25.根暗なイケメンの過去話と、美味しいパンと嫉妬
「あっ、いたいた! アンドリュー君! 今日のお昼、私と一緒に食べない?」
「えっ? でも、せんぱ、アディントンさんは……?」
良かった、まだいた。ステラちゃんからさっき別れたばかりだよ~って、教えて貰えたから、追いかけてきたんだけど間に合った。良かった! それにしても、私が先輩、先輩って呼ぶから? 先輩って言いかけてやめた。可愛い~、移っちゃってる、呼び方が。笑っていると、廊下を歩く人の目を気にしてか、ぎゅっと、赤いパーカーのフードで顔を隠した。
「先輩はねー、なんかルーカスさん達に話があるって連れて行かれた! 何の話かは教えて貰えなかったんだけど。ということで、私と一緒にお昼ご飯食べない?」
「でも、俺、弁当で……」
「大丈夫! 私もお弁当だから~。ねえ、これ見て見て! 新しく買った保冷バッグなんだけどさ、ペンギンとアヒルちゃん柄だったの! 珍しくない? この動物が一緒にプリントされてるのって! 可愛いでしょ? 最近アヒル柄とは仲良しだから、つい買っちゃったんだ~って、ごめんね!? 先輩からも注意されていたのに、べらべら話しかけちゃって! 嫌かな? 大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
先輩に嫌そうな顔で「大丈夫? って言われたら、あいつのことだから大丈夫って言うしかないだろ」って言われたことを思い出して、冷や汗を掻く。嫌かどうかちゃんと確認して、話しかければいいと思ってたんだけどな~。
でも、勢いがすごくて断れなかったって、友達に言われたことあるしな~。とりあえず、一歩下がって話しかけてみる。先輩が「お前はいちいち男と距離が近い」って言ってたし、気をつけなくちゃ。ついつい人との距離を縮めがち……。
「ごめんね、なんか……。そういう風に言われたから断れないよね? じゃあ、今日はもう一人で食べてくるから」
「ス、ステラさんとは? 食べないんですか?」
「あー、アンドリュー君に話したいことがあって。ちょっと」
「お、俺に?」
「とは言っても、別に大したことないんだけどね!? ただ、先輩のことでちょっと相談に乗って貰いたいというか、話を聞いて欲しくてさ~。ほら、あの二人、仲が悪いでしょ? セドリックさんかルーカスさんに話を聞いて貰いたかったんだけど、追い払われちゃったし!」
「あ、なるほど。じゃあ、俺でよければ話を聞きますよ……」
「えっ!? いいの!? でも、負担になってない? 大丈夫?」
アンドリュー君を覗き込んで聞けば、うつむいた。おおっと、また距離を詰めちゃった。離れないとね。
「いや、フィオナさんは女性だから大丈夫です……。怖くないです」
「ならいいんだけど。無理しないでね!? イライラなんてしないからね!? 断られたって!」
「あ、はい……。大丈夫です」
とりあえず、先輩と初めてお昼ご飯を食べた庭へ行く。アンドリュー君がドアの前に立って、開けてくれた。あの時と同じように風が吹き渡って、黒髪がめちゃくちゃになった。髪を押さえながら、芝生を踏みしめる。
「も~! なんでここ、いっつも風が強いの!? いいんだけどさ、風が強くて気持ち良いから」
「あ、せ、設計者の趣味みたいですね……。大丈夫ですか?」
「大丈夫、ありがとう! 趣味って何!? 入る時だけ、こんなに風が強くなくても」
「た、多分、人がこの空間に入る時の演出の一環として、風が強く吹くように設定されているんだと思います……。あと、違う空間に移動する時の、衝撃を緩和させるクッションが必要じゃないですか。負担を軽減させるのが下手くそなのか、必要だと思ってこれに設定したかの、どちらかじゃないですかね……」
「そ、そうなんだ……。まあ、行こうか!」
「あっ、はい。すみません、語ってしまって」
やばい、ぜんぜん分からない! アンドリュー君は手先が器用で、空間系の魔術や精神系の魔術が得意だって聞いてたけど、かなり賢い? 私、空間移動とか、部屋を作るのとか絶対に無理。いくつ術語が必要になるの? というかさ、何時間かかるの? 魔力消費量、えぐそう。とりあえず、難しいことを考えるのはやめて、なだらかな斜面に生えている木や花を楽しみながら、テーブルへと向かう。
