第二節:フリーエージェント、旧知に依頼を押し付けられる。
事務所に移動して自分のデスクに腰を預けたトウガは、二人にソファを勧めた。
「えっと、花立さん」
「なんだ」
あれから程なくして元の姿に戻ったみゃーが、おずおずと浅くソファに腰掛ける。
本条は座らずに、入り口の横にある壁に背中を預けていた。
「ここ、花立さんの事務所なんですか?」
「自宅と兼用だがな」
仕事をするのに拠点がなければ話にならないので、解雇された後に引っ越したのである。
玄関から入ってすぐのリビングが事務所で、奥にダイニングキッチンスペースと部屋が二つある構造だった。
「もしかして花立さん、お金あるんですか?」
「冒険者としてそれなりに稼いだからな。今も仕事自体はある。君の件に関しても本条の依頼だ」
「それはフリーターとは言わないんじゃないかな……と思うんですが」
みゃーの発言に、トウガはアロマ・シガレットを取り出しながら当たり前のことを答える。
「冒険者は定職じゃない」
「そ、それはそうかもしれないんですけど、こう、なんか違うというか」
こちらのやりとりに何を思ったのか、本条が口の片端を軽く上げてみゃーに話しかけた。
「花立は今、どちらかといえばフリーランス・エージェントだな」
「あ、そう、そういうのの方がしっくりきます!」
「呼び方などどうでもいいだろう」
トウガは一口煙を吹かすと、腕を組んだ。
「説明しろ、本条」
「何から話してほしい?」
「なぜ俺にわざわざ門の相手をさせたのか。そしてみゃーは、一体なぜあんな姿に変わったのか、だ」
トウガは、ちらりとみゃーに目を向ける。
「この子は『迷子』なんだろう?」
「ああ」
その言葉に本条は小さくうなずいた。
迷子、というのは冒険者の間で使われる隠語であり、『原因が分からないが、魔物に関わる何らかの問題を抱えている者』を指す言葉なのである。
「亜人ではないのか?」
「少なくとも【異界の門】が出現していない状態で、亜人と呼ばれる向こう側の人々が、こちら側に存在している例はないな」
「最初の例かもしれん」
「そう思うなら、彼女自身に聞いてみるといい。少なくとも経歴上はただの人間だ」
本条が肩をすくめ、トウガは軽く目を閉じた。
「みゃー」
「はい」
「君は人間なのか?」
「も、もちろんです! 生まれてからずっと、普通に暮らしてました!」
「魔物に遭遇した経験は?」
「えっと、あります。でも、外で遭ったのは二回だけで……」
「外?」
「あ、いえその……」
問い返しに、みゃーはちらりと本条の方を見た。
誰かに口止めされているのかもしれない。
トウガはそれを流して、質問を続けた。
「最初に異常が発生したのはいつだ?」
「えっと、家の近くにあの門が出てきて、その時に変わっちゃって……お母さんが、その……通報して……」
モジモジと両手の人差し指の先をこすり合わせて、言いづらそうにみゃーが口にした言葉に、大体の事情を悟った。
この世界では【異界の門】が現れ始めた頃から、現実にはあり得ない奇妙なことが起こっている。
門の向こうに存在する世界が、何らかの影響をこちらの世界に与えている、と予測されてはいるが、魔物や異界に関する話は解明されていない。
彼女はその犠牲者の一人で……おそらく、親から見捨てられて行き先がないのだろう。
一緒に暮らす相手が未知の存在に変わってしまう、という状況に、冷静に対応できる者は少ない。
まして外見が魔物に近くなっていたのなら、下手をすれば国から強制的に親元から隔離されていても不思議はなかった。
……親から見捨てられた可能性も、ないわけではない。
トウガはそんなことを思いながら、本条にふたたび顔を向けた。
「彼女を、国は保護しないのか?」
「正規の手続きは受理されなかったらしい。彼女が何らかの魔物に狙われている、という話ならまだしも、問題は、彼女自身が【異界の門】の近くにいると姿が変わってしまうことだ」
通常の、魔物被害に遭った者とは違う扱いなのだろう。
明らかに魔物に似た姿に変わってしまう、というのならどこかの施設で保護するにも危険がともなう。
