第六十五話 全部オレのもの
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その日、とある場所へ赴いていたゆりはすっかり日が暮れてから神殿へ帰った。疲れたゆりが自室の扉を開けると、視線の先、誰もいないはずの部屋の奥でベッドがもぞ、と動いた。
「ひっ!?」
思わず声を上げたゆりが恐る恐る近付くと、布団の間から赤銅色の髪が覗いている。
「なんだ、良かった…………って、良くない。どうしてナオトが私のベッドで……!」
ゆりは布団を剥がそうとして、はた、と止まった。起こすのが忍びないと思ったのだ。
ナオトは寝返りを打ち、布団を丸めて抱くようにゆりに背を向けた。
珍しいとゆりは思った。
神獣人のナオトは気配に敏感で、ほんの少しの物音すら聞き逃さない。元々眠りが浅いのに加え、更に最近は呪印のせいか夢見が悪いらしく、ほとんど寝られていないようだった。そのナオトが目の前で、無防備に爆睡している。
「もう……。風邪ひくよ」
ゆりはナオトに抱え込まれて丸まっている布団を引っ張り、掛け直そうとした。ナオトの両腕から静かに布団を引き抜いたところで、突然ナオトに腕を掴まれ、ベッドに引き込まれた。
「ちょ……!」
抗議の声をあげようとしたゆりは、ナオトが未だ寝息を立てていることに気付くと慌てて黙り込む。
せっかく良く眠っているのに、起こすのは可哀想だ。もし束の間でも彼が呪いから離れて惰眠を貪ることができているなら、それを邪魔したくはない。
後ろから抱き締められている体勢のゆりは、少しだけナオトの腕を持ち上げるとくるりと半転した。鼻が触れ合いそうなほどの至近距離で、ゆりは息を殺し、眠るナオトの顔を見た。
均整のとれた美しい顔。閉じられた瞳を縁取る睫毛は長く、さながら芸術のようである。
――出会ったばかりの頃はよくこうやって、抱きまくらにされていたな――。
ゆりはナオトと出会ってからこの街にやって来るまでの道中を思い返し、くすりと笑みを溢した。
今にして思えば、あの時の自分は完全にモノ扱いされていた。こちらがどう思おうが、全く意に介していない風だったし。
それでもゆりは、突然落とされた異世界で、彼に抱き締められて与えられる温もりに救われていた。
ああ、もしかしたら私はあの時から既に――。
ゆりはナオトの胸に顔を寄せると、その鼓動を聴いた。
そしていつの間にか、その規則正しいリズムに誘われ、眠りに落ちていた。
ナオトはここのところ、眠りにつくと毎回夢を見る。――いや、見させられているのだ。不死の王の接吻の呪いに。
その内容は決まって同じだった。
ゆりが、死ぬ夢。
真っ暗で何もない場所。或いは、鬱蒼とした暗い森の中。物言わぬゆりを抱き締めている自分に、内なる獣が囁き掛けてくる。
“この娘の柔らかい身体に牙を立て、血を啜り、内臓をぶち撒けたら。極上の味がするに違いない。
そうして彼女の全てを喰らえば……
ゆりは永遠に、自分だけのもの。”
いつの間にかそこら中が血塗れになっていて、ゆりの芳しい香りが充満している。そして、抱き締めたゆりは冷たくなっている――。
こうして毎晩ゆりを喪う夢を見て絶望の内に飛び起きる。そして現実に引き戻されたナオトは、もう一度絶望するのだ。
自分がこの夢に欲情していたという事実に。
「ハァ……。いくら欲求不満とはいえ、流石にがっつき感出過ぎててへこむっつの……。いや、出っ張ってんだけど……」
獣の囁きを振り払うかのように敢えてしょうもない冗談を呟くと、ナオトは己の昂りを鎮めようと心を無にした。
時刻は昼過ぎだった。二日前に討伐に駆り出され帰着したのが午前中だいぶ日が出てからだったので、二刻は眠ったか。
自室の続きにある風呂場で頭から水を被り、幾分か冷静さを取り戻したはずのナオトは、連日の寝不足による頭痛を誤魔化しながらフラフラと歩いていた。
「マジで一回娼館行って来っかな……」
溜め息をつきながらぽつりと溢す。
例の事件以降、ナオトが娼館へ足を向けることはなくなっていたのだが。
本来ならこんな情けない悩みを抱える必要などないはずだった。意中の女が同じ建物の中で暮らしていて、しかも想いを確かめ合っているのだから。すぐにでも自分のものにして、ぐずぐずに溶かしてやるつもりだった。
妄想の中で何度も抱いたはずのその相手を、しかし現実に手に入れられるかもしれないという立場になった時、彼は自分でも笑ってしまうくらい怖じ気づいていた。
本当に喰い殺してしまうかもしれないという恐怖があったから。
「ホントに……。こんなんなる前に一度抱いておけば良かった」
出会ってすぐの頃なら。きっと自分は迷いなく……むしろ嬉々として彼女を抱いただろう。それが、愛しさが募ってしまった今となっては。
ゆりがもう少し世慣れた女だったら違ったかもしれないが、彼女の無垢さを好ましいと思っているナオトは今更それを自分が汚すことを躊躇していた。
様々な想いが去来し逡巡したが結局。
ナオトが訪れていたのはゆりの部屋だった。
「ゆりー。いるー?」
扉を開ける前にノックしろと散々教え込まれたナオトは珍しくそれを守った。
だが、中からは何の反応もない。
最近仕事に復帰したゆりは、それ以外にも何かこそこそと用事をこなしているらしく、日中はほとんど神殿にいない。
そもそも本来であればゆりが何処にいるかなど匂いで筒抜けだったのだが、彼女の首に嵌められた「魔力殺し」のせいで、追跡はほぼ不可能になってしまった。更に呪いで神獣人としての力が弱まっている今は、ナオト自身の嗅覚も衰えている。
――普通の人間は、こうやって相手を訪ねる度、会えるかどうかわからずに一喜一憂しているんだな。
ナオトはそんな当たり前のことを今頃知って、不思議な気持ちになった。
神殿の住居には内から掛ける鍵しかない。ドアノブを回すと、扉はあっさりと開いた。
真面目なゆりらしく、きちんと整えられた部屋。表に見えるものはほとんど備え付けの家具だけだが、窓辺には中庭で摘んだであろう花が生けられており、ここが女性の部屋であることを感じさせた。
部屋に僅かに残るゆりの香りを胸いっぱいに吸い込んだナオトは、フラフラと誘われるまま窓際の彼女のベッドに倒れ込んだ。
「あー、ゆりの匂いがする。やっぱこれだよなー、これがないと……。――――つかもしかしてオレ、すげぇヘンタイじゃね……?」
枕に顔を埋めて散々匂いを堪能した後、ナオトは今更すぎる台詞を呟いた。
「ま、でもいいんだ……どーせ全部オレのものだから……。あークソ。帰って来たらどこに行ってたのか問い詰めて、それから絶対抱いてやる……」
そんな不穏な言葉を口にしながら、ゆりの香りに包まれてナオトは瞼を閉じた。
ナオトが再び目覚めた時、その腕の中にはゆりがいた。
「おはよう。あれ、こんばんはかな?」
寝起き特有の鼻がかった声でゆりに囁かれたナオトは、舞い上がるような幸せを噛み締めるのに精一杯で。いつまでも甘い余韻に浸りたくてのろのろと微睡んでいるところをテオドールに目撃されてしまい、眠る前の決意を実行には移せなかった。
ゆりが何処に行って何をしていたかは次回判明します。新キャラも登場します!




