11.先輩のそれって計算ですか? それとも天然ですか
「それで、先輩にみっちり勉強させられちゃってさ~。でも、最後はちゃんと家まで送ってくれたし、ものすごーくしぶしぶだったけど写真を一枚撮らせてくれた!! 楽しかった~!」
「良かったねえ、フィオナちゃん。それにしても、あいつが撮らせるなんて……ふふっ」
向かいに座っているステラちゃんがフォークを持ったまま、肩を震わせる。一緒に食堂で食べましょうよって誘ったのに、先輩に断られちゃったから、ニコ君とステラちゃんと一緒にお昼ご飯を食べてる。初めてこの食堂に来た時は、先輩の顔に夢中で気付かなかったけど、かなり綺麗なところだった。カフェみたい!
白いタイル張りの床に、さんさんと降り注ぐ陽の光。奥のガラスドアから、大きな木がある中庭に出れるみたいで、本当におしゃれ! 今日はこの空間にぴったりな、ジェノベーゼパスタとサラダ、スープのセットにしておいた。くるくると、緑色のパスタをフォークで巻く。
「それにしても、先輩優しくない!? 普段どんな感じ? ニコ君とステラちゃんに対して、どんな感じが気になる~」
「え~? ぜんぜん優しくないよ? バディが風邪になった時、ちょっと組んだことあるけど最悪だったもん。しなくてもいいことをするし、いちいちうるさいし」
ステラちゃんが可愛らしく、くちびるをとがらせながら、切り分けたチキンを口へと運んだ。ふふふ、可愛い~。この短い金髪と青い瞳がたまらなく可愛い! ニコ君は生意気だけど、一応イケメンっちゃイケメンだし、美男美女が並んでいるのいい~。私がにやにや笑っていると、ステラちゃんの隣に座ったニコ君が、物言いたげにオープンサンドを持ち上げる。スモークサーモンと赤玉ねぎ、魚卵がたっぷりのせられていて美味しそうだった。オニオンスープとチーズケーキがセットでついてくる。
「先輩は俺に対しても厳しいですよ。以前、下着泥棒の肋骨を何本か折ったら怒られました」
「いやっ、それはそうじゃない!? さすがの先輩も怒っちゃうよ!?」
「大丈夫です。きっと、彼は肋骨を折られる覚悟で女性の下着を盗んでいましたから」
「ちょっと待って、友達? それって友達!? 絶対に違うよね!? 見ず知らずの犯罪者だよね? 言い切らない方が良いと思うんだけどぁ……」
「俺、人の心が読めるんですよ。折られてもいいと思っていました、犯人の男は」
「っぶふ、真顔でとんでもない嘘吐くね!? ニコ君は!」
「でしょでしょ? ニコラス君、こういうところがあるからさ~。気をつけた方がいいよ、フィオナちゃん」
「うん、そうする~。ありがとう、ステラちゃん!」
「人の目の前で……」
真面目かと思ったら、意外と変わってた。面白い! でも、先輩が「過激だから気をつけろ」って言ってたし、気をつけよう……。昨日の夜も電話したけど。あのあと、がっつり二時間ほど話したせいで寝不足。でも、変な元カノ話は歓迎。ニコ君とゲスい話で盛り上がってしまった。
「それにしても、そっかぁ~。もしかして、先輩が優しいのって私にだけ!? あの双子の、誰だったかな?」
「シンディーちゃん? それともお兄さんのマシュー?」
「そうそう、シンディーちゃん! あの子ともなんか、打ち解けてる感じじゃなかったし……。先輩と仲が良い女子っている? てか、まだ全員に会ったことないよね? 私」
「みんながみんな、部署にいるわけじゃないからね~。基本的には外回り中心の仕事だし。ジュリアナさんとは会った? あの人とは比較的普通に話してるよ。ぜんっぜん楽しそうじゃないけど、喋ってて」
「へ~。会ったことないなぁ、まだ。でも、名前だけ聞いたことある」
「フィオナさんが好きそうなケバい美女ですよ」
「いやいや、ジュリアナさんはケバくないでしょ! 豪華な感じの美女でしょ? あれぐらいでケバいって言う~?」
「だって、メイクが濃いし……」
「美女かぁ、うへへへ」
結婚詐欺師だったりするのかなぁ? 私としては、美女には前科持ちでいて欲しい……。こう、わくわくする。でも、出来れば軽めの罪であって欲しい。美人局とか恐喝とか、詐欺とか。色々考え込んでいると、ニコ君が綺麗な眉をひそめ、私のお皿をフォークで指し示す。
