夢
これは嫉妬なのだと、認めるのに数日かかった。新藤と檜垣の気の置けない様子に、自分が決して手に入れられない美しい何かを見てしまった気がする。
能力がすべてだと思っていた。いや、今でもそれに近い信念は失っていない。揺るぎない知識と腕前を身に付け、こつこつと経験を積みさえすれば、不利な条件などきっとはね飛ばせる。
――でも……。
女である自分が、果たしてこんな風に仕事仲間から受け入れられるのだろうか。
最初から確実にあった不安。自分はそこから目を背けてきただけなのだと、今日の出来事で一層痛感させられた。
昼間、埜岩基地を訪れたのは、新藤から預かった書類を提出するためだった。担当の軍曹に渡すものを渡せば終わりのはずだったが、軍曹はジャージ姿の一希を小馬鹿にしたように眺め回した。
「ここは女子供が出入りする場所じゃない。早くいい人を見つけて立派に子供を産むことだ。それが一番の親孝行だと思うがね」
心無い反応には慣れたつもりだった。一体何が一希の感情を揺さぶったのだろう。「親孝行」という言葉だろうか。あるいは、「立派に子供を産む」と改めて言われてみて、自分がいよいよその選択肢を諦めようとしていることを突きつけられたのか。城の石垣のごとく、一つがバランスを崩したが最後、全体が揺らぎ始める。
一人でぼんやりと海を眺めるなんていつ以来だろう。ふとしたことで中途半端にモヤモヤしたとき、もっとはっきり落ち込みたくて、孤独を求めて海を見に行った。そんな思い出が一希にはいくつかある。
寂しいような気分にはなるけれど、苛立ちだけは静まるのはなぜだろう。波の音のせいだろうか。それとも潮の香りか。はたまた、海という地形が、悲痛な記憶の付きまとう山からほんの一時引き離してくれるのか。
いつの間にか群青が茜色を侵食していくのを、一希は視界の隅に漠然と捉えていた。ようやく希望が見えてきたところだったのに、それは技術面だけかもしれないと気付かされた。冷や水を浴びせられた気分だ。
以前電話で新藤に言われたことを思い出す。女が歓迎される世界じゃない……。
もちろん、歓迎されないだろうとは頭ではわかっていた。ただし、あくまで曖昧なイメージでしかなかった。いざ、いかに歓迎されないかを目の当たりにしてみると、その逆境に対する自分の抵抗力は思いのほかもろかった。
新藤や檜垣のようにすんなりと受け入れてくれる人物は、数少ない例外でしかない。この世界のごく普通の人間たちの反応に触れれば触れるほど、やっぱり間違っているのかなという思いが首をもたげる。
罪を償う。その決意は変わっていない。処理士になって不発弾を一つひとつ排除する。それ以外の贖い方など思い当たらなかった。
怪我の治療が落ち着いてからは、何かに憑かれたように爆弾の世界にのめり込んだ。関連書籍を探すほか、新聞記事を切り抜き、不発弾処理の現場を何度も思い描いた。
檜垣の存在は早くから知っていた。不発弾の危険性を周知させる活動にも力を入れており、一希の転校先となった古峨江の小学校にも講演に来たことがある。カラー写真や実物大の模型で爆弾の外観が紹介され、もし見つけたら触らず、近付かず、大人に知らせるようにと指導を受けた。
それから三年後、不発弾関連の専門誌で、ある記事が一希の注意を引いた。
一見何の変哲もないデトンの安全化。弾頭と弾底、両信管の離脱を終え、処理済みの爆弾を移送すべくクレーンで吊り上げたとき、異変に気付いた処理士がいた。通常なら信管が二つとも外れてしまえば爆発の危険はないが、重心の位置がおかしいという彼の主張により、再度点検が行われた。
目視では異常は見つからなかったが、念のためX線検査を行ったところ、内部に第三の信管があることが発覚。この手のいわゆる隠れ信管は本来、構造が特に複雑なカルサという爆弾に見られるが、不発弾となった場合の安全化処理を撹乱するために外観をデトンに似せてあったらしい。
結局この覆面カルサは、後日爆破処理された。隠れ信管を残したまま移送していたら、何らかの衝撃で爆発していたかもしれない。現場は彼の指摘のお陰で大惨事を免れたことになる。
爆弾の他に、もう一枚の写真が載っていた。表彰でもされたのか、初老の軍服紳士と握手し、断り切れなかったから仕方なくといった顔で佇む若手の処理士。それが新藤建一郎だった。
この記事を読んだ日から、彼こそが一希の夢だ。
他市の図書館から専門資料を取り寄せて調べた結果、あの新藤隆之介の一人息子と判明。にも関わらずマスコミ嫌いで知られ、業界の外ではほとんど認識されていないという。