ギャル包囲網
「おはよう、へえちゃん」
月曜日の登校中、陽代美から託された相談内容について考えを巡らしていると、一人の男子生徒から話しかけられる。二年D組の杉山卓、小学校からの友人だ。
「おはよう、卓。今日は朝練ないのか?」
「うん、中間テストも近いからね。朝練はしばらくなしって顧問の先生が言ってたんだ。うちの卓球部、赤点とる部員が多くってさ」
「別に卓球部だけってわけじゃないだろうけどな」
卓は二年にして卓球部のエース。去年の県別新人戦で一年ながら個人の部で優勝を果たした実力者だ。身長は俺より低いが、細身で鍛え上げられた身体だと制服の上からでもわかる。
「それでさ、へえちゃん。なにか悩みごと?」
「え、なんだよ急に」
「なんか難しい顔してたから、珍しいなって思ってね」
「……相談を受けてさ。解決案を考えていたんだ」
「へえ、誰から相談されたの?」
「悪いが言えない。内密にって言われているから」
「そっか……でもよかった。それってへえちゃんに友達ができたってことだもんね」
相変わらず察しがいい。
卓球の影響なのか、俺の行動や思惑を先読みしたり正確に言い当ててくるのがたまに怖い。それでも中学の頃は同学年で唯一味方をしてくれた大切な友人だ。
卓と雑談をしつつ昇降口に向かい、二年の教室がある東棟に向かい別々の教室に入る。
教室内はいつもどおり朝の風景が拡がっていた。しかし、俺の平穏な高校生活に少しばかりの変化が起こる。
「おはっすう、キクちゃん」「おはよ、キクちゃん」
「おっはよ、キクっち」「おはよう、キク」
「お、お、おはよう」
教壇の近くでたむろしていた東と西尾、それにギャル五人衆から挨拶され、戸惑いつつも挨拶を返し自分の席に着く。
席に着いたあとは特に絡まれることもなく、彼らは教室内の後方にある自分たちの席に戻っていった。
先日同行したことにより仲間意識でも持たれたのだろうか。挨拶をすることはいいことなのだが、いきなりのことにびっくりした。
そして思考を切り替える、先日女王様からの相談内容について、どう動くべきか。
『同じクラスの柳さんが、漫画研究部の岡部くんから漫画のモデルを頼まれて困っている。助けてあげて欲しい』
陽代美に相談を持ち掛けたのは、文芸部に所属する黒髪ロングの柳さん。彼女は俺ほどではないが、一人でいる割合の高い女生徒だ。
そして漫画研究部の岡部くんも同じクラスにいる男子生徒で、オタクグループの一人。
そんな彼が女子にモデルを依頼したとは意外に思えた。
柳さんは困っている、助けてあげて。
なんとも曖昧な陽代美からの相談内容なのだが、もしもモデルが嫌なのであれば断ればいい。しかし柳さんは断ることなく陽代美に相談をした。
いまいち状況が呑み込めない。これは当人たちから直接話を訊くほかないだろう。
都合のいいことに、朝のHRまでは少し時間もあり、件の男子生徒の周囲には人がいない。俺は席をたち、廊下側の席に座る岡部くんにできるだけ声を落として話しかける。
「岡部くん、少しいいかな」
「はい、なんでしょうか菊地くん」
彼は少し変わった話し方をする。
それでも兄に似ている彼は幾分か話しかけやすいほうで、岡部くんの前にある空いた席に腰を掛ける。
「岡部くんが柳さんにモデルを依頼しているって本当?」
「ぶほっ、だ、誰からその話をっ。まさか柳さんから?」
「いや、細かいところは省くけど二人の話を訊いてあげてと相談されてさ。それで、どうして柳さんに漫画のモデルを?」
「……いえ、漫画ではなくイラストのモデルなのです。某は学校では漫研で活動をしておりますが、自宅ではSNSなんかでイラストを投稿したりしているのです。それで今度ウエブ上でイラストコンクールなるものがあり、そのモデルに柳さんが適任だと思いまして是非お願いできないかと……」
顔を紅潮させ、眼鏡の位置を何度も直す彼は恥ずかしそうにしている。
恐らく岡部くんも俺と同様、女子に対する免疫は低いように思える。そんな彼が勇気を振り絞ってモデルを依頼したのだ。同じ男として協力をしたい。
「モデルって他の人じゃダメなの?」
「はい、今度のイラストコンクールのテーマは文学少女でありまして。某の知る限り、柳さん以上に相応しい人物はおりません」
彼の言葉に耳を傾けつつ、遠くの席に座る柳さんを見れば、文庫本を開き周りの喧騒から隔絶された空間にいるような錯覚に陥る。
彼のいう文学少女に適する人物であれば、派手な格好を好む生徒が多いクラス内でも彼女だけだろう。
「それで菊地くん、やはり柳さんはモデルを嫌がっているのでありましょうか?」
「まだわからない、かな。柳さんにも少し話を訊いてみるよ」
「おおっ、頼みましたぞ菊地くん。某、どんなことでも協力しますゆえ」
彼と別れ自分の席に再び戻ったところでチャイムが鳴り、朝のHRが始まる。
岡部くんの熱意は伝わった。もしも、柳さんとお近づきになりたいだけの口実であれば諦めさせようかとも考えてはいたが、そんな様子は感じない。
柳さんにはモデルの件を了承してもらえないか、説得の方向で話をしてみよう。
昼休みになり、購買で買ったカレーパンを腹に収め窓の外を眺める。
教室内では今朝と同様に文庫本を開く柳さんの姿。そして彼女もまた一人を好む人物だ、話しかけるのは放課後の方がいいだろう。
しかし、そんなことを考えていた矢先にとんだ邪魔が入る。
