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魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
一章 私が自分史上最高のイケメンを見つけて、転職した話
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12.恋の芽撲滅キャンペーン、失敗!

 




 だめだ、これじゃいけない。はからずも、先輩にときめいていることがバレてしまった。今日は恋の芽撲滅キャンペーンをするしかない……。てくてくと、のどかな住宅街を歩きながら考える。たまにはバイクに乗らず、こうやって街中をパトロールするみたい。深紅色の制服を着た私達を見て、駆け寄ってくる人もいるし。ちょうど、広大な芝生がある公園の前に差しかかっていたところ、向かいから、買い物袋を手にしたおばさんが、必死の形相で走ってきた。こ、怖い……。回れ右したくなっちゃう。


「……ああいうのを見てると、たまに逃げ出したくなるんだよなぁ」

「厄介ごとを頼まれそうで嫌ですよね! でも先輩、顔が怖いんだから、にっこり笑って笑って!」

「お前の辞書にデリカシーっていう単語は無いのか? 無いんだろうな。分かってるよ、俺だってそれくらい……」


 あからさまに肩を落として、溜め息を吐いた。やだ、弱ってる先輩もかっこいい~!! でも、今日は決めたんだ。私、かっこいいって言って騒いだりしたい! 違う、騒いだりしないんだってば!! 朝もおはようございますって言ったあと、今日もたまらなくかっこいいくちびるをしていますねって褒めようとしたんだけど、何とか耐えた。


 変な顔になっていたみたいで、思いっきり先輩に笑われちゃった……。おばさんに近付くのが嫌で、ぼーっと立ちながら、思い悩む。先輩も面倒臭そうに立っていた。横の公園では、幼稚園児ぐらいの子達が遊んでいて、目に眩しい芝生の上をボールが転がってゆく。


「っは、は、ごめんなさいね! お待たせしちゃって」

「ああ、いや、大丈夫ですよ……」


 ぜえぜえ、はあはあと息を荒げるおばさんを見て、先輩が戸惑い気味に声をかける。おばさんというよりも、初老の女性という感じだった。白髪混じりの焦げ茶色の髪に、へーゼルナッツ色の瞳。暑くないのか、茶色のセーターとズボンを着ていた。でも、日陰に入ると肌寒いし、これぐらいの服装でちょうどいいのかも。先輩が嫌そうな顔をしているので、私がにっこにこ笑顔で話しかけてみる。


「こんにちは~! どうされたんですか? 何か私達に相談したいことでも?」

「いや、実はね? はっ、ふっ、ちょっと待ってちょうだい、息を整えるから!」

「はーい、ゆっくりで大丈夫ですよ。私達、今暇なので!」

「大丈夫ですよ……」


 先輩、さっきからそれしか言ってない! ぶふふ。勢いがある年配女性がちょっと苦手みたいで、及び腰だった。どちらかというと、お年寄りの相手の方が向いてるんだよね~、先輩は。あと、壁に穴を開けた生意気な中学生の相手とか。昨日、お母さんに怒ってくださいって言われて怒ってた。そんなこともするの? この課はと思ったけど、だめだろうがって、真面目に怒ってる先輩が見れたから、私はそれでよーし! 昨日の先輩をプレイバックして、脳内で楽しんでいると、ようやくおばさんの息が整った。


「あのね? この公園、喫煙禁止よね!?」

「はい。リオルネでは、喫煙所以外での喫煙は禁止されていますが……」

「あなたって本当、見かけによらず真面目よね! この間もありがとう。娘は元気に学校通ってるわ」

「それは良かったです。あ~、それで? 喫煙の話に戻しますが、」

「そうそうそう! あそこで毎日タバコを吸ってる人がいるのよ! さっきも吸ってて! 今、いるんじゃない!? 噴水のベンチのところに! 逃がすかもしれないから、早く行ってきてくれない!?」