「早く食べたらどうですか? フィオナさん。時間がいくらあっても足りませんよ?」
「ありがとう~! 食べる! それにしても、ニコ君が食べてるそれ、美味しそうだよね。私、次それ頼もうかなぁ。どうしても、バジルが食べたくてこのパスタにしちゃったけど」
「あ、一口食べますか?」
「えっ?」
「おおっ?」
私が声を上げたのと同時に、ステラちゃんが青い瞳を瞠る。あ、やっぱりそうなんだ!? こういうこと、普段は言わない子なんだ? ちょっと呆然として見ていれば、生真面目な顔つきでぐいっと、オープンサンドを差し出してきた。ライトに照らされ、スモークサーモンにのってる魚卵がつやつやしてる。お、美味しそう! これは食べなくちゃという気にさせられるぞ……。
「ほ、本当にいいの?」
「どうぞ」
「ありがとう! じゃ、いただきまーすっ」
「フィオナちゃん、ノリが軽いね~」
「よふ言われふぅ~。んっ、おいひい! ここのっへどれもおいひいね~」
「でしょう? 俺のお気に入りメニューの一つなんですよ」
しれっと、私が齧りついたオープンサンドを食べる。下心があるのか無いのか、いまいちよく分かんないな~……。何も考えてないだけかも? それにしても、美味しい! 薫り高いスモークサーモンに、ぷちぷちした魚卵とオリーブオイルが絡まってる。少し酸味があるソースと、しゃきしゃき玉ねぎの相性も良い。パンがかりっとしていて美味しかった。そこまで硬くないバゲットでちょうどいい。
「あ~、おいひ~! ありがとう、くれて。さっ、パスタ食べようかな?」
「ねえねえ、ニコラス君? 私にもくれない? それ。そういうこと、今までしてくれたことないよね?」
「……」
「あれ? だんまり? ヒューに言いつけちゃおうっかな~」
「どうして、そこで先輩の名前が出てくるんですか? 大体、付き合ってもいないのに……」
「分かんないよ? 付き合うかもしれないじゃん。それに、私はあいつとフィオナちゃんに付き合って欲しいんだよね~」
「ええっ!? なんで!?」
「からかうネタが出来るから? 恋愛すると、獣人ってよわよわになっちゃうし。繊細になったあいつが見た~い」
「ああっ、そういう!? でも、好きじゃないし付き合わないよ……。大体、先輩は私のこと変態女子だって認識してるし! でも、いいの。それで。先輩の嫌がる顔を愛でていきたいから、私」
「恋する乙女の顔で、とんでもないことを言いますね……」
どうしてか、ニコ君がぞっとした顔になる。なんで? 好みの顔がちょっと嫌そうにしているのが、ううん、そうじゃなくて私は先輩の嫌そうな顔が好きなのっ!! あの「うわぁ……」って言いたげな顔を見てると、テンションが上がって嬉しくなる。だから、好きじゃないの。別に。付き合わなくったって、後輩として可愛がって貰えて、あの顔を見てきゃあきゃあ騒げたらそれで……。ふと、昨日のやり取りを思い出した。あの真剣な、銀混じりの青灰色の瞳。心臓を撃ち抜かれたかと思った。
『フィオナが良い女だってことが分からなかっただけだろ。よって、悩む必要はまったく無し』
ぶわっと、一気に耳が熱くなる。思い出すと、しゅわしゅわの炭酸に心臓が浸ったような気持ちになる。甘酸っぱくてふわふわしてしまう。春の夜特有の甘い香りが漂う中で、笑ってた。振り返ったから、アパートの廊下から手を振って、そしたら笑って振り返してくれて……。思わずフォークを手放し、頭を抱える。
「ああああああっ、だめだだめだ!! 先輩がちょっとだけ、ちょっとだけ甘いことを言ってくるんだけど!? 己の面食いが憎い! こ、これはだめだ、ステラちゃん? 私、先輩にあまり嫌われず、でも、ほどほどに好かれたい……」
「難しいね~、ふふふ。嫌われたいの? 好かれたいの? どっち?」
「可愛い後輩になりたい!! 職場で一番可愛がられる後輩になりたいんだけど、そういう目で見られたくないの! でも、どうしよう? きゅんきゅんしちゃってる自分がいるんですけど! ほんっとうに刺されかけて、付きまとわれて反省したはずなのに、私ってばもう。お母さんの男を顔で選んじゃだめよっていう、重たい忠告をすっかり忘れて、先輩にときめいちゃってる……!! 自己嫌悪!」
