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魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
一章 私が自分史上最高のイケメンを見つけて、転職した話
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14.今日は先輩の匂いを嗅ぐ日なので!

 


 先輩との飲み会、何を着るか死ぬほど迷ってしまう……。いや、ステラちゃんとニコ君もいるんだけど! それにしたって、このタイミングでの飲み会、心臓に悪いことが起きる予感しかしない。しかも、家まで迎えに来てくれるって!! キンタマだのうんこだの言っても、下がらない好感度って一体何? 先輩、心が広すぎじゃない? 部屋に散らばった服の数々を見て、頭を抱える。


(えーっと、可愛い系の服はとにかく無しで! セクシーな感じもだめ。とは言っても、ちょっちょっ、ちょっとは可愛いって思って貰いたいし、地味めかつほんのり可愛い服装でって、無理!!)


 ほの甘ツヤピンクメイクに合う、地味めなんだけど可愛らしい服装って? 無理でしょ、思いつかない!! 散々悩んだあげく、ギンガムチェックチェック柄のワンピースにした。でも、ちょっと子供っぽいかも? 隠れ家をコンセプトにしたバーらしいし、あんまり子供っぽいのはちょっとなぁ。あと三十分くらいで先輩が来るのに決まらない! ゆとりを持って用意したのに、一体どうして!?


 結局、無難に黒いノースリーブニットとズボンにした。それにウェッジソールのサンダルを合わせると、夏っぽくなっちゃうけど、まあいっか。今日の昼間、暑かったしなぁ。艶めいたディープグリーンのバッグを肩に引っかけながら、ドアを開けると、先輩がもうすでに立っていた。インターホンを押そうと思っていたところらしく、驚いた顔をしている。今夜は黒いTシャツの上から、銀混じりのグレージャケットを羽織っていた。


「ぜんばい!! こんばんはぁっ!」

「どこから声出してんだよ、お前は……」

「えーっと、喉の辺りからですね! それか、私の中に潜んでいる面食い器官から~って、さぶっ!? やっぱりまだ、ノースリーブは早かったかぁ」

「待ってるから取ってこい。それか、俺のを貸してやろうか?」

「えっ!? いっ、いいいいんですか!? いいのならお借りしますけど……」

「おう、別にいい。店まで歩くし、寒いだろ? 店に着いたら返して貰うが」

「へっ、はふっ、うへへへ、はふ、ふふふっ、」

「おい、不審者になってるぞ。落ち着け、その両手を下げろ!」

「はぁい……」


 上げた両手を震わせていると、怒られた。あえて不審者ポーズしているのがばれちゃった。ちぇっと思っていたら、先輩がジャケットを脱いで、私にふわりとかける。いつもとは違ってマスカットのような、爽やかな香りが漂ってきた。せっ、せっ、石鹸の香りもするんですけど! ひょっとしてシャワーを浴びたばっかりですか!?


「じゃ、行くぞ。鍵は閉めたか?」

「ちょっ、ちょっと待ってください! このジャケットの匂いを嗅ぎます!!」

「嗅ぐな! そのために貸したわけじゃねぇからな!?」

「ふぁ~……ふんふんふんふんっ、先輩、先輩の良い匂い! 先輩、やっぱりお風呂入ってきましたね!? 脇汗の匂いが添加されていなくて、不満なんですが?」

「ああ、今日は暑かったからな。って嗅ぐな! 返せ、もう」

「ごめんなさい!! あと数百回だけ嗅がせてください!」

「カーディガンかジャケット取ってこい。……おい、返せって!」

「嫌です……!! ぐぬぬぬぬ!」


 歯を食い縛りながら、先輩のジャケットを引っ張っていると、「まったく」と言って手を放した。急にぱっと放したもんだから、その拍子につんのめる。すかさず、先輩が私の体を支えてくれた。


「っ悪い、大丈夫か? フィオナ」

「あ、は、はい……。ありがとうございます、大丈夫です。と、取ってきます! 自分のジャケット……」


 距離が近くて良い匂いがする。というか、黒い半袖から出てる逞しい二の腕がかっこよすぎて辛いんですけど!! 目に毒、心臓にも毒……。慌てて離れ、ドアノブを握り締めると、先輩がぼそっと呟いた。


「そうか。うるさい時は、今度からそうすればいいのか……」

(なんかだめなこと覚えちゃった!? 怖いこと呟いてる!)


