#30 招かれざる客
新キャラの気配
しばらくは魂が抜けたようにソファに横たわっていた。横たわりながらも、静かすぎる部屋に戸惑いも覚えていた。里琴がいるのと居ないのとで、こうまで違うのか、と。
俺はなんだか落ち着かなくなって立ち上がった。そうだ、フライパンについた焦げを落とさなければ。
改めてフライパンを見ると、なにかの食べ物だったであろうものが炭化して付着していた。いったい里琴は何を作ろうとしたのだろう。この残骸からは何も推測できなかった。
スチールたわしでガリガリと削ってやると、黒こげがポロポロと落ちていく。面倒な作業ではあるが、これはこれで中々の達成感があった。
里琴がいなければ、そもそもこんな雑務も発生しなかったわけだが、不思議とそれを厭わしいとは思わなかった。以前の俺であればどうだっただろう。イレギュラーな事態にアレルギーを起こしていたのではないだろうか。
静かで、合理的な生活。
俺はその生活を理想と思っていた。今でもそれは変わってはいないのだが、似たような毎日が繰り返される中で、少しづつ心に澱が溜まっていたのかもしれない。
それを、里琴が洗い落とした。この黒こげのように。
なんてね。俺は水を出し、スポンジでフライパンを磨いた。黒こげどもは排水溝に次々と吸い込まれていく。よし、完了だ。俺は刀鍛冶のようにフライパンに光を反射させた。ピカピカになった。
この日は仕事も捗った。件のお姫様が現代にタイムスリップするストーリーなのだが、居候先の同級生を女子から男児に変えた。これでストーリーに幅が出た。
また、ラフ案を送ったところ、橘くんから「ブルマ足りないっす!ブルマ不足っす!もっといっぱいブルマを登場させてください!」旨のメールがあった。思案の末、お姫様の「こんな動きやすい召し物、着たことがなかったですわ!」という発言を契機にクラスの女子たちがブルマの魅力に気づき、いつの間にか女子全員がブルマを履いて球技大会に挑む・・・というサブプロットを入れておいた。
気がつくと14時を回っていた。
俺はデスクチェアにもたれ大きく伸びをした。すると、あるものが視界に入った。俺は青ざめた。段ボールだ。片付けるのをすっかり忘れていた。破れた箇所の補修もしていない。
「ピンポーン」
玄関のインターホンが鳴らされたのは、まさにその時だった。モニターを見て、俺は頭を抱えた。里琴がジャンプしてカメラに映ろうと試みている。最悪のタイミングだ。まったく、今日は招かざるタイミングでの来客が多い。
俺はインターホンの通話スイッチを押した。
「ただいま!帰ったよ。これカメラ映ってる?」
「ああ、映ってる。・・・ただ、ちょっと今取り込み中だから。少し待ってて」
「へぇ?洗濯物の取り込み?」
俺は猛ダッシュで仕事場に戻り、段ボールを戻そうとした。が、焦るとろくなことはない。段ボールの破れた箇所から資料が2〜3冊崩れ落ち、床に散らばった。
「あれ?鍵開いてるよ」
玄関から里琴の声がした。血の気が引いていく。
俺は全身全霊の力を込め、ラグビー選手がスクラムを組むような態勢で段ボールをベッドの下に押し入れた。散らばった数冊の資料は、箱に入れずベッドの下に潜り込ませた。
「ただいまー。・・・あれ、先生、何やってるの?」
里琴が仕事場に現れたとき、俺は床に突っ伏すような格好になっていた。
「大丈夫?苦しそうだけど。汗かいてる」
「ああ、いや。これはアレだ。腕立て伏せをやっていたんだ」
「ふぅん」
「外に出ないし、運動不足だからね。時々こうやってさ」
俺は1、2・・・と声を出して腕立て伏せをやってみた。もちろん普段からやっているわけではないので、ひどく不格好なものになってしまう。
「なんか先生の腕立て伏せ、違わない?」
「そうか?はは、慣れてないからな」
「じゃあリコも一緒にやってあげようか?」
「え」
「得意なんだよ。こうでしょ?1、2・・・」
里琴は俺の隣に並んで腕立て伏せをやり始めた。いかん!これでは里琴がベッドの下を覗けてしまうではないか。
「ははは、さすが。じゃあもうちょっと広いところでやろうか。ここは狭いから、ね」
「そう?じゃあリビングでやろう!」
結局、俺はやりたくもない腕立て伏せに延々と付き合うことになり、なぜか腹筋もさせられる羽目になった。里琴が得意と言ったのは事実だったようで、彼女は腕立て伏せも腹筋も軽々とこなしていった。
俺は息も絶え絶えになって言った。
「ちょ、ちょっと休憩しよう」
「えー?まだまだできるのに。そうだ、背筋もやっておく?」
「いや、勘弁してくれ」
と、玄関のインターホンが鳴った。本日三回目だった。amazonも、その他のネットショッピングも何も頼んでいないはずだ。また招かれざる客だろうか。嫌な予感がする。俺は不安に顔を強張らせ、モニターを覗いた。




