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#18 パジャマ

 数分後、洗面所のドアが開いた。今度はしっかりパジャマを着ている。パジャマの柄は、何年か前に流行ったアニメのキャラのようだった。里琴の年齢にしては、少し子どもっぽいような気がした。いや、10歳だとこんなものなのか。


「いいお湯だったよ。シャワーだけどね。先生も入るでしょ?」

「ああ・・・そうするか」


 昨日は寝落ちして風呂に入り損ねていた。ホットクックの出来上がりまではまだ少し時間がありそうだし、飯の前にひとっ風呂浴びるのも良いかもしれない。


「ご飯はどうしよう?リコが作ろうか?」

「もう作り始めている。もうそろそろ、できあがる頃だ」

「例の自動でできるやつ?ふーん」


 里琴は少し不満そうだったが、できあがるものが「ペスカトーレ」だというと、好奇心に目を輝かせた。


「なにそれ!食べたことない!」

「出来上がってからのお楽しみだな」

「お皿、並べておくね!」


 俺は洗面所に入り、服を脱いだ。洗面所には鍵がないので、なんとなく落ち着かない。俺は手早くパンツを脱ぎ、洋服を洗濯機に入れようとして、ふと気がついた。

 さっき床に脱ぎ捨てられていた里琴の洋服が、ドラム槽に入れられている。


 しかし、俺の洋服などと一緒に洗って良いものなのだろうか。あのワンピースは少なくとも洗濯ネットに入れた方が良いかもしれない。俺は里琴の洋服を、まとめて洗濯槽から取り出した。


 ドアが開いたのはその時だった。


「お皿、これでいいかな?それとも・・・」


 俺はとっさに、手に持っていたもので股間を押さえた。手に持っていたものとは、すなわち里琴の洋服や、スクール水着だった。つまり、里琴からすると、「自分の洋服を股間に押し付けている全裸男性」が立っていたということになる。南無三。


 里琴の悲鳴が響き渡った。



「あれは誤解なんだ」


 皿に盛られたペスカトーレを前に、俺は釈明を試みていた。

 あのワンピースをそのまま洗うと、繊維が傷ついてしまう恐れがあること。それを避けるために、一度洗濯物を取り出したこと。そして、とっさに洋服を使って股間を隠してしまったこと。これは自分の恥ずかしさもあるが、それ以上に里琴を気遣ってのことなのだ、という言い訳がましいこと等々。汚職を追求される政治家の気持ちが、少し分かったような気がした。


「いいよ」

「・・・」

「別に、怒ってないから。気にしなくていいよ」

「本当?・・・ありがとう」

「だって、先生がヘンタイだって、分かってるからね」

「え」

「なんかテレビで見たことあるんだ。義理のお父さんが娘の下着の匂いを嗅いだりとか」

「な・・・」

「だからいいんだ。先生と一緒に住むってことは、そういうこともあるって。覚悟してるから。だから気にしないで!」


 里琴は屈託のない笑顔で言った。

 俺はすごい早口になってあれこれと反論を試みたが、その全てを「はいはい」と受け流された。


「もう言い訳はいいから。冷めちゃうから食べよう!いただきまーす!」

「・・・うむ。いただきます」

「ん・・・んん!んんん!」


 里琴はパスタを口に頬張ったまま、目を見開いた。


「美味しい!なにこれ!これがペスカトーロ?」

「レだ。スカトーロじゃない」

「ペスカトーレ、最高じゃない?」


 里琴はフォークを忙しく操り、イカやムール貝を口に運んでいく。

 あまり食事マナーは良くないのか、口を皿に持っていく、いわゆる犬食いのような食べ方で食べている。俺はそれとなく注意しようと思ったが、それ以上にまずいことに気がついた。


 里琴の着ているパジャマは、相当程度の年数が経過しているようで、首元がゆるゆるになっているのだ。つまり、里琴が前かがみになるたびに、胸元が覗けてしまうのだ。かなりの範囲で。


