女王様からの相談
振り返れば、灰色のスウェットに身を包んだ陽代美莉愛がいた。
人によってはだらしない格好と思うかもしれないが、普段教室内で見かける凛々しい彼女とは違い、隙がある服装に思わず心が高鳴った。
「ごめん、私だる着で来ちゃってたから」
「いや、全然いいよ」
「……菊地くんって、そういう服着るんだ。和柄っぽいやつ」
「これは、前に父ちゃんから貰った服なんだ」
雑談を交わしつつ、彼女の座るテーブル席の向かいに腰をかける。テーブルの上には食器がいくつか置かれ、皿の上には食べ掛けのハンバーグやライスやサラダ。
どうやら、女王様はお食事中のようだ。
「夕飯まだだったから、菊地くんも何か食べる?」
「大丈夫、俺はもう食べてきたから、飲み物だけにしておくよ」
「そう、それで……相談なんだけど」
「ああ、その、陽代美さんが食べた後でいいよ。待ってるから」
「……うん、ありがと」
注文をとりに来た店員にコーラを頼み、暫くのあいだ彼女の食事風景を眺める。
テーブルに並べられた食べ物を器用にナイフとフォークで食べ進めていく姿に思わず見惚れてしまう。化粧はしていないのか、普段とは違う彼女の口元につい視線が向く。
「そんなに見られると恥ずかしいんだけど……今すっぴんだし」
「ご、ごめん。別に気にしてないから」
目の前に居る彼女は恥ずかしそうにしながらも食事を再開する。
少し驚いた。化粧をしていないにも関わらず学校で受けた印象とそんなに変わらない。それはつまり彼女が本当の美人だと裏付けられたようなものだ。
それに学校では目尻の上がった毅然とした態度をとる彼女も、今では目つきが穏やかで刺々しさは感じられない。この店での言葉使いにしてもそうだが、おっとりとしていて可愛らしいとすら思ってしまう。
そして、食事を粗方食べ終えた彼女が皿の上にある緑色の物体と睨み合う。ブロッコリーだ。
フォークを握った彼女は覚悟を決めたようにブロッコリーを突き刺し口の中に運び、目を瞑ったまま咀嚼する。
苦手なのだろうか、それでも好き嫌いをしようとはしない姿勢に好感が持てる。
「ごちそうさま」
そう彼女が言うと、店員が食器をさげて俺の前にコーラが置かれ、彼女の前には湯気がほんのりと浮かぶお茶が差し出される。落ち着いた態度で一服する彼女だが、俺は考えていた疑問を口にしてみる。
「ここって、未成年でも入っていい店なの?」
「うん、この店は私の叔母さんがやってる店でね、昼間は喫茶店で夜はバーになるの。でも、夜はほとんどお客さんこないから趣味でやっているような店なんだ」
店内を見回しても客は俺と彼女の二人だけ。
先程皿を片付けた妙齢の女性は、壁に設置されたモニターでサッカーの試合を眺めている。
「それで菊地くん、相談があるんだけど」
「ああ、その相談ってさ俺じゃなきゃ……ダメなのかな」
「え?」
「……陽代美さんってさ、俺なんかと違ってクラスでも沢山の人と話したりするから。だから、わざわざ俺に相談をしなくてもいいと、思うんだけど」
彼女は言ってしまえばギャルだ。
ここに呼び出されたのも仲間内で普段一人で居る俺のことをからかう為なのでは、と警戒はしていた。しかし、陽代美は俺の発言を聞くとみるみるうちに口をへの字に変え、女王様とはかけ離れた情けない表情を浮かべる。
ひどく、後悔をした。まさかこんなにも悲しそうな顔をするなんて思ってもみなかった。
彼女と関わりを持てば、間違いなく周囲から注目をされるだろう。できることなら避けたい状況だ、しかし俺には大切な兄と交わした約束がある。
「ごめんっ、やっぱり相談うけるよ。俺で、よければ、だけど」
「……いいの?」
「うん、昔兄ちゃんが『女の子を泣かせたり困らせたりするやつはクズだ、笑顔にさせてこそ真の男だ』って言ってたんだ」