「あらぁ~、大変なことになってるのね? なんか」
「えっ!?」
「あっ、ジュリアナさん。どうしたの?」
ステラちゃんが振り返った先にいたのは、豊かに波打つ赤茶色の髪を持った美女。まっ、まつげがバシバシ……。何を考えているのかよく分からない、気怠げな栗色の瞳がこっちを見下ろしていた。む、胸がぱっつんぱっつん! 同じ深紅の制服を着てるから、その大きさの違いは一目瞭然。すごい。でも、次の瞬間、そこに先輩が立っているのを見て、凍りついた。時が止まる。あきらかに話を聞いていたであろう先輩が、気まずそうな顔をしていた。
「……先輩」
「いえね? 面白い新人ちゃんが入ってきたって聞いたから、会いに来たんだけど。お邪魔だったかしら?」
「いっ、いえいえ! 初めまして、ジュリアナさん。フィオナ・ハートリーです……」
「よろしく~」
ああああああっ、恥ずかしすぎる!! 先輩がいるとは知らずにときめいてるとか言っちゃった、どうしよう!? でも、先輩はこういう時、聞こえないふりをしてくれるような男性だろうから、そつのない笑みを浮かべてやり過ごすしかない! 頼む~、何かの奇跡が起きて、話がまったく聞こえてなきゃいいんだけど~。でも、確か獣人って確か耳がいいよね? だって、ぴんと立ってるよね? 先輩のきゃわわなトラ耳、ぴんと立ってるよね!? 絶対絶対聞こえてたよね? 昨日、ときめいちゃったって話……。
(せっかく昨日、うんこうんこって連呼して、雰囲気をぶち壊しにしたのに……。送って貰った時も、ハアハア息を荒げて腹筋に触らせてください! って言って、雰囲気を丁寧に壊しておいたのに!)
元通りになっちゃったじゃん! 気まずい……。私が汗をだらだら掻いていると、気付きもせず、ジュリアナさんがあっさりと言い放つ。
「私も一緒に食べていーい? あと、フィオナちゃんとがちゃんと食べてるかどうか、ヒューは心配なんですって。親でもないのに、過保護よね~」
「いや、俺はそういう心配をしているわけじゃないんですけど……」
「せっかくだから、ほら! あんたはフィオナちゃんの隣に座れば?」
「……何か企んでやがるな? 性悪女」
「私が性悪なの、あんたに対してだけだから。自分が嫌われてるっていうのを自覚しないで、勝手に性悪って決めつけるのやめてくれない? それ、最高にダサいよ?」
「ちょっと注意したぐらいで、ネチネチとしつこく根に持ちやがって……」
「あんたは注意の仕方がなってないの! 確かに私にも悪いところはあったよ? あったけどさ、ああいう言い方をされると本当に腹立つ!! 言葉選びがマジでド下手くそ」
ステラちゃんと先輩の間で、バチバチと火花が飛び散る。ほ、本当に仲が悪いんだ!? ここまで険悪になってるの、初めて見た……。でも、ステラちゃんはいつものにっこり笑顔を浮かべている。だけど、目が笑ってなかった。怖い。一方の先輩はすごく眉間にシワを寄せて、イラっとした顔になってる。ニコラス君とジュリアナさんは慣れているのか、平然と食べ続けていた。
「まっ、まあまあ、落ち着きましょうよ! ほら、ステラちゃんもあんまり先輩のこと煽らないで? お昼休憩終わっちゃうし」
「ごめんね~? でも、気にしないで? 所構わずバトルするけど、こいつとは」
「きっ、気になるよ~……!!」
「フィオナ、そっちに座ってもいいか? ニコラスの隣、空いてないし」
「どっ、どうぞ……?」
いつもとは違っておずおずと、遠慮がちに椅子を指差し、聞いてきた。ああああっ、気を使われてしまってる! いっそのこと、にやにや笑いながら聞いて欲しかったんだけどなぁ……。恥ずかしい、顔から火が噴き出てしまいそう。
私がうつむいていれば、そっと丁寧に椅子を引き、隣に腰かける。興味深そうな顔でもぐもぐと、ニコラス君がオープンサンドを頬張っていた。ジュリアナさんは私に会いに来たって言うわりには、無視して黙々と、何枚もあるカツレツを食べている。あれって、もしかして大盛りなの……? ああ、先輩の顔が見れない。顔を見るために、就職したのに。
「……フィオナ」
「へっ? は、はい!?」
「食べないのか? 残すのなら確か、店員に言えば箱に詰めて……」
「いっ、いえいえ!! 食べますとも、はい! そうだ、先輩は今日のお昼、何を食べたんですか?」
