第五十八話 愛の奴隷
本日より第三章です。
第三章からは隔日更新となります。詳細は最新の活動報告をご覧下さい。
その日、教会からの使いで評議会を訪れていたテオドールは、用事が済んだ後に黒狼騎士団の詰め所に立ち寄っていた。
ゆりからアラスターへの手紙を預かっていたからである。
連合会議は無事閉幕したが、黒狼騎士団はそれまで目の回るような忙しさだったらしい。現在は見た限りでは団員達の動きは落ち着いているものの、案内された詰め所内は少し雑然としていて忙中の名残が感じられた。
「テオドール君、だったかな。掛けたまえ」
執務机に齧りついたままテオドールを迎え入れたアラスターは、ゆりからの手紙を受け取ると革張りの椅子に座り直し、その封筒を透かすように持ち上げると目を細めた。
テオドールは伝説的な英雄――しかも事務処理でとても忙しそうだ――に席を勧められ、慌てて固辞する。
「いえ、ゆりさんに頼まれてその手紙をお届けにきただけですので」
「まあそう言うな。むさ苦しい場所だが、茶くらいは出そう」
そう言って秘書を見遣ると、アラスターはいそいそとナイフを取り出し手紙を開封した。
ゆりは現在、ナオトに噛まれた左腕の怪我が原因で療養中だ。本人は至って元気だが、片方の腕が使えないので日常生活には不便が多い。そのため孤児院での仕事も休んでいた。
そんな中、ゆりはずっとアラスターのことを気にかけていた。夜会の日、ゆりに普段とは違う繊細な一面を覗かせ、狼の姿のまま立ち去ったアラスター。
あの後彼は人の姿に戻れたのか?そしてその時、たった独りで何を思ったのか。
それを考えるとゆりの胸は痛んだ。しかし、会いに行くという選択肢は取れなかった。
何故なら騎士団は多忙と聞いていたし、何より今のゆりの姿を見せたら余計な心配をさせた上に原因を聞かれるのはわかりきっていたからだ。
少なくとも三角巾が取れるまではアラスターには会わずにいようと決めたゆりは、代わりにテオドールに頼んで手紙を託すことにしたのだった。
アラスターはゆりの丁寧な文字が書かれた便箋を右手で広げると、愛おしげにその親指で筆跡をなぞった。
“親愛なる アラスター様
ご無沙汰しています。先日はお忙しいところ、エスコートをありがとうございました。貴方のお陰で無事に夜会を乗り切ることができました。
例の件ですが、先日ご本人に丁重にお断りしました。ミストラルが素敵な国だとは聞いていますが、私はこの街が好きなので、離れがたいのです。
ところで、体調はいかがでしょうか? 前回の別れからずっと心配しています。
差し出がましいのは承知ですが、私でお力になれることがあればおっしゃってください。誰かに心の内を聞いてもらうだけでも、気持ちが軽くなることがあるかもしれません。
本当は直接お会いして色々お話ししたいのですが、諸事情でしばらくお会いできそうにありません。どうぞ身体も心も、ご自愛下さい。
追伸 先日の湖は、街から近いのでしょうか? とてもきれいな場所だったので、いつかまた訪れてみたいと思っています。
あなたのお側に
ゆりより”
実はテオドールは、ゆりからの手紙の内容を一言一句知っていた。
まだまだ大人としては拙い文章しか書くことの出来ないゆりは、アラスターに手紙を書くにあたってテオドールに助言を求めたからだ。
まさか今自分が読んでいる想い人からの手紙に、他人の手が入っているとは思わないし、思いたくもないだろう。
テオドールはその事実に気付かれないか、ひやひやしながら出された紅茶に口をつけた。
「そうか、ゆりはフレデリク王子からの求婚を断ったのか」
「求婚されたその場からゆり嬢を奪い去った男が良く言いますよ」
手紙を読みながらのアラスターの独り言に、秘書のレインウェルは嘆息する。
そう、あの日あの場でのフレデリク王子の公開プロポーズを潰したのはアラスターに他ならない。
”若き王子から求婚された異界の乙女を、騎士が強引に横から奪い取り連れ去る”
まるで物語のように鮮烈なその場面は、その場にいたご婦人方を大いに興奮させ、社交界では狼将軍が召し人に想いを寄せているというのは既に誰もが知るところだった。
テオドールはそれを噂で漏れ聞いただけだったが、当の本人達がその会話を交わしているのを聞き、ゆりがその夜どれだけ人々の耳目を集めたのかを想像して頬を染めた。
ゆりを情熱的に奪い合った男二人はどちらも若いながらに名を馳せる人物だが、それを手紙一枚で済ませようとするゆりもある意味かなりの大物である。
「テオドール君。今返事を書くから、もう少しだけそこにいてくれたまえ」
手紙を読み終えたアラスターは息を吐いてそう告げると、飾り気のない白い便箋を取り出し、手にしたインクペンでさらさらと慣れた様子で文章を書き始めた。
普段からこのペースで事務仕事もこなしてくれませんかね……、というレインウェルの呟きを他所に、アラスターはあっという間に返事を書き上げると、黒狼騎士団の団章ではなくアラスター個人の印で手早く封蝋した。
「では悪いが、この返事をゆりに届けて欲しい。
――ああ。俺の手紙は、添削してくれるなよ?」
手紙を渡しながらにこりと笑ったアラスターを見て、テオドールは「バレてる……」と苦笑いした。
“愛する ゆりへ
貴女に会えないこの一週間が、永遠かのように長く感じられる。連合会議もようやく終わり、騎士団も平素の業務に戻りつつある。
従者の少年に体調が思わしくないと聞いたのだが、大丈夫だろうか。しばらく孤児院にも顔を出していないとか。一日も早く、花開くような貴女の笑顔を見たい。
俺のことならば心配には及ばない。神獣人とは不思議なもので、どんな怪我や疲れでも大抵一晩眠れば良くなってしまうのだ。
だが、貴女に会えないのは深刻な問題だ。貴女を想わない夜はなく、貴女を想わない朝もない。
貴女の声を聞き、貴女の瞳に映る俺を見たい。貴女を近くに感じて、貴女に触れたい。
追伸 例の湖は、貴女の体調が良くなったら連れていこう。流石に背には乗せられないので、今度は馬で。
愛の奴隷
アラスター・ウォレム・アーチボルト”
テオドールが神殿に帰ってアラスターからの返事を渡すと、その場で開封したゆりは困ったような顔をした。
曰く、「読めない」と。
アラスターの手紙は流麗な筆記体で書かれており、ゆりには少しハードルが高かったのだ。
ゆりに代わりに読んで欲しいと頼まれたテオドールは、その一行目で既に真っ赤になって言葉に詰まってしまった。
“俺の手紙は、添削してくれるなよ?”
あの男はテオドールに読まれるかもしれないと解っていながら、砂糖の塊のような文句をこれでもかと文に織り込んでいた。これを特に考え込むような様子もなくさらっと書き上げたのだから、彼の想いが忍ばれる。
「……あああ愛の、あいのどれい、アラスター・ウォレム・アーチボルト」
結局、その手紙を全てその場で音読させられたテオドールは何とか最後まで読み通した。
しかしその熱烈なメッセージはあまりゆりには伝わらなかったようだった。
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