#22 アイスクリーム
里琴の行方は杳として知れなかった。
建物は想像以上に広かった。1階は食品売り場、2階は衣料品売り場、そして3階にはホームセンター的なものを売るフロアが入っている。里琴が階段を降りたか上ったかも分からない以上、全てのフロアが捜索対象となる。広すぎる。
ましてや、俺の両手には食料品を詰め込んだ袋がぶら下がっており、指が千切れそうな負荷を掛け続けている。これでは館内を探して回るのも限界がある。
迷子の呼び出し放送を頼むか?
・・・いや、そもそも俺は誰なんだという話だ。お父さんです、といえば済む話でもあるまい。身分証明的なものを要求されたら、その瞬間にアウトだ。
なんでこんなことになったんだ。
俺が悪いのか?俺の行動が、彼女の機嫌を損ねた?
思い当たることはあの薄すぎるネグリジェぐらいだ。あれは確かに、色々と透けている仕様ではあったが、俺がそれを勧めたわけではない。反対したのだ。いや、待て。それが逆に機嫌を損ねた?里琴はあのネグリジェが欲しくてたまらなかったということか?それを否定されて、腹を立てた?いや、そんなわけがない。第一、他のパジャマに着替える時までは機嫌が良さそうだったではないか。じゃあ、なぜ。
子どもとは、そんなものなのかもしれない。風が吹くまま機嫌がコロコロ変わり、時に残酷なほど自己中心的で。
だから俺が子どもを預かるなんて無理だったのだ。大人ともまともにコミュニケーションが取れない自分が、子どもを連れて買い物なんて。
・・・今はそんなことを考えていても仕方がない。俺は館内見取り図を見て、里琴のいそうな場所をしらみつぶしに探していった。文房具屋兼雑貨屋、小規模なおもちゃ売り場、ガチャガチャ機。どこにもいなかった。
階段踊り場にあるベンチに腰をおろした。目がまわりそうだった。指にはビニール袋のあとが幾重にも刻まれていた。頭がぼうっとする。
今となっては信じられないことだが、俺は2日前までは規律だった静かな生活を送っていたのだ。こんなイレギュラーな事態など、発生する余地もないぐらいに。
――里琴がいなければ、こんなことにはならなかったのに。
このまま見つからなかったら・・・。
そのまま、帰るか?
全てを放り出して、このまま帰宅する。いっそその方がいいかもしれない。俺は誰かと一緒に生活を送ったり、ましてや子どもを預かるなんてことは無理なのだ。そんなことが出来るような人間ではないのだ。だいたい俺が責任を持ついわれもない。所詮は赤の他人ではないか。全てをリセットして、2日前の状態に戻ろう・・・。
薄ぼんやりとした頭でそんなことを考えた。
里琴を見つけたのは、その時だった。
彼女は階段から見下ろせるフードコートの机に座り、スマホをいじっていた。迷子になっているような気配はみじんも見せず、ただただ普通にスマホをいじっていた。
疲れた身体を引きずり、ゆっくりと里琴のところに向かった。どさり、と音を立てて重いビニール袋を置く。
里琴は俺をちらりと一瞥し、またスマホに目を戻した。
・・・なんだ、この態度は。一体どういうつもりなんだ。俺がどれだけ心配して、重い荷物をぶら下げて探し回ったかと・・・と、言い掛けてやめた。ここは冷静にならなければならない。
「・・・どうしたんだ、急に」
「別に」
「服を選んでたんだろ。それを勝手に・・・」
「別に。なんか、アイス食べたくなっちゃって」
「え」
「あそこにアイスあるじゃん」
里琴が指差す先には、ソフトクリームを模した、日本全国でよく見かけるアイス屋の看板があった。
「急に食べたくなるときがあるんだよね。だから・・・お金ちょうだい。200円」
「は」
「お願い!」
アイスが食べたくなったから、だと?そんな単純で能天気な理由のために、俺がどれだけ心配して――そこまで言いかけて、なんとか思いとどまった。
そんなことを俺が言う権利も、義務もないのだ。父親でも何でもないのだから。
所詮は赤の他人だ。
俺は財布から百円玉2枚を出した。真剣に怒っていると思われるのも、200円程度をケチっていると思われるのもしゃくだった。
「サンキュー!あ、あと。そのパジャマ、売り場に戻した方がいいと思う」
「・・・?」
里琴は買い物袋を指差した。なんと、さっき里琴が着ていたネグリジェの色違いのものが、袋の中に混入していた。里琴を探している間、全く気が付かなかった。俺はこんなものをヒラヒラさせて、おもちゃ売り場などを巡っていたということか。我ながら自分の間抜けさに愕然とする。
「・・・売り場に返してくる。ここにいろよ」
「・・・」
里琴は返事はせず、またスマホに目を落とした。俺はため息をついた。まあいい。どうせ赤の他人だ。俺が腹を立てる道理もない。好き勝手生きていけば良い。
俺は早足で衣料品売り場に戻った。ただでさえ女児を連れた不審者であるのに、このうえ万引犯にされてはかなわない。そそくさととネグリジェを戻し、立ち去ろうとした。
と、そこに女児の集団が通りかかり、俺はその場に身を潜めた。女児用パジャマや下着を漁っている不審者と思われてはたまらない。
女児たちの会話が自然と耳に入ってくる。服の隙間から盗み見ると、見覚えのある子がいた。大きなメガネにお下げ髪。里琴の着替えを待っている間に、俺と目が合った少女だった。
「うそぉ!いないよ、こんなとこに。だって、結構遠いじゃんウチらのとこから」
「でも、さっき見た気がするんだけど・・・」
と、メガネの少女が小さな声で答えた。
この子以外の子は女児用ブランドであろう服を着ていたり、巻き髪だったり、見た目が派手だ。そして声も大きかった。
「一人で?」
「お父さんと一緒だった」
「じゃあやっぱ違うよ!リコちゃん、お父さんいないもん」
「・・・」
リコちゃん?聞き違いでなければ、派手な服を着た子は「リコ」と言っていた。
別の子が口を開く。
「だからビンボーなんだよ、あの子」
「はっきり言っちゃダメだって!」
「だって洋服とか、いつもビンボーくさいじゃん」
「それな!」
哄笑して女児たちは去っていった。メガネの子はうつむき加減で、何も言わずに集団について歩いている。
鼓動が早鳴り、息が苦しかった。
もちろんリコという名前はありふれた名前だろう。莉子、梨子、理子・・・。しかし、お父さんがいなくて、かつ、「結構遠い」商業施設に来ていて、周りからも「ビンボー」と呼ばれるリコが、そう多くいるだろうか。
彼女たちは里琴の同級生に違いない。俺と目が合った少女は、おそらく里琴が俺と一緒にいるところを目撃したのだ。そして、里琴が父親と一緒に来ていると誤認した。
目撃されたのが一人で済んだのは、不幸中の幸いだった。もし、あの声の大きな集団に見つけられていたとしたら。
――なるほど。
その瞬間に、俺は全てを理解していた。
やれやれ。買い物袋は一人で持って帰ることになりそうだ。




