閉じた空 (小林秀雄が経験できなかった敗北について)
「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云つた。斯う云ひ得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。
以上の文は夏目漱石の「それから」から取ってきた文章だ。これは主人公代助の心情を語った場面で、「自然の昔」とはこれまでの自分を振り捨てて、自己の感情に忠実となって、自身の恋愛を進めようとする事を意味している。
漱石は、主人公代助の恋愛に傾く心を「自然」と言っている。また、上記の文章の後には次のような表現も見られる。
何故もつと早く帰る事が出来なかつたのかと思つた。始めから何故自然に抵抗したのかと思つた。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、慾得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。さうして凡てが幸であつた。だから凡てが美しかつた。
代助の行う恋愛は不倫であり、許されぬ恋である。それが何故「自然」なのか。何故「生命の裏にも表にも、欲得はなかった」のか、考えてみれば難しい問題に違いない。
私は、小説というものはそもそも何であるのか、と考えてみる。小説は「小さな説」と書く。焦点を個人に絞るからだ。
しかし、個人は多数の人間が構成する社会という観点からすれば、ただの小さな部分にすぎない。ある人間がいかに深刻な人生を送っていようが、人間が一億いるとしたら、その人間は所詮は一億分の一にすぎない。それでは、何故、その人間の人生を他者に語る必要があるのだろうか? どうしてその人生にはそんな意味があるのだろうか?
私は遅まきながら、ようやく、社会と個人というものの関係に、自分の頭が達しつつある。ようやくそこに至ったか、と考えると自分の頭の悪さには驚くばかりだ。
しかし、頭が良いというのは果たしてどういう事だろう? …私は小林秀雄の事を考える。小林秀雄は批評の神様と呼ばれる存在だ。私が最も影響を受けた人でもある。しかし、小林は、戦争という大きな社会的現実がやってきた時、それについて思考するのを放棄した。「彼は文士もまた一兵卒として戦うだけだ」という事を言っていた。
小林秀雄が戦争を肯定したから駄目だ、と私は言いたいわけではない。ただ、小林秀雄は戦争のような巨大な現実を扱う視野そのものを自分の知性の中に持っていなかった。この事は、以前のエッセイで、藤海さんに教えてもらったような事、明治政府の施策によって、公の中に無限に私が流れ込むという過程と一致している。
小林秀雄の「私」は、戦争とか社会のような「公」と分離されていると、本人は思っていた。彼は根っからの政治嫌いだった。しかし、戦争という大きな政治的現実がやってきた時、それについて思考するのを放棄して、国民の一人として勤勉であろうとした。
一方で、文学者としての彼は、戦争という巨大な現実から遠く離れ、モーツァルトや実朝のような透明な詩心に心を通わせた。そこに、戦争の、滅亡の悲しみが込められたが、大きな社会的現実をどう捉えるかという視点はついに現れなかった。
今の私の視点からは次のように見える。小林秀雄は、彼が戦う以前に既に敗北していた。その敗北は、夏目漱石の小説の主人公のような形で既に明瞭となっていた。内村鑑三が苦渋に満ちた思想家になっていった事も、敗北の一つの例である。北村透谷の自死や、石川啄木の夭折もまた、敗北の一つの例である。
小林秀雄は戦後には名声を得て、名士となった。しかしその事は、社会体制に対する勝利を意味するものではない。彼は彼の自意識がどこからやってくるかをとうとう究明する事ができなかった。何故、小林は自らの自意識がどこからやってくるかを知り得なかったのだろう?
それは先に言った通り、自らの魂というものもまた、ある社会的環境との関係によって醸成されているにも関わらず、小林の魂にとってその環境はあまりにも所与のものであったので、彼の懐疑の網に引っかからなかった為だ。
懐疑の網を持つ者の敗北は、小林よりも前の世代において既に遂行されていた。明治維新は、政治的空白を生み出した。社会体制を根底から覆す事は、社会体制というもの自体を相対化する。そのような徹底した相対化した視点を、明治維新の前後の人々は持つ事ができた。
それよりもずっと前やずっと後、江戸幕府支配の時代や、日本国支配の時代(今を含む)において、その政治体制そのものを自らの思考によって計量してみる事はできない。それはあまりにも所与であり、我々の思考の土台であるので、それについて考えてみる事すらできない。
小林の名誉の為に言っておくが、私は、私が言わんとしている事を小林はうっすらと感じていたのだと思う。だからこそ、社会的現実と自意識の相関関係を作品化したドストエフスキーのような作家を彼は執拗に論じた。しかしその刃はどうしても自意識の段階で止まってしまう。
社会に対する考察と自意識との関係が全体的視野として現れる事は決してなかった。それでも、小林は自分がそのような存在でしかありえないとはわかっていたのだろう。小林秀雄は吉田秀和に次のように語っていたそうだ。「私は演奏家で十分です」と。これは、彼が自分は大作曲家にはなれなかった、という事を意味している。ここでは「大作曲家」というのは、世界と自意識の相関関係を描く事のできる文学者である、と考えたい。