「あっ、はい。じゃあ、見回ってきます。行くぞ、フィオナ。逃がすかもしれない」

「はい、行きましょう!」

「それじゃ、俺達はこれで失礼します……」

「失礼しまーすっ」


 先輩がこのおばさんから逃げたいだけじゃない? 人見知りじゃないって思ってたけど、実は案外人見知りだとか……? ん~、でも、知り合いっぽいし。それか単におばさんが苦手なだけ? 笑顔で頭を下げてから、走って公園の中に向かう。ああああっ、仕事じゃなきゃ木陰にピクニックシート敷いて、お昼寝でもしたいお天気! そう思ってしまうぐらい、今日は天気が良い。


 かっと照りつけてくる陽射しに、晴れ渡った青空。陽射しの下にいると汗ばんじゃうけど、木陰に入ると一気に涼しくなる。短く刈り込まれた芝生の上を走って、横目で女神像の噴水を眺めていると、のんびりしたい気持ちが爆発しちゃった。


「あーっ、もう、こんなに天気の良い日にタバコ吸ってる人を注意するなんて! 先輩、今度の休み、一緒にピクニックにでも行きませんか!?」

「考えとく! あれじゃないか? 男!」

「あっ、本当だ。吸ってる……」


 話したいけど息が続かなーいっ! それに、我慢して走ってたけど、胸が揺れて痛い。あんまり走りたくない、本当は。私が減速していると、先輩はさらに速度を上げて、ベンチでタバコを吸っている男の下へ駆け寄っていった。いいな~、タバコ吸ってる人、真正面から先輩の顔が見れるんだなぁ。いいな~。とろとろ歩いてたけど、あることに気がつく。


(はっ! 注意してる先輩の声が聞けなくなるじゃん、これじゃっ! あわよくば録音したいのにっ)


 仕事モードの先輩の声は丁寧で、穏やか。聞いていて私も注意された~いって思っちゃうぐらい、良い声をしてる。胸のクーパー靭帯を気にせず、猛ダッシュした!! 暑い、かなり。でも、予想通り木陰の下は涼しかった。さわさわと、頭上で枝葉が揺れている。うっ、タバコ臭い……。


 なんで、こんなに素敵な景色の中で、強烈なタバコの匂いを嗅がなくちゃいけないんだろう? あのおばさんの気持ちが分かる、すごく。涙目で口元を押さえながら、先輩のちょっと後ろに立つ。ベンチでタバコを片手に、電話していた男性はぱっと見、三十五歳ぐらいだった。先輩が電話をやめさせていたみたいで、メモ帳サイズの魔術手帳片手に、迷惑そうな顔をしてる。


「何ですか? あんたら。急に」

「何ですかじゃないでしょう。ここ、タバコ吸うの禁止ですよ。分かってますか?」

「ああ、でも、今やめようと思っていたところだし……」

「地面に落ちている吸殻、全部拾って綺麗にしてください。あとそれから、罰金刑です」

「はっ!? 何それ? 知らないんだけど!?」


 そこで、先輩が苛立った表情になる。ああ~、かっこいい! この顔を見るために転職したから、出来る限り長い時間、じっと見つめていたい。木陰の中では、アーモンド形の瞳に浮き出ている銀色の虹彩が目立っていた。銀髪もなめらかに輝いている。ああ~、ふわふわと、銀髪がちょっとだけ風に揺れて、浅黒い首筋が出てるの最高すぎる……。デスク仕事してると、絶対に見れない姿だよね!? これっ! 外回り最高、ずっと外にいる先輩の姿を見ていたい。もちろん、屋内にいる先輩も素敵なんだけど!


「知らないのはあなただけでしょう? とにかくも、財布を出してください。持っていないのなら、身分証の提示をお願いします」

「……あ~、いくら?」

「五万エクトルです」

「はあっ!? そんな高いの!?」

「クレジットカードでもいけますよ、はい」


 先輩が愛想良く微笑みながら、ポケットから機械を出す。あれ、お店でよく見るカードをスキャンするやつだ……。どういう仕組みになってるの!? 魔術!? しぶしぶと男性がクレジットカードを差し込み、暗証番号を売ったあと、舌打ちする。態度悪ぅ~。というか私、何もしてないな……。いいのかな? これで本当に。眺めていると、急に男性と目が合ってしまった。あ、やば。ついつい反射的に、へらりと笑いかけてしまう。また舌打ちして、地面を突然蹴った。砂がざっと、足先にかかる。


