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#8 自宅 〜静謐な生活〜

 夜になると、だいぶ気温が下がってきた。

 そういえば天気予報では雪が降るとも言われていた。だから、家に帰ってまず行ったことは、エアコンのスイッチを入れることだった。


 とはいえ、リモコン操作ではない。

 ソファにもたれこみ、スマートスピーカーに「エアコンをつけて」と喋りかける。


「はい、エアコンですね」


 機械音声とともに、エアコンが起動される。基本的に家電は全てスマートスピーカーを通じ、声で操作できるようにしていた。

 温風が頬を撫で、部屋の空気が温められていくのを感じる。こうなると、温かいものも飲みたい。


「コーヒーを入れて」

「はい、コーヒーですね」


 スマートスピーカーの返事をきっかけに、パチンと音をたててコーヒーメーカーのスイッチが入る。数分後、コーヒーの良い香りが部屋に漂う。


 まったく、機械というのは良い。とても良い。第一に、気を使う必要がない。たとえば「ごめん、手が空いてたらコーヒーを入れてもらって良いかな?」と、もって回った言い方をしなくてもいいのだ。

 そして、いつだって秩序に基づいている。彼らは出来ないことは出来ないと返すし、日によって機嫌が悪くなることもない。イレギュラーがないのだ。


 小さめのコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、マルセイのバターサンドをかじる。北海道みやげの定番だが、いまはネットで取り寄せができるのが嬉しい。


 バターサンドのレーズンの甘みを噛み締め、今日一日を反芻した。オーディションの審査員というのは、楽しいかどうかはともかく、得難い体験ではあった。ぼんやりとだが、子役業界を覗けたような気がした。


 しかし、一方でその責任は重い。オーディションの合否は、規模によってはその後の彼女たちの人生を左右することもあるだろう。

 俺は彼女たちに手放しの好感を抱いているわけではない。それでも、美しい花の運命を菌類のような自分が左右するのは自然の摂理に反している。そういう意味でも、俺はお飾り審査員で良かった。


 里琴と母親の顔が頭に浮かんだ。胸がチクチクと痛む。あの子たちは、オーディション審査に影響力を持つ原作者に挨拶をしたつもりだったのだろう。だが、実際には何の権限もない、ただの不審者まがいの男性だったわけだから。


 やれやれ。

 頭を振り、ソファから立ち上がる。ルンバのカートリッジにたまったゴミを捨てる。これだけは手動でやらざるを得ない。ただ、ルンバ自体は毎日決まった時間し起動するよう、あらかじめタイマーをセットしてある。おかげで我が家の床はいつでも清潔に保たれている。


「出来上ガリ!」


 ピロピロリン、という音とともに機械音声が部屋に響いた。これはスマートスピーカーではない。ホットクックという、材料を放り込んでおけば勝手に調理してくれる機械だ。これも出かける前にタイマーをセットしておいたのだ。


 料理の材料も自動で届くように手配してあった。たとえば今日は肉じゃがを作っているのだが、俺がやったことは、「肉じゃがセット」なるものをホットックックの内鍋に入れ、スイッチを押しただけだ。明日は明日で冷蔵庫に入れてある別のセットを入れて、スイッチを押す。これだけだった。


 あらためて部屋を見渡す。掃除はルンバが毎日やってくれている。料理もホットックックがこしらえてくれる。我ながらロジカルで、合理的かつ行き届いた生活じゃないか。人の助けどころか、むしろ、この世界に他人が入る余地はあるだろうか。

 いや、ない。

 俺は満足げに微笑んだ。


「ピンポーン」


 玄関のチャイムが鳴らされたのは、そんな時だった。

 宅配人だろうか。いや、amazonで直近に頼んだものはない。ホットックックのミールセットも、発送されていない注文はないはずだ。NHKの集金?そもそも受信料は引き落としにしている。となると、新聞の勧誘だろうか。であれば、居留守を使うか・・・。


「ピンポーン」


 もう一度チャイム鳴った。インターホンの画面を見る。

 ん?

 画面には誰もいなかった。新聞勧誘のいかついオッサンが映っているのだろうと身構えていた俺は、すこし拍子抜けした。


「ピンポーン」


 三回目のチャイムが鳴らされた。しかし、相変わらず画面には何も映っていない。どういうことだ。いよいよ気味が悪い。ゾンビか。俺が気が付かない間に、外の世界はゾンビに支配されていたというのか。や、この場合は透明人間か・・・。


 足音をさせないように注意して、玄関のドアスコープをそうっと覗いた。誰もいない。ピンポンダッシュ的なイタズラだろうか。


 俺は鍵を開け、そろりとドアを開いた。

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