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第八十一話 悪魔の証明

お盆時期の更新予定について、最新の活動報告に記載しました。どうぞご一読下さい

 オレの前からいなくなって。



「……えっ……? どういう、意味?」


 熱に浮かされた意識を突然現実に引き戻され、ゆりは混乱した。

 ナオトは長椅子に押し付けていたゆりの両肩に込めた力を緩めると、まるで何事もなかったかのようにひとり立ち上がる。


「そのまんまの意味。ゆりには、神殿(ここ)から出ていってもらう」

「?? なんで? どうして??」


 ゆりは慌てて起き上がろうとするが、ナオトに散々に溶かされた身体は上手く力が入らない。脚がもつれて思わずへたり込むと、見かねたようにナオトが腕を掴み、引っ張り上げた。


「ゆり。オレはもう、大丈夫。ゆりがいなくても、呪いに負けたりしないから」



 ――オレはもうひとりじゃない。オレは本物の“勇者”になったんだ。

 ゆりがくれた想いがあれば、オレが呪いの声に心乱されることは、この先永遠にありはしない。



 ナオトは優しい輝きを湛えた瞳でゆりを抱き締めると、その耳元で囁いた。



「ゆり、バイバイ」



 ――“ゆり、バイバイ”。


 それは、三度目の別れの言葉。

 一度目は、突き放すような冷たい声音で。

 二度目は、帰還を約束する温かな声音で。


 そして三度目は――――



 何の感情も、映しはしなかった。



「――――! ま、待って! どうして?! 行かないで!!」


 ゆりに背を向け、ナオトが礼拝堂の扉を出て行く。必死にそれを追いかけようと扉を潜ると、その外には複数の若い神官と白髪の壮年――神官長が立っていた。


「すみません、どいてもらえ――――」


 遮るように立つ神官達の間をすり抜けナオトを追いかけようとすると、両側からがしりと腕を掴まれた。その間に、ナオトは振り返ることなく遠ざかり、神官達の陰にその姿を見失ってしまう。


「ナオト? ナオト!」

「ゆりさん」


 神官達に押さえつけられ身動きの取れないままその名を呼ぶゆりの元へ、神官長が進み出る。



「神官長? これはどういう……」


「ゆりさん。貴女には、“()()”の嫌疑がかけられている」


「…………。え?」



 告げられた言葉の意味が、ゆりにはわからなかった。


「魔女とは、古の邪法を操り、人心を惑わす術を使う者」

「……?? 私が、なぜ??」


 戸惑うゆりに、神官長は冷静で残酷な言葉を浴びせた。



「貴女は……勇者ナオト様に呪いを刻み、堕落させ、獣に変えて意のままに操ろうとしているという疑いを持たれているのです」

「……!?」



 ゆりは目を見開いた。同時に力の抜けていく全身をなんとか持ちこたえさせようとしたが、その意思とは裏腹に両脚は震え、神官達に両腕を掴まれたまま暫く、ただ立ち竦むのだった。




 ……少し、人のいないところで話しませんか。

 そう言われ、ゆりは神官長と二人で自室へ来ていた。


「手荒な真似をして申し訳ありません。他の神官の目があるので、あの場ではああするしかなかった」


 そう言って謝罪した神官長は、ゆりが勧めた椅子をやんわりと辞した。


「わ、私は魔女なんかじゃありません! ナオトの呪いが不死の王(アンデッドキング)の接吻によるものだということは、神官長もご存知でしょう?!」

「ええ」

「……なら、どうして……」


 ゆりの言葉に、神官長は神妙な面持ちで首を振ると次のように続けた。


「ナオト様の受けた呪いは、非常に強力なものです。我々も様々な方法で浄化を試みましたが、未だに解決には至っていない。しかし、それだけ強力な死の呪いでありながら、ナオト様は既に二月以上それに抗っておられる」


 それはゆりの魔力で呪いの力を抑えているからだ。だが、教会内部でそれを知る者はゆり達本人の他には――エメと、テオドールしかいない。


「貴女とナオト様が、頻繁に互いに行き来されていることは既に知られています。――その中にこう思う者が現れた。“召し人の矢仲ゆり様が、呪いを操って勇者殿の生殺与奪を握り、更に房中に於いて魔女の術を用いてその心身を堕落させている”……と」


 一体誰が、そんな恐ろしい思い違いをしたと言うのか。


「決定的だったのが大聖堂での一件です。あの時貴女は、原初の獣となったナオト様を自ら御した。ナオト様はまるで貴女の意思に従うかのように、その気高き獣の御身を貴女の前に伏せられ、更に、貴女は……勇者殿と同じく神獣人であられるアーチボルト卿を……その……。いかがわしい術によって()()()()()()()()のではないかと」


「……!」


 言葉にならなかった。全くの見当外れな疑いである。だが、仮に他人からそう見えたとして、その論を否定するに足る証拠がなかった。


「……貴女は、ご自分が魔女ではないことを証明できますか」


 ゆりは思わず息を飲んだ。できるわけがない。そんなもの、“悪魔の証明”に他ならない。


「……できません……」

「ええ、そうです。“なかったこと“の証明など、できるはずがない。ですが、既に疑心の種は蒔かれ、育ってしまった。強硬派の神官の中には、貴女を異端審問にかけろと言う者もいる」


 異端審問。

 ゆりは、それがどういうものかを知らない。だがもしそれがゆりの想像する通りならば――公平な審判が為されるとは到底思えない。


「そんな……。私は、どうすれば……」

「貴女は一度、教会を離れるべきだ。私が責任を持って皆を説得しますから、それまで暫し……ナオト様と距離を置き、身を潜めるべきかと」

「でも、それじゃあナオトが」


 自分がいなくなったら、一体誰がナオトの呪印の力を鎮めるというのか。

 その言葉を口にすべきか、ゆりは迷った。その心の揺れを見て取ったのか、神官長ははっきりと告げた。



「ゆりさん。これは、勇者ナオト様の名誉に関わることでもあるのです。このままでは、ナオト様の勇者としての立場に疑義が生じる」



 神官長の声音は、明らかに不快の意を覗かせていた。



 ――勇者(ナオト)の名誉。



 もし、自分がこのまま神殿(ここ)に残ったら。

 ナオトは魔女に堕落させられた勇者という、あらぬ謗りを受け続けることになるかもしれない。あれだけ必死に、傷付きながらも健気に勇者としての責務を果たそうとしている彼が。

 名誉なんて馬鹿馬鹿しい。命の方がよほど大事だ。ゆりはそう思う。だが果たして、それは彼の望みなのか。



 “オレが勇者でなくなったら、何も残らないよ”



 いつかナオトが呟いた言葉と共に、夕日の中に消えていく後ろ姿が甦る。


 彼は私と共に生きることよりも、勇者の役目を全うすることを選ぶというのか――。



「……少し、時間をもらえますか」


 ゆりは震える声でそう告げるのが精いっぱいだった。


「ええ。ですが……強硬派を抑えるのにも限界があります。できるだけ速やかにご決断を」


 これまで常に柔和な態度でゆりに接してくれていたはずの神官長は、事務的にそう答えると足早に部屋を出ていった。

 ゆりは少しでも気を落ち着かせようと卓上の鏡を見る。そこに映る、恐怖に凝り固まり今にも泣き出しそうな自分の両耳には、何を犠牲にしても守りたいと思ったはずの太陽の黄金――ナオトから贈られた魔の黄水晶(ミスティックシトリン)が、無垢な輝きを湛えていた。


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