 あー、はいはい! そうですよ、私はどうせ照れたら何も言えなくなる女ですよ! 耳が熱い、まだお酒を飲んでいないのに。先輩を前にしたら、色々と言えなくなっちゃう。部屋に駆け戻り、ベージュ色のジャケットを羽織ってから、先輩の下へ行く。先輩はとっくの昔に、ジャケットを羽織り直していた。ぴっちりしたスキニージーンズのポケットに軽く手を突っ込み、片足に重心を移動させ、ゆったりと佇んでいる。銀混じりの青灰色の瞳といい、銀髪といい、私の心臓を撃ちぬく格好良さ……!!


「よし。それじゃあ、行くか」


 はー、声までかっこいい! 街中ですれ違ったら、そのままふらふらと、死にかけの蛾みたいについて行っちゃいそうなレベルのイケメンなんですけど!! これであんまり騒がれたことないって嘘でしょ……。下からガン見していると、たじろいだ。


「また目が怖くなってんぞ……。いいからほら、さっさと行こうぜ。遅れる」

「ステラちゃんとニコラス君なら、私が先輩の顔に見惚れていて歩かなかったって言えば納得してくれますよ! ねっ? ねっ?」

「……そんなに親しくなってるのか、もう」

「はい! ステラちゃんもニコラス君も、なんか前からの知り合いみたいでー! すっごく話が弾むんですよ。今日、これから会えるのも超絶楽しみ! ふふふ」

「距離置くとか何とか言ってなかったか? ニコラスと。あれ、俺の幻聴か?」


 先輩がカンカンと、アパートの階段を降りながら首を傾げる。は~、私のアパートに先輩がいる! 立って歩いてるの、何度見ても感動しちゃう光景なんですけど……。


「あはは、心配してくれてるんですか? 先輩、やっさしー! 私の距離を置くっていうのは二人きりで飲みに行ったりしない、旅行にも行ったりしないということで、」

「旅行!?」

「あっ、はい。男女交えて行く時があるんですよ。もちろん、部屋は別々で! そういうただれた関係のお友達じゃないですよ~、って、分かってるか。先輩なら」

「へえぇ~」

「めちゃくちゃ悪意あるへええ、じゃないですか!? 今の!?」

「知らん。適当に返事しただけだ」

「ええええっ?」

「どうでもいい」


 なんかいきなり不機嫌になっちゃった。あれかなぁ、男女交えての旅行に抵抗感がある人? 先輩って。引っ込み思案の友達はそんなのありえないって言ったし、私がちょっと世間からずれてるとか? でも、まあ、いっか! 割り切って、先輩の隣を歩く。街灯がぽつりとぽつりと、夜道に浮かんでいて若干怖かった。でも、大丈夫大丈夫! 不審者がいたら、先輩が撃退してくれるだろうし……。


 あのナイフを持って追いかけてきた元彼の顔を思い出して、ぞわっと背筋が粟立つ。大丈夫かと思ってたのに。トラウマにはならないと思っていたのに、何週間かかけてじわじわと、トラウマが形成されていった。多分、現実味が無かったんだと思う。被害に遭った直後は。こっそり胸元を押さえながら歩いていると、先輩が急に話しかけてきた。


「大丈夫か? 怖いか?」

「あ、ははは……すみません、ちょっと楽しみではしゃぎすぎたみたいで、」

「無理しなくていいって、だから。隠す必要あるか?」

「め、迷惑かけたらどうしようって、つい思っちゃうんですよね……。あと、下手に心配かけたくなくて」

「心配なら常にしてる。今さらだろ」

「そうですかねえ? 優しいですよね、本当に先輩って! あ、尻尾を握らせてくれたらちょっとは怖さも和らいで、」

「ほらよ。いいか? しっかりと握り締めるなよ!?」

「は、はいっ!?」


 隣を歩いていた先輩がひゅるんと、銀色の尻尾を動かして、私の手に当てる。ふぁっ、ふぁわ、ふぁわわわわわ~……!! 街灯に照らされて、銀色の毛が眩く光っていた。ふわっふわ、しっとり! 獣人の毛って本物の動物に比べて、しっとりふわふわしてるって噂だったけど、本当だったんだ! 私が丹念に撫でようとした瞬間、先輩が尻尾をひょいっと持ち上げる。あっ、奪われた。


