23.トイレでの葛藤と仕掛けられた罠
このセンターのトイレはかなり綺麗。初めて入った時はびっくりした。百貨店の中にあるトイレみたいだったから。ぴかぴかに磨き上げられた白いタイル張りの床に、ダークブラウンの木のドア、金色の取っ手におしゃれな洗面台……。自分の気持ちを落ち着かせながら、水で手を洗う。鏡には自分好みの美人が映っていた。よ、よ、横で手を洗ってる……。しかも、二人もいるんだけど!
一人はウェーブがかった黒髪をハーフアップにしている、お嬢様系美人。ちらちらと鏡を見ながら、確認してみたところ、澄んだアメジストのような紫色の瞳を持っていた。肌が白い~、綺麗~、可愛い!
しかも、私好みの巨乳ちゃんなんだけど……。紺色と青が混ざったような制服を着ていて、胸元がぱんっと盛り上がってる。なのに細い~。あと、私よりちょっと背が低くて華奢で可愛い。
(声、声、声をかけたい!! 同じ部署だったら速攻、声をかけたのに……。でも、あれって雑用課の制服だっけ? メイベルちゃんの叔父さんと同じ部署の人だよね?)
声をかけたい。言っちゃおうかなぁ~。でも、笑顔で「どうも~! 私の友達の叔父さんがあなた達の部署で働いていて~!」って言われても、困惑しちゃうだけだよね!? お前、他人じゃん……って思われること間違いなし! あーあ、先輩の知り合いだったりしないかなぁ。
もう一人もかなりの美人さんで、ゆるゆるとした短い金茶色の髪と、濃いグリーンの瞳を持っていた。この人も豊満なお胸を持っている。私好みのそこはかとない色気と品の良さを併せ持った、清楚系美人には負けるけど。声をかけたい、声をかけたいと、心の中で怒涛のごとく呟きながら、澄ました顔をして、ハンカチで手を拭く。彼女達もちょうど手を洗い終えたところで、のんびりと喋っていた。
「私のところはまだまだって感じですね……。夫が乗り気じゃなくて」
(結婚!! この清楚系美人、結婚してた! ですよね!!)
「あ~、言いそう~。でも、いつかは子供欲しいんでしょ? 早く産んでおいた方がいいよ、きついから」
「分かってます。三十代に入る前にはって思ってるんですけどね……」
なるほど。私のちょっと上? かな。ぱっと見て、二十七か六ぐらいに見えるんだけど……。あああああっ、お声がけしたい! 可愛い!! でも、突然知らない女に「可愛いですね! お友達になりませんか?」って言われたとしても、困惑させちゃうだけだし、ここは我慢我慢ー!
そそくさとパウダールームへ行って、口紅だけ塗り直す。よし、大丈夫。平常心、平常心。彼女達はもうとっくにいなくなっていて、それを寂しく感じながらも、女子トイレから出る。女子トイレから出たところで、ばったり嫌な人物と遭遇した。
「あーっ、タバコ男!!」
「……指を差すなよ」
黒髪黒目の“今も昔もやんちゃしてます“”系のイケメン、名前は知らないタバコ男が嫌そうな顔をして、私の人差し指を掴んできた。げっ、やめて欲しい! 慌てて引っ込めれば、ふんと鼻で笑う。嫌な笑い方だった。掴まれた人差し指を撫でながら、睨みつける。
「で、でも、まあ、最近は、私が入ったらタバコの火を消してくれますよね? できたら外で吸って欲しいんですけど、無理なんですかね?」
「……タバコの火は、セドリックが消してるからだ」
「はい? どうしてここで、セドリックさんの話が……?」
舌打ちをして、苦々しい顔になる。態度悪っ! 深紅のジャケットのボタンを外して、よれよれの白シャツを見せつけてきているせいもあって、いかにも前科持ちの人って感じ。こういう人とは関わらない方がいいんだけど、セドリックさんの話が出てきたのが気になる! 男子トイレに行こうとするタバコ男の袖を掴み、引っ張った。
「ああ!? なんだよ、俺になんか用か?」
「ふっ、不良じゃん! 思いっきり!」
「説教なら、俺がションベンしたあとにしてくれ。鬱陶しい」
「小さい方なら我慢できるでしょ?」
「こいつ……」
「それよりも質問に答えてよ。どうして、セドリックさんの話がここで出てくるの?」
「あーっ、もう、くそ!」
「あっ」
