表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/56

#15 外出

 俺が向かったのは、里琴が住んでいたという家だった。

 もしかしたら、家を引き払ったというのは事実ではないのかもしれない。それを確かめておきたかった。


 それにしても、この時間は仕事をしているはずだったのだが。まったくリズムが狂ってしまった。物書きのような自由業こそ、規則正しい生活が重要なのだ。

 耳の奥には、掃除機の音が耳鳴りのように残っている。

 一緒に生活など、できるわけがない。とっとと里琴を追い出さなければ。


 里琴の家にまだ出入りできるようであれば、無理やりにでも里琴をそこに返そう。俺はそう決心していた。彼女ももう10歳だ。自分の家であれば、親がいなくてもきっと生活できる。

 冷たい?

 捨て猫のようにそこらに放置するよりは、うんとマシだろう。感謝して欲しいところだ。


 あらかじめグーグルマップに打ち込んだ住所は、拍子抜けするほどに近かった。歩いて5分もしないうちに、俺は目的地に到着していた。


 目の前には古いアパートがあった。古い、といっても並の古さではない。おそらく築30年は経過しているだろう。排水管や配電盤はドアの横に剥き出しになっており、錆びついた鉄製の階段が据え付けられている。


 里琴の家は203号室とのことだった。階段を一段上がるたび、カンカンとレトロな音が鳴る。


 203と刻印されたドアの横には洗濯機が置いてあった。ずいぶんと年季が入ったものだ。押しボタンがプラスチックでできている。

 待て。洗濯機が置いてあるということは、まだ誰か住んでいるということではないか。俺は一縷の望みを掛けて呼び鈴を押した。キンコーン。これまた古臭い音が鳴る。


 応答はない。もう一度押すが、結果は同じだった。ドアの奥には人の気配がないようだ。


「どなた様?」


 驚いて声の方を見た。いつの間にか隣の部屋のドアが開き、婆さんが仁王立ちしていた。掃除中なのだろうか。水の入ったバケツを持っている。


「後藤さんなら、もういないよ。金を取り返したいなら、諦めるんだね」

「金・・・?」


 婆さんはサンダルの音を響かせてこちらに近づいた。そして俺をジロジロと眺めた。


「ふうん。借金取りじゃなさそうだね」

「は、はい。怪しいものではありません」


 後藤家の遠縁にあたるものだと、適当なことを言った。


「実は後藤さんと急に連絡が取れなくなって。心配して、訪ねてみたんです」

「ふん。もう戻って来ないだろうね」

「どうしてですか。この家には誰も住んでいないのですか」

「残念ながらね」

「引っ越されたということでしょうか」


 婆さんは首を振った。


「夜逃げさ」

「・・・」

「かなり借金していたみだったたからね。そりゃひどいもんだったよ。毎日借金取りが押しかけて来てて。この通り壁が薄いボロアパートだからね。アタシも毎日うるさくて仕方なかったわ。大声を上げてドアは叩くわ洗濯機は蹴り飛ばすわ」

「それは大変でしたね」

「最近はアタシが水をぶっ掛けて追い返してたんだけどね。ほれ、今もアンタにぶっ掛けるとこだった」


 俺は冷や汗をかいていた。実は親族でもない赤の他人だとバレたら、俺もずぶ濡れになる運命だろうか。


「安心しな。アタシは人を見る目だけはあるから。アンタは、悪い人じゃない」

「お褒めにあずかり光栄です・・・。ところで、そんなに借金があったのは、何か事情があったのでしょうか」

「そんなの、決まってる。アンタも親戚なら、あの母親を知っているだろ?」

「はあ」

「毎日夜に出歩いて、服ばっかり買って着飾って、家のことは何もせんで」


 ヒョウ柄のコートにサングラス、シャネルのイヤリング。さもありなん。


「アンタみたいな親戚の人を前にして言うのも何だけど、アレは治らんわ。死ぬまで治らん」

「ここを出て、どこに行かれたかは分かりますか?」

「分からんね。夜中にゴソゴソやっとって、次の朝に何もなくなっとったから」


 言うと、婆さんは後藤家のドアノブに手を掛けた。

 てっきり鍵が閉まっていると思っていたドアは簡単に開き、ギーギーと音を立てた。

 俺は玄関口から部屋を見渡した。ところどころ剥がれた壁紙。今にも外れそうな窓枠。家財道具は何もなかった。まだ昼だというのに、部屋全体が薄暗い。建物を見たときから思っていたが、もともと日当たりが良くないようだ。


