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第四十二話 教導、セグヌンティリエ

 アラスターがゆりを連れてきたのは、宮殿の奥まったところにある応接間だった。トゥ=タトゥ聖教国を代表してやって来ている教導との面会を前に、ゆりはごくり、と唾を飲み込んだ。


「俺はここで待っているから、行ってきなさい」

「はい。アランさん、ありがとう」


 アラスターが振り返り、ようやくそれまで抱いていた腰を離したので、ゆりがほっとして礼を述べる。しかし今度は、向き直ったアラスターがゆりの手首を掴んで引いた。

 ゆりがたたらを踏むと、アラスターがゆりをふわりと抱きしめ、耳元で囁いた。


「ゆり、今から御前に侍る教導は――神獣人だ」

「えっ、そうなんですか」

「ああ、そうだ。だからその……」



 “気を付けて”



 扉の向こうにいるはずの神獣人に聞こえないように。

 アラスターはゆりの耳元へ、吐息ほどの小ささで最後の言葉を呟いた。

 ゆりが羞恥とくすぐったさに声を出せずこくんと頷くと、アラスターは名残惜しそうにその身体を離した。



 女神教は、豊饒の女神サーイーを信仰する一神教。その総本山がトゥ=タトゥ聖教国であり、トップの「大教導」は聖教国の広大な土地を支配する為政者でもある。

 大教導の下に幾人かの「教導」がおり、各国の支部神殿の頂点として君臨している。

 ゆりの寝起きしているモルリッツの支部神殿にも教導がいるはずだが、実はゆりはまだ会ったことがなかった。


 なので、ゆりにとって今日の面会は「教導」との初対面である。しかもこの教導は現在女神教のナンバーツーであり、高齢の現大教導が身罷ることがあれば次にその座に着くことは確実と言われている人物だった。



「ユリ、いい?」



 エメの確認に頷くと、エメは扉をコン、コン、コン、コンとゆっくり四度叩いた。

 両開きの重たい扉が、内側から開く。


「これへ」


 中からゆりを導く声がして、ゆりはゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。



 そこはかつて王族が使用していた応接間。公式な謁見の間とは違い、私的に面会をするために設けられたサロンである。

 様々な調度品が設えられた広い室内の一番奥、豪奢な布張りのカウチソファに、その人物はしどけなく座っていた。



 座面に触れるほど長い、豊かな銀髪。白の神官服を窮屈そうに着崩した妖艶な体つきの美女だった。

 頭にはつんと尖った獣の耳が生え、髪と同じ銀の太い尾は、何本にも分かれて拡がり豪華な毛並みを誇っている。



 ――狐だ。



 ゆりは一目でその神獣人の本質を悟った。


「我は教導、セグヌンティリエ。召し人よ、よう来た」


 その圧倒的なオーラに包まれぼうっとしていたゆりは、教導――セグヌンティリエの言葉にはっとして居ずまいを正すと、その御前に進み出て足下に膝をつき、最上位の者への敬意を示す礼をした。


倪下(げいか)、お初にお目文字致します。矢仲ゆりと申します」


 ゆりが頭を垂れていると、目の前にセグヌンティリエの白い手が差し出された。その中指には女神教の紋の入った指輪が嵌められており、指輪に口付けをして祝福を受けることを許す、という合図である。


 ゆりはしばし考える。

 教会には大恩があるが、しかしゆりは女神教の信徒ではない。その指輪に口付けをすることは女神教への帰順を示す行為で、些か抵抗がある。だが、この状況で口付けを拒否することは不敬に違いない。


 ゆりは迷った末、指輪に口付けはせず、教導の手を取るとその指輪を自分の額に軽く押し当てた。これは単純に女神教、そして教導への深い敬意を示す仕草だった。


「ほお……」


 上から、セグヌンティリエの感嘆に満ちた呟きが降ってくる。ゆりが内心これでよかったのかしらと汗をかいていると、セグヌンティリエはその手を引き抜き、ゆりの額にかかる髪を撫でた。


「良い。召し人は女神の客人であり、この世の理に縛られる者ではない故。――面を見せよ」


 その言葉に恐る恐る顔を上げると、セグヌンティリエの金の瞳と目が合った。あ、ナオトと同じ色だ、とゆりがそれを見つめていると、揺らめく黄金を妖しげに細めたセグヌンティリエが突然、ゆりの顎を掴み、捕らえた。