私の手を振り払って、トイレに行こうとした。仕方無いなぁ、も~。タバコ男の後ろ姿を指差し、上からアヒルのおもちゃを降らせてみた。急にどどっと、降ってきたアヒルのおもちゃに驚いて、「うおっ!?」と言いながらつまずく。し、しまった! この人が漏らしたら私のせいじゃん……。
「ごめん! 大丈夫だった!?」
「じっ、自分で魔術をかけておいて何を……サイコパスかよ! しかもこれ、アヒル!?」
「ねえ、セドリックさんが何したの? 教えてくれたっていいんじゃんか、すぐにそれぐらい~」
「調子に乗りやがって。トイレ行くっつてんだろうが! 行かせろ!」
「あっ!?」
いきなり私の頭を掴んできた。そ、そこまで怒らなくても! さっと理由を教えてくれたら、それでいいのに……。私の頭をわし掴みにしている手にぐっと、力がこもった。い、痛い! とっさに覚えたての魔術を使う。
これは無機物を動かす魔術で、例えば、包丁を動かして人参を切れたりする。地味な動きなのに、集中力が必要だし、意外と疲れるから、もう二度とあんなことはしないけど……。でも、アヒルのおもちゃぐらいは動かせる! それまで地面に転がっていたアヒルが、むくりと起き上がり、タバコ男の足元にわらわらと群がり始めた。
「こわ! 気色悪っ! おい、これもお前がやったのかよ!?」
「あっ、はい。でも、向かっていく動きしかさせられなくて……あ、ゲロぐらい吐けるかも」
「ゲロを!? うわっ!」
タバコ男の足元に集っていた数百個のアヒルのおもちゃが、一斉にげえげえと、緑色のゲロを吐き出した。あ~、やばい~。こんなところで魔力と時間を消費している場合じゃないんですけど~、私~。タバコ男が慌てて、「うわっ! きも!」と叫びながら、足を持ち上げた。踏み潰すつもりだ!
「まっ、待って! 踏み潰したら消えちゃうから!」
「ゲロを吐くアヒルをこのまま、出し続けるつもりか!? なぁ、おい。俺はトイレに行きてぇんだよ、分かれ!」
もっともすぎて何も言えない……。ぐしゃっと潰れたかと思えば、綺麗に消え去った。あーあ。まあ、いっか。別に。また今度改めて聞こう。私がやれやれと首を振って、これみよがしに溜め息を吐いてから、立ち去ろうとした瞬間、今度はタバコ男が腕を掴んできた。
「溜め息を吐きたいのはこっちなんだよ! お前、俺に何か言うことがあるだろ? 散々邪魔しやがって」
「えっ、ごめーん。そうだ、セドリックさんの話聞かせてくれる?」
「マイペースにも程があるだろ、クソが!!」
「ええっ!? なんでそんなに怒ってんの? 早くトイレに行けば!?」
「邪魔をしたやつが言う台詞じゃねえよ、俺に謝れ!」
トイレが近いからか、すっごくイラついてる……。私に構ってないで早く行けばいいのに。困っていると、誰かが背後に立った。わ、分かる! これは、この背中のうぶ毛がぞわっと反応する感じは先輩!? 後ろを振り返ってみると、イケメンセンサーが教えてくれた通り、そこには先輩が突っ立っていた。でも、いつなく顔が怖い。キレてる。
「せ、先輩! ええっと、これはちょっと」
「俺のバディに何か用ですか?」
「……悪かった。別に絡んでたわけじゃねぇから」
タバコ男が青ざめ、ぱっと私の腕から手を放した。すみません、先輩。どちらかと言えば、私がこの人に絡んでいただけです……。でも、言いたくない。だって、言ったら私が先輩に怒られるもん! ここは被害者のふりでもしてようっと。さっき掴まれた、痛くない腕を押さえ、先輩からそっと目を逸らす。
「あー、私が遅いから迎えに来てくれたんですね? 行きましょうか! もうお昼休みも終わったことですし」
「……フィオナ。腕が痛いのか?」
「そいつが先にから、」
「痛いかも!! でっ、でも、大丈夫ですよ! もっ、元はと言えば、声をかけた私が悪いので!」
「……」
「こっ、こいつが、だから先に、」
「行きましょう、先輩! トイレに行きたいんですって、この人!!」
チャンスだと思って先輩の腕に抱きつき、ぐいぐい引っ張ってみる。でも、先輩はその場から一歩も動かず、タバコ男を見据えていた。
「あとで覚えてろよ。じゃ」
「せっ、先輩!!」
どうしよう? 私が悪いって言いたくない……。でも、タバコ男は我慢の限界だったみたいで、強烈な舌打ちをしてから、トイレに駆け込んだ。あー、良かった。ほっとした。先輩の腕から離れ、笑いかける。