「いいか? この尻尾の先の……そうだな、指二本分。そこまでだぞ?」

「こっ、こだわり!? こだわりがあるんですか!?」

「違う! 家族に触らせるのがそこまでなんだ。ブラッシングさせる時もある。根元はだめだぞ、絶対に。いいな?」

「しっ、尻尾を!? お互いに!?」

「そりゃあな。スキンシップの一環だ。くれぐれも真ん中から、根元にかけて触らないでくれ。それが約束出来るのなら、尻尾の先だけ触らせてやる」

「は、はい。約束します……」

「よし。じゃ、触っていいぞ。それで怖さがまぎれるのなら」


 先輩は優しい。その優しさはコーヒーフロートとよく似てる。ほろ苦いコーヒーの上に、浮かべたバニラアイスみたい。べったりと甘いわけじゃないし、スプーンでつつくと、逃げてゆくバニラアイスみたいに、私を面倒臭がる時もあるんだけど、基本的に優しい。心に染み込んでゆくような優しさがある。涙をぐっとこらえ、言われた通り、尻尾の先だけふわふわと撫でてみた。先輩が居心地悪そうに、腕を組みながら歩いている。夜空には三日月の形をした、銀色の月が浮かんでいた。


「……ふわふわですね、先輩の尻尾! ありがとうございます! それにしても、どうして真ん中と付け根はだめなんですか?」

「いや、そりゃそうだろ……。真ん中から根元にかけて、しごいてもいいのは恋人だけだ」

「なっ、なるほど!?」


 だめだ、よく分からない……。だって尻尾だよ!? でも、獣人にとっては何やらセンシティブな部分らしく、先輩が照れ臭そうに口元を押さえ、「悪い、今の発言は忘れてくれ」と言う。人間の耳があったら赤くなっていたかも。頬が若干赤くなってる。


「ふふふふ、よく分からないけど先輩の照れ顔、美味しいです! ありがとうございます!!」

「……気が済んだのなら、もう返してくれ」

「あああああああーっ!? 尻尾ぉ! 私の尻尾がぁっ!」

「俺のだって」


 その後、ステラちゃんとニコラス君と合流する。ステラちゃんが可愛い笑顔で手を振ってくれたので、全力で振り返しながら近付いちゃった。私服姿、初めて見たけど可愛い! さらりとした麻素材の白いシャツワンピースに、赤いミュールを合わせている。腰には共布(ともぬの)のリボンが巻いてあった。きらきらと輝きながら揺れる星のピアスと、悪戯っぽい青色の瞳が合っていて本当に可愛い。美少女~! 


 隣で面倒臭そうな顔をして立ってるニコラス君は意外や意外、あっという間に汚れそうな、白いジャケットとズボン、ベージュ色のシャツを着ていた。でも、正統派の綺麗な顔立ちと合っている。


「ステラちゃーんっ! 一日ぶりーっ! どう? 元気にしてた? というか私服姿がめっちゃくちゃ可愛いんですけど! 目の保養!」

「ありがとう~、相変わらずテンション高いね? というかさ、二人とも一緒に現れたの何? 同棲しちゃってる!?」

「やだ、してない、してない! も~、ふふふふ! ただ先輩と途中で偶然会っただけだから! ねっ? 先輩?」


 ステラちゃんと手を組みながら振り返って、そういうことにしておいてください、お願いしますうううっと念を送れば、苦笑して頷いた。は~、かっこいい。先輩、夜になると色気が増す! にへにへ笑っていると、ニコラス君がむすっとした顔で話しかけてきた。


「もういいから行きましょうよ。この儀式、一体何ですか?」

「えっ!? 儀式って何!?」

「も~、やだやだ! ニコラスはこういう挨拶、嫌がるんだよね~。気にしなくていいよ、フィオナちゃん。だって、必要だよねえ?」

「もっちろん! 必要だよね~、会いたかった~、ステラちゃん! 可愛い!」

「私も~! じゃ、行こっか。お腹空いたし、喉乾いたよね」

「……ステラさんが来ると、いつもこうやって仕切られるんですよね」

「諦めろ、ニコラス。俺達が何か言っても無駄だろ?」


 辿り着いたバーは生い茂った木に囲まれ、隠れ家のような雰囲気を漂わせていた。重たい扉を押し開け、中のカウンター席に座る。全体的にちょっとだけ明るくて、天井からはフェイクグリーンが吊り下がっていた。カウンターは手触りの良い天然木で出来てるし、客層も三十代から四十代といった感じで、がっつりご飯が食べられるというのも納得の穏やかさ。


 ここなら、まったく飲めない先輩も楽しめそう。メニューを開き、隣に座った先輩に見せる。本当は壁際の席に座って、ステラちゃんとまったり喋りたかったんだけど、先輩とステラちゃんに挟まれてしまった。落ち着かない! 


