第五十一話 伝声板
しばらく萌え……というよりは燃え?かもです。
「ゆりさん。夜会への参加、トゥ=タトゥの教導への面会、ご協力下さりありがとうございました」
「いいえ、お役に立ててよかったです。貴重な経験ができました」
内心ではできれば次からは遠慮したい、とゆりは思った。
神官長にアポを取り夜会の報告ができたのは、夜会の翌々日の朝早く、ゆりの出勤前のことだった。ゆりの言葉を受けた神官長は満足げに頷いている。
「ところその……ゆりさんは、ミストラルのフレデリク殿下とご結婚なさるので?」
「えっ」
神官長の耳にも届いているのか……と、ゆりは思わず顔が強張った。
「……しません。できません。私には、過分なお話だと思ってます」
「そうですか……。もし、身分の違いを気に病んでおられるなら、それは杞憂ですよ。ミストラルは過去に召し人の女性を王妃に戴いたこともあります」
「そうなんですか?」
「ええ。それにね、ゆりさん……。私個人的には、フレデリク殿下を応援して差し上げたいものでして」
そう言って、神官長は教えてくれた。
過去にフレデリクがモルリッツに遊学していた際、この神殿に滞在していたこと。
ゆりと出会ってから、教導と神官長に直訴してゆりをミストラルに連れて帰りたいから家族を説得するために素性を明らかにしてほしい、と懇願したこと。
驚いたことに、フレデリクはゆりと二度目に会ったその時には既に結婚を決意していたという。
彼の想いが決して夜会の熱に浮かされた一時的なものでなかったと知って、ゆりはなんとも言えない罪悪感に胸が痛んだ。
「――私は……。彼のことを何も知りません。だから、彼のことを好きとも嫌いとも思うことができないんです。そんな失礼な気持ちで……結婚は、できません」
「時間をかけて、徐々に温めていく愛もありましょう」
「それは……そうかもしれないですけど……」
時間をかけてお互いを知り合えば――。
確かにゆりは、彼を愛するかもしれなかった。でもそれはあくまで仮定で、愛するという保証もできない。何故ならゆりは、未だ「愛する」ということを知らないのだから。
そんな不安定な、不誠実な気持ちで一国の王子の元へ身ひとつで飛び込むことなど、できるわけがなかった。
――私は、誰かを愛したい、誰かに愛されたいと思いながら、その勇気を持てずにいる。
ゆりは、自分が人間として不完全な気がしてならなかった。
ゆりが言葉を濁してその後を続けずにいると、神官長もそれ以上何も言ってこなかった。
気まずい沈黙の後、ゆりは神官長に聞きたかったことを思い出した。
「そういえば、ナオトは……討伐に行ったナオトはどうなったんですか? 無事なんですか?」
「それは我々にもわからないのです」
「何か、連絡を取ったり、無事を確認する手段はないんでしょうか」
「あるには、あるのですが」
神官長はそう言うと、懐から紫色の布の包みを取り出した。
そしてその包みを開くと、中には手の平ほどの大きさの星形の板が入っていた。
金属でできているらしいその板は、中心と各頂点にクリスタルのような石が嵌め込まれ、びっしりと文字のようなものが刻まれている。
「これは、伝声板という過去の技術による魔道具の一種で、対になっている板と音声のやり取りができます。ナオト様の前にこの神殿を発った先遣隊にこの伝声板の対を持たせています」
「じゃあ、これを使えばナオト達と話ができるんじゃ――!」
ゆりの言葉に、神官長は首を振った。
「伝声板を使うには、魔力が必要です。古代であれば、人は自らの手でこの板に魔力を込め使用することができました。しかし、人から魔力が失われた今は……。空気中の魔力が、自然と溜まるのを待つしかないのです」
神官長によれば、この伝声板はおよそ四日に一度しか使用することができず、一昨日ナオトが発つ前に通話してからまだ魔力が溜まりきっていないということだった。
「そう、ですか……」
ゆりが落胆していると、神官長はこちらを窺うようにしながら切り出した。
「ゆりさんなら……使えるかもしれませんよ」
「えっ?」
「ゆりさんは、身の内に膨大な魔力を抱えておられる。ですから、それを伝声板に与えることができれば、通話ができるかもしれません」
「…………。神官長さん……。できるかわからないですけど、試してみてもいい……ですか?」
神官長は無言で頷くと、ゆりに伝声板を差し出した。
鈍色のその板は見た目より重量があり、ひんやりとした質感だった。
「あのう……。コツとかあれば、お聞きしても?」
以前、テオドールの前で魔法を使ってみようとして撃沈した過去を思い出し、ゆりは神官長に教えを請うた。
「女神教に伝わる浄化術においては、気の流れを感じ、肚より練り上げよと云われております」
おなかの中から、指の先へ――。
もし本当に私の中に魔力があるのなら。
役に立て、役に立て、役に立て私の魔力!
ゆりは星形の板をじっと見つめながら、臍の辺りから上半身が徐々にぽかぽかと温かくなる様をイメージした。
すると、次第に――伝声板に嵌められたクリスタルが淡い光を帯び、ついには白く、眩く輝きだした。
「――!」
「おお、まさか、本当に――」
信じられないとゆりがその輝きを眺めていると、神官長も驚いている。ゆりから伝声板を受け取ると、何やら呪文のようなものを呟き、話しかけた。
「トリスタン、トリスタン。応答なさい」
ややあって、伝声板から若い男とおぼしき声が漏れ聞こえた。
『――こちら、トリスタン。神官長、まだ定期連絡のタイミングでは……』
「些事は良いのです。現状を報告なさい」
『はっ。前回の定期連絡の直後、我々は村に到着致しました。村は――村人全員が既に不死者に変じており、その数……およそ二百』
「二百!?」
神官長が驚愕の声をあげる。
ゆりは不死者がどんなものかは知らなかったが、以前森の中で遭遇した火炎蜥蜴がたった二体だったことを考えると、それは途方もない数字のように思われた。
『既に我々の対処能力を遥かに超えており――やむを得ず、勇者様の到着まで足止めのため、結界を。我々と現地の神官総勢三十名で上級結界を展開しました』
三十名で手も足も出ないような魔物を、ナオトひとりで相手させるつもりなの?
ゆりは、自分の中にもやもやした怒りが生まれるのを感じた。
『一夜明けて後、勇者様がご臨場。すぐに交戦となり――それはそれは勇ましく獅子奮迅のご様子で、不死者二百をものともしない戦いぶりでございました』
その言葉にゆりは少しだけ安堵した。
だが、その後に続いたトリスタンという男の言葉は、残酷なものだった。
『しかし――どこからともなく、不死の王が突如出現し、未熟な神官達が恐慌状態となりました。勇者様は我々を背に守りながら戦われ、そこに……』
トリスタンの声は一旦途切れた。
『そこに、村の廃屋から生存者と見られる子供が二名、顔を出したのです。勇者様はそれを庇うために負傷され、更に……不死の王の接吻をその身に受けました』
「ナオトは、ナオトは無事なんですか?!」
ゆりは思わず身を乗り出し、会話に割り込んだ。
『勇者様は「原初の獣」に変じ、不死の王を含めた全ての敵をその牙で屠った後――――負傷された獣の姿のまま、何処かへ……。
何処かへ、消えました』
ゆりは、自分の全身から力が抜け落ちるのを感じた。