「す、すみません、あの、は、白状するんですけど、元はと言えば、私がトイレに入ろうとしていたあの人に、アヒルのおもちゃをぶつけたのが原因でして……」
「なんだ、その特殊な状況は!? 一から説明しろ。あと、腕。痛くないか? 大丈夫か? 絶対に痛いだろ?」
「えっ、あ、だ、大丈夫なので!」
大丈夫だって言ってるのに、先輩がそれを信用してくれなくて、いきなりぐいっと、ジャケットの袖をめくってきた。うわっ、うわああああ!! 顔が近い、真剣な顔が近い! まつっ、まつげが! 最近ようやく先輩の銀髪と、色気あふれる整ったお顔立ちに慣れてきたところだったのに……。まじまじと真剣な表情で、私の腕を見つめ、「よし」と満足げに呟く。
「赤くなってないし、アザにもなっていないな。それで? フィオナ、アヒルのおもちゃをぶつけたって一体……あ、悪い」
「いっ、いいえ……」
腕を優しく掴んでいた先輩が気まずそうな顔をして、わざわざ丁寧に、両手で袖を元に戻してくれた。や、優しい! これ、もしかしたらセクハラ認定できるかも? 私も先輩に触ってもいいってことなんじゃ!?
「せ、先輩。あの、私、ずっとずっと言い出せなくて、胸に秘めていたことがあるんですけど……」
「……どうした? 言ってみろ」
「先輩の胸筋に触ってもいいですかね!? この前、腹筋を触って満足していたんですけど、やっぱり胸筋にも触らないと、後輩になった意味がないなぁと思いまして!」
「おい!? そう言いながら、もうすでに触ってるじゃねぇか!! やめろ!」
先輩が真面目な顔をしている隙をついて、ばばばっと胸筋を撫でくり回す。わっ、わああっ、硬い! 最高! 触り心地がっ、もう布地の下にがっつりと筋肉がある感じが伝わってきて最高……!! 私が興奮しながら撫で回していると、手首を掴んできた。ぐったりした表情を浮かべながら、溜め息を吐く。
「あのなぁ~……。急に袖をめくったのは俺が悪かったって。だけど、お前が俺の胸を触りまくっていい理由にはならねぇからな!?」
「えええっ? どうしてですか? あ、先輩も私の胸筋を触ります!? なんちゃって~」
「……やめろ。神妙な顔で何を言い出すかと思いきや、それかよ」
「すみません。前からこれ、さすがに言い出すのはあれかと思って、胸に秘めておいたんですよね……」
「永遠に胸に秘めてろ。どうして言っていいと思った? 今」
「先輩が私の腕を掴んだからですかね?」
「そうだ! さっきの……」
「あっ」
墓穴を掘ってしまった感がある。結局、全部を洗いざらい白状してみたら、案の定、眉間にきゅっとシワを寄せた。でも、先輩は不機嫌そうな顔してる時が一番かっこいいんだよね~! 笑顔も笑顔で、無邪気で素敵なんだけど、心臓に悪いからさ、こう、私を責めるような眼差しで見つめてくる先輩が一番セクシーで、かっこよくて、落ち着いて見ていられるんだよね……。
センターの廊下を歩きながら、「トイレに入ろうとしているやつの邪魔をするな!」と、まともなことを言ってくる先輩を鑑賞した。このクラシカルな建物と、深紅の制服を着た先輩の組み合わせが最高すぎて、毎朝拝んじゃいそうになるんだよね~。
「で、分かったか? 聞いてたか? 俺の話」
「もっ、もちろんですよ! 今度からはどんなに聞きたいことがあったとしても、まずは先に、トイレに行かせてあげることにしますね!」
「いまいちよく分かってないだろ……。まあ、いい。それにしても、セドリックさんと仲良かったか? もう連絡先交換してるとか?」
「いや、してません。ステラちゃんとー、ニコ君とー、アンドリュー君と美形双子としか連絡先交換してませんね。まだ」
「入っていきなり、五人と連絡先交換してたら十分だろ……。セドリックさんはああ見えて、かなり厄介だから関わらないようにしろよ」
「あっ、はい。どんな前科を持っているか、知っているんですか?」
「部長から、酔っ払いを刺したとだけ聞いている」
「あー、しそう。ナイフが似合いそうですよね、あのイケメン」
どこからどう見ても近寄りがたい、クールな金髪のイケメン。それがセドリックさん。……まあ、一応助けに? 来てくれたんだし、悪い人じゃなさそうなんだけど。頭を切り替え、この間から立てている目標、先輩の顔に見惚れず、しっかりと足元を見て階段を降りるという目標を達成するべく、足元を見つめる。
