第八節:フリーエージェント、少女を奪いに来た女と対峙する。(イラストつき)
「素晴らしい腕前ですね」
魔物を始末したトウガは、パチ、パチ、パチ、とゆったりとした拍手の音を聞いてそちらに目を向けた。
スーパーマーケットからフードコートに繋がる出入口の方に、一人の女性が立っている。
白衣を身につけたひっつめ髪の若い美女で、口元にほくろのあるどこか扇情的な顔立ちをしていた。
両腕が異様に長いスキンヘッドの男を従えている。
「誰だお前は」
「その子を作った組織の者ですよ」
トウガは美女の言葉を受けてポケットに手を突っ込み、スマホの短縮ボタンをタッチした。
「……魔物生態研究所か」
「ほう、名前を知っておられますか。何も知らされずに、実験体を預けられたわけではないようですね」
美女は腕を組み、片方の手を形の良い顎に当てた。
そんなやり取りを聞いて、みゃーが不安そうにトウガの顔を見上げてくる。
「作った? ……実験体って、どういうことですか?」
「聞かなくていい」
「ふむ。記憶操作は完璧に機能しているようで何よりです」
「黙れ」
トウガが言うと、美女は婉然と微笑んだ。
「その子を返してもらえれば、すぐにでも消えますよ。花立トウガさん」
「貴様がこちらのことを把握しているのと同様に、こちらも貴様らのことを把握している。返すなどという選択肢が、そもそもあると思うのか?」
「元々は我々の所有物ですよ」
「そうした物の考え方をすることそのものが、俺にとっては返さない理由になるんだ。失せろ」
美女は軽く目を細めて微笑み、腕組みを解いた。
「では、仕方がありませんね。力づくで行きましょう」
美女が指で呼ぶと、後ろに控えていた腕の長い男がゆらりと前に出た。
「ギヒヒ……」
男が舌なめずりして笑った後、ざわり、と体が波を打った。
続いて起こったのは、異様な変質。
ボコリ、ボコリ、と泡立つように男の皮膚の下から何かが盛り上がり、やがて水死体のようにぶよぶよと膨れる。
やがて、膨れ上がった頭の皮膚を引き裂いて現れたのは……蜘蛛の頭、だった。
『ギィヒヒヒヒッ!!』
下顎の割れた蜘蛛頭が耳障りな笑い声を上げると同時に、4本の長い副腕が背中の皮膚を突き破って出現した。
鋭い腕の先端が丸まって胸元の皮膚に突立ち、シャツを左右に引き千切るように皮膚を裂く。
飛び散った皮膚と、血ではない緑の体液が飛び散った後に立っていた相手は、どう見ても魔物だった。
全身毛むくじゃらの、二足歩行の蜘蛛に似た魔物ーーーしかしその奇妙な状況に、トウガは目を細める。
「……どういうことだ?」
魔物が人間に従うという話も、人に擬態するという話も聞いたことがない。
人が変容したにしては、その姿は異様過ぎた。
「そこの女。貴様、亜人か?」
「いいえ、れっきとした人間ですよ。……ただ、その子を使った研究は少し特殊でして、この化け物のような実験体はその副産物です。『【異界の門】の内側で発生する人の変容』を再現しようと思いまして」
「なんだと……!?」
「ですが、まだ完全な再現はできていません。失敗作ですが、使い道はあるというだけで……さらに、私の研究の本筋もそこではありません」
トウガが目を見開くと、どこまでも楽しそうな美女は饒舌にそう続けて、軽く首をかしげた。
「私の研究内容はーーー【異界の門】の完全な制御、です」
パチン、と指を鳴らすと、獣臭さとともに彼女の背後に小さな門が出現した。
コンビニの前で見たものより少し大きい、ちょうど美女が潜れるくらいの門だ。
「これは擬似発生させた門ですので、異界と完全に繋がってはいません。魔物は出てこないので安心していいですよ」
「……出来るわけないだろうが」
トウガは、思わず呻いた。
彼女の語った話、今目にしている現象は、どう考えてもオーバーテクノロジーだ。
ラボは、現在の常識をはるかに超えたところまで異界の研究を進めている。
「みゃーにも……そいつと同じ実験を行なったというのか」
「あら、それを口にしてよろしいのですか? 実験体が聞いていますよ」
ハッとトウガが自分の腕の中にいる少女を見下ろすと、青ざめた顔をしていた。
「わ、私……」
ガクガク、と震え始めた彼女の姿が、ざわり、と変化する。
肌が褐色に染まり、耳が猫のものに変化して頭頂に移動し……両手の指が、鋭い爪に変化した。
「あ……ぁ……!」
「みゃー」
「わた、私……も、化け、も、の……?」
「みゃー。違う」
自分の両手を、絶望したような目で見下ろす彼女に呼びかけて、トウガは強く肩を抱いた。
「怯えるな。君は人間だ」
「あらあら。この程度で恐慌してもらっては困りますね。貴女は、あの有名な冒険者チーム【修羅の群体】を参考に作ったのですよ」
こちらをあざ笑うかのように、さらに言い募る美女の口調は、明らかに愉しんでいるようなものに変わっていた。
「国家によって厳重に秘匿された変容人類集団……彼らの長である〝正義を騙る修羅〟の特異性を再現した存在なのです」
だからもっと強くなくては、と続けられた美女の言葉に、トウガの頭の芯が冷えた。
「本条を参考に作った、だと……」
その発言で、トウガは今までの疑問が氷解していくのを感じた。
なぜ本条が、みゃーを国の連中よりも先に見つけ出したのか。