「どうします~? 先輩は何にします?」

「飯食う気満々で来たからな……。ステーキとローストビーフをまずは頼む」

「最初からがっつりいきますね!? あっ、ステラちゃんは? 何を頼む? 私はおつまみ軽く頼もうと思ってるんだけど、このへんの」

「いいね~。私、クリームチーズが食べたい気分かなぁ。このクラッカーとサーモンとチーズの盛り合わせが食べたい」

「それじゃ、そうしよっか! ニコ君は? それで大丈夫? アレルギーとかない?」

「大丈夫です。頼みたいもの決まってるんで、頼んでもいいですか?」

「どうぞどうぞ~」


 まあ、こうやって今、のんびりわいわい楽しむ時間が必要かもしれない。何故か先輩の態度が甘いし、二人きりで会うのは避けた方が無難! ということで、恋の芽を潰す作戦実行。注文を終えてお酒がきたあと、切り出した。


「ね、ねえ、ステラちゃんとニコラス君も良かったら、一緒にプール行かない?」

「えーっ、なんで? 二人きりで行ってきなよ、フィオナちゃん。その方が絶対に面白いって! こいつも妙にフィオナちゃんのことが気に入ってるみたいだし、そのまま進展して付き合っちゃえ~」

「ステラちゃん!? 無いから、ほんっとうに無いから!! あっ、ねえ、じゃあ、ニコラス君一緒に行かない?」

「俺、日光アレルギーなんで勘弁してください」

「えっ? 嘘!? 本当?」

「嘘です。プール苦手なんですよ……。他人と一緒に水の中に入りたくない」

「プール向いてないね!? ええっと、じゃあ、私が二人きりで先輩とプールに行くのか……」


 落ち込みつつ、赤と赤紫色のミックスベリーが浮かんだカクテルを見下ろしていると、先輩がこっちを見つめる。先輩は私が頼んだ、カクテルのノンアル版を手にしていた。じゃあ、俺も飲もう、それって軽く言ってたから、特に深い意味は無いはず!


「俺とじゃ不満か? フィオナ」

「いっ、いやいや、そんな、めっそうもございません!! ただ、その、暴走しちゃうかもなぁと思って。抑止力があった方が何かと助かる、」

「じゃ、私のバディのアンドリュー連れて行っちゃう?」

「あの子、かなりの人見知りだよね!? 常日頃、パーカーをかぶって顔すら見せない子がプールヘ行ける!? 大丈夫? プールってもう、男性はパンツだけみたいなもんじゃん。半裸になって陽の下に行けるの?」

「さぁね~。でも、フィオナちゃんが困ってるみたいだったから? それに話しやすそうだって言ってたよ」

「えっ? そうなの!? 嬉し~! 私さぁ、人見知りの子から喋りやすくて本当に助かるって言われていて、」

「何? 本当か? あのアンドリューがか!? まだ一週間も経ってないだろ……」


 先輩がどこか呆然としながら、ステラちゃんに話しかける。へ~、そんなに人見知りなんだ。ふふふふ、私、人見知りの子からいつも「沢山話しかけてくれて嬉しかった、気まずい空気にならなくてほっとした」って言われるんだよね~。高校生の頃、何故か「人見知りを克服したいです!」って、見知らぬ後輩ちゃんに話しかけられたことだってあるし。喋ることしか取り柄がないんだけど、意外と喜ばれてる。私が悦に浸っていると、ステラちゃんがほくそ笑んだ。


「焦るじゃん、あからさまにさぁ~」

「焦ってはいない。ただ、俺と目を合わせるのに半年かかったアンドリューがと思って」

「ちょっと待ってください、半年!? えっ、どうしよ。靴擦れしちゃったから絆創膏ちょうだい? って言っちゃったんですけど。そして、貸してくれたんですけど! 意外と快く」