「ちょっ、ちょっと!? 砂なんかかけても、お金は返ってきませんよ!?」

「っおい、ふざけた真似をしやがって! いい加減にしろよ、おっさんが」

「うっ!?」

「うぉぶっ!?」


 せ、先輩が相手の胸ぐらを掴んで、凄んでる……。えっ? こういうことするタイプだったの!? もう少し冷静かと思ってた。銀色に光ってる瞳孔が、トラのような小さい丸になってる。これは一体どうするのが正解? でも、さすがに殴りはしないか。動きが止まってるし、今なら写真が撮れると思ったけどやめた。


 先輩の弱みを握ってしまうことに……あ、それか、弱みを握ってモデルみたいなポーズを取って貰っちゃう? 貰っちゃう!? 一瞬で脳内に、さんさんと夏の陽射しが降り注ぐ窓際で、今にも白Tシャツを脱ごうとしてる先輩の姿が浮かんだ。立派でセクシーな腹筋が、あらわになっている。


「そっ、そ、そ、それだ!! それですよ、先輩! とりあえずその男性、軽く殴って貰えませんか!? 保釈金は私が払います!!」

「はあ!? 殴らないって、さすがに……」

「とりあえず、無抵抗の一般都民を殴ろうとしている先輩の写真が撮りたいです。そのまま、そのまま!」

「お前、俺の味方か? それとも敵か!?」


 素早い動きでカメラを構えた瞬間、胸ぐらからぱっと、手を離してしまった。何が何だかよく分からない、といった顔をした男が青ざめている。


「あ~、残念……。先輩の弱みを握って、脅そうと思っていたのに」

「心の声、だだ漏れだぞ? フィオナ。また変なこと考えやがって。どうせ、お前のことだから妙ちくりんなことを考えてるんだろ? 違うか?」

「いいえ、違わないです……」


 先輩、色んな意味で私を信頼しすぎじゃない? 嫌われるかもと思って、ひやひやしたけど助かった。心の声がだだ漏れなくせ、どうにかしないとなぁ。私的にはちゃんと、心の中で呟いているつもりなんだけど……。カメラを眺めながら反省していると、先輩が溜め息を吐いた。


「じゃ、もう二度と吸わないでくださいよ? ここで。吸うなら、ちゃんと喫煙所に行って吸ってください。行くぞ、フィオナ。足は大丈夫か?」

「大丈夫です! 砂をかけられただけなんで~」


 先輩って優しい。振り返ってみると、男が呆然とした様子で立っていた。……懲りて、もう吸わなきゃいいけど。それにしても、あ~!! 黙って写真を撮って、弱みを握って脅せば良かった。先輩はなんだかんだで脇の甘いところがあるから、ああいう写真を撮って「さぁ、私に撮らせてください! その腹筋を!」って言ったら、しぶしぶ撮らせてくれるような気がするんだけど。


 でも、やっちゃいけないことと言えばそうだし、そういうことをせずに、正攻法で先輩の腹筋を撮るにはどうすれば……? 一緒にプールでも行っちゃう? でも、行ってくれるかなぁ。どうしよう!? 先輩を見ていると、欲望が際限なく湧き出て沸騰してしまう!!


「……ナ、フィオナ? 聞いてるか? 人の話」

「あっ、すみません。一体どうやれば、先輩の腹筋写真が撮れるかなと考えていて、まるで聞いていませんでした! どうしましたか?」

「お前の頭、本当にどうなってるんだ? まあ、いい。今に始まったことじゃねぇし……あ~、さっき、俺の弱みを握るとかなんとか、」

「ああ! 先輩が私に腹筋を撮らせてくれたらそれでいいんですよ? 解決します!」

「本当にか!?」


 あれ、撮らせてくれるっぽい? さっとカメラを取り出せば、呆れた顔をする。さすがに子供達が遊んでいる中で、腹筋を出せとは言えないけど、先輩がどうしても公園のド真ん中で、腹筋を出したいと言うのなら喜んで撮っちゃう!!


