!?」
「ふくらはぎ!? 却下」
「そう言わずに! あっ、じゃあ、お尻の筋肉でいいです。妥協します」
「だから、真面目な顏で言うなって……」