「……そんなことがあったのか。俺、聞いてないぞ!?」

「えっ、はい。先輩、私が道路にアヒル柄をプリントしちゃって怒ってたので、なかなか言い出せず……。すみませんでした」

「っぶふ、そんなことしてたの!? フィオナちゃん!」

「試しにやってみたら成功しちゃったんだよね~。私、アヒルの術語と相性良いみたいで」

「あるある、そういうの! 私は氷と相性が良いかな~。タオル乾かそうと思ったら、ついうっかり凍らせちゃったことがあってさ~」

「あるある~! 私も石をアヒルのぬいぐるみにしちゃってさぁ」

「何だ、この会話」


 先輩はそういうミスをしたことがないらしく、呆れた顔になってる。……まあ、一等級国家魔術師を目指してたぐらいだもんね。優秀ですよね! 結局、ただ楽しく喋って終わった。先輩が酔ったら、腹筋を触らせて貰おうと思ってたんだけど、本当に弱いみたいで、ステラちゃんが面白がって勧めても、頑として飲まなかった。つまんないの!


(酔ったら甘えたになるんだっけ? 人にべたべたするタイプって聞いたから、楽しみにしてたのに~。あう、私が調子に乗って飲みすぎちゃったかも。やばいなー、強いからって油断した……)


 地上に出る階段を、ふらふらになりながら上っていると、隣にいたニコラス君が腕を掴み、体を支えてくれた。先輩と違って、がっしり握り締めてくる感じがある。


「大丈夫ですか? 俺、家まで送りましょうか?」

「えっ? へへへ、大丈夫大丈夫! こう見えてあんまり酔っ払ってないからね~。思考はクリア! 大丈夫大丈夫~」

「いや、わりと酔っ払ってるだろ。大丈夫だ。俺のバディだし、俺が家まで送っていく」

「……分かりました。でも、途中まで一緒に送りますよ」


 誰かがニコラス君の腕を振り払って、私の手首を掴む。あ、誰かじゃなくて先輩だった。手首を掴む手が優しい、さらっとしてる。微妙にまぶたが開かない私の手を優しく引っ張りながら、しっかりとした足取りで階段を上ってゆく。


「大丈夫だって。俺が一人で、ちゃんと家まで送り届けるって。送り狼になるつもりなんてさらさら無いしな」

「あはは、だよね~! トラ男だもんねえ、あんた!」

「ニコラスはそっちの面倒臭い酔っ払いを頼む」

「ええ~? はい。ステラさん、本当に面倒臭い酔い方をするから嫌なんですけど……」

「俺だって嫌だ! くそ、飲ませるんじゃなかったな~……。二人とも」


 ふふふ、先輩が困ってる。面白い。でも、私、本屋さんに寄らなくちゃ。恋の芽を潰すために、獣人について書かれてる本を買いたい。恋愛本とか色々あるけど、私が知りたいのは、獣人と友達になったら読む本ってやつ……。ああ、だめ。頭がこんがらがってきちゃった。それに眠たいし、暑いし。なんか揺れてるし。頬の辺りがさらっとしてる。何かが当たってる。不思議に思って撫でてみると、誰かがくすぐったそうに笑った。……あれ? 地面に足がついてないの!?


「んんんんっ? せんぱい、先輩は……?」

「起きたか? フィオナ。今、どういう状況か分かってるか?」

「分かってないです……。このふわふわしてるものは? やけに手触りが良いんですけど」

「それは俺の髪。おい、喉の辺りくすぐるなよ。くすぐったいって!」

「……ん? あれ!? どういう状況ですか? 今」

「お前が抱っこしろ、抱っこしろってうるさいから、おんぶして歩いてる最中。なーにがそんなに酔っ払ってないだよ! どの口が言ってるんだか。思いっきり酔ってるじゃねぇか」

「んんんん、先輩……」


 眠い! 今、多分、かなりのご褒美タイム中なんだけど……。しまったな、眠い。迷惑かけちゃった。先輩の背中って広い。良い香りがする。一度、思いっきり後頭部に顔を突っ込んで嗅いでみたかったんだよね! 柔らかい銀髪に顔を埋め、ふんがふんがと匂いを嗅ぐ。汗臭くてたまらない! それと柑橘系のシャンプーと男臭い匂いが混じっていて、うっとりしてしまう。元彼をふいに思い出した。