前に来た時はピンク色の薔薇が咲き誇っていたんだけど、今は薄紫色の花が咲いていた。木の棚からつるや葉が垂れ下がっていて、綺麗。白いテーブルに保冷バッグを置きながら、見上げてみると、薄紫色の花と葉の隙間から、眩しい陽射しがこぼれ落ちてくる。
「は~……相変わらず、ここって綺麗だよね! 誰にも邪魔されないし」
「で、ですね。それで、話って……?」
「あー、ぜんぜん大したことないの! 最近さ、先輩に私のお喋りが移っちゃったみたいで、あんまり聞いて貰えないんだよね。話を。それを言ったら、お前の話を聞いていると、どんなにくだらないことでも話していいんだなって気が付いて、口数が増えたって言ってきて。酷くない!? くだらないことって! 私に言う? それ!」
私の話に戸惑いながらも、アンドリュー君が茶色い紙袋の中から、サンドイッチを取り出した。横にはペットボトルを置いてある。意外なことに、アンドリュー君は炭酸水を買っていた。
「あ、でも、確かに、それを今、話すんだなと思うようなことを話しますよね……」
「ごめん! 聞きたくなかった? 確実に面白い話でもしようか?」
「い、いえ、雑談? それ、あまり人とする機会が無いので、新鮮で楽しいです」
「ありがとう~!! 本当に優しいよね、アンドリュー君って。無理させちゃってたらごめん。何でも言ってね!? 自分で言うのも何だけどさ、私、メンタル強くて鈍いから! 言ってくれると助かる。嫌がるようなことは絶対にしないし!」
親指を立てて宣言すると、何故か、ぐしゃっと顔を歪めた。人に顔を見られたくないというわけじゃなくて、道行く人からの視線が気になるらしく、それでフードをかぶっているみたい。今は真っ赤なフードをおろして、顔を出していた。気弱そうだけど、端正な顔立ち。でも、頬がこけている。木の実のような、薄茶色い瞳の下にはうっすらとクマが浮かんでいた。
前に見た時には気付かなかったけど、顎周りには無精ヒゲが生えている。それに、頬には赤いニキビがいくつも出来ていた。肩の辺りまで伸ばされた黒髪といい、おどおどと視線を彷徨わせ、両手を組むくせといい、もったいない……!!
アンドリュー君がさっぱりと髪を切って、お肌の手入れをして、もう少しお肉をつけて猫背を治したら完璧なのに! じーっと観察していれば、自分の手元に視線を落として、ようやく話し出した。
「俺、俺がやったことを聞いても、優しいなんて言えるんですね……」
「えっ? 知ってるの!? それ! なんで?」
「せんぱ、ア、アディントンさんから聞きました。フィオナさんに言ったって、俺のこと」
「ええっ!? わざわざ言う!? それっ! え? だって、前科があることを、お父さんを殺しちゃったってことを私に言って、それをわざわざアンドリュー君に言ったの? なんで? 先輩がそういう、性格の悪いことをする人だとは思ってなかっ、」
「あっ、おれ、俺が言ってくれって頼んだんです! だって、裏切られたような気分になるでしょう?」
「裏切られたような気分? どういうこと?」
首を傾げれば、自嘲めいた笑みを浮かべる。うーん、イケメンなのにもったいない。ちゃんとこっちを見て欲しいんだけど、背筋を伸ばして。
「俺が……虫も殺さぬような顔をして、父親を殺していたなんて。な、仲良くなればなるほど、知った時のショックがでかいじゃないですか。フィオナさんは何も警戒せずに、話しかけてくるけど」
「うん。だって、警戒されるようなことしてないじゃん? アンドリュー君は」
「えっ? でも、こういう課にいる以上、もう少し考えて動いた方がいいですよ……」
「みっ、耳が痛い!! それ、どこ行っても言われるんだけど! 警戒心が無さすぎだって」
「はい、俺もそう思います……」
軽く笑いながら、頷いた。難しいなぁ、人を警戒するのって!
「うーん。でもさ、アンドリュー君は基本的に私によくしてくれるじゃん? 晩ご飯食べながら電話してくれたりさ……。今だって、こうやって私の話を聞いてくれるし。ぜんっぜん乗り気じゃなかったみたいだけど。ごめんね!? 強引で! 私!」
「いえ……聞いても、変わらないんですね」
身を乗り出した私を見て、困惑する。過去にその人が何をしていても、どうでもいいというか、私に対する態度が悪くなければいいって思ってるんだけど……。伝わるかな? というか、伝えちゃってもいいのかな!? これ!