「……す、凄いことを言うお兄さんだね。菊地くんのお兄さんって何をしている人なの? 学生、もしくはもう働いてる?」
「ニート」
「え」
「俺の兄ちゃん仕事をしていないんだ。一年半くらい前に仕事を辞めてから家に引きこもってる」
「そ、うなんだ。大変なんだ、ね」
どうしてか、バイト先でも兄の話をすると複雑な顔をされる。
兄はとても賢く、世間知らずな俺に様々なことを教えてくれるし、家に帰れば一緒にゲームで遊んでくれるいい兄だ。だから学校で一人だとしても寂しいと感じたことはない。
お互いに出された飲み物を一口飲んで、見つめ合う。
どうやら、我らが女王様はお困りのようだ。
「これを、見て欲しいの」
陽代美は自身の端末を。俺の方へと向けテーブルの上に置いた。
画面をのぞき込んでみると、世界的にも有名な動画投稿サイトの一部が映し出されている。
「動画サイトが、どうかしたの?」
「うん、その前に菊地くん。相談を持ち掛けておいて悪いんだけど、今回のことは誰にも言わないでもらえるかな? できるだけ内密にって、頼まれているから」
それはつまり陽代美が別の誰かから受けた相談を、俺に相談をしているという意味だろうか。
又聞きならぬ又相談になるわけだ。
「……ああ、わかった」
「ありがとう。この動画サイトを映した画面は静止画なんだ、スクリーンショットってやつ。それでこのチャンネルは、今はもうないの」
彼女の言葉に耳を傾けつつ、再び端末の画面に視線を落とすと『みっぽとまっこの語り部屋』と書かれた文字列が目に入る。大きく記された文字の後ろにはアニメ絵の美少年が所狭しと複数人映し出されている。
「そして、次の画像なんだけど」と、陽代美が画面を左に向かって弾き別の画像へと切り替わる。
画面には先程と同じく動画サイトの一部が映し出されており、記憶では各動画ページの下の方にある感想欄だと思い当たる。これがなにか、と言い掛けたところで陽代美は画面の一部を拡大し俺の前に再び差し出した。
そこには『鈴木さんと田中さん?』と、画面の中心に記されている。
「これは?」
「今日ね相談を受けたの、同じクラスの鈴木美穂さんと田中真子さんから。わかるよね?」
「確か、同じクラスにいる二人だよね」
一年以上同じクラスにいれば流石に名前くらいは俺でも覚えている。
鈴木と田中といえば、二年C組に存在する派手な装いをしているギャルグループの一つにいる人物たちだ。
「そう。二人から私に相談があって、それで、少し説明が長くなるけどいいかな?」
俺は頷き彼女の話に意識を集中させる。
今日の昼休み、陽代美は鈴木と田中に呼び出され相談を持ち掛けられた。
彼女たちは大手動画投稿サイトに二人でチャンネルを開設。そのチャンネルでは美少年やイケメンが出てくるアニメやゲームのキャラクターについて雑談をする動画を投稿していたそうだ。
そして、チャンネル登録者数が千人を突破したことを記念し、彼女たちは顔出しによる生放送を決行した。だがそこで問題が発生する。
「名前が、ネット上でばらされたってことか」
「うん、二人とも生放送の時にはマスクをしていたそうなんだけど、さっきのコメントが流れた瞬間、他の視聴者がざわつきはじめたんだって。それで二人とも怖くなって生放送を中断、スクショだけ撮ってチャンネルは封鎖、SNSのアカウントも消しちゃったんだって」
思わず呆れてしまう。
ネット上で個人を特定されたくないのであれば、最初から顔出しなんてしないほうがいいだろうに。
しかしそこで感想欄に書かれていた一文を思い返す。
「つまり、感想を書いた人物は現実での二人を知っていたってことになるのかな」
