#11 俺のベッドで女児が寝ている件
「さっきの?お母さんのやつ?」
「うん」
「もう消しちゃったよ」
「・・・は?」
「リコのスマホ、容量少ないんだよね」
「ちょ、ちょっと。動画フォルダを見せて」
俺は里琴からスマホを取り上げた。カメラロールには、アニメの動画がいくつか入っていたが、母親の動画は影も形もない。
いや待て。たしかiPhoneには一度削除した動画や写真を、しばらく溜めておく場所があったはずだ。俺は急いで「最近削除した項目」を開いた。
・・・なかった。「最近削除した項目」フォルダには、何のファイルもなかった。
「そこに入ってると、空き容量が増えないんだよね・・・だから、そこからも消したの」
「・・・そうか。つまり、お母さんの動画は、どこにも残ってない・・・ということか」
「だね」
俺はガクリと肩を落とした。最近の小学生はスマホの構造にも詳しいらしい。
「そんなに動画を見たかったの?ごめんね先生。元気だして」
里琴の小さな手が俺の背中に置かれた。
「お母さんが帰ってきたら、また撮ってもらえばいいよ!」
「そういう問題じゃない」
「フクザツなんだね。でも、私は先生と一緒で嬉しいよ」
「・・・」
「先生、優しいから。さっきのココアも美味しかったし。なんか上手くいえないけど、別の人じゃなくて、先生で良かったと思うんだ。うん」
里琴は俺の背中をぽんぽんと叩き、ソファに戻った。
(先生と一緒で嬉しいよ)
その言葉が、頭の奥で何度も反響した。心がじんわりと熱くなる。今までの人生で、およそ掛けられたことのない言葉だった。俺が一緒で、嬉しい?
――いや、今はそれどころではない。考えろ。考えるんだ。
頭を冷やすために仕事部屋兼寝室に入り、PCチェアに腰掛けた。
いまいちど、状況を整理する。
俺の家にはなぜか小学四年生がいて、彼女には帰るところがない。里琴の母親は、里琴がオーディションに合格すれば帰ってくるというが、その保証はない。
母親には、現段階で連絡がつかない。連絡先として渡されたアドレスにメールを出して抗議するぐらいはできるだろうが、どれだけの効果があるかは疑問だ。だいたい携帯を解約しているということは、送られたメールすら見られないのではないか。
つまり、母親に連絡を取り、里琴を引き取らせるというのは、解決手段として現実的ではない。
次に、警察や児童相談所だ。これはリスクも高いような気がする。俺はベッドをちらりと見た。ベッドの下には段ボールに入った「資料」が置かれたままだ。これを捨ててから、警察を呼ぶ?だが、資料をどこへ捨てる?資料を外に持ち出すこと自体がリスクだ。ましてや、俺は車を持っていないのだ。
それでも、他に解決方法は思い浮かばない。
他の親戚に連絡を取ろうにも、祖父や祖母もすでに他界しており、身寄りはないということだった。里琴の暗い表情みると、嘘をついているとも思えなかった。
やはり今日中に資料をどこか遠くに廃棄し、明日に警察に連絡をする。
それが最も現実的な解決方法かもしれない。
明日?
待て。明日になるということは、つまり里琴がここで一夜を明かすということだ。これはまずい。今後警察に相談することになった場合、ますます言い訳が効かなくなる。
行動するなら早いうちがいい。
要は「資料」さえ見つからなければいいのだ。いきなり家宅捜索されることはあるまい。最悪警察署で取り調べられることになっても、里琴さえ証言してくれれば、俺に誘拐の意図はないと分かるはずだ。
俺はスマホを手に取り、初めて「110」をダイヤルしようとした――が、指は動かなかった。頭の中では里琴の言葉がこだましていた。
(先生と一緒で嬉しいよ)
里琴はそう言っていた。彼女を警察や児童相談所に預けてしまうことは、本当に彼女のためになるのだろうか。
少なくとも彼女は俺を頼っていて、ここにいることが幸せではあると言っているのだ。人生において、初めて俺を必要としてくれた子を、追い出してしまう。それは正しい行動なのだろうか。人間としてどうなのか。
せめて今日だけは、ここに置いてやってもいいのではないか。
もしかしたら、明日に母親が戻ってくるかもしれないのだ。それまでは、せめて。
いや待て。
一日でも経つと取り返しがつかないと結論したではないか。母親が帰ってくるまで何日かかるか分からないのだ。これが何ヶ月も経ってみろ。少女誘拐だけでなく、監禁犯ではないか。
大体、俺が誰かと一緒に住むということに耐えられるわけがない。実家を出てから長い間ひとり暮らしを続け、せいぜい橘くんぐらいしか会話相手もいない自分が。赤の他人と。しかも相手は子どもだ。ありえない。だが、他にどうすれば・・・。
頭がぐちゃぐちゃだった。
・・・そういえば里琴をリビングに放置したままだ。いずれにせよ、里琴には今後どうするか、話しておかなければならない。
俺は立ち上がり、リビングに向かおうとした。そこで視界の隅に、違和感を覚えた。
違和感の正体は、ベッドだった。正確には、ベッドの上に乗っている何
・
か
・
だった。
「・・・!?」
里琴だった。
里琴が、俺のベッドで寝ていた。掛ふとんの上に、倒れ込むように寝ていた。スカートの裾が台形に広がり、胸には「みーちゃん」が抱かれている。いつの間に入ってきたのか、まったく気が付かなかった。
里琴はすでに深い眠りに入っているようだ。すやすやと寝息をたて、呼吸とともに胸が上下している。
なんでこんなことになったんだ。
俺は今日一日、いやここ一時間ほどの怒涛のような流れを思い出し、深くため息をついた。
とりあえず里琴を起こさなければ。俺は里琴の肩に手を伸ばしたが、そこで思いとどまった。
無防備な寝顔を見ていると、里琴の言葉が胸に蘇る。
(先生と一緒で嬉しいよ)
今日は大人でも辛いような寒さだった。それに、オーディションの緊張もあっただろう。
もうちょっと寝かせてやってもいい。
(なんか上手くいえないけど、別の人じゃなくて、先生で良かったと思うんだ。うん)
一日ぐらいは、いいか。
明日になってまた考えれば良い。母親も連絡を寄越すかもしれない。
俺は予備の毛布を取り出し、里琴の上に掛けた。起こさないよう、そっと。