「今が楽しければそれでいい的な……? とにかく、難しいことをごちゃごちゃ考えないで、誰とでも、楽しく喋っていきたいなぁって考えが常にあって、私」
「警戒心が無さすぎて笑えますね……」
「ああっ、やめて!? ディスるのは! だって、そうじゃん? アンドリュー君が父親を殺したことを自慢げに話してきたら、引くけどさ~。そういうわけじゃないし、優しくしてくれるし」
「……でも、何とも思わないんですか?」
「だって、事情があるでしょ? そこ、私が考えてもどうにもならないんじゃない? ……それにさ、人って見た目によらないじゃん。何を抱えているのかなんて、見てるだけじゃ分かんないよ。悪いことばっか想像して、私によくしてくれる人から、距離を取るのなんて絶対に嫌だ!」
そうだよ。誰も、私のことを見て、愛人の娘って思わないんだろうし……。胸がずきりと痛んだ。こういう話をする時、自分が人に言うのもはばかられるような、生まれと境遇だって思い知らされる。私は悪くないんだけどね、何も。
悪くないからこそ、胸が苦しい。黙って、家から持ってきた苺ジャムサンドイッチを食べていると、アンドリュー君が眉間に深いシワを寄せた。こう見えてたまーに、ぐさっと、胸に刺さるようなことを言ってくるから、覚悟しておかないとね……。緊張しながら食べていれば、責めるような眼差しを向けてきた。
「でも、人は豹変する。俺だって豹変する。それが怖くないんですか? 少しも?」
「……怖いって言って欲しいの? 私に。あーっ、そうだ! 先輩がさ、手を繋いで歩こうって平気な顔をして言ってくるんだけど、これって本当に獣人の特性、」
「話を逸らさないでくださいよ……。こういう時、いつも逃げますよね」
「ううう、ああ~……!! ごめん、聞くよ! それじゃ。どうしたの? アンドリュー君は私に何が言いたいの? 怖くないってことはもう言ったけど。あれ? 言ったっけ!? 私! まあ、いいや。怖くないよ、ぜんぜん。たとえお父さんを殺していたとしても」
アンドリュー君が目線を逸らして、ふっと笑った。あれ? 意外と様になるじゃん。もう少し太って欲しいな……。華奢な男性も嫌いじゃないんだけど、骨張っているとちょっとなって思う。お肉! お肉! ちゃんと食べて太ろ?
「バカげてる」
「バ、バカ……。そりゃ、私は賢くない方だけどさ!?」
「いえ、悩むのがバカらしくなっただけです……。フィオナさんは変わっていますね。大抵、人は、打って変わって冷たい目で見てくるのに。あと、怯えられる」
「私だって、女性を何人も殺してきたような男がいたら、怖いんだけど……?」
「普通、人殺しを怖がるんですよ。次、またいつするのかって、皆さん、思うみたいですね……。俺は快楽を得るために、殺したわけじゃないのに」
「ええっ!? 酷いね! じゃあ、辛かったでしょう、今まで」
「当然、当然のことをしたので当たり前です……。耐えるべきなんですよ、そうやって。俺はそれだけのことをしたんだから」
「でも、殺したかったわけじゃないんでしょ? 違う?」
私の言葉に、ぴたりと動きを止めた。この前の、虐待されていた女の子を思い出す。アンドリュー君もそうだったんじゃないのかな? いつも誰かに怯えているような態度といい、びっくりするぐらい、自分の存在を否定するような発言といい、なんか変だ。歪な、誰かに歪められたような雰囲気が漂ってる。食べようと思っているのか、サンドイッチに口を近付けていた。ハード系のパンで美味しそう。
「それは、そうですけど……。だからって殺しちゃだめでしょう。普通はそういう考えに及ばないんですよ。ブレーキが利かないなんてことは異常で、」
「本当にそう思ってる? ……お父さんがまともだったらって、そう考えてるのは私だけ?」
「でも、やってしまったことがすべてなんだから、」
「間違ってるよ、違う! それに九歳でしょ!? 九歳の時にしたことでしょ!? 九歳の子に理性だなんだって、気持ち悪いこと言う人、いると思う!? そこまで追い詰めた大人が悪いんであって、子供のアンドリュー君は何も悪くないでしょ!」
あ、やばい。力説しちゃった……。よく知りもしないで力説しちゃったよ、どうしよう……。お父さんにこっぴどく叱られて、腹が立って、銃を乱射したってだけの話かもしれないし。もしかしたら、先輩は詳しい経緯を知っているのかもしれない。
知っていて、私に警告してくれたのかもしれないのに。冷や汗をかいて、アンドリュー君の様子を見守っていたら、急に薄茶色の瞳から涙があふれ出した。ぎょっとする。ハンカチ、ハンカチ、ティッシュ! どこだっけ!? 今日、そうだ、全部忘れちゃったんだ……!!