「たぶんそうだと思う。二人が生放送をしたのは一週間も前なんだけど、そのあいだ誰かから生放送について聞かれることはなかったんだって。それで二人は気味が悪くなって私に相談をしてきたんだと思う」
「でも、特に被害にあったわけではないんだよね?」
「うん、でも……なんか嫌じゃない? 一方的に名前をネット上でばらされたら。それに、私もあまり詳しくないけどネットストーカーっていうのかな、彼女たち可愛いし、これからなにかの被害に遭うかもしれないから」
その言葉に俺は首を傾げる。
あまり詳しくはないがネット上で彼女たちに好意を抱いた人物が、あのような感想を残したりするだろうか。それに可愛いとはいっても目の前にいる陽代美莉愛には遠く及ばない、なんてことは童貞である俺は口が裂けても言えないのだが。
「それで彼女たちの相談は、この感想を書き残した人物を特定して欲しいってことなのかな?」
「そうだね、でもあまり他の人には知られたくはないみたい」
「どうして?」
「彼女たちが投稿していた動画は、なんていうかオタク趣味っていえばいいのかな? クラスの人たちには知られたくないことだから、できるだけ秘密裏になんとかしたいみたい。それに私もできるだけ穏便に問題を解決したいし」
随分と身勝手な相談だと感じる。
鈴木と田中は自分たちのコミュニティを荒らした人物を特定し返したい、しかし、二人の趣味が他に悟られたくはない為にクラスの中心人物となる陽代美にこっそり相談を持ち掛けた、といったところだろうか。
そして陽代美莉愛が俺に相談を持ち掛けた理由もなんとなく理解ができる。
彼女は良くも悪くも目立つ存在だ。今回のように内密に事を進めたい場合には彼女の立場は都合が悪い。そして偶然連絡先を交換した男はクラスでも目立たない存在、つまり俺が動けば誰に悟られることもなく今回の相談を解決に導けるのでは、と陽代美は考えたのだろう。
「大体事情は呑み込めたけど、俺にできるかな。そんな犯人捜しみたいなこと」
「……ごめんね。でも、他に頼れる人がいないの。私の周りって、ちょっと目立つ子が多いいから」
常に周りに人がいる女王ならではの悩みだ。
目の前にいる彼女は眉を八の字にしてテーブルに置かれた湯のみを見つめている。本当に困っている、そして助けを求めている。相談をした二人のことを、自分の問題のように案じている様子だ。
しかし助けを求めた先が俺みたいな平民とは少し頼りない、それでも『女子から頼られることは男子にとって名誉である』と兄も言っていた。
「わかった。力になれるかわからないけど、調べてみるよ」
「うん、ありがとう。菊地くん」
俺はこの日、初めて彼女の笑顔を見た。
学校でも陽代美莉愛の笑う姿は見たことがある。それでも今、俺だけに向けられた笑顔は、なにか特別な気がした。
そして二人で店を出る際に、俺が飲んだコーラは彼女がご馳走してくれた。
男子としては少し情けないのだが、彼女から言わせれば相談料ということらしい。
「コーラ、ご馳走様」
「ううん、それよりこんな遅くに来てもらって、ごめんね」
「いやいいよ。それより、陽代美さんの家ってどの辺なの、送ろうか?」
「大丈夫、私の家すぐそこだから」
「そっか、それじゃあ」
「うん、また明日」
自転車に跨り、彼女に手を小さく振って別れを告げる。
暗闇の中、心もとない自転車の明かりを頼りにペダルを漕ぐ脚は力強く、心が高鳴っていた。
学校では女王と呼ばれる陽代美莉愛から頼みごとをされるなんて、俺にとっては非日常な出来事だ。
これまで人との距離を一定に保とうとした学校生活が、少し変わるのではという期待と不安を胸に帰路につく。
そして彼女が最後に言ってくれた言葉を思い返す。
『また明日』
そんな言葉を聞いたのは、いつ以来だろうか。