「さあさあ! 一枚だけでいいんで! そうすれば、私も仕事に集中出来て……」

「本当だな?」

「えっ? ま、ま、まさか、先輩!?」


 するりと、カメラを構えている私の手に片手を添えてきた。一気に脈拍数が速くなる。きょ、今日は恋の芽を摘むキャンペーンをしなくちゃいけなくて、先輩はこういうことをしたらドン引きするはずで……。私の調子も計算も、何もかもが狂ってゆく。どぎまぎしながら見つめていると、銀混じりの青灰色の瞳を、ゆっくりと細めていった。口元には妖しい笑みが浮かんでいる。


「本当に、撮らせてやったらもう騒がないんだな?」

「……」

「熱中症寸前、って顔してるな。冗談だ」

「ええええええっ!? 私のこと、からかったんですか!? 今!」

「撮らせるとしても、こんな真昼間の公園でじゃない」

「そ、そうですか……」


 あれ? 墓穴掘ってない!? 私! 恋の芽を摘むキャンペーンとか何とか言っておいて、進んで良い雰囲気にしちゃってるんじゃ!? 首筋が熱い、また顔が見れない。黙って後ろを歩き、公園から出ようとしたその時、女性の悲鳴が聞こえてきた。


「誰かーっ! ひったくり、ひったくりだから捕まえて!!」

「えっ?」


 ひったくり。ひったくり!? 慌てて見てみると、膝をすりむいたのか、歩道に女性が座り込んでいる。指差す方向には確かに、黒いパーカー姿の男二人組がバイクに乗って逃走している。あああああっ、どうしよう!?


「先輩! バイクを足止めする魔術とかっ」

「アヒルを降らせるなよ、フィオナ! 悪い、俺の服を回収してくれ!」

「はいいいっ!? ええええっ!?」


 ばさっと、深紅色の制服が地面に落ちる。先輩が春の陽射しを浴びて、光り輝く銀色のトラに変身していた。は、初めて見た、先輩のトラ姿! 息を呑み込んでいると、だっと、目にも止まらぬ速さで駆け出した。す、すごい、速い! あっという間に銀色のトラがぐんぐんと、私から離れてゆく。あれならバイクに追いつけるかも。


「あっ、先輩の服、回収って……」


 回収!? 回収。え、もしかして先輩って今、全裸なの!? ト、トラだから大丈夫か。ぐちゃっとなった深紅色の制服を見下ろす。この中にパンツと、汗取りインナーが混じってるんじゃ……。で、でも、私はそこまで変態じゃないし!! こんな真昼間の歩道で、先輩の下着をくんくんと嗅ぐような変態じゃないし! でも、汗の匂いをちょっとだけ嗅いでみたいかもしれない。


 猛り狂う自分の変態心と死闘を繰り広げながら、ぎゅっと目をつぶって、深紅色の制服を抱える。ああああっ、なんかほんのり良い匂いがする! 甘い柑橘系みたいな良い香りがする!!


(考えないようにしよう、大丈夫! 私は大丈夫、そこまでの変態じゃないはずだから!)


 目をつぶりながら走っていると、今度は「うわぁっ!?」という叫び声が聞こえてきた。おそるおそる目を開けてみると、歩道から、銀色のトラがバイクに乗った男達に飛びついているところだった。む、無茶だ! 事故る! でも、バイクから落ちた男を、ぼわんっと白いクッションが受け止める。と同時に、道路に赤いガードレールが二つ現われた。先輩、すごい。一気に魔術を行使したんだ、それも怪我をさせないために。


「すごいなぁ~……。私、アヒルを降らせるかタオルを乾かすしか出来ないのに。先輩はすごいなぁ」


 こんなこと言ったら怒られそう、ははっ。虚ろな目をしつつ、「先輩~!」と言って駆け寄る。二人の男は気絶していた。トラ姿の先輩にびびったのかも? 失禁してるから、見ないようにしようっと。私が目を背けつつ、頑張って盗まれたトートバッグを拾いあげていれば、のそのそと先輩が近寄ってきた。美しい銀色の毛並みに、銀が混じった青灰色の眼差し。は~、素敵すぎる!! イケメンなトラって感じ。