「ごっ、ごごごごごめん!! 泣かせちゃって! よく知りもしないのに、勝手なことを言ってごめんね!? ハンカチとティッシュ忘れちゃったし!」
「いえ、大丈夫です。悪くないって、初めて言って貰えたから……」
「えっ、ええっ? そうなの? わ、悪い状況だったのかな? アンドリュー君が!」
「はい。死ねば、もうそこで終わりです。あの時、大人を呼ぶか何かしたら良かったんです。刃物を手に取る前に。滅多刺しにする前に……」
め、滅多刺し……。銃じゃなかった、刃物だった。でも、状況が知りたいんだけど! 聞いちゃだめかな? これって。ううん。自分で判断する前に、まずは相手に聞こう。
「き、聞いてもいい? どういう状況だったか。だ、誰にも言わないから! あと、無理に話さなくてもいいからね!? 好奇心じゃなくてただ、自分が何も知らないのに、べらべら言うのはどうなんだろうって思ってさ」
「もういいです、俺が全部悪いので……」
「えーっ!? 本当に悪いか、悪くないかなんて、私に言ってみないと分からないことじゃない!?」
「えっ?」
「ま、まあまあ……。教えてよ、言いたくないわけじゃないのならさ」
一旦、ガーデンチェアへと座り直す。アンドリュー君は取り出したティッシュで、鼻を押さえていた。目が赤くなっている。私を責めるような眼差しで、こっちを見ていた。うーん、これはだめかも? 無理かも? でも、まつげを伏せ、すぐに話してくれる。
「……俺に、よくしてくれるお姉さんがいて」
「はい。お姉さんが?」
「そうです。俺が父から、性的虐待を受けていることを知っていて、家から連れ出してくれたり、おやつをしょっちゅうくれたりして……」
性的虐待? 父親が? 息子に? がつんと、頭を殴られたような衝撃がやってきた。でも、私が無知なだけで、そういう事件ってごろごろ転がってるよね……? 青ざめた私を見て、眉をひそめ、皮肉な笑みを浮かべた。でも、すごく悲しそうな笑顔にも見える。
「どうしますか? ここでもう、聞くのをやめておきますか?」
「ううん、続けて。大丈夫だから。それよりも辛くない? アンドリュー君は」
「俺は……大丈夫です。昔の話ですし」
「なら良かった……。あ、でも、辛くなったらいつでも言ってね!? やめていいからね!?」
「はい、大丈夫ですよ」
そこでようやく、笑顔らしい笑顔を見せた。ティッシュをぐしゃっと握り締め、手元に視線を落とす。ここは静かで鳥の声すらしない。柔らかな風が頬を撫でていった。
「俺は……ある日、お姉さんにこんな生活は嫌だって言って、泣いてすがってしまったんです。そんなこと、しちゃいけなかったのに。あの人は正義感が強くて、真面目で、向こう見ずな性格でした。フィオナさんのように」
「わ、私のように?」
「顏は似ていないんですけど、笑顔がよく似てるんですよね……。人を疑わないところとか、話せばどうにかなると思ってるバカなところがそっくりです」
「う、うん……。それでそれで?」
バカにされてる? 褒められてる気はしないなー。ま、いいや。お姉さんに思うところがあるのかもしれないし。私にじゃなくてね! 笑顔で「さ、続きをどうぞ?」と促せば、苦笑した。笑うと、目が細くなるところが可愛くていい。イケメンって感じがする。
「それで、直談判したんですよ。俺の父親に」
「直談判!?」
「バカでしょう? でも、中学生だったからなのと、俺の父親、人前ではにこにこ笑って優しかったから、そういうことをしたんだと思います。彼女は」
「そ、それで? どうなったの……?」
見えてきた、何となく。九歳の男の子を気にかけている、正義感が強くて優しい中学生の女の子。外面だけは良いクズの父親と、もうそろそろ耐えるのが限界の男の子。それが揃ったらどうなる? 彼女が本当に、人は話せば分かり合えると信じ込んでいたなら────……。私の視線から逃れるように、アンドリュー君がうつむいた。手の色が変わるぐらい、強くティッシュを握り締めている。
「俺は止めたんですけど、彼女は聞かなかった。夕暮れ時の、家の中で父を問い詰めて……」
言葉を切って、ふっと鼻で笑う。そのお姉さんをバカにしているように見えるのに、酷く切ない表情を浮かべていた。
「問い詰めて、問い詰められた父は豹変しました。俺が何も言ってないって、そう信じ込んでいたから。言いつけを破ったって、ガキが偉そうに言うなって、そう叫びながら、まずはお姉さんを殴ったんですよね。そのあと、服をはいで、俺に毎晩しているようなことをしようとしました」
「それって……」
「お察しの通りです。俺は……俺は、助けを呼びに行こうと思ってた。お姉さんもそう言ってたから。でも、俺が逃げるとどうなる? 俺が逃げると、どうなる? 助けてくれようとしたのに。絶対に絶対に、それだけはしたくなかった。逃げたくなかった」
