#29 朝②
「お待たせしました!」
「あ、やっと出てきた」
「これは関さん。おはようございます!」
「・・・はい。おはよう」
関さんは俺の肩越しに、奥に目線をやっていた。目の動きだけでヒヤヒヤしてしまう。
「今あなたの部屋で火災報知器が鳴ったって。管理事務所に自動連絡があってね」
「いやあ、そうなんですよ、はっはは。久しぶりに自炊にチャレンジしたんですが、慣れないことはするもんじゃないですね。フライパンから煙が出てしまって。ははははは」
「火はもう消えたんですか」
「ええ。今はもうすっかり。だから大丈夫です!」
「ふむ。一応中を見せてもらっていいですかね」
「いや、でも火はもう消えているので・・・」
「そういうわけにはいかんのですよ。壁とかの焼損を確認せんと。これを補修するのは賃貸人の義務でもあるんですから」
「そ、そうなんですね。そういうことであれば、まあ、どうぞ」
「失礼しますよ」
関さんはじろりと俺を一瞥し、中に入っていく。
「このフライパンから火が出たわけですか」
「はい」
「火はもう消えていると」
「はい。なので、もう帰ってもらって大丈夫です。関さんもお忙しいでしょうし」
「・・・壁はどうかな」
関さんは俺の提案を無視し、壁を検分し始める。
「お風呂も見せてもらいますよ。こちらも換気扇で煙が流れるんでね」
「はあ。どうぞ」
関さんはお風呂に向かう。と、一瞬心臓が止まりそうになった。洗面所の鏡に、里琴が写ったのだ。隠れていろと言ったのに!
「あー、お風呂は大丈夫そうだ」
「は、いえ、じっくり見てください!どうも最近換気扇の調子もおかしいので!この機会に是非!」
鏡越しに里琴と目が合う。どういうつもりだ。俺は口の動きだけで里琴を咎める。すると里琴は何かを掲げた。ランドセルだった。これまた口の動きだけだが、「これを、持っていく」と言っているように見えた。
そうか、ランドセルはリビングに放置したままだった。関さんに発見されたら、アウトだった。
「換気扇も大丈夫そうだよ」
「あ、ああ、そうですか!それは良かった」
鏡から里琴は消えていた。うまく隠れていてくれればいいのだが。
と、関さんは仕事場兼寝室のドアを指差した。俺はドキリとする。
「あれ?さっきあのドア、開いてたっけ?」」
「さ、さあ。風で開いたんですかね」
「ふうん・・・」
関さんは中の様子をじろじろと見たが、特に何も言わなかった。里琴は上手く隠れられたようだ。
「じゃあ、私はこれで管理人室に戻るんで」
「ありがとうございました。お騒がせして、申し訳なかったです」
「今後は気をつけてくださいよ。・・・そうだ、あともう一つ」
「何でしょう?」
「段ボール」
「・・・!?」
関さんが発した一言に、俺は飛び上がらんばかりに驚いた。まさか、段ボールを見られていた?そして、中身の資料も見られた?いや、中身は外から見えないようにしておいたはずだ。なのに、何故。
「違うんですよ。あれは、その、知り合いから押し付けられたものでして」
「・・・?」
関さんは首をひねった。
「何の話かよう分からんけど。私が言ってるのは、その段ボールのこと。ほれ、今あんたが手に持ってるやつ」
「これ・・・ですか」
言われるまで気が付かなかったのだが、俺は千切れた段ボールをずっと手に持っていたようだ。関さんが段ボールと言ったのは、この切れっ端を指してのことだった。
「まさかそれで風を起こして火を消そうとしてたんじゃあるまいね」
「あ。いや・・・これはその、たまたま手に持っていたので」
「ならいいんだが。火は風で余計燃え広がることがあるからね。特に段ボールは引火性が高いから、そっちに火がつくこともあるし」
「なるほど・・・。気をつけます」
「はい。ほんじゃ、今後も気をつけてください」
関さんが帰ると、俺はソファに倒れ込んだ。まったく、朝から色々なことがありすぎる。
隣室から、里琴がおずおずと姿を現した。バタバタしすぎて気が付かなかったが、昨日プレゼントしたパーカーを着ている。
「なんか色々迷惑を掛けちゃって、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。仕方ない・・・」
「でも、ランドセルに気がついたのは偉かったでしょ?」
「ああ、助かった。・・・って、あ!」
俺は時計を見て叫んだ。もう8時10分を回ろうとしていた。
「早く!学校行かないと!」
「でも朝ごはんが」
里琴は壁に張り出されたルールに目をやった。昨日里琴が提案したとおりに「朝ごはんは毎日食べる」と書かれている。
「仕方ない。こんな日もある。一食ぐらい食べなくても死にはしないんだ」
「えー」
「明日からにしよう。ルールが適用されるのは」
「・・・分かった。じゃあ行ってきます」
「待った!牛乳パック!」
「あっ、そうだ!忘れてた」
俺は牛乳パックをビニール袋に入れ、里琴のランドセルに突っ込んだ。
「もう忘れ物はないね?」
「うん!行ってきます!」
里琴は元気に外の世界に駆け出していった。一方の俺は、死んだようにソファに崩れ落ちた。