「ありがとう、フィオナ。服を持って来てくれて」

「いえいえ! ふふっ、あとでもふもふしてもいいですか!?」

「だめだ。何度も言ってるが、そういうことは家族か恋人にしかさせたくない。悪いが、こいつらを人形化してくれないか?」

「あっ、はい! 分かりました」


 人体に直接魔術をかけて、何かに変身させることは法律で禁じられている。だから、魔術道具を使うらしい。ポケットからバーナーにしか見えない魔術道具を取り出し、気絶している男達の体にぴたっと当てる。すぐさま、縮んで人形になった。相変わらず、可愛さの欠片もない人形……。慌てて拾い上げ、腕に抱える。あとでポケットに入れようっと。


「お疲れ様です、先輩! どうしますか? その姿のままで警察署に行きますか?」

「いや……とりあえず一旦、歩道に戻るか」

「はい! ちなみにど、どこで着替えるんですか? この服、貰ってもいいですか!?」

「いいわけねぇだろ、アホか! 俺を全裸で歩かせる気か!?」

「そうだ、靴が無いんですけど、一体どこに……?」

「ああ。靴は獣人専用のやつで、俺の足首にアンクレットとしてはまってる」

「へーっ!? 本当だ」


 覗き込んでみると、後ろ足に金色のアンクレットがはまっていた。へー、おしゃれ。続々と車がやってきたので、ひとまず歩道へ戻り、先輩がさっきのガードレールを消す。それにしても、ふわっふわのつやっつやの銀色の毛並み! 触りたい~、眩しすぎて辛い~。でも、無断で触ると、嫌がられそうだから触れない。ふと、歩いているトラ姿の先輩を見て、あることに気がついた。


「そ、そうだ、先輩! キンタマは!? 一体どうなってるんですか!? ぷらぷらさせて歩いてるんですよね?」

「お前な!! いい加減にしろよ!? この間からうんこだの何だのと!」

「す、すみません……気になっちゃって、つい。この中にパンツ入ってますよね? ブリーフですか? それとも、トランクスですか?」

「税関の職員みたいな顔して、聞きやがって! 言わない。どうしても教えて欲しけりゃ、お前も言え」

「ええええええっ!? 先輩、そういうセクハラ発言するような人には見えなかったんですけど!?」

「冗談に決まってるだろうが! それに、自分の発言を棚に上げやがって……じゃあ、お前のその発言は何なんだ? 一体、どういう気持ちで聞いているんだ?」

「じゅ、純粋な知的好奇心から聞いていますけど……!?」

「本当に嘘を吐くのが下手だよなぁ、フィオナは。せめて、俺の目をまっすぐ見て言え! あからさまに、うろちょろと視線を彷徨わせて言うなよ」

「す、すみませんでした……」


 よしよし、これでよし! 先輩の中で私の好感度、だだ下がり! それにしても、昨日は焦っちゃったな~……。ついうっかり、ぼそっと「ああ、だから綺麗なのか」と言われたことを思い出し、耳が熱くなる。で、でも、大丈夫大丈夫! この間からうんこだのキンタマだの言ってるから、先輩の中で私は気になる女性にカウントされていないはず。


 被害にあった女性にバッグを渡したあと、公園に戻る。どうするのかなと思っていたら、隅の方にある雑木林へ移動した。大きな石が積まれていて、芝生と雑木林を区切っている。


「ここ、公衆トイレが無いんだよな~……。動き回って通行人を驚かせたくはないし、向こうの茂みで着替えてくる」

「あ~、確かに。一瞬動物園から逃げてきた!? って思っちゃうんですよね。でも、私が傍にいれば大丈夫なんじゃ? えーっと、この辺でトイレって」

「かなり離れたところにトイレつきの公園があるが、面倒臭いからここで着替える。でも、大丈夫だ。布を出して着替えるから、見張っててくれないか? そういう心配はあまりいらなさそうだが……」