「っおい! くすぐった、くすぐったいって! おろすぞ!?」

「んんん、やだ~……!! あっ、そうだ。本屋さん! すみません、運転手さん。駅前の本屋さんまで行ってください」

「運転手じゃないって、俺は。それにしても開いてるかぁ? 本屋なんて。あ、一つ開いてそうなところ思い出した。吸血鬼がやってるところ」

「吸血鬼が……?」

「なんでも、吸血鬼が何百年とかけて集めた本を売ってるんだとよ。深夜営業」

「へ~。獣人についての本って売ってるんですかねえ」

「……売ってるんじゃねぇか? 新刊コーナーとヴィンテージコーナー、両方あるらしいぞ」

「じゃっ、行きましょうかね! お願いします」

「分かった。獣人についての本って? どういうのが欲しいんだ? フィオナ」

「んーっとですねえ……」


 先輩、たまに私の名前を呼んでくれるの好き。今度はお父さんの顔が浮かんできた。会いたい、会いたいよ。でも、会っちゃだめだ。会っちゃ。お母さん、お母さん。お母さんが頭の中で「本当は私、フィオナのことを堕ろすつもりだったのよ」と言う。お母さん、ごめんね。邪魔だった? 私、お母さんの人生の邪魔をしちゃったのかな……。


「フィオナ? どうした? 泣いてるのか?」

「っすん、すみ、すみません……。ジャケットに鼻水がつかないようにしますから、っぐ」

「そういう心配はしてない。酔ってるだけだな? 職場のやつらに何もされてないな?」

「はい、大丈夫です。何もされてません……。セドリックさんがちょいちょい助けてくれるんですよ」

「へえ。やっぱりモテるんだな、フィオナは。まあ、分かっちゃいたけど」

「へへへへ、モテませんよ。別にぃ~」


 ぐすぐすと泣きながら、先輩の肩に顔を埋める。人通りが多いところに出ても、黙って背負い続けてくれた。……さっきはおろすって言ってたくせに、ほら、優しい。先輩の優しさはコーヒーフロートみたいな優しさ。分かりやすい優しさじゃなくて、力をこめてスプーンで掬おうとしたら、するりと逃げちゃいそう。冷たくてほろ苦くて甘い。気がつけば、古い木の床の上に立っていた。書物の匂いと埃の匂いが充満している。頭上のランプがじじじと、不思議な音を立てていた。


「……それで? 用件は? 冷やかしは困るんだよ」

「悪いな。代金が若い女の血だと思っちゃいなかった。それか、飢えているのか? 人工の血があるだろうが、お前らには」

「俺はあいにくと、生きた若い女の血が好きなんだよ。ああいうのは濡れたダンボールをしがんだ時に、出てくる汁みたいな味がするもんさ。どうも、人工の血は好きになれない……」


 カウンターの向こうに座った、黒縁メガネをかけた男が不機嫌そうに唸る。吸血鬼らしい赤い瞳と黒髪。よくよく見てると、誰かに殴られたのか、白い頬が赤く腫れ上がっていた。頬杖をつきながら、熱心に本のページをめくってる。わあ、イケメンだ~……。のろのろと指を差せば、怪訝そうな顔で見つめてきた。


「イケメンですねえ、この人! まあ、先輩の足元にも及ばないんですけど! あはははは~」

「……お嬢ちゃん、惚気にきたのなら帰ってくれないか? ああ、それか血を吸わせてくれるか? 今なら、血を吸わせてくれたお客様に本を十冊プレゼントするキャンペーンをしている。ちなみに本は選べない」

「在庫押しつける気満々じゃねぇか! それにフィオナは貧血気味なんだ、血なんて吸わせられない」


 ぐいっと、先輩が私の腕を引っ張ったあと、肩を抱き寄せてきた。あ~、飲みすぎちゃったなぁ。本当に。頭がくらくらする。目の前に座った男が苛立たしげに、黒髪頭を掻きむしった。見てみると、古いビルのテナントらしき店内には、びっちりと天井までの本棚が並べてある。すごい~、ノスタルジック~。


「ったく、せっかく美人で、ボインな女の子が来たと思ったのになぁ……」

「おい! 使う言葉が微妙に古臭いなぁ。俺の血で良ければ吸うか?」

「はあああっ!? お前も同じ男なら分かるだろ!? 男の血なんて吸って何が楽しい!? 何が悲しくて、男の血なんか吸わなくちゃいけないんだ!? 腹は満たされても、心が満たされない!」

