女房気分
夕方、六時五十分に玄関の引き戸が開いたときは、思わず歓声を上げそうになった。読み通りの展開。廊下に出て声をかける。
「お帰りなさい、先生」
「おお」
いつも通りの無愛想な反応にむしろ安心する。ちょうど舞茸と豆腐と油揚げの味噌汁ができ上がったところだ。風呂に入ったところでヒヨドリを揚げ始めればちょうどいい。
一希の計算通り、あと一歩で理想のキツネ色、というところに湯上がりの新藤が顔を出した。
「あ、もうじき揚がるとこですから、先に召し上がってていただけますか?」
「ああ」
台所のテーブルにはすでに一人分の煮物を用意してある。今日はひじきと里芋。味付けは一希の自己流で、父の晩年の好物でもあった。
湯気の立つご飯をよそってやると、その茶碗と煮物の鉢を、新藤は座敷に運んだ。なるほど、今日は数日に一度の「座って落ち着いて食べる日」らしい。
台所と座敷は続き間になっており、両者を仕切る格子戸は、新藤が寝ているときや着替えているとき以外は開いたままになっている。
小豆色の座卓や古びた本棚、小型のテレビはすでに見慣れたが、座布団に腰を下ろす新藤の姿は未だに新鮮だ。
皿に上げた唐揚げと味噌汁を持っていってやると、煮物はもう半分以下に減っていた。
「お待たせしました」
「ん」
礼の言葉はもとより期待していない。新藤が一瞬反応し、わずかに視線を上げてくれるだけですべてが報われた。
処理士を、いや、まずは補助士を目指しているだけの一素人。しかも過去に例のない女子を、そばに置き、生活費を引き受け、部屋まで与えてくれているのだ。感謝してもしきれない。自分にできることは何でもするのが筋だと心から思う。
一希はいつも通り、台所のテーブルに自分の分の料理を並べた。座面が破れて黄色いスポンジが見えている椅子ですら、居心地のよい定位置だ。
普段より寛いだ様子で口を動かす新藤と、彼が眺めるテレビのニュース。ちらちらと交互に目をやりながら一希も箸を進め、自画自賛する。
――うん、おいしい! やっぱり揚げ立てが一番。
夏場のヒヨドリの締まった肉は、唐揚げにして骨ごとバリバリ食べるのが冴島家の定番だった。しっかりと下味を付けて皮をパリッとさせてやると、食の細い父もよく食べた。冬になって脂が乗ってきたら、今度は煮込みが最高だ。
新藤は一希の料理をうまいともまずいとも言ったことはないが、日々の食べっぷりを見れば口に合ってはいるようだ。ただし、嫌いな物は特になさそうな一方で、何か気に入ったものがあるとそればかりを延々と食べ続ける傾向があった。
本人の分として与えたものは残さず食べ切ってくれるが、冷蔵庫から勝手についばんでいくときには、根菜とエンドウ豆の煮物からレンコンだけがなくなったり、ナスと苦瓜の酢の物から苦瓜だけが急激に減ることもしばしば。
「よかったらお代わりお持ちしますから、いつでも……」
「ん」
新藤はしばらく食べ続け、不意に腰を浮かした。一希が慌てて立ち上がると、
「お前は食ってろ」
ぴしゃりと言い、炊飯器に向かう。その手には、ご飯茶碗とともに空になった汁椀。
新藤が米をよそっている隙に、一希は味噌汁をついでやった。
「はい、どうぞ」
「おお」
気分はすっかり女房役だ。同じ食卓に着いていないことを除けば……。
新藤はどう思っているのだろう。一希に給仕までさせることは予定になかったわけだが、嫁でも恋人でもない小娘に世話を焼かれ、気恥ずかしさを感じているのか、いないのか。
「冴島」
「はいっ」
「明日の午後は空けとけ」
「えっ? あ、はい……」
説明が続くのかと思いきや、会話はそれで終わりだったらしい。新藤は唐揚げの続きにかぶりついていた。