苦しそうに、歯の隙間から息をもらした。こんな顔をしているの、初めて見た……。私、会って十日ぐらいしか経ってないのに、こんな話を聞いていいの!? だめだよね!? え、どうしよう? 止めるべき? 今さらなんだけど……。おろおろしていたら、うつむきながら、続きを話し出す。
「だから、だから、キッチンから包丁を持ってきて……。無我夢中でした。途中で殺されるかと思ったんですけど、お姉さんもバットで殴ったりとかして、手伝ってくれて……。だから、殺せたんです。最後はもう死んじゃってるから! って、お姉さんの言葉で正気を取り戻しました。人って、刺されるとあんなに血が出るんですね」
「ええええええーっ!? やっぱり、アンドリュー君は何も悪くないじゃん!? そのお父さんが悪いだけじゃん!? 災難だったね、ガチで!」
「フィオナさん……」
「ごっ、ごめん! 軽くて! いや、ほら、アンドリュー君がもう少し悪いのかと思ってたからさ。でも、ぜんぜん悪くないじゃん? そのお姉さんは言ってくれなかったの? 悪くないって」
「……言ってくれましたけど、手紙で。会うのを禁止されちゃって」
「じゃあ、聞きに行こうよ! 今度」
「えっ?」
お腹が空いてきたので、苺ジャムのサンドイッチを食べる。でも、すぐに後悔した。私、どうして今日、真っ赤な苺ジャムにしちゃったのかなぁ。ブルーベリージャムにすれば良かったなぁ。ま、いいや。断面を見なかったらいい話だし。
「今、そのおねーはんがろこに住んでるか知っへる?」
「し、知ってはいますけど……」
「んぐ、手紙の言葉が信じられないのならさ、直接会いに行って聞けばいいんじゃないかな~って、私は思う。可哀想だよ、お姉さんが。信じてくれると思って、手紙を書いたのに」
「信じてくれると思って……?」
「うん。私ならそうだな~。直接会えないから、手紙を書いたんだと思う。手紙で慰めたかったんだと思う。アンドリュー君は何も悪くないよって」
「そんなこと、考えたことありませんでした……」
「えっ? じゃあ、どう考えてたの? 教えて教えて」
というか、先輩が手を繋いできたり、いたって真面目な顔で、尻尾を当ててきたりする話をしたいんだけど、できない~!! 聞いて欲しい~! もうお昼休みが終わっちゃう。諦めよう。夜にでもまた、電話して話を聞いて貰おうかなぁ。もそもそ食べていると、すごく混乱した様子で呟いた。
「俺に、気を使っているのかと思って……」
「なんで? 私がお姉さんの立場だったら、自分のこと責めちゃうと思うなぁ」
「えっ? ど、どうしてですか?」
「えっ? そりゃ、直談判しなきゃ良かった話じゃん。アンドリュー君がお父さんを殺しちゃったのは、自分のせいだなって思う」
「手紙で……そう書いてありましたけど。じゃあ、どれもこれも本当の言葉なんですかね?」
「どうして、嘘だって思ったの? 本人に何か言われた?」
「いや、ただ、もう会いに来てくれなかったから、てっきり、俺が全部悪いのかと思って……」
「家族に止められてたんじゃない? それに、のこのこと会いに行けないよ~。自分がバカなことしちゃったせいで、アンドリュー君の人生潰しちゃったのに!」
「そ、うなんですかね……?」
気の毒にと思うぐらい、薄茶色の瞳を瞠っていた。人には、他の人から見ても分からない事情を抱えている。だから、これも予想にしか過ぎないんだけど。
「私だったら、恥ずかしくて会いに行けない。なんて言ったらいいのか、よく分からないし、下手なことを言って傷付けるぐらいなら、謝罪のお手紙を書く。それに、そういう事件があったとしても、テスト勉強は待ってくれないしさ~」
「テスト勉強……?」
「うん。友達に心配かけないように、いつも通り過ごしていくしかないでしょ? たとえ、何があったとしても。中学生の頃なんて私、色んなことで精一杯だったよ! お姉さんが会いに行かなかったのも、きっと絶対に何か他の理由があるよ。アンドリュー君が悪いとは限らないじゃん? ねっ」
「あ、はい……。ですね」
途方に暮れた表情を浮かべ、サンドイッチをもそもそと食べていた。うん、可愛い。気の弱そうなイケメンもイケメンで好きかも。私。
「ねえ、あのさ……」
「は、はい?」
「アンドリュー君はもう少し髪を切って、ヒゲを剃って、猫背を直すべきだと思う。イケメンを台無しにしちゃってるよ、分かる!?」
「えっ、ええっ!? また顏の話ですか?」
「ごめんね、極度の面食いで!! でもさ、もったいないんだよ! 分かる!? アンドリュー君、ちゃんとしてはきはき喋ったらモテるだろうに! あーっ、もったいない! せっかくのイケメンなのに、せっかくのイケメンなのに……!! 女の子でもいるけどね、そういう子! もう少しここを変えたら美女になるのに、どうしてそれなの!? って」
