ある楽団員のひとり語り3
よろしくお願いします!
「ううっ・・・ヒック、ぼ・・・僕、トーマス・アンクラムはキャサリン・ウェイマス嬢と・・・婚約破棄する!」
いや、泣きながらって。
鼻水垂れてますよー。
えーと、今夜はカーライル伯爵主催の舞踏会。
私たち楽団員は泣きながら婚約破棄宣言した男のひと声で、視線を落としスンッて表情消したら楽器を膝に置いた。慣れたものです。
カーライル伯爵の長男であるトーマス・アンクラム様はまだヒックヒック言いながら(時折、鼻水を啜り)、一人の令嬢と対峙しております。対峙、でいいのかなぁ。
トーマス様の向かいの令嬢、キャサリン様は・・・困った顔をしていた。
その顔は子どもを心配する母親のそれである。
なぜキャサリン嬢の顔がわかるかって?顔は動かさず目だけ動かしているのだ。楽団員の嗜みみたいなもの。
「ごめんよ、こんな場所でなきゃ君を解放できないと思って」
「トーマス様・・・」
「こうしなきゃ君が自由になれないって、リリーが・・・」
「リリー、さん?」
「うん、メイドのリリー」
「メイドのリリーさん」
「そう、リリーが僕がキャサリンと結婚するとキャサリンが不幸になるって」
えええーぇぇ・・・。
メイド絡んできたぁ。
ある、あるある。
最近はなかったけど、メイドと戯れているうちに・・・ってやつはよく聞く。
身近にいる若い異性はね、こう、ね?
ああ、私、すっかり耳年増になっちゃった。
「私、メイドのリリーさんとは面識がないのですが、どうしてトーマス様が私と結婚すると私が不幸になるのかしら。トーマス様はご存知ですの?」
「それはっ・・・、それは!僕がまだ女性を知らないから!」
「は?」
なんで童◯の話?
「僕がこのまま結婚するとキャサリンのことをめちゃくちゃにしちゃうから、だからっ・・・だから、リリーが私と練習しましょうねって・・・。でも、僕はキャサリン以外とそんな事したくない!めちゃくちゃにしちゃうなら、婚約破棄した方が・・・いいかなって・・・」
「・・・トーマス様」
あー、これはアレですね。
お情け頂戴、あわよくば愛人に。といったところトーマス様が清純派だった、と。
・・・。
うん。
もしかしてトーマス様、天然?
あれかな。
カーライル伯爵家ではそっち方面のお勉強はなさってないのかな。
「ト、トトトトトトト・・・トーマスッ!」
「お父様!」
「な・・・なに、言ってるの?こんな場所で皆様の前で!」
「え、だってリリーが『じゃあ今度の舞踏会でキャサリン様に言ってみたらいかがですか』って。『その方がキャサリン様のためです』って」
「誰っ⁈リリーって!」
「リリーはうちのメイドです」
「〜〜〜メイドの話はもういいっ!トーマス!お前はこの場所で先の発言をしていいとおもっているのか!」
うん、これはもうメイドのリリーがトーマス様を落とせなかった腹いせに、貶める系で天然トーマス様を誘導したんですね、そうですね。
しかし天然トーマス様はどれだけバ・・・純粋なのかしら。これでは婚約者であるキャサリン様も天然トーマス様のことを“男”としてではなく“子ども”として見てしまうんじゃないかな。
「おじ様、落ち着いてください。私は今回、トーマス様の本心を伺うことができて嬉しいです」
「キャサリン嬢・・・?」
「私、これまでトーマス様と婚約者として節度あるお付き合いをしておりました。同時に、上辺だけの婚約者のようで淋しくもありました。
ですが、トーマス様は私のことを大切に想っていてくださった。端ない娘とお思いになるかもしれません。ですが!・・・ですが、私は嬉しいのです。私を欲しているトーマス様が、私を求めているトーマス様のことが!」
「キャサリン嬢・・・そんなに息子のことを想って・・・!
ぐぬぅ!皆様!わざわざ我がカーライル家の舞踏会にお越しくださったのに、ご迷惑をおかけいたしました。愚息よ、お前はキャサリン嬢を大切にするのだぞ!!」
涙を隠さずカーライル伯爵は天然トーマス様の頭を下げさせてお詫びした。
天然トーマス様も事態がわかったのか涙ながらに謝罪している。
キャサリン様は・・・キャサリン様の目尻に涙がキラリと光ってる。そして綺麗なカーテシーをした。それに周りの貴族から温かな拍手が送られた。
あ、第一バイオリンのバルトさんが楽団員皆んなに目配せしてる。
はい、そうですね。ここで音楽ですよね。むしろここで音楽ですよね!
仕事しまーす!
あー、やれやれ。
キャサリン様が情熱的な熱弁をふるわれたからこそ、まーるく収まったんだろうな。
うん、あれよ。
貴族は基本、政略結婚。
好きでもない相手との結婚がほぼ確定。人生の半分以上、そんな相手と一緒に暮らしていかなきゃいけない。
でも天然トーマス様は破廉恥な発言はあったものの、キャサリン様・大好き!って言ったようなもの。そしてそれに応えたキャサリン様の熱弁のおかげで大事にならなかった。
婚約破棄にならなくて良かった!
ホッとしながら仕事を終えて帰る頃。
おっと!
私ったらハンカチ忘れちゃったよ。
楽団員の皆から別行動で、会場の端に戻ってきた。
あ!
あった、あった!
ルナ様から頂戴したハンカチ。私のイニシャルが刺繍されてるんだよね。大切にしなきゃなのに、こんのうっかりさんめ!
「あーほんま、なんでやねん。なんでメイドなんかの話に騙されんねん、あの天然は」
ん?
カーンサーイ語?
え、私なにも喋ってないよ?
「あー疲れた。ほんまなんぎ(困った)なやっちゃなぁ。ま、天然なところがええねんけどな。知らんけど」
こ、ここここここ、この声は!
「でも上手くいったわ。みーんなウチのセリフとお辞儀でなんかええ感じになったわ。知らんけど」
って、うーんって気持ち良さげに伸びしてる。
キャサリン様、カーンサーイ語の人なん⁈
「その通り。キャサリン・ウェイマス様はカーンサーイ地方が領地のリンジー子爵のご令嬢よ」
「ル、ルナ様!!」
「うふふ、ごきげんよう」
また心の声を、読まれた⁈
「それにしても。なぜキャサリン様は肯定の後に否定なさるのかしらね」
「肯定の後に否定?」
「ええ、上手くいったと言うのに『知らんけど』?かしら。発音がむずかしいわ・・・。あれはカーンサーイ語よね。独特だわ」
私は、とうとうルナ様に『知らんけど』が知られてしまいショックに打ちひしがれた。
「ねえ、あなたは知っていて?『知らんけど』って」
そう言って、とてもキラキラした目で私を見る。
か、勘弁してください〜〜〜!
おしまい
ありがとうございます!