#49
それから数週間が経っただろうか。
俺は授業参観の場に立っていた。保護者の列に入ると、やはり居心地が悪い。しかも周りは女性ばかりだ。男性など俺しかいないじゃないか。くそ。騙された思いだった。息を吸うとデパートの化粧品売り場のような臭いがして、その度に居心地が悪くなる。
目の前には、着席した生徒たちがいる。小さい机に、それぞれのランドセルが掛けられている。子どもたちは落ち着かない様子で後ろを振り返り、目配せを送ったりしている。里琴もその一人で、さきほどから何度もこちらを振り返り、いたずらっぽい笑顔を向けてくる。どうやら授業参観に来て欲しいというのは本音だったようだ。
その隣にはたまちゃんもいて、そんな里琴の様子をニコニコと眺めている。ただ、お母さんが来れないからなのか、その横顔は少し寂しそうでもある。
「はい、みんな静かに!」
教壇に立っているのは伊藤先生だった。本来彼女はクラス担任ではないが、急遽この授業を担当することになったのだという。今日は白いブラウスに黒のスカート。正装で臨んでいるようだ。
そういえば、今日の授業は何なのだろう。事前に配布されたお知らせには、何の授業かは書いていなかった。音楽室や図工室でないということは、国算理社のどれかだろうか。
「今日は授業参観で、みんなのお母さん、お父さんに来てもらっています」
「お父さん」のところで、何人かの生徒が振り向いた。無遠慮な視線が集まるのを感じた。伊藤先生がすぐにパンパンと手を叩く。
「はい、みんな後ろを向かないでください。今日はみんなの自然な姿をお母さん、お父さんに見てもらうための機会です。なるべく普段と同じようにしてください。わかりましたね?」
「はーい」
子どもたちは元気よく答え、前を向いた。ほっとして肩の力が抜ける。
「今日の授業は、みんなにお知らせしたとおりです。大切な授業です」
大切な授業?なんだろう。俺は訝しく思った。周りの保護者たちの様子を伺うと、特に変わった様子はない。俺だけが授業内容を知らされていないのだろうか。里琴が伝え忘れたのか。
「今日の授業は、男の子と女の子の身体の違いについてです」
「・・・!」
俺は目を見開いた。伊藤先生は何事もなかったかのように話を続けていく。そして、周りの保護者もウンウンと頷いている。いや、ウンウンじゃないだろう。
この場から逃げ出したくなったが、そういうわけにもいかない。ちらりと手前の席の子の教科書に目をやると、表紙に裸の男子女子のイラストが掲載されていた。何なのだ、これは。
「教科書の13ページを開いてください。そこに女の子の身体の成長について書いてあります。ここを読みたい人」
「はい!」
子どもたちの手が挙がる。ぴんと伸ばされた手は、やはり後ろを意識してのことなのだろう。
「じゃあ、後藤さん。読んでください」
「はい」
先生にあてられたのは、里琴だった。思わず声が出そうになった。一方で里琴は冷静だ。あの日のオーディションのように椅子からすっと立ち上がり、落ち着いた声で朗読し始める。
「成長期に入ると、女の子の身体は変化していきます。大人になって赤ちゃんを産めるよう、身体が準備を始めるのです」
「はい、いったんそこまで。・・・後藤さん、女の子の身体には、どういう変化があると思いますか?」
「ええと・・・なんだろう。身体が大きくなります」
「具体的には、どこが大きくなりますか?」
俺は目を見開きっぱなしだった。なんということを聞くのだ。いや、これが今の性教育の主流なのか。性に関する事柄は恥ずかしいこと、という意識をなくすために。
「たとえば、おっぱいとか」
里琴は小さな声で答えた。クスクスと男子が笑う声がする。
「笑わない!これは男の子も知っておかなければいけない大切なことなんです」
「・・・」
伊藤先生の剣幕に気圧され、男子たちは押し黙った。
「後藤さん、よくできました」
「はい」
「待って、まだ質問があります」
伊藤先生の声に、里琴は下ろしかけた腰をもう一度上げた。
「後藤さんの胸はどうですか」
「え・・・」
「膨らんできましたか?」
「・・・」
俺は目を見開きすぎて眼球が飛び出るのではないかと思った。一体全体、どうなっているんだ。公開セクハラじゃないか。俺はさすがに抗議の声を上げようとしたが――
「少しだけ」
里琴が先に答えていた。
伊藤先生はその答えを聞き、満足げに頷いた。
「今日、後藤さんはお父さんが来ているのね」
「はい」
「じゃあ、こうしましょう。せっかくの機会だから、お父さんに胸の成長を見てもらいましょう」
「え・・・」
「いいわね?」
「・・・は、はい」
伊藤先生は戸惑う里琴につかつかと歩み寄り、俺の方を向かせた。いい加減にしろ、やめろ。そう叫びたかった。だが声が出ない。
不意に、周りの保護者から拍手が起こった。俺は唖然として周囲を見回す。どの保護者も笑顔を浮かべ、一様にこれから始まるセレモニーを歓迎しているようだった。気がつくと生徒たちも拍手をしている。どの子たちも穢のない笑みを浮かべていた。
里琴と目が合う。困惑した表情ながらも、なんだか目には妖しい光がある。
「後藤さん。シャツをめくり上げて」
「はい」
里琴はシャツの裾に手を掛け、そして――




