第五十二話 帰るべき場所
ゆりの動揺が甚だしいのを察し、神官長はテオドールを呼ぶとゆりを部屋へ連れていくよう指示した。
「テオくん、どうしよう、どうしよう。ナオトは怪我をしているの」
ゆりを支えるように背に手を添えたテオドールは、なるべくゆりを落ち着かせようと言葉を選んだ。
「ナオト様は神獣人ですから、多少の傷は瞬く間に塞がってしまわれます」
「そんなの……! いくら神獣人だからって、傷ついたら痛いに決まってる!」
だがその意図は伝わらず、テオドールの言葉はかえってゆりを頑なにしてしまったようだった。
「どうして、どうしてナオトがたったひとりで不死者を二百体も相手に戦わなくちゃいけなかったの?」
「! 不死者相手に、傷を受けたのですか」
「……? どういう、こと?」
テオドールは、動揺を表に出してしまったことを後悔した。しかし一度口にした言葉を引っ込めることはできないので、仕方なく説明する。
「……不死者は……不浄の力を持つ者です。不死者から付けられた傷は、その不浄の力ゆえ……、自然には、癒えることがないと言われています」
「そんな……! もう、治らないってこと??」
「いえ、浄化の儀式で……。以前ゆりさんが治療を受けた時のように、清浄な魔力を注ぐことで不浄を洗い流すことができます」
正直に答えたテオドールに、少しだけ冷静になったゆりは先程の通信でわからなかった疑問を全てぶつけることにした。
「テオくん。『不死の王の接吻』って何?」
「不死の王など! そんなことはありえない!」
テオドールが強い調子で否定したので、ゆりは驚いて肩を震わせた。その様子にハッとしたテオドールは、ややトーンを落として続けた。
「不死の王は、その名の通り……不死を統べる者、です」
ゆりは、テオドールの辞書をそのまま読み下したような説明に違和感を持った。だがその次の言葉の衝撃の方が大きくて、その違和感の正体を確認することはできなかった。
「接吻とは、不死の王が与える呪いのことです。その呪いは――対象者の生命を、蝕むと言われています」
その日、ゆりは孤児院での仕事があり、少し遅れてしまったものの予定通り通った。
テオドールは休むように勧めてくれたが、何もせずに部屋でじっとしているよりは気が楽だったし、何より他人――そう、ナオトは他人なのだ――の安否を理由に仕事を休むのは、日本人の感性からすると気が引けた。
“ゆりは今日、他の誰のお姫様にもなっちゃダメ”
“じゃ、ゆり。行ってくるね”
“今日のゆり……とってもキレイだよ。――バイバイ”
ゆりは一昨日の夜ナオトと交わした会話を思い出していた。
ナオトがゆりの右手に残していった「おまじない」は、昨日の朝、目覚めた時には既に消えていた。
元々すぐに消えてしまうものだったのか、それとも――
ゆりは頭に浮かんだ恐ろしい可能性を否定しようとして、鏡を見た。そこに映っているのは、ナオトの黄金の瞳と同じ輝きを持つ一対の宝石。
大丈夫。ナオトは必ず帰ってくる。
だから――私は、それを待つ。
ゆりはその日の夜、自分の部屋の窓の外に、持ちうるだけの提燈をかき集めて灯し、掲げた。
ナオトが帰り道を見失わないように。私はここにいるよと、気付いてもらえるように。
「ゆりさん、眠らないんですか」
夜深くなっても部屋の灯りを落とさず、むしろ煌々と掲げるゆりに、テオドールは部屋の扉の外から気遣う言葉をかけた。
「ねえ、テオくん。ひとって、どんな時に孤独を感じると思う?」
窓の外を見ながらそう問いかけるゆりに、テオドールは答えを用意できなかった。
「私はね……。誰もいない、真っ暗な家に帰って来た時、だよ。塾の帰り、街灯のほとんどない暗い道をひとりで帰って来て、家の電気がひとつもついていなかった時。仕事帰り、一人暮らしの部屋に帰って来て、真っ暗な玄関にひとりで佇んだ時――。とっても苦しくて、寂しくて……つらかったの」
だから、とゆりは続ける。
「自己満足なんだってわかってる。何の役にも立たないし、結果だって多分変わらないって。――それでも私は、こうやって明るい部屋でナオトを待っててあげたいんだ」
「獣には、帰巣本能がありますから……。ナオト様はご自分が帰るべき場所を、ちゃんとわかっておられますよ」
ナオトがこの神殿を自分の家だと認識しているかはかなり怪しかったけれど。
それでも、そこで待っててくれる人がいることは、きっとわかってる。
テオドールが扉越しにそう告げると、ゆりは「そうだね」と小さく笑った。