「はっ、はい! お任せください! 誰にもつるんとした、先輩のお尻を見せません!!」

「いいか!? 絶対に絶対にのぞくなよ!? セクハラだからな!?」

「もっ、もももももちろんです! 先輩の可愛い後輩ですからね、私は。神に誓って覗きませんとも、はい!」

「嘘臭ぇ……」

「先輩!!」


 じっとりとした、銀混じりの青灰色の瞳で見上げてくる。ああ、なんて可愛いの! この大きな頭を抱え込んで、ふがふがして撫で回したい……!! 私が己の欲望を必死でねじ伏せていると、溜め息を吐き、両腕から垂れ下がっている深紅の袖を引っ張った。きゃわいい~! 口であむってしてる~!


「もういいから、俺の制服を返してくれ」

「ちょっと待ってください、匂いを嗅がせてください! コロン、何使ってますか?」

「……ジーウの夜明けに嗅ぐ、ライムとバニラの香り」

「ぎゃーっ、素敵すぎません!? そうだ、ジーウってユニセックスのコロンよく売ってますよね!? 今度一緒に買いに行きません!?」

「行かない。それじゃあな、覗くなよ?」

「あっ、はい。覗きませんとも、うふふふ」

「覗く気満々だろ、ったく……」


 先輩がずるずると、深紅の制服を引き摺って、茂みの向こうへと消えた。わくわくして待っていたら急に、木と木の間に白い布が出現する。はぁん、見られないようにされてるーっ! 神に誓ったとは言えども、私は無神論者。今度こそ彼と幸せになれますようにって、愛の女神に誓ったところ、散々浮気されたからもう信じないようにしてる。浮気する男なんてみんな、死ねばいいのに……。心の中で呪詛を吐きながら、先輩が油断する時を今か今かと待つ。


(先輩のことだから絶対に絶対に、数分間はあいつ、覗くんじゃねぇかと思って警戒してる……。でも、私は先輩のすらりとした筋肉質の足や、ぷりんとしたお尻が見たいから、じっと我慢して待つ。そう、ご褒美が得られるのは、覗きという目標が達成出来るのは、辛抱強く待った変態のみである……!!)


 精神統一をしながら、二分ほど待つ。よし、もういいはず。どっ、どどどどうか先輩が着替え終わっていませんように! 音を立てないように、地面の枝葉を踏みしめ、白い布に近付く。心臓は爆発寸前だった。み、見たい! ズボンの上からでも分かる、先輩のぷりんとした素敵なお尻が見たい……。


 その時、柔らかな春の風が頬を撫で、ドキドキした。私、こんな麗らかな春の日に、どうしてこんなことをしてるんだろう? ちょっとだけ虚しくなってきたけど、この白い布の向こうに、着替え中の先輩がいるかと思うと、そんな虚しさも吹っ飛ぶ。でも、少しだけ罪悪感で胸が痛んだ。


(ご、ごめんなさい、先輩! セクハラしちゃうような、どうしようもない変態の後輩で! あれだったらお金を払います! あなたの裸を見た代を渡すので、どうか許してください……)


 そっと、白い布の隙間に顔を押し当て、覗く。ちょうど、先輩が白いインナーを着ようとしているところだった。思いがけず、素晴らしく立派な背筋を見ることが出来て、泣きそうになる。だ、だめだ、だめだ!! 息がふんがーって出ちゃいそう……。口元を押さえ、なだらかに盛り上がった背筋を凝視する。ああ、なんて美しいの。


 誰かこの背筋の型を取って、美術館に展示してください。毎日見に行きます! 感動して打ち震えていると、次は白いシャツを手に取った。残念ながら、もうしっかりとズボンを履いてる。ですよねー……。真っ先にパンツ履きますよね? 残念。でも、あの美しい背筋が見れたから大満足。


(写真!! いや、着替えを盗撮するような犯罪者に成り下がりたくはないっ!)