本当は先輩を眺めるので忙しいんだけど、階段をうっかり踏み外しでもしたら、恋愛フラグが立っちゃうかもしれないから……!! 私が手すりに掴まって、ゆっくり降りていると、同じく階段を降りている最中の先輩が話しかけてきた。
「イケメンねえ。ああいうのもタイプなのか?」
「えっ!? 私のタイプは先ぱ、んんん!! そっ、そうですね。付き合いたいわけじゃないけど、見ていて楽しいタイプですね」
「見ていて楽しいタイプってなんだ?」
「んーっと、おしゃれなイケメンとか? 私、イケメンと美女だったら何でもいいんですよ。クール系でも癒し系でも、セクシー系でも明るい爽やか系でも、不思議ちゃん系でも」
「本当に、人の顔にしか興味ねぇんだな……」
「ありますけど!? かっ、観劇とかお芝居とか! あっ、一緒だった。バレエも見ますよ」
「へー、バレエか。綺麗なものが好きなんだなぁ」
「はい! それと植物園とか、ホテルでお茶とか~」
「今度の休み、空いてるか?」
階段を降りている最中だったから、うっかり足を踏み外しそうになった。いやいや、待って? 私。ここで空いてますって言っちゃだめだよね? 一応アンソニーお兄様と会う予定が入っている、こともないんだけど……だって、キャンセルすればいいだけの話なんだし?
あの人、どうせ根掘り葉掘り、今の職場で上手くやれているのかどうか聞いてくるんだろうし、その予定を蹴って先輩とデー、いやいや、デートではないでしょ!! ただ、休みの日何してる? って会話に続くかもしれないし~。
(それはないか。だって、空いてるか? って聞いてきてるし……)
だらだらと冷や汗を掻きながら、階段を降りていると、先輩が気まずそうな顔で言ってきた。
「空いてないのなら別に、無理に誘わねぇから……。深く考えずに言ってくれ。無理なら無理で、それで全然いいし。ただこの前、プールに行った時、お前がまた出かけましょうねって言ってたから誘っ、」
「言ってましたっけ!? そんなこと!」
「言ってたけど?」
「えっ、えええええ……!?」
だめじゃん、私。乗り気じゃん! ノリノリで次のデートに誘っておきながら、いや、デートじゃないけど。そうだ、他の人も誘えばいけるんじゃない!? だって、休日も先輩の顔を拝みたいし、会いたいは会いたい。
「じゃっ、じゃあ今度、アンドリュー君と会いたいねって話をしてたんですけど、一緒に行きませんか!? なんでも、人見知りを克服したいそうで」
「……いいな、それ。でも、フィオナの負担になるんじゃないか?」
「私の負担に!? えっ、どうして?」
「おう。気になって昨夜、アンドリューと話してみたら、やっぱりフィオナの喋りに圧倒される時があるってよ」
「あっ、ああ~! うっすらそんな感じはしていたんですけど、そうだったんですね……?」
階段を降りながら、片手で頭を抱える。アンドリュー君に大丈夫? ってちょくちょく聞いてたんだけど、やっぱり負担になっちゃってたか~。人見知りを克服したいし、女性になら明るく話しかけられても大丈夫だって言ってたから、油断してた。
「そう。だから、フィオナは喋らないようにするの苦痛だろ?」
「はい、苦痛です!」
「俺と二人なら気を使う必要ないし、というか、俺も俺でアンドリューには気ぃ使うしな~」
「あー、ですよね。じゃあ、やめておきましょうか。二人で行きましょうか」
んっ!? これ、二人で行く流れになっちゃってない? どこからが悪かったの? 私。戸惑っていれば、先輩が新たな提案をしてきた。
「この間、姉貴にホテルで使えるクーポン券を押しつけられちゃってさ」
「クーポン券を?」
「ああ。ホテルのティーラウンジで使えるクーポン券なんだけど、興味あるか? スイーツブッフェが、」
「行きます!!」
ホテルの素敵なティーラウンジにいる先輩! 物憂げな顔をして、窓の向こうにある景色を見つめている先輩! チョコレートファウンテンを見て「げっ、甘そう」と思っている先輩に、ちょっとフォーマルな服装の先輩、真剣な顔してケーキを選んでいる先輩!!
