#28 朝①
◇
結果的に俺の祈りは、半分程度しか通じなかったようだ。
翌日に俺の目を覚ましたのは、目覚まし時計のアラームどころではない、耳をつんざくような警報音だったのだから。
ジリリリリリリリ。
明らかに緊急事態を告げるために作られたような音が鳴り響いている。
夢ではなさそうだった。音は、部屋のドア越しにキッチンの方から聞こえてくる。
俺は飛び跳ねるように起きた。隣で寝ていたはずの里琴は、すでにいなかった。
ドアを開けると、音がさらに大きくなる。部屋が靄のような白い空気で覆われていた。一瞬湯気かと思ったが、特有の臭いで煙だと分かる。この警報音は火災報知器のものだろう。
台所を見ると、里琴がぼうっと突っ立っている。俺は手早くコンロの火を確認した。すでに消えているようだ。
「大丈夫?」
「急に、音が、鳴り出して」
コンロにはフライパンが載せられている。かぶせられた蓋の隙間から、ひゅるひゅると煙が立ち上っている。フライパンの蓋を開けると、もわっとした煙の塊が排出された。どうやら空焚きされていたようだ。
とりあえず換気扇のスイッチを強にひねり、窓を開ける。ほどなくして火災報知器は鳴り止んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
警報音が鳴り止むと、今度は里琴が床にへたり込んで泣き出してしまった。警報音が鳴り止んだことで、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
「お料理に失敗しちゃって・・・ちゃんとタイマーをセットしたつもりだったんだけど」
「大した問題じゃない。それに、今は火災報知器も止まったようだし。もう安心だ」
俺は里琴の肩に手を置いて軽くさすってやった。こういう行動が自然に出るようになったことに、自分でも驚く。
このマンションでは、火災報知器が鳴ったからといって、即消防に連絡が行くシステムではなかったはずだ。だから、たとえば消防車が駆けつけるような事態にはならない。そういう意味ではもう安心――なのか?
ではこの火災報知器は何のためにあるのだ。俺は自問した。消防ではなく、どこかに連絡が行くんじゃなかったか。たとえば、このマンションの管理人に。
玄関のインターホンが鳴ったのは、俺がそこまで考えた時だった。モニターを見ると、あにはからんや、管理人の関さんが映し出されている。合鍵があれば、今にも中に入ってきそうな雰囲気を漂わせて。それも当然なのかもしれない。自分の管理するマンションで、火事が発生しているかもしれないのだ。
家の中に入り、火事が発生していないことを確認するのが彼の仕事のはずだ。そう、この家の中に入り――
「いかん!」
里琴は俺の声にビクッと反応した。
「ここはまずい。こっちの部屋に、早く!」
「ど、どうしたの?」
まだショック状態から立ち直れていない里琴を無理やり立ち上がらせ、仕事場兼寝室に連れて行く。
「隠れて!管理人さんが来る!」
「ええ?隠れるって、どこに」
ドアを閉めるだけで丈夫だろうか。いやダメだ。家の中までチェックするのだから、この部屋も検分ぐらいはされるかもしれない。
「ええと、そうだな・・・」
「ベッドの下は?」
「そうだ、そこにしよう」
「うん」
里琴は身を屈めベッドの下に隠れようとした。だが、すぐに顔をしかめてこちらを見る。
「段ボールが邪魔で入れないよ」
「ああ、そ、そうか。段ボールがな」
「資料」だ。全く何ということだ。
玄関でインターホンが鳴らされる。今度は一度ではない。何度もだ。時間がない。ええいままよ。段ボールに指を差し入れ、力任せに引っ張った。と、メリメリ音がして、俺は尻もちをついていた。
段ボールが千切れてしまったのだ。
まずい。資料の背表紙などが丸見えになっている。俺は段ボールに飛びついて、資料が里琴の目に触れないようにする。
「ちょっと、大丈夫?」
「あ、ああ。心配ない。すぐに段ボールを出すから」
「手伝おうか?」
「いや要らない!」
俺は全身全霊の力を込め、手で抱えるようにして段ボールを引っ張り出した。破れた側が見えないよう、壁に押し付ける。息が上がり、ぜいぜいと肩で呼吸をする。大量の書籍等が入っているのは知っていたが、こんなに重いとは。
「大丈夫なの?だから手伝おうかって」
「いいから、早く、ベッドの下に隠れて!」
「わかった」
「声を出しちゃダメだよ」
里琴の身体がベッドの下に収まるのを見届け、俺はダッシュで玄関に向かった。




