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爆弾拾いがついた嘘 【改稿版】  作者: 生津直
第1章 弟子入り
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覚悟


〈はい新藤〉


 受話器を通じて届く声は、一段と無愛想に聞こえる。


「新藤さん。冴島です」


〈おお〉


「あの、今日出してきました、退学届」


〈ん。で?〉


「アルバイトの方はまだ、これから……です」


〈ああ〉


 当てが外れたという声だ。準備ができたら電話しろと言われていたのに、まだできていないのだから当然だ。


「あの、実はですね。教官たちにちょっと誤解されたというか」


()()?〉


「あ、土橋先生はしっかりやりなさいって言ってくれたんですけど、他の教官たちがたまたまその場にいて……」


 本当はたまたまではない。土橋を廊下に呼び出す代わりに職員室の中で切り出したのは、新藤建一郎に弟子入りするという誇らしい事実を周りの教官にも自慢したかったからだ。


 すれ違うたびに「女が何の用だ」とでも言いたげな(さげす)みの目を向けてきた彼らを見返してやりたかった。その気持ちが裏目に出たのだ。


「住み込みってところに、なんか……いかがわしい印象を持たれてしまったみたいで」


 言いながら、電話の向こうの様子を(うかが)う。新藤は平然と応じた。


〈そりゃ当然だろう。普通に考えれば十分いかがわしいからな〉


――え?


 新藤は世間のそういう視線も想定済みだったということか。


〈そう思われるのがいやならやめとけ。いざ移り住めばその日のうちに学校中、翌日には町中の噂になる。赤の他人に白い目で見られて尻軽(しりがる)呼ばわりされて、婚期も確実に遅れるぞ〉


 新藤は決して意地悪で言っているのではない。現実的に十分ありうる話だ。


〈それがいやなら、アルバイトを続けながら外から通うでもかまわんが、お前の空き時間に都合よく俺の手が空いてるとは限らんからな。資格試験の受験は大幅に遅れると思え〉


 新藤のスケジュールの不規則さは、一希も承知している。


〈ただし、住み込みをやめたからって中傷がやむわけじゃない。そういう奴らはお前に不愉快な思いをさせることが生きがいなんだ。次から次へと材料を見つけてあれこれ言ってくるのは同じだぞ〉


「いえ、その……新藤さんにもご迷惑がかかると思ったもので」


〈迷惑なときは遠慮なく言うから安心しろ。俺が黙って我慢するとでも思うか?〉


「それは……よかったです、安心しました」


 まさか貞操(ていそう)の心配をしていたなんて言えるはずもない。


〈ついでだから言っておくが〉


「はい」


〈女が歓迎される世界じゃない。まあわかってるとは思うがな〉


「ですよね。私もかなり異端なことをしてる自覚はありますし、世間の目が冷たいことは一応想定済みです」


〈冷たい目ぐらいならまだいいが、こっぴどいいやがらせだって受けるかもしれんぞ。業界にも軍にも、学校の比じゃないぐらいいろんな奴がいる。考え方の古い人間も多い〉


「それは……何とか乗り越えます。やるしかありませんから」


 といっても、具体的に対策が立っているわけではない。多少のことで(あきら)めるわけにはいかないという意気込みが、今の一希のすべてだ。


〈ハンデを乗り越えるってのは、たやすいことじゃない。それでもお前は、人類の罪を(つぐな)うのか?〉


 履歴書に書いた志望動機のことだ。処理士を目指す理由。


――タッちゃん……。


 あの日の柔らかな風と草の匂いを、忘れたことはない。


 すぐそばにいたのに。声がしたのに。その一瞬後には無残な肉塊と化したであろう、無垢(むく)な従兄。一希は(こぶし)を握り締める。


 忠晴は、一人で、あるいは友達と遊んでいれば、あんな(すみ)っこの岩壁にぴたりと寄り添うこともなかっただろう。彼があの位置にいたのは、隠れて一希を待ち、驚かせるためだったのだから。


 一希は未だに思う。忠晴との縁談を自分が迷惑に感じていなければ、ただ無邪気に喜んでいれば、神様も忠晴を奪いなどしなかったのではないか。自分が爆弾の本なんか読んでいなければ、爆弾の事故を呼び寄せることもなかったのではないか。


 悔やみだしたらきりがない。忠晴を死なせたのは自分だ。


 事故の後、しばらくは爆弾の本など見る気も起きなかった。恐ろしくて、憎たらしくて、二度と見聞きしたくなかった。


 悪夢に現れたサラナは、逃げれば逃げるほど追ってきた。一希は毎晩のように逃げ続け、どこまでもつきまとわれた。ある夜、疲れ果てた一希は逃げる足を止め、ついに爆弾とにらみ合った。


――タッちゃんを返せ!


 ずいと一歩踏み出すと、爆弾は後ずさった。一希が一歩進むごとに、あちらが一歩下がる。


 もう逃げない。そう決めたとき、悪夢は()んだ。


 生涯をかけた償い。この道以外には考えられなかった。履歴書に書いた内容は、言葉こそ大幅に抽象化したが、本当の決意を込めたものであることに変わりはない。


 それを初めて真剣に受け止めてくれた相手が、今電話の向こうにいる。そんな人の誠意を疑うなんてどうかしていた。


〈その覚悟がないなら、住み込み云々(うんぬん)以前に補助士人生自体が続かんぞ。今ならまだ遅くはない。大学に行くなり他の修業を積むなりして、別の道を歩め〉


「いえ……」


 住まいをともにすれば、後ろ指を指されるのは一希だけではない。冷ややかな噂によって失うものが大きいのはむしろ新藤の方だ。それなのに、この人は。


「いいえ」


 自身の声音(こわね)から、逡巡(しゅんじゅん)が消える。気付けば一希は、目の前の壁に向かって背筋をぴんと伸ばしていた。


「お世話になります、新藤()()


 新藤には見えないとわかっていながら、他にどうしようもなくて一希はただ深々と頭を下げた。


 新藤は静寂(せいじゃく)にしばし耳を傾けた末、


〈準備ができたら電話しろ〉


 昨日そう言われていたのに、もう一度言わせてしまった。次に電話するときこそ、準備はできている。


 この人についていこう。これまでにないほど強く、そう思った。




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