「何もなくなっとるだろう?もう戻って来んわ、これはな」

「なるほど・・・。ちなみに、彼女には子どもがいたと思うのですが」


 俺が里琴の話を切り出すと、婆さんは痛みを耐えるような表情を浮かべた。


「あの子・・・里琴ちゃんは、ほんに可哀想やった」

「・・・」

「アタシにも毎日顔が合うたびに挨拶してくれて、買い物の袋を持って上がってくれたり・・・。何度かうちに上げてご飯も一緒に食べてたんよ。食器洗いや、お掃除までしてくれて。アタシは不思議で不思議で。なんであんな母親にあんな出来た子どもが生まれるのか」


 婆さんは涙でも流し出しそうな雰囲気だった。


「里琴ちゃんは、あなたにずいぶんなついていたのですね」

「本当に・・・。あの事件までは」

「あの事件?」


 婆さんは、一瞬ためらった表情を浮かべたが、自分から口を開いた。


「あれは一ヶ月ぐらい前だったかな。アタシも里琴ちゃんがいると楽しくてね。一緒にテレビを見たり、おかきを食べたり。笑いの耐えない日々でね・・・。ただ、あの子は自分からウチに来るようなことはなかったんよ。遠慮がちなところがあるからね。ところがある日、あの子が自分からウチを訪問したときがあってね。珍しいもんだから、どうしたんだと思ったのよ。これは何か相談事でもあるんじゃないかって。でも、特に何もなくて、時間が過ぎて」


 婆さんは一度言葉を切った。


「ピンと来るものがあってね。やっぱり子どもだから、その辺は隠せないわな。アタシはわざとトイレに立って、ドアの隙間から様子を見ていた」

「・・・」

「あの子がバッグに手を伸ばし、財布を手に取ったところで声を掛けた。間違いであって欲しい、と思ったんだけど」


 里琴は泣いて侘びたらしい。


「もちろんアタシは分かっていたんよ。あの子が自分からそんなことをやる子じゃないってことは。誰が黒幕だってこともね。母親が、お金を盗むよう指示したということも」

「里琴ちゃんが、自分でそう言ったのですか」


 婆さんは首を振った。


「言わないんよ。あくまで自分がお小遣いが欲しくてやったって」

「・・・」

「マインドなんとか?ってやつやね。洗脳。ほれ「万引き家族」って映画と同じじゃ。・・・里琴ちゃんには「お母さんの指示なんかに従う必要はない。今回のことは気にしないから、また来たくなったら来ていいから。里琴ちゃんは悪くないから」って言うたんだけど」


 その後、里琴が婆さんの家を訪ねることはなかったという。


「アタシは心配でね・・・あの子、整った顔立ちをしているでしょう?もうちょっと年齢がいけば、母親に働かされると思うんよ」

「働かされる・・・それは、いわゆる違法な店とかで」

「そう。そこで働かされて、その稼いだお金を母親に渡すようになる」

「そんな酷いことが・・・」

「いつの時代もそういう家庭はあるんよ。お兄ちゃんは知らないかもしれんけど。この世界の、吹けば飛ぶような片隅にはね」


 婆さんは凝った言い回しをして、俺の腕を握った。意外と強い力だった。


「アンタは遠縁いうてたね。もし、リコちゃんをどこかで見つけたら、あの母親の元に戻したらいけんよ。あの子は・・・どこかちゃんとした、幸せな場所で暮らすのがええのよ」

「幸せな場所・・・」

「あの子はええ子。人のことを考えてあげられる、人を喜ばせることが好きな純粋な子。・・・どうか、あの子を救ってあげてください。お願いします!」


 婆さんはもともと曲がった腰をさらに曲げ、頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