なぜ彼女を秘密裏に保護した上で、トウガに預けたのか。
なぜ先ほど【異界の門】もその出現する気配もなしに、魔物が現れたのか。
門の内側ですらないのに……目の前の男が蜘蛛の化け物に『変容』したのか。
その疑問の答えを、美女は口にしたのだ。
「貴様……みゃーの中に【異界の門】を埋め込んだのか……!」
「正解です。門を出現させたまま固定し、恒久的に維持可能にするのは中々骨が折れましたよ。適合できた素体も今のところ数が少ないので……返して欲しい、という理由が分かりましたか?」
美女の言葉は、あまりにも明確な肯定だった。
門は、特定範囲にいる魔物をこちら側で実体として維持する役目を担っていると言われている。
だからこそ、破壊すれば魔物が消えるのだ。
その恒久的な維持を行い、かつ魔物を操ったり、門の中で起こる人間の変容を制御出来るのなら。
軍事利用を始め、その戦闘力の有用性は計り知れない。
金を出す連中も少なくないだろう。
ーーー実態の見えない、表立った活動を一切していないラボが研究資金を維持出来ている理由も分かった。
「貴様らのやっていることは、この世界そのものを壊す行為だ」
「不思議なことを言いますね、花立トウガ。……この世界は、もうとっくに壊れていますよ」
異界との融合が起こり始めている現状を、阻止しようとしているのが本条側ならば。
それを促進して、しかも利用しようとしているのがラボなのだ。
「……本条。聞いたな?」
トウガはポケットの中のスマホを取り出して、通話を繋げていた相手に呼びかけた。
『ああ。……予想通りだ』
「クソほどある文句は、後に取っておこう。みゃーがお前と同じ存在だと言うのなら『許可』を寄越せ。武器が尽きた」
『いいだろう。バレないようにな』
「すぐに終わらせる」
トウガはスマホの通話を切ると、まだ震えているみゃーに語りかけた。
「安心しろ、みゃー。君の姿がどう変わろうと、その心がある限り君はただの人間だ。今、その証拠を見せてやる」
「え……?」
トウガはそっと彼女に回していた腕を離すと、上着を脱ぎ捨てて前に出た。
蜘蛛の化け物にチラリと目をやった後、まだ余裕のありそうな美女に目を向ける。
「この状況そのものも、貴様の実験なんだろう? みゃーの近くに魔物を出現させて、その実体を維持できるかどうか。この状況で人間を変容させて、それが成功するかどうか」
「貴方は、思った以上に賢いようですね。これは評価を改めるべきでしょうか」
感心したような口調に、トウガは軽く鼻を鳴らした。
「貴様は自分が優位に立っていると思っているようだが、明確な間違いだな」
「優位だと思いますが。武器が尽きた、とご自身で言っておられませんでしたか?」
トウガがゴキリと首を鳴らすと、美女が不思議そうにまばたきをした。
「それとも、素手でこの実験体を倒せるとでも?」
「そうだな。ある意味では、だが……俺のことを調べるのなら、表面的な部分だけではなくきちんと調べ上げるべきだったな」
「どういう意味です?」
「答えてやる義理はない」
トウガは、本条の冒険者チームに入る時にコードネームの他に身元を秘匿するカバーネームを与えられていた。
風間ジロウ、と呼ばれたかつてチームの副長であった人間と、花立トウガを繋ぐ糸は存在しない。
しかし本条の存在を知るように、国家機密に深くアクセス出来るのならその限りではなかったはずだ。
死亡したと記録されている風間ジロウが、今もまだ元の名前のまま生きていることを。
大方、みゃーを一刻も早く取り戻したくて焦ったのだろう……そう考えながら、トウガは右拳を握って顔の前に持ってきた。
ーーー【異界の門】の中に入り、長く異界に晒された人間は『変容』する。
この世界とは異なる法則に適応した人間は、より強靭になり、体が作り変えられるのだ。
その変容を受け入れ、制御が出来るようになった最初の人間が本条だった。
あまりにも深く適応しすぎた彼は、異界と現実を繋ぐ法則そのものーーー人の身でありながら【異界の門】に近しい存在になった。
あるいは、その認識すらも間違っているのかもしれない。
事実は分からないが、彼の周りにいた者たちもまた、その影響を受けた。
そして、まるで魔法のように……儀式を行うことで肉体を変容させる方法を得たのだ。
トウガは、本条を含めて三番目に、その力を得た。
「黒き修羅の力を右腕に」
トウガは立てた腕に、横向きに左腕を合わせる。
「青き天女の力を左腕に」
その腕が描くのは、逆十字。
「不退転の決意を胸に、我は〝紅蓮の鬼神〟と成るーーー纏身」
呪文とともに、異界の法則が顕現する。
本来ならば本条ハジメの側か、【異界の門】の内側でしか振るえない力が、空間の揺らめきと共にトウガを作り変えた。
スライムのような仄暗い赤の粘液が体の内側から浸み出し、すぐさま硬質な外殻となって体を鎧う。
「トウガさん……!?」
みゃーの驚きの声に、振り向きはしなかった。
紅の外殻に、黄色い筋の走る甲虫のような全身鎧と、己の顔を覆う鬼のように黄色いツノの生えた頭部外殻に覆われた自分を、彼女はどう見ているだろう。
変容を終えたトウガは、名乗りを上げる。
「【修羅の群体】が一人ーーーコードネーム、参式」
トウガは、目を見開く美女に対して指を突きつけた。
「貴様らに、この子は渡さん」