「やっほう、キクっち。今日の放課後空いてる?」
「へ?」
「近くにね、新しいパンケーキ屋さんができたんだって」
「は?」
「それで、放課後空いてるの?」
「え、ええと……」
一瞬にしてギャルに包囲されてしまった。
最初に声をかけてきたのは江夏優里奈。小麦色の肌に、肩に掛かるくらいのさらりとした濃ゆい金髪で、黒ギャルのような見た目をしている。そして俺が普段勉学に勤しんでいる机にどかりと座り、不敵な笑みを浮かべ俺を見下ろす。
二番目にパンケーキ屋の話をしてきたのは春宮なぎさ。小柄な体格で、盛りに盛った薄い金髪のサイドテールが特徴的だ。声のする方から察するに、席のすぐ後ろに陣取られ起立することができない。
最後に確認をとってきたのは大秋亜由。身長はクラスの女子でも一番高く、胸も一番大きい。細い腰回りに手をあてる姿は本当に同い年かと疑う外見をしている。おでこをだした栗毛色の髪は腰のあたりまで長く、毛先は紫に染まっている。そんな大柄な女子が席の隣に立つと変な圧迫感を感じる。
そして取り囲んだ彼女たちは、陽代美や冬樹が属するグループ、ギャル五人衆のメンバーであり、二年C組の中心的人物たちだ。
「放課後は、空いてる、けど……」
「んじゃ決まり。またあとでねん」と、江夏が言い残し俺の席から三人は離れていった。
まだ同行するとは言っていないのだが、放課後パンケーキ屋に行くことが決まってしまった。
放課後は柳さんに話しかけに行くつもりだったが、こうなっては致し方ない。
彼女たちから不興を買うことは避けたい、もしも変に断れば虐められるかもしれない。ここは身の安全を第一に考え、今日はギャルたちに付き合ことにしよう。
放課後になり、ギャル三人が俺の元まで来てパンケーキ屋に向かう。
その道中、隣を歩く大秋に気になっていたことを訊いてみる。
「今日は陽代美や冬樹さんは一緒じゃないの?」
「ええ、二人とも用事があるんだって。あ、ハルミィが言ってたパンケーキ屋、見えてきたわよ」
大秋が言いながら指さした先には、真っ白い外壁に黄色い看板を掲げた店があった。そして店先には他校の女子生徒が長蛇の列をなしている。
俺たちは列の最後尾に並び、ギャル三人は話に華を咲かせる。
帰りたい。行列に並ぶことも億劫に感じ、そんな思いが浮かぶ。本来なら家に帰り、兄と楽しくゲームをしている時間帯だ。それに待っている間も、様々な甘ったるい匂いが鼻につく。
恐らく、並んでいる女子たちの香水かなにかの匂いなのだろうが、昔母に連れられて行ったデパートの化粧品売り場を思い出す。
順番がきて店内に通され四人掛けのテーブルに腰かける。
そして江夏がクーポンらしき紙を店員に渡し、四人分のパンケーキが注文された。
「いやあ、クーポンの期限が今日まででさ。それに最低四人いないと使えないやつだったんだよねえ。付き合ってくれてありがとね、キクっち」と、隣に座る江夏が言う。
「それは、いいけど……でもどうして俺を誘ったんだ?」
疑問だった。
もし一人足りないにしても、彼女たちから声を掛けられたら喜んでついてくる人物は多くいるだろう。
俺の発言を受けて三人は顔を見合わせる。そして斜め前に座る大秋が口を開いた。
「今日の朝、莉愛がキクっちのことを『キク』ってあだ名で呼んでたじゃん? 不思議だったのよね、莉愛って話をする男子でも苗字でしか呼ばないから。どんな関係なのかなって思ってさ」
「それは……ただの友達、だよ」
「ふうん、そっか」
沈黙が流れる。
俺から言えるのはこれだけだ。陽代美からの相談は内密にと言われている、そして陽代美が言っていた周りの目立つ人たちとは彼女たちのことだ。今回のような大人しい生徒を対象にした相談事は彼女たちには不向きであろう。
「そんじゃ、莉愛の友達はアタシらの友達ってことで。キクっち、ID教えてよ」
「ああ、それなら登録は任せていいか? アプリの操作に慣れていないんだ」
「アハハっ、オッケイ。それならアタシに貸してみ」
隣に座る江夏に端末を渡す。
最近学習したことだが、自分で操作をするよりギャルである彼女たちに任せたほうが圧倒的に速い。そして端末が返ってきて画面には『亜由』『ゆりな』『ハルミィ』の連絡先が追加されていた。
テーブルにパンケーキが運ばれる。
正面に座る春宮は楽しそうにパンケーキを写真に収めている。SNSにでも投稿をするのだろうか。
それにしても朝の情報番組でも度々特集が組まれるパンケーキだが、こうして店で食するのは初めてだ。
「いただきます」
目の前にある皿に載せられたパンケーキは二枚。
一枚には紫色のソース、もう一枚には橙色のソースが掛かっている。
紫色のパンケーキにナイフを通し、切り分けた部分を口に運ぶとブルーベリーの風味と共に大地を感じさせる芳醇で柔らかな味わいが口内を支配する。
もう一つのパンケーキに口に運べば、柑橘系の甘酸っぱい香りを感じつつ、優しく喉を通り過ぎていく。
美味しい、甘味が好物である俺にとって。このパンケーキは実に好ましい食べ物である。
手に持つナイフとフォークが止まらない。
「ごちそうさま」
「ちょっ、キクっち食べるのはやっ」
正面に座る春宮から驚かれる。
彼女たちの皿を見れば、まだパンケーキ一枚目の半分に差し掛かっていたところだった。
どうやら、ギャルはパンケーキを食べるのが遅いようだ。