人の近くで暮らせないとなれば、最悪、閉じ込められて実験動物扱いでもおかしくない。
いやすでに、その扱いを受けているからこそ、本条が連れてきたのかもしれなかった。
「姿が変わることは、制御出来ないのか?」
「出来ない」
みゃーではなく本条に問いかけると、彼は即座に否定した。
なら、ますます厄介だ。
「……一度国が保護した相手を、どうやって横からさらってきた?」
「人聞きが悪いな。話を通して身柄を預かっただけだ」
本条の冒険者チームは国とのパイプがある。
最上級の【異界の門】が出現した時、魔物を殺して破壊できる数少ないチームだからだ。
「そして丸投げか」
「お前なら上手くやるだろう? 仮に何か問題が起こったとしても対処できる。違うか?」
本条はおかしそうに笑みを浮かべたまま、さらに言葉を重ねる。
「保護依頼だ、花立。……定期的な収入もある割りのいい仕事だと思うがな」
その言葉に思わず舌打ちした。
本条のチームが相手にするのは、最低でもBランク以上、災害級の魔物である。
もし彼がみゃーを保護して、その特殊な力を活かしてチームに参入させたとしても、すぐに死ぬ可能性の方が高かった。
みゃーを保護しろ、というのは、つまり花立が弱い魔物や門を相手する経験をさせて鍛えろ、ということなのだ。
「……君自身はどうしたいんだ?」
不安そうに上目遣いにこちらを見るみゃーに問いかけると、彼女は本条に目を向けた。
好きなように話せ、と言わんばかりに腕を組んだままうなずきを返された少女は、トウガに目を戻しておずおずと口にする。
「と、閉じ込められるのは、やです……」
トウガがここで依頼を断れば、彼女の選択肢は本条のチームで働くか、国の施設に戻るしかないのだ。
本条は、それを分かった上でこちらに依頼を持ってきたのである。
ーーー人に甘い花立が、この依頼を断れないことを見越して、だ。
「本条。貴様覚えておけよ」
「何をだ?」
「貸し一つだ」
「残念ながら、報酬を支払う以上こちらが借りを感じる必要はないと判断する」
トウガ同様に甘い性格をしている本条は、満足そうに背中を預けていた壁から身を起こした。
「では、後はよろしく頼む。彼女の荷物は明日の朝にでも早急にこちらに届けさせよう」
「ぶん殴りたくなるから、しばらく顔を見せるな」
「それは確約できないな」
軽く手を挙げた本条が事務所のドアから出て行くと、沈黙が落ちる。
吐いたバニラの煙を目で追っていると、みゃーが膝の上で手を揃えたまま所在なげにしているので、花立は声をかけた。
「くつろげ。今日からここが君の家だ」
「にゃ……!? い、いいんですか!?」
「他に行くところがないんだろう?」
ここで見捨てるほど寝覚めが悪いこともない。
みゃーは、パァア……と、八重歯を覗かせて満面の笑みを浮かべた。
「あ、ありがとうございますっ!」
そのあまりにも素直な態度に、眩しさを覚えて目を細める。
気持ちは分かるが、見ようによっては見知らぬ男のところに一人で放り出されていることを、彼女は分かっているのだろうか。
トウガはアロマ・シガレットをデスクの上に置くと、奥に向かって歩き出した。
「飯は食ったか?」
「食べました!」
「では、風呂に入れ。着替えは、今日は申し訳ないが俺の新品のパジャマを着ておけ」
その言葉に、ぴょん、と立ち上がってついて来ていたみゃーがピタリと足を止めた。
「どうした?」
問いかけると、みゃーは顔を赤らめて両手を頬に当てる。
「しゃ、シャワーに彼パジャマ……やだ、トウガさんそういう趣味が?」
「どういう勘違いだ」
そしてその想像をしたなら、年頃の少女ならば照れるのではなく身の危険を感じて欲しいところだ。
さらになぜか呼び方が名前に変わっている。
別に構いはしないが、彼女の思考回路はさっぱり理解できなかった。
「汚れた服のまま寝るのも嫌だろう。くだらないことを言っていないで早くしろ」
トウガはみゃーを浴室に案内すると、バスタオルとハンディタオルを渡してドアを閉めた。