第五十九話 もっとちょうだい
「テオくん、なんか最近私、体調がおかしいの。熱っぽいっていうか……。」
ゆりの訴えに、テオドールはどきりとした。
療養中、ゆりの左腕は驚異的な回復をみせる一方、ゆり自身は次第に体調不良を訴えるようになった。
その主訴は「熱っぽい、身体があつい」というものだった。
「風邪ではありませんね」
テオドールはベッドで上半身を起こしているゆりの額に当てた手をどけると、頭を左右に振った。
確かにゆりの顔は赤く上気している。だが実際には発熱しておらず、風邪の類いではなかった。傷口が回復する過程で熱を持つこともあるが、それともまた様子が違っていた。
「そうなの? じゃあテオくんにうつす心配はないのかな……?」
テオドールには、原因がわかっていた。
ゆりの身体からは咲き誇る大輪の薔薇のように芳しい香りが漏れて、テオドールですらその気に当てられるほどであった。
つまりこれは、魔力。
失われた血が再び体内で作られ身体を廻るように、ナオトに与えて失われたはずのゆりの魔力はその体の中で新たに生まれ、こんこんと沸き出していた。
骨が折れたり、皮膚が破れて回復する際にそれまでより丈夫で厚くなるように、これまで体内に留められていた魔力は捌け口を得て、むしろその量は増加しているようだった。
こんな状態では、街はおろか神殿内すらまともに歩かせられない。ゆりは神殿に仕える真面目な獣人神官達の道を踏み誤らせる可能性すらあった。
テオドールはゆりの額に触れた自分の右手が熱を持つのを感じ、恐れおののいた。このままだと自分もおかしくなってしまうかもしれないと。
「ゆり!」
その時突然ノックもなく部屋の扉が開いて、男が飛び込んできた。勇者ナオトである。
今の状態のゆりに一番会わせたくなかった人物が来てしまい、テオドールは青ざめた。
ゆりの魔力に誰よりも執着する神獣人であり、煩悩の塊のようなこの男を今のゆりに近付けたら、それはもう口に出すのも憚られるような事態になってしまうに違いない。
しかしナオトの様子は平素とは違った。脂汗を浮かべ、苦しげに息をしながらゆりに近付く。
「ゆ、り……」
そして突然、ばたりと床に倒れ込んだ。
「ナオト?!」「ナオト様!」
慌ててゆりとテオドールが駆け寄ると、ナオトの右肩にある呪印が浮かび上がり赤黒く明滅していた。
「不死の王の接吻……!」
テオドールは口元を手で押さえて悲鳴を飲み込んだ。
ナオトが受けた不死の王の接吻は、ゆりの血を飲み一旦抑え込まれたものの、呪印そのものを消すには至っていなかった。神官長らが解呪を試みているが、未だそれは叶わずにいる。
「ナオト、大丈夫?! 痛いの? 苦しいの!?」
ゆりが泣きそうになりながらナオトを抱き起こすと、ゆりにしなだれかかったナオトは苦痛に顔を歪めながら笑った。
「ゆり、お願い。こないだみたいに呪印を、止めて……」
その力ない言葉にゆりは固唾を飲んだ。
「ど、どうすればいいの? 血をあげればいいの?」
「ううん、違う。ねえ、こっち見て……」
上体を起こしたナオトは、しゃがみ込んだゆりをベッドの脇に押し付けると、その手首を掴んでキスをした。
「んっ……!?」
目の前で繰り広げられる生々しい光景に、テオドールは思わず目を覆った。
下唇を食み、弱々しくちろりと歯列を舐めるだけだったナオトのキスは、次第に深いものへと変わっていく。
「んぁ、ふ……」
ナオトは舌を滑らせゆりのそれに絡めると、貪るように唾液を味わう。ゆりが翻弄されながらもなんとか舌で撫で返すと、顎を掴まれ、覆い被さらんばかりの角度で再度差し込まれる。熱を飲み込み、呼吸すら奪って、それは終わることなく何度も繰り返された。
「は、んぅ…………、んっ……ナオト……」
「っ、ここで名前を呼ぶのは反則でしょ……」
興奮を抑えられない様子のナオトの言葉にテオドールが指の隙間からちらりと見ると、既に呪印は明滅を止め薄い紋様となっていた。
「ゆり、もっと、もっとちょうだい……」
呪印を抑える目的は果たしたはずだが、ゆりから与えられる甘美な愉悦の虜になっているナオトは、押さえ付けていたゆりの手首を自由にすると、その手で胸の頂きを服の上から押し潰し揉み始めた。
「あっ……! んっ!? ちょ、ちょっと、どこ触ってるのーーっ!!!!」
ばちぃぃぃん!