 先輩の体があまりにも魅力的すぎて、犯罪者になってしまいそう……。視線の先で先輩が白いシャツに腕を通し、ボタンを留める。ああっ、丁寧に留めてる感じがたまらない! 上手く言えないけど、彼氏感がある。うへへへへ。私が両手で口元を押さえながら、にやにや笑っていると、急に先輩がこっちを振り向いた。ぎくりと、体が硬直する。


「っおい! 見るなって言ってたのに!!」

「ごっ、ごめんなさい! でも、お尻は見ていませんよ!? 背筋だけです!」

「それならまあ……いや、良くないか。フィオナ?」

「ふぁいっ!?」


 深紅のジャケットを羽織って、白いシャツの隙間から、逞しい胸元を見せている先輩が怒った表情を浮かべ、近付いてくる。あああああっ、怒られるのも大歓迎です……!! 白い布にしがみついていると、ぱっと消えた。握り締めるものが無くなる。


「あっ、あの、先輩? せめて、ボタンを上まで留めてからにして貰えませんか!? 鼻血が噴き出ちゃいそうなんですけど……!!」

「覗くなって言っただろ? フィオナ」


 声があまり怒っていなくて、甘い。震える私の手を握り締め、ふっと笑う。頭の血管がぶちんと、切れたような気がした。でも、代わりに切れたのは鼻の血管だった。


「うわっ!?」

「す、すみません……!! 予想通り、鼻血が出てきちゃいました。あの、汚れちゃうから早く離れて、」

「お前なぁ! ほら、ティッシュティッシュ」

「ぶあっ!?」


 先輩がポケットからティッシュを出して、私の鼻先に押し付ける。爽やかな風が吹いて、火照った首筋や頬を冷ましていった。


「いやぁ~……まさか、自分でも本当に鼻血が出るとは思ってもみませんでした。すみません、こんな変態の後輩で」

「いや、慣れてきたからいい。大丈夫だ。それよりも鼻血、大丈夫か? 収まらないようなら、病院に行こう」

「先輩って本当に優しいですよね……。ふぁい、ちょっとは収まってきたので大丈夫です」


 公園のベンチに腰かけながら、女神像の噴水を眺める。まさか、自分がここまで変態だったとは……。でも、恋の芽を摘むキャンペーンは成功したっぽいし、これで一安心! しかし次の瞬間、先輩の一言で失敗したということを思い知らされ、撃沈する。


「ああ、なら良かった。じゃ、止まったら仕事に戻るか。それと、半裸は撮らせてやれねぇが、プールなら一緒に行けるぞ?」

「……はい?」

「年中やっているところがあるから、そこに行ってみるか?」


 先輩はいたって真面目な顔をしていた。私の中の天使と悪魔が殺し合いをした末に、悪魔が勝利してしまった。


「じゃ、じゃあ、行こうかな……? この辺にそんなプール、ありましたっけ?」

「車で四十分ほどのところにある。現地集合、現地解散にするか。駅からバスも出てるし」

「は、はい。じゃあ、今度の休みはニコ君とステラちゃんと飲みに行くので、その次に、」

「あ、俺もその飲み会行くから。ニコラスが余計なことしねぇか、どうも心配だ」


 お、おかしい。先輩がおかしい!! 最初はもうちょっと塩対応だったのに、こんなはずじゃ……。焦ってごくりと、生唾を飲み込んでいれば、先輩が立ち上がって伸びをした。見事な背筋だった。さっき見た背筋がチラついてしまう。


「フィオナ? どうした? ……俺が参加するのは嫌か?」

「はははっ、いやいや! 大歓迎ですよ! でも先輩、お酒飲めませんよね? 下戸ですよね!? やめておいた方がいいんじゃ、」

「ノンアルにするから大丈夫だ。そろそろ仕事に戻りたいんだが、どうだ? 鼻の調子は」

「あっ、はい。すっかり止まりました……」


 先輩の甘さが加速していて、止まらない。こ、これはどうすればいいんだろう!? 早急に打つ手を考える必要があるっ……!!





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