華奢な子がだぶだぶのズボンを履いているのを見ると、「もう少しその細い足が出るズボンを履いて、私に見せて!!」って叫びたくなるし、せっかく可愛い顔立ちをしているのに、チークを塗りすぎていたりとか、ぼろぼろのサンダルを履いていたりとか、髪型が変だったりとか、香水がきつかったり、ネイルが剥げていたり、イヤリングもピアスも何もつけてなかったりとか……。
「ああ、だめだ……。辛くなるからやめよう! 大半の人はね? アンドリュー君、自分の良さを台無しにして生きてるの! アンドリュー君もその内の一人で悔しいの、分かる!?」
「くや、しい……? どうしてですか? それに、そこまで人の服装や顔を気にかけなくても」
「わーっ、ごめん! それよく言われるんだけどさ、つい気になっちゃって! だって、もったいないよ! アンドリュー君はそんなにもかっこいいのに!」
身を乗り出して叫べば、困惑して、薄茶色の瞳を揺らがせていた。ああ、もったいない。顔立ちが整ってるのに、くたびれたパーカー着ちゃってるし……!! 私が悔しくて震えていると、まっすぐこっちを見てきた。あ、初めてかも。アンドリュー君が私の顔をちゃんと見るの。
「かっこいいだなんて……初めて言われました」
「まあ、人は髪型と服装が悪かったら、かっこいいとは言わないからね! でも、私の場合、贅肉に埋もれている顔立ちの良さだって分かるし、汚い服装なんかには惑わされないの」
「はあ、そうなんですか?」
「そうだよ? これが真の面食いというもの。真の面食いである私は厚化粧にも、綺麗とは言えない体型にも、身だしなみにも、汚い所作にも惑わされず、相手の顔立ちの良さが見抜けるの……!!」
「そんな、高尚な顔をして言われても困るんですけど。ふ、ふふっ」
「わっ、まっ、待って! バカにしないで!?」
耐えきれない、といった様子で口元を押さえ、笑い始めた。でも、すぐにこっちを優しい笑顔で見つめてくる。うーん、いいな。やっぱりイケメンだなぁ。
「バカになんかしてませんよ。フィオナさんって、本当に変わっていて面白い人ですね」
「そ、そうかな~? 面食いなだけだと思うんだけど」
「……はい。ところで、本当にアディントンさんと付き合う気は無いんですか?」
「ここから急に先輩の話になるの!? えっ、うーん……。無理かな! だって、あの顏とキスしたりイチャイチャしたりするんだよ!? 無理じゃない!? 昨日だって、手を握られただけで心臓が爆発しそうになったし、それに、手に、手に汗をすごく掻いちゃったし……」
だめだ、思い出すと頬が熱くなってくる。今日も「おはよう、フィオナ」って、何気ない顏で挨拶された。やっぱり、私がヒヨコだから? 先輩にとってのヒヨコだから!? 口元を押さえて、黙り込んでいると、何故かアンドリュー君の顏も赤くなっていった。
「そ、そうですか……。そんな様子を見ていると、せんぱ、アディントンさんのことが好きなように見えるんですけど」
「ぜんぜん好きじゃないよ~! 無責任に騒いでいたいだけなの、今は。だって付き合ったら、お互いの嫌なところが見えてくるでしょう? ああして欲しかったのになって、思うこともない。期待せずにいられるの」
絶対に絶対に、付き合ったら欲が出てくる。今の、こう言って欲しくなかったのになとか、どうしてこんなに辛いのに慰めてくれないんだろうとか、理解してくれないんだろうとか、平気で笑いながら否定するんだろうとか、付き合っていたら、嫌なことをいっぱい考えちゃう。でも、先輩がすることなら許せる。彼氏じゃなくて、職場の先輩がしていることだから許せる。
「……私、先輩のことをずっと好きでいたいんだ。友達よりも距離が近い、可愛い後輩でいて、綺麗な部分だけを見て、ときめいていたいの。分かる?」
「うーん……。綺麗な海だけど、入ったら、クラゲだらけみたいな話ですか?」
「うーん!! ちょっと違う! でも、それでいいよ。見ているだけで楽しいし、実際付き合ったら色々と問題が出てくるだろうしね。だから、これでいいの。付き合いたくはない!!」
「そ、そうですか……。まあ、恋愛って難しいですよね。俺は一生、誰とも付き合える気がしない」
「えーっ!? もったいない、こんなにイケメンなのに! 私の友達でも紹介してあげよっか!?」
「いや、いいです……。何話せばいいのかよく分からないし。人殺しだし、俺」
「別にいいじゃん。そういうこと気にしない友達が一人いるんだけど?」
「怖いのでいいです……」