脳内に次々と妄想が浮かんできた。優しいから私の代わりにケーキを取ってくれたり~、にやにや笑いながら「そんなに食うと太るぞ?」ってからかってきたり~。よだれが出ちゃいそう。ふへへへと笑っていれば、先輩も笑う。
「良かった。女友達を誘おうと思ってたけど、手間が省けたな」
「女友達!? 先輩、女友達がいるんですか!?」
「いるけど? 四、五人くらい」
「いっ、意外と多い! 獣人? なんですよね?」
「ん。獣人と人間が混じってる」
「へーっ! その中に美人っていますか!? そうだ、さっき私好みの清楚系巨乳美人を見かけたんですけど、知り合いですか!? 魔術雑用課の制服を着てたんですけど、知り合いだったらぜひ紹介して欲しいです!」
「……いや、知らない。あの部署に知り合いはいない」
「そうなんですか? 残念です。そうだ、女友達って何の獣人ですか? 先輩と一緒のトラの獣人がいたら紹介して欲しいんですけど! 耳と尻尾がついてる美人って最高じゃありません? 獣人は顔面偏差値が高い方が多いって本に書いてあったんですけど、本当ですか?」
「……」
先輩が急に黙った。あれ? 俺になら、べらべら話しかけてもいい的なことを言ってたよね……? 失敗しちゃった? 階段を降りきった先輩が、はあと溜め息を吐く。
「まあ、美人が多いな」
「やったーっ! 紹介してくださいよ! あ、胸はどうですか? トラの獣人だから、グラマーな方が多いんですかね!?」
「なんで胸にこだわるんだよ……」
「儚げ美人なら貧乳一択というのが私の性癖なんですけど、それ以外は巨乳が好きなんですよね。ハグした時に楽しいし、嫉妬されないから」
「嫉妬! 嫉妬か。それは考えたことなかったな」
「貧乳の子にはよく嫉妬されがちで……。私がいくら距離を縮めようと思っても無理だし、まあ、巨乳は太って見えるからその分だけダイエットを頑張らなくちゃいけないよねって、二キロ太って悩んでいた最中に言われた時から、もう貧乳の性格の良い子としか仲良くしないって決めたんです……」
「語るなぁ。ま、フィオナは美人でスタイルがいいから、嫉妬されやすいと思ってた」
先輩、さりげにすごいこと言ってない!? うわ、一気に頬が熱くなる。た、大したことない褒め言葉なのに、つらい……。心臓がぎゅっと、わし掴みにされたみたい。ど、動揺しないようにしないと!
たまーに先輩と喋っていたら、胸の奥でしゅわっと、檸檬ソーダが弾けたみたいな、そんな気分になっちゃう。手で顔を隠しながら歩いていれば、隣の先輩がふっと笑って、顔を覗き込んできた。銀混じりの青灰色の瞳が、楽しそうに細められている。
「……ああ、予想通りだ。お前が静かになる時って、くだらない妄想している時か、照れている時だけだよなぁ」
「だ、だって、先輩がそういうこと言ってくるから、って、し、尻尾! また私の背中を叩いてますけど!?」
「あ、わざと」
「はいっ!?」
びっくりして立ち止まった私を振り返りもせずに、先輩がすたすたと歩いてゆく。呆然と、背中に残った尻尾の感触を思い出していると、こっちを振り返る。
「どうした? 行くぞ、フィオナ。午後からも頑張っていくぞ」
「は、はい……」
なっ、なにその不自然な発言は!! 思いっきり叫びたい気持ちになったけど、ぐぐぅって、動物みたいなうめき声しか出てこなかった。いつの間にか、ホテルのスイーツブッフェに行くことになっちゃってるし、先輩、私より二枚も三枚も上手なんじゃ!?
(ひょっとして、案外手が早いとか……? いやいや、先輩に限ってそんなことはないから! 先輩に限ってそんなことはないからっ!)




