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第八十八話 聖教書

 モルリッツ支部神殿の内部施設に通じる玄関。神殿内に暮らす神官達を訪ねるためのその窓口に、その日ひとりの男が訪れていた。



「ドーミオ・スアレスだ。勇者ナオトに面会したい」

「は、はいっ。只今確認を――」


 どう見ても堅気ではない筋骨隆々のスキンヘッドの大男に見下ろされて、怖じ気づいた若い神官は慌てて奥へ引っ込もうとする。大男はそんな去り際の神官のローブのフードをちょいと指に引っ掛けて留めると、()()()()()()()不快感を滲ませて抗議した。


「あァ? なんの確認だよ。俺とナオトはあんたらより付き合い長ぇんだ。断る道理がねェ」

「いやでも、あの」

「案内するのか? しねえのか?」

「し、します。今すぐ!」


  怯える神官に、わかりゃいーんだよ、と大男(ドーミオ)は白い歯を見せて笑いかけた。



 ドーミオが先程とは別の神官に伴われ(いざな)われたのは、内部施設の更に奥、地下へ続く階段だった。

 仮にも世界の希望を背負う勇者ナオトは、この神殿でも一番大きな客間を与えられていたはずである。だがこの地下階段は――明らかに薄暗く、真っ当な部屋へ続いているようには見えない。狭い階段を覆う石造りの壁は、僅かに黴臭く、所々灯り取りのための小さな穴が開いている。

 階段を下りきると目の前には巨大な格子の扉があり、神官はそのままそれを押し開けた。ぎぃ、と錆び付いた音がして導かれた先に広がるのは――、どう見ても牢獄だった。


「おい、こりゃ一体どういう……」

「ここは“聖域”だよ、おっさん」


 ドーミオが神官に尋ねようとすると、正面奥――一番広い牢から、場に不釣り合いなほど緊張感のない声が響いた。


「……ナオト? おめえ、一体何をやらかした? いつもの罰にしちゃあ、ちょいと大袈裟じゃねえか」


 これまで勇者として品行方正とは言えない生活を送っていたナオトは、度々教会から“教育”という名の懲罰を与えられていた。だがそれは主に聖教書の写本や暗唱といった可愛いもので、牢屋に入れられたという話は聞いたことがない。そもそもこの(ナオト)は、そんな懲罰を素直に受け入れるような人間ではない。


 ドーミオが歩みを進めると、最奥の牢屋、粗末なベッドの上に寝転がったナオトが、天井を見つめたまま退屈そうに尻尾を揺らしている。ドーミオが牢の扉に手を掛けると、鍵はかかっていなかった。


「なんだってこんな牢獄に――」


 ドーミオが身を屈めながら扉を潜ると、ナオトは漸く起き上がり、ごきごきと首を鳴らしながらこちらを見た。


「だから何もしてねーっつの。オレの最近の働きぶり、おっさんなら知ってんでしょ?」


 そう言われて、確かにそうだとドーミオは頷いた。



 ここ暫く、「女神の午睡」と呼ばれる世界の護りが弱まる周期に入り、モルリッツ周辺を跋扈する魔物の数は急激に増加していた。

 ドーミオが籍を置く冒険者ギルドでも傭兵の需要が高まり、ギルド本部――評議会から直接魔物討伐の依頼が下されることも増えた。大規模な討伐は評議会本部の金獅子騎士団が主に、周辺の小競り合いは一般の冒険者達が担う中、教会の擁する勇者ナオトはそれらとは全く別ルートで、抜群の功績を挙げていた。

 勇者ナオトはその壮絶な戦いぶりから、若い冒険者達から正に救世主の如く称えられる一方、ベテラン冒険者――幼き頃のナオトの“赤い悪魔”という二つ名を知る者達は、言い知れぬ違和感に包まれていた。



 “勇者が傷を負いながらも、獅子奮迅の活躍で魔物を退けた”

 “勇者は時折膝を付きつつも、決して諦めることなく立ち向かい、勝利した”



 一見、英雄譚の一場面のような雄々しい勇者の情報。だが、本来のナオトのデタラメな強さを知る者ならば疑問を持たざるを得ない。

 何故ならば――これまで(ナオト)は過去に一度も、魔物との戦いで“傷を負った”ことも、“膝を付いた”こともなかったからだ。


 ナオトの活躍ぶりを称える噂から同様の違和感を嗅ぎ取っていたドーミオは、先日久々に此方を訪ねてきたゆりから――ナオトが不死の王(アンデッドキング)との戦いの末、死の呪いをその身に刻まれていること聞かされ驚愕した。

 不死の王(アンデッドキング)の接吻は、只人であれば週を跨がずに命を落としてしまう程の強力な死の呪いである。だがナオトは既に三月近くそれに抗い、尚も勇者として不眠不休の様相で各地に赴いているというのだ。