一瞬与えられた快楽に思わず跳ねた声を漏らしてしまったゆりは、思いっきりナオトをビンタした。
「し、信じられない! テオくんも目の前にいるのに!!」
「って~。なに、二人っきりだったら良かった?」
「よくない!!!!」
張られた頬を擦りつつ、すっかりいつもの調子を取り戻して軽口を叩くナオトにゆりは涙目になりながら叫んだ。先程までゆりを取り巻いていた甘い香りは、いつの間にか収束している。
「ほら、やっぱり治まった。ゆりの魔力はすごい!」
ナオトは輝きの治まった右肩の呪印を見せると、にやりと笑った。
「あ~でも、時間が経ってゆりの魔力が弱まるとまた痛んでくるから、またしてもらわないとダメだ」
「な、何を」
「そりゃもちろんキス。毎回どこか切って血をもらう訳にもいかないでしょ。……あ、他の方法でもいいけど」
「他の方法?」
「そうそう。一番効率が良くてお互い気持ち良くなれる方法……つまりセッ「ナオト様!!」」
テオドールが皆まで言わせまいと思いっきり叫んだので、ナオトは彼を睨み付けた。
「なんだよ、これはオレとゆりの話なんだから子供は邪魔すんな」
「いいえ、これはゆりさんの身の安全に関わることです! ナオト様、このような方法で呪印の力が弱まったこと、絶対に口外しないで下さい!」
ゆりの魔力が奇跡を起こしたことを知られれば、ゆりはトゥ=タトゥに聖女として囲われる。そうしたら、彼女は不特定多数の誰かと唇を、体を、重ねなければならないかもしれない。
テオドールはエメの忠告を思い出し慄然とした。
一方のナオトも、教導に言われた言葉を思い出していた。
“勇者殿。もし、お主がゆり殿をこれまで通り自由に囀ずる小鳥であれと願うなら――。
――その身に起こったことは、誰にも打ち明けなさるな”
ナオトは聖女認定の条件等教会側の事情は知らなかったが、ゆりの稀な力のことが外部に漏れ、何者かに利用されることは避けなければならないと理解した。
「……悪かった。言わねーから」
ナオトが素直に謝罪の言葉を口にしたので、テオドールはようやく握り締めていた拳を緩めた。
「でも時々こうやってゆりに力をもらわないとマジでオレ死ぬから」
だからお願いね?と小首を傾げてゆりの顔を覗きこんだナオトの口調は軽かったが、それは脅しではなく事実だった。
「ねえナオト。その呪い、もう二度と解けないの?」
「さあ。神官長達が調べてるけど、そもそも不死の王が出てくること自体がレアだから、あんまり過去の記録がないとか言ってた」
「そんな……!」
ゆりが悲嘆の表情でナオトを見つめると、ナオトは節立ったその両手でゆりの両頬を包んだ。そうして親指で潤んだゆりの目元をなぞると、にこりと笑う。
「ゆりがいてくれればだいじょーぶ。それにオレ、頑丈だし」
ま、そのうち解呪の方法も見つかるっしょ、と飄々とした様子で立ち上がると、手をひらひらと振りナオトは部屋を出ていった。
しかし、ご機嫌に振られたその尻尾を見送ったゆりは、ナオトほどこの先を楽観することができなかった。