怖い。そっか。でも、確かに病んでいたり、ひねくれている男性じゃないと嫌って子だからなぁ~。私も怖くなる。彼女は重たすぎて、元カノをストーカーしていたような激重男子に、「ここまで重いのはちょっと無理」と言われたほど、愛が重くて、いつも振られている可愛い女の子。見た目はいいんだけど、死ぬっほど重たいから、いつも振られてるんだよね……。
「そっか。アンドリュー君となら、上手くいくと思ったんだけど~」
「え? どういう根拠から言ってるんですか? それ。なんか怖そう、フィオナさんのお友達」
「ええっ!? 怖くないよ? 大丈夫だよ? 根拠はねー、無いんだけど勘かな!」
「絶対に無理です……。嫌です」
「分かった分かった、無理に勧めないからさ!? そうだ、そのパン、美味しそうだよねー! どこで買ってきたの?」
「あ、これは自分で作ってきたパンでして……」
「えーっ、すごい! 一口ちょうだい!?」
「えっ?」
なんか美味しそうなベーコン? とレタスが挟まってるっぽいし、食べてみたい……!! 期待に満ちた目で見つめていると、迫力に負けたのか、紙袋からもう一つのパンを取り出してきた。
「こ、これ、甘いやつで……。オレンジピールと、チョコチップ入りの胡桃パンなんですが」
「美味しそう~! それも自分で作ったの!? すごいね、お店のみたい!」
「良かったら、これをどうぞ。た、食べかけだし、こっちは」
「分かった、ありがとう! いただきまーすっ」
「ど、どうぞ……」
いそいそと受け取れば、控えめに、照れ臭そうな笑みを浮かべた。あ~、可愛い。春の庭はちょうどいい風が吹いているし、誰かに邪魔されることもないしで最高! 受け取ったパンは手のひらサイズで、ふんわりと柔らかかった。溶け出したチョコチップが埋まっているパンの上には、皮つきのオレンジがのっている。まずはくんくんと、香りを嗅いでしまった。
「わーっ、良い香り! オレンジピールだよね? これって」
「あ、それは甘く煮たオレンジスライスです……。飾りがあると、一気に市販品ぽくなるから使ってます」
「へー、そうなんだ! 食べるのがもったいない、綺麗! でも、いただきます」
「どうぞ……」
一口食べてみると、まずはこりっと、香ばしい胡桃に当たった。お、美味しい……!! ふんわりむっちりとした生地の中に、ほろ苦いチョコチップと香りが良いオレンジピール、胡桃が入っていて、それぞれハーモニーを奏でている。美味しくて最高! 手作りならではの、優しい味わいが口いっぱいに広がっていった。
「おい、美味し~!! お金払うから、今度作って持ってきて欲しいよ! 美味しい~!」
「た、大した手間じゃないから、また持ってきますよ……」
「えっ、本当に!? ありがとう! あ、でも、これ、アンドリュー君のデザートパンだよね!? はい、返す。一口くれてありがとう!」
「えっ? そ、れはでも……」
「回し食いとかそんなにしない? 抵抗ある? でも、アンドリュー君のパンを奪っちゃうのはちょっとだなぁ」
私が突き返したパンを、おろおろとしながら持って、非難めいた眼差しを向けてくる。あれ? 慣れてない感じ? こういうのに。人見知りだからかな。
「でも、男性と女性でこういうことするのって、あんまり無いですよね……?」
「え? 私はするけど。男友達とも」
「……はい? するんですか!?」
「するけど? あっ、ただ変な誤解をされたくないから、彼女がいない男友達とね!? 向こうも気軽に食べる? って言ってくるし」
「ふーん。なんか、俺とは住む世界が違いますね……」
「どういうこと!? 同じ世界に住んでるんだけど!?」
「フィオナさんは変わってるけど、コミュ力が高い美人でしたね。そういえば」
「褒められてる気が、褒められてる気がまったくしないんだけど……!? ねえ、ちょっと!」
「ははは」
途中から不穏な空気になっちゃったけど、最後は楽しく喋れて良かった! その後、晩ご飯を食べる時に電話する約束をして、トイレ前で先輩と合流する。別々にご飯を食べる時は、トイレの前で待ち合わせすることになった。前はセンターの正面玄関で待ち合わせしてたんだけど、結局トイレで顔を合わせるから、意味無いかぁって話してこうなった。
「先輩! お待たせしました!」
「……ああ、遅かったな」
「すみません、アンドリュー君とつい話が弾んじゃって!」
「アンドリューと? てっきり、ステラと食いに行ってるのかと」
「だって、先輩の話がステラちゃんとは出来ないので! ぴりぴりしちゃうんですよねー、どうしても。ステラちゃんが!」
怒涛ごとく、「あいつがさぁ」って愚痴り始めちゃうし、いたたまれないんだよね……。先輩が眉をひそめ、「それでか」と呟いた。はぁん、かっこいい!! アンドリュー君もアンドリュー君でかっこいいんだけど、先輩は別格って感じがするな~!
