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#10 通報

 画面が消えたスマホに、俺の間の抜けた顔が映った。狐につままれたようだった。この短時間に入ってきた情報量が、あまりに多すぎた。


「先生大丈夫?もう一回見る?」

「いや」


 俺は首を振り、里琴にスマホを返した。終わりのない悪夢を見ているような気分だった。


(あ、もし緊急の連絡があれば、里琴に教えている連絡先に連絡してくださいね。ないことを祈っていますけど。)


 緊急の連絡・・・今だ。今が緊急事態だ。あのふざけた母親をすぐに迎えに来させ、里琴を引き取ってもらうしかない。


「後藤さん」

「里琴ちゃんでいいよ」

「お母さんの連絡先を教えてくれる?」

「ん?」

「さっき動画で言ってた連絡先。後藤さん・・・里琴ちゃんに教えてあるって」

「あー。・・・これかな?」


 里琴はポケットの中から、二つ折りのメモを取り出した。半ば奪うようにそれを受け取り、中を見た。この番号に電話を掛ければ――。

 だが、メモに書かれていたのは数字ではなく、アルファベット文字だった。


「これは・・・メールアドレス?」

「そうみたいだね」

「これだけか?お母さんに貰った連絡先は」

「うん」

「電話番号は?」

「知らない」

「知らない!?」

「うん」

「お母さんの携帯電話だよ?番号知ってるだろ?」

「前のは知ってたけど・・・。もう、なくなっちゃったから」

「なくなった?」


 里琴によると、母親の携帯はあるにはあったものの、すでに解約してしまったらしい。その代わりに渡されたものが、このメールアドレスいうことだった。

 俺は里琴のスマホに登録してあった、里琴の母親が以前に使っていたという電話番号に発信してみた。だが、返ってきたのは「現在使われておりません」という非情なアナウンスのみであった。


「お家の電話番号は?」

「ウチの?ないよ」

「ない・・・」


 携帯電話が普及してから固定電話回線を引いていない家庭が増えていると聞いたことがある。里琴の家もそうなのだろう。それ自体は珍しいことではない。


 珍しいことではないが、俺は途方に暮れた。時刻は20時を回っている。時間を浪費している暇はない。


「他に連絡がつく人はいるのか?」

「ん?」

「たとえばおばあちゃんとか・・・」


 里琴は 首を振った。


「いない。死んじゃった」

「・・・じゃあ、おじいちゃ」

「おじいちゃんもおばあちゃんも。死んじゃってる」

「・・・そう」

「動画で言ってたでしょ。ウチ、お母さんしかいないんだよね。お母さんの兄妹とかも会ったことないし」

「・・・ごめん、変なことを聞いた」

「いいよ。気にしない」


 里琴は暗い声で言って、スマホに目を戻した。

 そんな里琴を見ていると後ろめたい気持ちはあれど、いつまでもこの家に置いておくわけにはいかない。本来の家に帰ってもらうしかないのだ。


「ここまで来た道を引き返すだけだから、帰れるよな?」

「・・・」

「一人が怖ければ、送っていってもいい。里琴ちゃんのお家はどこにあるの?」

「お家?ないよ」

「ない・・・」


 俺はふっと息を吐いた。さっき尋ねた固定電話のことと間違えているのだろう。


「それは電話番号のことだろ?」

「ううん。お家のことでしょ?」

「・・・」

「ないよ」


 里琴はスマホから顔をあげ、邪気のない笑顔を浮かべた。


「お家、なくなっちゃったの」


 里琴はキャリーバッグを指差した。「だから、あれに全部入れてきたんだ。みーちゃんとか。あ、みーちゃんっていうのはリコが気に入ってるうさぎのぬいぐるみなんだけど。見る?」


 里琴はこちらの返事も待たず、キャリーバッグを開けて、一番上からぬいぐるみを取り出して、胸に抱きしめるようにした。使い込まれているのか、洋服はほつれ、くたくたになっている。


「あのね、みーちゃんはね、リコがちっちゃい頃からいつも一緒なんだ」

「・・・わかった。みーちゃんの話はあとで聞こう。お家がなくなったというのは、どういうことだ?」

「お引越ししたの」

「・・・」

「前はここに住んでいたんだけど」


 里琴はランドセルから手帳のようなものを出した。学校との連絡帳のようだ。表紙をめくると住所が書いてある。この家の近くだった。


「先生のうちからでも、転校しないで今の学校に通えるんだ。すごいでしょ?」

「・・・今、この家には誰がいるんだ?」

「もう誰も住んでないよ。リコたちが引っ越したから」


 里琴の話はなかなか要を得なかったが、どうやら家は引き払ってしまったようだ。つまり、その家に行っても母親はいない。それどころか誰もいないということだ。俺は動画の内容を思い出した。用事で長期間留守にするとは言っていたが・・・。


 話は終わったと言わんばかりに、里琴はスマホでゲームをやり始めていた。


 どうすればいい。俺はテーブルに肘をつき、目頭を揉んだ。

 このまま里琴をここに置いておくわけにはいかないだろう。それはわかる。だが、どうすればいい。このまま里琴を追い出しても、彼女には帰るところがないのだ。


(やはり・・・警察に連絡するか)


 あるいは児童相談所か。とにかく、母親のいない子どもを保護してもらえそうな機関に連絡をする。とりあえずは、これが俺の打てる最善手だろうか。


 俺は自分のスマホを手に取ったが、はたと思いとどまった。


 待て。仮に警察に連絡をする。そうすると、何が起こる?警官がこの家まで来る。おそらくパトカーか何かで乗り付けるのだろう。


 彼らがこの状況を見たら、どう思う?


 自称作家を名乗る怪しい中年男性。書いている作品の主人公は小学生。そんな犯罪者予備軍の家に小学生がいる。この状況で、「この子が家に押しかけてきたんです!」と主張して、彼らはその主張を受け入れるだろうか。

 否。殺人事件などでも、第一発見者がまず疑われるというではないか。間違いなく、彼らは俺を誘拐犯として見てくるはずだ。下手をすると、ポケットなどに違法なものを持っていないか等まで調べられるのではないか。家宅捜索もされるかもしれない。


 そうなると・・・。


 俺は「資料」の存在を思い出した。ベッドの下に眠っている資料は、小学生を主人公とするラノベを上梓したときに、ファンを名乗る男性から送られてきたものだった。当時は担当編集者すらおらず、編集部付で来たものがそのまま転送されてきたのだ。

 資料としてお使いください、と称された送付物は、遠回しに言うと、昭和の小学生の生の姿が見られるような「資料」が数冊入っていた。今では所持すら違法とされている類のものだ。

 その資料は、現在もベッドの下に保管してある。捨てれば良いのだが、ゴミ捨て場で発見されるリスクも考えると、どうにも行動に踏み切れずにいたのだ。


 もし、資料を発見されれば・・・。


 俺の頭の中に新聞見出しが駆け巡った。「(自称)作家、小学生を自宅に連れ込み逮捕」「創作のイメージ作りなどど供述」「自宅からは大量の児童ポルノが発見」等々。


 まずい。これはまずい。最近も某少年マンガ誌の剣劇漫画を描いていた先生が児童ポルノ所持で挙げられていたではないか。あの先生は逞しくも連載を再開させたようだが、自分のような零細作家は再起不能だろう。作家生命のみならず、社会的にも終わってしまう。


 いや待て。そこまで考える必要はない。要は里琴の母親がいなくなり、自分に面倒を押し付けていることを証明すればいいのだ。そして、それを証明する動画もある。


「里琴ちゃん」

「ん?」

「さっきのスマホの動画、もう一度見せてくれるか?」

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