明治維新という現象を考えてみるなら、何故、維新の前後にそのように大きな視点を持つのが可能になったのか、というよりそもそも、何故明治維新が起きたかと言うと、外圧が一番の理由となっている。外圧が明治維新を可能にした。外圧という第三の勢力が日本という内部組織の本質的変革を許した。
言い換えると、権威と反権威という二項対立だけでは日本は変われなかったという事だ。日本という国が変化するには必ず外圧が必要なのかもしれない。
漱石の話に戻る。漱石は「それから」において、主人公代助の恋愛に対して「自然」という哲学的概念を与えている。何故、このような事が可能だったのか。
我々が今、自分達の内外に見るのは、卑小な私的行為と、形式的な公的行為のどちらかでしかない。それを極めて劣悪な形で一緒くたにしているのがSNSなどのコミュニケーションで、ここでは私的なものと公的なものが融合している。もちろん、ヘーゲルの言う止揚のような高級なものではなく、ただ私的な感情が横につながっているだけだ。
こうした私的な生活をどれだけ巧みに描いた所で、漱石のような作品に至る事はない。というのは、漱石の作品に見られるような、個人の感情や行為が、社会の天井を突き抜けて、より高い領域と呼応するという事は決して起こらないからだ。
ここからは勉強中なので、推測で書かせてもらう。
私は以前、「第三の道」というエッセイを書いた。そこで理想というものはどこにあるべきか、について述べた。
漱石における「自然」とか「幸」とかいった概念は、私的と公的なものを超えた何かである。晩年の漱石は「則天去私」と言っていたから、ここに「天」を加えてもいいだろう。
こうした哲学的概念は中国思想から来たものだろう。ただ、中国思想から来たというのはそれほど重要ではない。漱石のような人がその理想的概念をどのように感じ、行動したか(小説家の場合はどう書いたのか)が重要だ。
私が思うのは、特に「天」のような思想に特徴的だが、例えば、「天に従う」という考えは、ある場合は社会秩序に従う事を意味し、またある場合は社会秩序に逆らう事を意味するという事だ。この場合、今の人は「それは矛盾している」とか「反日だ」「親日だ」と騒ぎ立てるだろう。私はそんな風には考えない。「天」という理想は、徹底すると、社会秩序よりもより上位の概念として捉えられる。それは、現世のあらゆる現実的具体的秩序よりも上位のものである。
この上位の、曖昧な概念こそが、現実に対する貫通性、あらゆる現実を越えた宇宙性、世界全体性、今のようにせせこましい世界に閉じこもっているという感じではない巨大な世界観、そういうものを与えてくれるのではないかと思う。
この理想が、現実を貫通する力を持ち得たのは、現実の社会秩序、幕府という権力がひっくり返されたからではないか。人が生きる為の土台である社会的秩序というものが壊れてしまった時、人にはむしろ、人々が人工的に覆っていた天井が取り除かれるのを感じた。天井は、人を守る屋根であるが、空を覆ってしまう。天井という名の社会秩序が完全に壊れた時、人々には「空」が見えた。
この空は古代の空と通底しており、だからこそ、孔子が野辺をさすらいながら独語した時に現れるような「天」の言葉と響き合うものがあった。
もう少し違う視点で語ると、次のようになる。明治維新の前は将軍という最高権威が存在した。明治政府になってからは天皇という最高権威に変わった。その交代時、わずかに、あらゆる現実的権威に依らない個人の行動というものが可能になった。そしてその行動を支えていたのは、「天」とか「自然」のような曖昧とも見える概念だった。
太平洋戦争における敗北は確かに、大きな社会的変化だったが、「天皇」の上に「アメリカ」という、さらなる上位信仰対象を置くようになっただけだと私は見ている。だから、敗戦は巨大な現象であったにも関わらず、日本人の精神構造は変わらなかった。
大きな変化はだから、明治維新なのだろう。この変化を可能にしたのは、現実の権威に依らないある理想の存在だった。
話が飛ぶが、最近、「ファウスト」を読み終えたのだが、解説で山下肇が、「ゲーテの無限の努力が、今の日本のように会社や国家に対する努力と解される事があってはならない」という旨を書いていた。これは私が言わんとする事と通底するだろう。
長くなったが、この文章はこれで終わろうと思う。我々が卑小な「私」と、形式的な「公」しか考えられないのは何故か。優秀な人間が、卑俗な大衆の好悪に向かってしか仕事ができないのは何故か。それは我々が安堵している社会秩序の為だ。我々の行動を自由にしている世界の在り方が、我々の思考の自由を奪っていると言えばいいだろうか。
江戸時代の閉塞感と、現代の日本の閉塞感は似通っている部分がある。オタク的な趣味への傾斜がどちらも見られる。こうした時代においては「空」は開いていない。現実にあるのは、人間が作り上げた精緻な天井であって、この天井は我々を守ってくれているものでありながら、閉塞感をもたらすものでもある。
おそらくは、キリストや孔子がうろうろとした野辺は、彼らは所詮は徒手空拳の存在だったわけだが、しかしそれ故に彼らの思想は自由であり、地上の現実に留まらず「天」に届くものだったのだろう。