#20 お父さん
およそ30分後、俺たちは隣町に向かうバスに乗り込んだ。車を持っていない俺としては、公共交通機関に頼るより他なかったのだ。
不審者が小学生を連れ回していると見られやしないか。乗客の目が妙に気になってしまう。
「後ろ空いてるよ!早く早く!」
「あ、ああ」
客の爺さんがこちらをじろりと睨む。頭を下げて里琴を追いかけ、一番うしろの席に並んで腰掛ける。
「あまり大きな声は出さないように」
「はーい」
返事は良かったが、里琴のテンションの針は高止まりしたままだった。
車窓を流れゆく店舗看板や通行人の容姿を材料に、マシンガンのように俺に喋り掛ける。
「見て!あんなところに美味しそうなパン屋さんがあるよ」
「ああ、そうだな」
「今度いってみようよ!今日の帰りでもいいかもね。ここからなら歩けるし。あれはピザ屋さん?お昼ごはんピザでもいいね。待って、牛丼屋だ。あ、あの人綺麗な髪してる・・・あー、でも年は結構いってるね。残念」
「そういうことは言うものじゃない」
俺は乗客の耳も気にしながら、できるだけ小さい声で言った。バスにはそれなりのお年を召した女性も乗っているのだ。
「マッサージ屋さんもあった!」
「そうか」
「そういえば、この前マッサージどうだった?気持ち良かった?」
「ああ」
「途中で寝ちゃってたもんね」
「そうだったな」
「リコがマッサージやってあげるから、先生はマッサージ屋さんに行かなくて済むね」
「そうだな」
「ところでアワセンタイマッサージって何?」
「・・・」
俺は里琴が指さす先を見た。明らかに通常の「マッサージ」の意義を外れる「マッサージ」を提供する店だった。泡洗体!オイル!リンパ!などと派手な文字がピンク色の看板に踊っている。俺は咳払いをした。気のせいか、さっきよりも周りの空気が張り詰めているような気がする。
「・・・身体を洗ってくれるんじゃないか」
「うそっ!マッサージだけじゃなくて、身体も洗ってくれるの?そんなのあるんだ。え、でもじゃあ服はどうするの?脱ぐの?」
「かもしれない。分からない」
俺は消え入りそうな声で言って、ペットボトルの水を口に含んだ。
「行ったことないの?」
「ない」
「ふーん。・・・じゃあ、こんどはリコがお家でセンタイマッサージしてあげようか?」
俺はペットボトルの水を盛大に噴いた。斜め前に乗っていたご婦人が、険しい目を向けてくる。
「ちょっと、大丈夫?」
「いや、ちょっと咽ただけだ」
「ならいいけど。気をつけてね、お父さん」
今度は本当に咳き込んだ。
お父さん?
今、「お父さん」と言ったか?
里琴を見ると、涼しい顔をして前方を見ている。
「あ、お父さん!このバス停だ。降りよう」
「あ、ああ」
里琴に連れられるようにして、俺はバスを降りた。
バスが走り去るのを見送り、あたりを見回した。目的地としていた大型商業施設は見当たらない。俺はスマホの地図アプリを開いた。
「このバス停・・・違わないか?」
「・・・そうみたい、だね」
「あとバス停2つ分ぐらい距離があるようだが」
「早く降りちゃったかな」
里琴は舌を出した。
「次のバスは・・・あと20分もあるぞ」
「そっか。じゃ、歩いて行こうか!」
「歩き・・・」
「天気もいいしさ。ずっとバスの狭い中だと、身体も固くなっちゃうからね。行こう!」
里琴は一つ大きな伸びをして、歩き始めた。
バス停2つなら、歩いても、次のバスを待っても、時間的には変わらないかもしれない。
俺は釈然としないものを感じながらも、「あるこー、あるこー」と歌う里琴のあとを追い、歩き始めた。
しばらく歩くと、河川敷に出た。この川を渡れば隣町に入り、そこに商業施設があるはずだった。
「わー、見晴らしいいね」
「ああ」
ボール投げなどをして遊ぶ親子。川沿いのベンチに座るカップル。いろいろな人たちが、思い思いに三連休最後の一日を楽しんでいる。
河川敷には雑草の花も咲き始めているようだった。白い花や青い花が、それぞれモザイク模様のようなコントラストを描いている。
「あの青い花、オオイヌノフグリっていうんだよ」
「そういえば、そんな名前だったか」
「フグリってなんだか知ってる?」
くすくすと里琴は笑った。センタイマッサージと違って、今度は確信犯のようだ。俺は無視して歩き続けた。
「ねえ先生」
「ん?」
「手つなごうか?」
「つながない」
「えー、なんで?」
「なんでも」
「恥ずかしいの?」
「・・・」
里琴はそれ以上しつこくもせず、手を引っ込めた。
俺は里琴がバスの車内で発した「お父さん」という言葉を思い出していた。あれはどういう意味だったのか。
しかし、今里琴は、俺のことを再び「先生」と呼んでいた。
では、バスでは単に間違えただけなのか。あるいは――、俺のことをお父さんと呼びたかった?
「あ、あれだ!あの建物だよ!」
遠くに商業施設の看板が見えていた。元気よく駆け出していく里琴を、俺はとろとろした走りで追いかける。
他人から見ると、仲睦まじい父娘に見えるだろうか。