程良く引き締まった筋肉質の体に、物憂げな青灰色の瞳、短く刈り込まれた銀髪に、何よりもぴょこんと出ているトラ耳っ! ゆらゆら揺れる尻尾も魅力的でたまらない。
「ふへっ、ふへへへ、先輩は今日もかっこいいですねえ……。そうだ、ルーカスさん達と何の話をしていたんですか?」
「あー、なんか、フィオナと付き合う気は無いのか的な話をしてた」
「そうなんですね! そうだ、私もアンドリュー君に付き合う気は無いのかって聞かれましたよ! 絶対絶対絶対、無いって言っておきました。私は先輩の顔だけを愛しているんです! 中身が好きってわけじゃないし、付き合ってもぜんぜん楽しそうじゃないんですよね~。あははは」
「……まあ、俺も似たようなことを言っておいたから大丈夫だろ。それで? アンドリューと、他には誰と飯を食ってたんだ?」
「え、二人きりですけど?」
「二人きり?」
ぴくりと、先輩が丸っこくて可愛い銀色のトラ耳を動かした。あ、誘えば良かったかも? でも、連れて行かれちゃってたし……。私だけ、アンドリュー君と仲良くしちゃってて申し訳ないな。
「すみません、先輩もアンドリュー君と食べたかったんですね!? 次からは誘いますから」
「だな。次からは誘ってくれ。それで? どの店で食べたんだ? 食堂か?」
「いえ、今日はお弁当なので。春の庭で食べました」
「春の庭で? ……へえ、珍しいな。誰も入ってこない空間で、ガンガン話しかけてくるフィオナと飯を食うとは。あのアンドリューが?」
「えっ!? そんなに今日は話しかけていませんよ!? あと、春の庭がいいって私から誘ったんです。あそこなら誰かに邪魔されることもないし、ゆっくり過ごせるでしょう?」
うん、我ながら良いチョイスだった。ゆっくり深い話が出来たし。先輩が「ふぅん」って、どうでもよさそうに呟いて、廊下を歩く。まあ、そうだよね? こんな話に興味無いよね!? もう少し面白い話をしなきゃ! アンドリュー君から、暗に「話が面白くない」って言われたところだし。
「そっ、そうだ! アンドリュー君の過去話が聞けたし、パンを貰ったんですよ!」
「パ、パンを? それに過去話って、」
「はい! 一口ちょうだいって言って貰いました~。手作りのパンでものすごく美味しかったです! 今度、作って持ってきてくれることになったんですよ。私の好きな蜂蜜チーズパン! すごいですよね、お家でプロ級のパンが作れちゃうだなんて~。今度、家に行って教えて貰おうかなぁ」
「……じゃあ、その時は教えてくれ。俺も一緒に行くから」
「あっ、はい! 先輩とアンドリュー君が仲良くなれるように、私もサポートしますね! でも、アンドリュー君が先輩に、その、九歳の時に父親を殺したって言ってくれって頼んだんでしょう? 順調に仲良くなってる証拠ですよ、大丈夫大丈夫!」
私が先輩の肩を叩けば、青灰色の瞳を丸くさせた。んっ? ちょっと喋るスピードが速かったかも?
「……そうだな。言おうかどうしようか、迷ったんだが」
「でも、アンドリュー君本人が私に言ってくれって頼んだんだから、いいと思いますよ! まあ、私はそんな過去にもめげず、アンドリュー君と仲良くしていきますね。先輩からも、それとなく言っておいてください。お願いします!」
「それとなくって、一体何をだよ?」
「アンドリュー君はイケメンだし、作るパンは美味しいし、もっともっと仲良くなりたいんです! 私はぜんぜん気にしてなかったって、先輩の方からも改めて伝えておいてください!」
「……ああ、分かった。それじゃ、伝えておくよ」
「はい! お願いしまーす!」
転職してまだ二週間も経ってないけど、転職して正解だった! 魔術の勉強を頑張ってきて良かった。順調に先輩の可愛い後輩になれてきてるし、最初はあった甘い空気も霧散しているし、何もかも順調すぎない? あー、幸せ!