「肉。激安のステーキ店がオープンしたって友達から聞いたから、そこに行ってきた」
「へ~、やっぱり獣人だからお肉が好きなんですか?」
「そうだな。野菜を食いすぎると腹壊すから」
「それは知りませんでした! あれ? でも、サラダ食べてましたよね? どれぐらいの量を食べると、お腹を壊しちゃうんですか?」
「んん? どれくらい……? よく考えて食ってないからなぁ」
先輩が二の腕を組んだまま、ちょっと上の方を見つめる。ああっ、かっこいい。ようやく横顔が見れた! 綺麗なEラインができてる。先輩って前から見ても、後ろから見ても、横から見てもかっこいいんですけど……? 今度、地面に這いつくばって見てみようかなぁ。きっと、下から見る先輩もかっこいい。嫌そうな顔して、私の背中を軽く踏んでくれないかな。しばし妄想の海を漂っていると、先輩が眉をひそめ、両手を広げた。
「うーん、これぐらいか? しゃれた店に出てくる、小さいサラダボウルぐらいの量を食べれば、もうそれで事足りるから……」
「へー、便利ですね!」
「便利って、お前な」
「だって、こっちは食物繊維不足を常に気にかけなくちゃいけないんですよ……? 私、ちょっとでも野菜を食べるのサボると、あっという間にニキビが出来ちゃうんですよね~。美肌作りには腸活が欠かせないから、本当にもう、」
「ああ、だから綺麗なのか」
ぼそっと、呟くように言った。それが胸に突き刺さって、耳が熱くなる。て、天然? それとも計算!? 先輩のこういう言動が計算なのか、それとも何も考えていないのか、よく分からなくて困惑してしまう……。余計なこと言わなきゃいいのに、ニコラス君が余計なことを言った。
「……フィオナさん、顔が真っ赤ですよ?」
「うっ、えっ!? き、気にしないでよ、もう! 普通そこは黙ってるべきじゃない!?」
「すみません。ニキビが突然、顔中に出来たかのような赤さだったので……」
「嫌な例え方をする!! も~、傷付くんですけど!?」
「本当にアディントン先輩のこと、好きじゃないんですか?」
こっ、こっ、こいつ……!! ニコ君がじっと、蜂蜜色の瞳で真剣に見つめてくる。は、恥ずかしすぎて泣きそう。藁にもすがる思いでステラちゃんを見てみれば、面白がってにやにやと笑ってた。ああああああっ! 頼れなさそう! ジュリアナさんは真顔でもっしゃもっしゃと、レタスを食べてる。口の端から出てますよ、レタスが……。先輩はどうだろう? どういう顔をしてるんだろう。怖いもの見たさでつい、振り返ってしまった。そのとたん、目が合う。意外にも、困惑した表情になっていた。優しさを帯びた青灰色の瞳が、私のことを見下ろしている。その瞬間、涙が滲んでしまう。
「わっ、私、別に先輩のこと好きじゃないですからね!? ニコ君もニコ君でそういうこと聞かないでくれる!? 気まずくなっちゃうじゃん、先輩と!」
「ああ、分かってる。フィオナ、もう行くぞ。昼休みが終わるから」
「あっ、はい……。もうそんな時間ですか?」
先輩が椅子から立ち上がって、私のトレイを代わりに持つ。腕時計を見てみれば、十二時三十五分だった。え? まだ時間が残ってる。誰かが何かを言う前に、先輩がぐいっと私の手を引っ張って、移動した。気を使ってくれたんだ……。みんなが座っている席から絶対に見えない、ソファー席に移動する。白い月型のソファーがいくつも並んでいた。先輩がそこへ黙って腰をおろし、トレイを置く。戸惑っていれば、ぽんぽんと、すぐ横の座面を叩いた。
「ここに座れ、フィオナ。大丈夫だから」
「はっ、はい」
と、隣! 何故に隣……? おそるおそる腰をおろせば、二の腕を組み、ふーっと息を吐いて、後ろへもたれる。見てみると、両目を閉じていた。え、まつげなっが……。銀色のまつげが、浅黒い肌に影を落としている。もうこれ、芸術品かも。でも、イケメンと美女は座っているだけで、額縁の中にいる雰囲気を漂わせてるから。もうここに“私好みの最高すぎるイケメン”って書かれた、美術館にありそうな金色のプレートと額縁を引っ張ってきて、眠る先輩の前にかざしたい。凝視していると、口を開いた。くちびる薄いのが好きすぎて最高!!