 俺はまたしても里琴を正視することができなくなった。そんな俺をお構いなしに、里琴は俺に話しかけてくる。


「美味しいね。ホットクック?も中々やるもんだね」

「ああ」

「でも、やっぱり面白くないんだよなあ」


 里琴はムール貝の殻に残されたトマトソースをフォークの先でほじくっていた。


「明日はリコがお料理作りたいな。いい?」

「明日・・・」


 俺は里琴がペスカトーレをほぼ食べ終わっているのを確認してから、落ち着いて口を開いた。


「明日もそうだが、いつまでもここにいるわけにはいかないだろ」

「ふぇ?どうして?リコはここにいても問題ないよ」

「君の気持ちの問題じゃくて。ほら、俺はお父さんではないわけで」

「じゃあ「お兄ちゃん」って呼べばいいの?」


 俺は咳払いをした。


「そうじゃない。赤の他人が一緒に住むのはおかしいということだ」

「おかしくないよ。だって、世の中の結婚している人だって、知り合う前は赤の他人じゃん」

「それは話が違う」

「同じだよ!リコが先生と結婚するかもしれないし」

「ありえない」

「わかんないよ」

「・・・そういう話をしているんじゃない。同棲するカップルは大人だけど、君はまだ子どもだ」

「年の差の問題?じゃあ、あと6年間待って。あー、でも先生が浮気しなければ、かな」


 俺はため息をついた。話が前に進まない。


「そんなことより、明日のご飯だよ!リコが作ってもいいでしょ?」

「材料が何もない」

「買いに行こうよ!」


 里琴は近くのスーパーの名前を挙げた。

 そうか、この子とは生活圏が同じなのだった。そこで俺はふと気がついた。そのスーパーには里琴を見知っている者も来ることがあるだろう。見知らぬ中年男性と歩く里琴を目撃されたら・・・?

 間違いない。通報案件だ。少なくとも俺が目撃者であれば、市民の義務を果たすだろう。


「一人で行きなさい」

「やだ。先生と一緒がいい」

「・・・」

「先生と一緒に買物に行きたいの。一人で行ってもつまんないもん」

「いや、そうはいっても」


 俺は通報されるリスクについて説明した。


「やっぱり年の差カップルには世間の目が厳しいんだね」

「変なこと言うな。カップルじゃない」


 里琴はへへへと舌を出した。


「要はさ、誰にも見られなければ問題はないわけでしょ」

「・・・まあな」

「じゃあ、スーパーじゃなくて、ちょっと遠いとこに行こう!丁度いいじゃん!その方が楽しいし!遠いとこなら私たちのこと、誰も知らないでしょ?本当の親子だって思われるよ」

「まあ、そうかもしれないが」

「決まりだね!明日はお出かけだ!」


 里琴は椅子からジャンプして喜んだ。そのたびにパジャマのゆるゆる胸元が波打ち、俺はまた目線のやり場に困った。



「そろそろ寝るね」


 里琴の声で、俺は仕事用PCから目を離した。里琴の腕には「みーちゃん」がひしと抱かれており、就寝態勢万事整ったという感じだった。


「ちょっと待った。写真を撮らせてくれ」

「いいよ。・・・でも、どうして?」


 俺は里琴にスマホを向け、一枚撮影した。子どもはカメラを向けられると反射的にピースポーズを決めるのは、いつの時代にも共通しているのだろうか。


「もっとセクシーなポーズした方がいい?」

「結構だ。この写真をお母さん宛に送っておく。毎日送っておこうと思うんだ。君が無事に暮らしているという証拠に」

「ふーん」


 「無事に」というのは、俺が手を出していないという意味も含めての言葉だった。もちろんそんな気はさらさらないが、世の中、どんな言いがかりがあるか分かったものではないのだ。


「俺からだけじゃなく、そっちからもお母さんに毎日メール送っておいてくれ」


 里琴はそう言われ、一瞬言葉に詰まったような表情を見せた。


「いいけど。返事とかは来ないと思うよ。もともとレスの悪い人だし」


 確かに、と思った。

 昨日から里琴の母親には何通かメールを出していた。抗議のメールや、いつ帰ってくるのか具体的な日程を求めるメール等だったが、いまのところ何の返信もない。人は見た目で判断するものではないが、筆不精もさもありなんと思わせるような雰囲気が、あの母親にはあった。


 それでも、メールを送り続けることぐらいしか、今の俺にできることはない。俺はピースサインの写真をメールに貼り付け、再度いつ帰ってくるのか等の質問をつけたうえで、母親宛に送信した。


「よし、これで送信完了だ」


 俺はスマホを印籠のように里琴に向け直した・・・つもりだったのだが、里琴はすでにそこにいなかった。

 ベッドを見ると、里琴は大の字になって寝息を立てていた。

 やれやれ。俺は苦笑し、俺の新しい寝床であるリビングソファに向かった。

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