 以前のナオトなら、これほど真面目に“勇者業”を遂行していなかっただろう。一体何が、今の彼を駆り立てるのか。

 ドーミオのその疑問は、ナオトの身を心から案じ、沈鬱な表情を見せるゆりのその姿を見た時に瓦解した。



 ――この娘がいるからだ、と。



 この街に、この世界に、ゆりがいる。ひとりの男として彼を想い、ひとりの人間としてその身を憂う、ゆりという存在。それがナオトの戦う理由なのだと。

 暫く顔を見ない間に、二人が目には見えない確かな絆で結ばれているのをドーミオは感じた。



「そうだな。お前さんは良くやってるさ」


 素直に称賛したドーミオの言葉に、ナオトは少し居心地悪そうに目を逸らした。


「で、その大活躍の勇者サマが何なんだよこの有り様は」

「だーから言ったっしょ、ここは“聖域”なんだって。ここの足下(した)には、魔法や呪いの力が一切及ばない強力な陣が描かれてる。んでその格子は、全部『魔力殺し』で出来てる」


 過去、教会は大規模な魔女・魔法使い狩りを行っていた時代がある。その名残、捕らえた魔法使いを閉じ込めておくための強力な魔法無効化(マジックキャンセラ)の陣の張られた牢獄が、各地の神殿には今も遺されている。


「ここなら――呪印の力が進行するのを、一時的にだけど止められる」


 ドーミオはナオトの右肩を見た。そこにはゆりから聞いた通り、禍々しい紋様の呪印が刻まれている。つまりナオトは、生き永らえるためにやむを得ずこの牢獄に身を置いているということなのだ。


「そりゃまあ、ご苦労なこった」

「んで、おっさんはわざわざ何しに来たんだよ」

「ん? 俺はな……」


 ドーミオは言いかけて、ゆりに頼まれて様子を見に来た、という言葉を飲み込んだ。

 牢の外で、先程ドーミオを案内した神官がその場に留まり、じっとこちらのやり取りを観察していたからだ。



 ――なるほど確かにこりゃあ、おかしな事態になってやがるな。



 ドーミオは牢の外の神官を一瞥すると、敢えて大きな声でナオトに問いかけた。


「別に、物のついでにちょいとお前さんの顔を見に来ただけよ。()()()()()()()()()()()()()?」

「……知らない」


 ナオトがぷいとそっぽを向くと、ドーミオは少し声のトーンを落とした。


「だろうな。それを知りたきゃ、自分の目で確かめるしかねえ。……おい、神官長から()()は受け取ってるんだよな?」


 その“手紙”が、ゆりからのものを指しているのだということはナオトにもわかった。


「――ああ。もらった」


 ナオトは小さく首肯する。

 中身は見ることなく捨ててしまったが。


「そりゃ良かった。じゃあよ、俺からもひとつ、手土産だ」


 再度大きな声でそう言ったドーミオは、腰に携えた革鞄から何かを取り出そうとする。するとその様子を見て、外にいる神官が慌てて口を挟んだ。


「申し訳ありませんが、勇者様に物の受け渡しをされる場合は中を改めるよう言い付かっておりまして――」

「あァん??」


 罪人に差し入れするわけでもあるまいに。

 ドーミオは鞄からそれを取り出すと、神官にひらりと掲げてみせた。


  「土産っつったって、()()()だぞ? 中身なんぞ、あんたらが一番良く知ってんだろうが」


 ドーミオが取り出したのは、分厚い本――どの家庭にも必ず一冊は備えられている女神教の教典――所謂(いわゆる)聖教書だった。


「俺ァこんな薄暗い牢屋でひとり過ごす孤独な勇者サマに、女神の教えの有り難さを伝えてやりたいだけさ。――何か問題あるか?」

「い、いえ。そういうことであれば……」


 ドーミオの如何にもなおためごかしの言葉に、根は純粋なのであろう神官は納得し、それ以上踏み込んでは来なかった。


「ほらよ、ナオト。その聖教書は、あんたにやる」

「は?? なんで??」


 きょとんとしているナオトの膝の上に聖教書を押し付けると、ドーミオは顔を近付け、小さな声で囁いた。



「ゆりからの手紙は読んだな? ――なら、わかるよな。今お前に必要なのは、()()()()だ」



 それだけ言い聞かせると、じゃあな、とナオトの肩を叩き、ドーミオは牢を出た。



「あー。十一章。十一章なんか、特にオススメだぞ」



 背中越しにひらりと手を振り、そんな言葉を残しながら。神官に伴われ、ドーミオは地下を後にした。

 がしゃん、と格子の大扉が閉まる音がしてまた一人きりになると、ナオトは置かれた聖教書の表紙に視線を落とし、吐き捨てるように呟いた。


「ハァ? ……オレに、悔い改めろってこと? 余計なお世話だっつうの。……意味わかんね……」



 ――何が“女神の愛”だ。世界はいつだって疑念と絶望に満ちていて、救いなんかありはしない。



 ナオトは託された聖教書を開くことなくベッドの片隅に投げ出すと、そのままバタリと倒れ込んだ。


「今更信心深くなんかなれっかよ……」



 ――だって女神は、これまで一度だってオレの願いを聞き届けてはくれなかった。

 寒空の下、孤独と空腹に震えた時も。

 初めて人を殺して、その罪に恐れ(おのの)いた時も。

 そしてオレの一番大切なものを、オレから取り上げた。



 ナオトは目を瞑ると、そのまま記憶の中のゆりの笑顔に救いを求め、身を委ねた。


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