「悪い、ニコラスが無神経なことを言って。あいつ、いつもああなんだよ……。たちが悪いことに、無神経な発言してるって自覚があって、ああいうことを言っている。頭の小さなネジが、何本か外れてるやつだと思って接した方がいい」
「あ、はい……。連れ出してくださってありがとうございます、ほっとしました。で、でも、どうして隣に座れと!?」
「顔。俺に見られたくなさそうな顔をしてたから」
「ああ、それでなんですね……」
だから、隣に座れと言ったんだ。ふぅん。フォークを持ち上げて、パスタを絡め取る。だから、いきなり目を閉じたんだ……。今も何も言わずに、両目を閉じている。なんだか無性にその頬にキスしたくなって、必死で己の欲望と戦う羽目になった。私がキスをすれば、先輩は一体なんて言うんだろう? 生ハムとチーズとバジルが盛りだくさんの、美味しいパスタの味がよく分からない。
(でも、付き合いたくはないなぁ。わがままなんだけど、付き合って面倒臭い話し合いとか、お互いの嫌なところとか、つい寂しくなってイライラしてしまったりとか、恋の熱が冷めて、しみじみと虚しくなる瞬間とか、永遠にやってこなくていい……。味わいたくない、そういう瞬間を)
きっと、先輩にも嫌なところがある。もちろん、私にもある。だから、嫌なところが見えない距離で騒いでいたい。無責任に優しくされたい。後輩以上、恋人未満の関係を築き上げて、美味しい甘酸っぱきゅんきゅんの部分だけ味わっていたい!! だから、ほんのり甘い空気を壊しておかないと。フォークがかつんと、お皿の底に当たってしまった。先輩はまだ両目を閉じて、寝たふりをしている。
「……先輩って、優しいですよね? 女慣れしてる」
「ん? 急にどうした、フィオナ」
「いえ、さぞかし女遊びが激しいんだろうなぁと」
「してねぇし、女遊びなんて。それに、そこまでモテねぇよ。かっこいいかっこいいなんて言って、騒ぐのはお前だけだ」
「え~? 話盛ってません? 信用出来ないんですけど。今まで散々失敗してきたから、男が信じられないんですよね……。男なんてみんな、浮気する生き物だと思ってます」
「まあ、そこまで嫌なやつに当たればな。そういう気持ちにもなるだろうなぁ」
ど、どうしてここで優しさを見せるんですか? 先輩。うぐっとなってしまったけど、耐えた。こ、壊さなくちゃ。雰囲気を壊さなくちゃ!!
「い、嫌な気持ちにならないんですか? 怒涛のごとく、愚痴っちゃいそうになるんですけど、私……」
「じゃ、今度の休みの日、聞いてやる。お前はもうちょい吐き出せ。なんか、重たい話でもへらへらと笑って話しそうだ。言いたいこと、溜めこみがちだろ? 全部」
あ、当たってる!! なんでバレてるの!? 気まずくなってしまった。もう、小細工なんて通用しない。一口だけパスタを食べて、飲み込んでから話す。
「ひょっとして先輩、エスパーなんですか?」
「なんでだよ。見りゃ分かる。実際、元彼に刺されかけた時もへらへら笑ってたしな……。覚えてるか? 警察に行かなくてもいいって言ってた時、青ざめて震えてたぞ。気の毒なぐらいに」
「えっ!? 震えてましたか!? 私!」
びっくりして見てみれば、両目を閉じながら笑う。かたくなに私の顔を見ようとしない。まるで、家のソファーでくつろいでいるみたい。時折、トラの耳がぴくりと動く。
「ああ、震えてたよ。笑顔こそ浮かべてたけどなぁ……。無理しなくてもいいのに。どうせ、心配かけるからって理由で友達にも話してないんだろ?」
「少しは話しましたけど?」
「自分好みのイケメンに会ったって、騒ぎながらか?」
「……」
「ほら、見てみろ。昨日も夜道が怖かったんだろ? 無理すんな、フィオナ」
じんわりと涙が出てきた。そこで名前を呼ぶのはずるいと思う。計算? 天然? どっちですか、先輩。黙ってパスタを食べていると、腕時計を見下ろした。眠たいからか、動きが鈍くて色気がある。
「……あと十分ほどか。食えそうだな、全部」
「はい」
「今日も仕事が終わったら勉強するぞ。それで大丈夫か?」
「はい。でも、カフェで毎日するんですか? お金が……」
「大丈夫だ、経費で落とすから」
「て、手厚い!! 大丈夫なんですか? 本当に!」
「大丈夫大丈夫。公務員で良かったな、俺達」
「確かにそうですね、先輩。じゃあ、行きましょうか。仕事しに!」
「ん、行くか」




