第五十四話 聖女の三条件
明日6/15は、二話分投稿します。
「エメさん、あちらの部屋が空いています!」
テオドールの導きで、エメはゆりを抱いたまま神殿の空き部屋に飛び込んだ。
ゆりの部屋と同じ間取りのその部屋に置かれた簡素なベッドにゆりを寝かせると、その血だらけの左腕をもちあげたまま、ぼろぼろになった服の袖を破り取った。
「布を、持って来い。大量に」
エメが部屋の後ろでおろおろしているテオドールに振り返りもせず指示を出すと、テオドールはハッとしたように声を出した。
「神官長に言って、浄化の儀式を……!」
「やめろ」
「でも! ゆりさんが」
「意味が、ない」
そこまで言われて、テオドールはエメの言葉の意味を理解した。そしてありったけの布を集めるために走って部屋を出て行った。
教会の神官のみが行える浄化術は、数人がかりで空気中の魔力を集め、対象に与える儀式である。
呪いや毒などを清浄な魔力で洗い流す用途の他、怪我をした者に行えばその自己治癒力を一時的に高め、怪我の治りを促進することができる。
だが、以前ゆりがネコロリソウの媚薬を嗅がされこの浄化術を受けた時、それは上手くいかなかった。
ゆりの体内に眠る大量の魔力が反発し、外部の魔力をその身に受け入れなかったからだ。
つまり、ゆりに浄化術は意味がない。
エメはゆりの血ができるだけ流れないよう左腕を二の腕から持ち上げたまま、肩口を破った袖できつく縛った。
この怪我だけで即命に関わることはないが、血を流しすぎるのは危険だ。もし無事に回復しても、神経が傷付いていればゆりの左手はもう動かないかもしれない。
ただ、ゆりの身の内には大量の魔力があるので普通の人間よりは回復力が高いはずだった。それに期待して安静にさせるしかできることはない。
エメはゆりの肘から下にある痛々しいナオトの噛み跡と、ゆりが自ら切り裂いた手の平の傷を見た。
ゆりの左腕から流れる落ちる大量の血は、一介の獣人に過ぎないエメからしてもかぶりつきたくなるような甘い香りを発していた。
――なんと恐ろしい身体なのか。
エメは内から涌き出る興奮と共に恐怖した。
ゆりの身体がこんな事情を抱えていることがもし知られたなら……ゆりの血を、涙を、身体から溢れ出る全てを搾取しようとする者が現れてもおかしくない。
ゆりの身体は毒にも薬にもなる可能性を秘めていた。
“その身体、強か解いて啼かせたら……極上の味がするであろうのお?”
“『閃光』よ。それで、どうなのじゃ? ――あのおなごは、聖女か?”
――“聖女”? 違う。ゆりは聖女なんかじゃない。
「布、持ってきました!」
テオドールが息を切らせて戻ってくると、エメは思考を一旦絶ち切り、素早く適切な処置を施した。
先程よりは幾分顔色の良くなったゆりを見下ろすと、エメは振り返り、テオドールの名を呼んだ。
「――テオドール・リンツ」
底冷えするような声で名前を呼ばれ、テオドールは身を震わせた。
「……は、はい」
「教会の定める、『聖女の三条件』を、言ってみろ」
「え……」
突然の問いかけにテオドールは戸惑いながらも、ぽつぽつと呟き始めた。
「『聖女の三条件』――。
ひとつ、高潔な魂の持ち主であること。
ひとつ、高い魔力を持つ者であること。
ひとつ、少なくともひとつの『奇跡』を起こし、教会に認定……されること……」
呟きながら、テオドールの瞳は次第に驚愕に見開かれた。
「え、あ、ゆりさんは……聖女……?」
ゆりは自分の血をナオトに与えることで不死者の不浄を払い、傷を癒し、不死の王の接吻による呪いを、恐らく一時的にではあるが封じ込めた。
テオドールとエメはその瞬間を目撃していた。これが「奇跡」でなかったら、一体何が奇跡だと言うのか。
過去に聖女に認定された者の起こした奇跡は、涌き水を聖水に変えたというものから、神託めいた予言を行い的中させた者、果ては埋もれていた伝説上の聖遺物のありかを示唆したなど、実に様々である。
「そうなるだろう、な。オレか、アンタが『奇跡』を――証言、すれば」
その言葉には剣呑な響きが含まれていた。エメはテオドールを脅迫しているのだ。証言するな、と。
「で、でも」
テオドールは言葉を続けた。
「聖女に認定されるのは、大変名誉なことでは……」
「聖女は、教会から求められたら、奇跡を起こすことを、拒否、できない」
「時々……血を抜かれるかもしれない、ということですか」
聖女は教会の象徴的存在としてトゥ=タトゥの本殿で丁重に囲われ、その求めに応じて奇跡をもたらすこととなる。――過去には聖女認定されたものの、二度と奇跡を起こせなかった聖女もいたが。
テオドールの言葉に、エメは心の底から憎々しげな顔をした。
「ゆりの魔力が含まれるのは、血だけじゃない、はず。……体液、全部だ」
「それはつまり……?」
聡明なはずのテオドールの察しの悪い態度に、エメは吐き捨てるように言い放った。
「女の体液が、欲しいなら――。一番、簡単で、手っ取り早い方法が、ある」
「――!?」
そこまで言われて漸くエメの言わんとすることを悟ったテオドールは思わず赤面した。貞潔を是とする教会が、そんなふしだらなことを聖女に強制するなど、あり得ない、と彼は言いたかった。
だが教会の中枢を知る『閃光』がそう主張するのだ。その言葉を否定する材料をテオドールは持ち合わせていなかった。
教導セグヌンティリエは、既にゆりの身体の秘密を知っている。
後は、ゆりが何らかの「奇跡」を起こすことを待っているのだ。
或いは、アラスターやエメを挑発していたのは最初からそのような意図が含まれていたのかもしれない。
――オレは。
オレだって、ゆりを手に入れたいと思っているくせに。体を開かせて、散々いたぶって、懇願の涙を流させたいと思っているくせに。
エメは自分の身勝手さに辟易した。
「テオドール・リンツ。決して、言うなよ。もし、漏らしたら――。――その時は、殺す」