「知るか! 腹が減ってるのならえり好みすんなよ」

「あ~、もういい。それで? どの本が欲しいんだ? 嬢ちゃん。さっさとそいつを連れて帰ってくれ。生殺しにされてる気分なんだよ、俺は」

「えっ? じゃあ、獣人についての本をください! 古いやつじゃなくてちゃんと新しいやつで」

「ああ、獣人についての本ねえ……。分かった、嬢ちゃんが欲しいのはこれだろ?」


 傘から手を出して、雨が降っているかどうか確かめるかのように、吸血鬼が手のひらを上にした。背後の本棚からゆっくりと本が飛び出し、手のひらに着地する。真新しいカラフルな装丁の本だった。そこには“獣人と結婚出来た著者が語る! 獣人の彼を落とす、悪用厳禁極秘のテクニック”と書かれている。ぼんやり眺めていると、にいっと口の端を吊り上げ、笑った。


「これだろ? 毎度ありー。さあ、代金と血を寄こせ!」

「……これじゃない!! ふざけてないで他の本を、」

「もう眠たいし、これでいいでーす。おいくらですか?」

「フィオナ!? 酔ってるだろ!?」

「これで先輩とお友達になれるからいいんです……」

「いや、これは俺と友達になれる本じゃなくって、」

「ツケといてあげよう。その代わり、またこの店に来てくれ。嬢ちゃんは痩せすぎていないし、顔色が良いし、肌艶も良い。吸ったらさぞかし、うまい血が溢れ出てきそうだ」

「っじゃあ、俺が代わりに払う! しつこいな、まったく」

「おいおい、金を叩きつけないでくれよ。これだから獣人は……」


 かなり力強く、先輩がトレイに硬貨を叩きつけた。あまりの勢いにトレイがひっくり返って、硬貨が数枚飛ぶ。文句を言う店主? を気に留めず、無言で私の手を引っ張って店をあとにした。振り返ってみると、古ぼけたビルの一階にある本屋で、わさわさとした植物の葉やツタで覆われている。あれじゃ光が入らないだろうなぁ。でも、吸血鬼だからちょうどいいのかも? ん~、喉が乾いた。


「フィオナ、そのバッグに入るか? 本。袋を貰ってくれば良かったか」

「入らないですねえ。ポーチも入ってますし」

「あー、じゃあ、俺が持っておく。あの店には二度と行くなよ。勧めた俺が言うのもなんだけど」

「でも、イケメンでしたね! あの男性!」

「イケメンだったら血を吸われても平気なのか!?」

「いや、そんなことは一言も言ってないんですけど……。どうしたんですか? 先輩。さっきから変ですよ? いつもの冷静沈着な先輩らしくない」


 ジャケットのポケットからエコバッグを取り出していた先輩が、ぴたりと動きを止める。不思議に思って眺めていると、しわくちゃの黒いエコバッグを広げながら、溜め息を吐いた。車道に車は通っていなくて、まるでゴーストタウンみたい。


「冷静沈着ねえ……。俺は今まで、自分のことをそうだと思ったことは一度も無いな。こと、フィオナに関しては特に。変態だし」

「何おうっ! 脇汗の匂いを嗅がせてくれない先輩が悪いんですよ!? 脇に鼻を突っ込んでふがふがしたいのに!」

「俺のどこが悪いんだ、どこが。ほら、もう帰るぞ。フィオナ」

「あっ、はい……」


 ごくごく自然に、手を差し出してきた。お酒が入ってるからか、ここが夜の街だからか、緊張せず自然と握り返せた。……何となく、付き合ったらこんな風に手を繋いで歩くのかなとか、ありもしないことを考えながら歩く。先輩の手のひらが熱い。獣人は体温が高いのかもしれない。


「ねえ、先輩。獣人って体温が高いんですか?」

「種類による。猛獣系は高い」

「へえ……ありがとうございました、今日は。楽しみですね、明日のプール!」

「なんだよ? 俺と行くのは嫌なんだろ?」

「いえ、甘酸っぱい空気になるのが嫌で。ふわぁ~あ……」


 大きくあくびをしながら歩いていると、急に先輩が立ち止まった。アパートはもうすぐそこで、見慣れた道路と歩道が広がってる。


「……甘酸っぱい空気?」

「ふぁい。先輩の態度が甘いので、それをぶっ壊したいです」

「っふ、なんだよ、それ。酔っ払いめ」


 手を優しく引っ張りながら階段を上り、部屋の前まで送り届けてくれた。私がふにゃふにゃと笑いながら手を振れば、にっと悪戯っぽく、ステラちゃんのように笑って片手を振る。


「明日、お前がどういう顔をするのか楽しみだな。おやすみ、酔っ払い」

「ふぁ~い! おやすみなさぁ~い……」







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