「倪下――――? んっ!」


 次の瞬間、セグヌンティリエがゆりに顔を近付け強引にその唇を奪った。セグヌンティリエはゆりの口を抉じ開けるように割って入り、舌で歯列を嘗め回す。


「は……んっ、んぅ……!」


 突然高位の聖職者、しかも女性にキスされたゆりは混乱し、翻弄され思わず声が漏れてしまう。セグヌンティリエはそんなゆりの反応を楽しむように何度も何度も執拗にゆりの舌を吸って味わっている。

 ようやくその口が離されると、腰が抜けたゆりは思わず後ろに尻餅をつき、へたりこんでしまった。



「ほほほ、愛いのう。

 ――――何ぞ。そのように恐ろしげな顔で我を見るでない」



 舌をぺろりと出して笑ったセグヌンティリエは、後方、扉近くに控えていたエメを一瞥した。

 エメは一瞬目を見開いたが、すぐにまたその表情を凍らせると、フードの中にそれを隠すように俯いた。


「なぁに、このおなごが獣人の前後を不覚にするほど大量の魔力を立ち上らせておった故、そのままではこの後の夜会で不便じゃろうと思うてな。ちぃと()()()()()()だけじゃ。……ああ、それにしても」


 セグヌンティリエは恍惚の表情でゆりを見、白いローブの下の脚を組み替えた。



「なんと甘美な魔力であろうか。これほどのものは我もついぞ会うたことがない。――その身体……、(したた)(ほど)いて()かせたら……極上の味がするであろうのお?」



 セグヌンティリエはカウチの片袖に肘をつくと、うっとりと自らの人差し指を噛む。

 その問いかけの言葉は扉の向こう、狼の耳をしかと立て此方の気配を伺っているであろうアラスターに向けられた言葉だったのだが、まだ酸素不足でぼうっとしているゆりにはそこまではわからなかった。



「これだけあられもなく魔力の香りを振り撒いておいて、おんしが未だ乙女であることが信じられぬわ。()()()()()()()()()()は、余程忍耐強いか臆病と見える」



 セグヌンティリエは、ゆりの両耳の魔の黄水晶(ミスティックシトリン)の輝きに目を細め、右手に残されたナオトの「おまじない」の魔力の跡を見て、小さく笑った。


「ほほほ、ほんに可愛いこと。……さて、召し人のゆりよ。こちらの生活に何ぞ不便はないかの」


 名を呼ばれて、ゆりはようやく我に返った。

 慌てて尻を持ち上げようとするが、脚に力が入らず大分不格好な様子でようやく身体を起こした。


「あの、え、いえ。住む場所に仕事まで提供していただいて……これ以上望むことはありません。本当にありがとうございます」


 なんとかセグヌンティリエの問いに答えると、ゆりは改めて礼の仕草を取った。


「なんとまあ、欲のないこと。おんしが望めば、好きなだけ怠惰に生きることも、一国の王に嫁がせることもできるが?」

「いえ、そんな……。一生居候というわけにはいきませんから、いずれは自立して自分の力で暮らしたいと思っています」

「そう言わず、いつまでも神殿でゆるりと過ごすが良い。勇者も随分とおんしに執心していると聞く」

「は、え? そんなことはないと思いますけど……」


 唐突に勇者(ナオト)の名を出されて、困惑気味にゆりが返す。

 その様子になるほどな、とセグヌンティリエはひとり得心した。



 あれほど美しい男が宝石を送っても、まじないの印をつけても、その心の鍵は未だ明け渡さない女。

 これは確かに、あの青二才の勇者ではそう容易くはいかぬだろうな、と。



「もう、下がって良いぞ。おんしが本物ならば……また合間見えることもあろう」



 ゆりは無言で頭を下げ、背を見せぬように後ろ向きに下がりながら部屋を辞した。

 ゆりが退出し、その気配が部屋から遠ざかるのを感じ取ってのち、セグヌンティリエはゆりについていかずに部屋に残っていたエメを手招きした。



「『閃光』よ。それで、どうなのじゃ?


  ――あのおなごは、“()()”か?」


「…………。普通の、どこにでもいる、女だ」



 エメのさして面白くもない答えに、セグヌンティリエはカラカラと声を立てて笑った。


「ほほほ。それはおんしの願望であろう? ……まあ良い。あれが聖女であろうとなかろうと、あれだけの魔力を内に秘める身だ。いくらでも使い道はある」


 セグヌンティリエは肩に乗った髪をを払うと、首を伸ばしてエメを見た。



「良いか、『閃光』の。せいぜい恩を売って、あの者が教会から出ていかぬよう縛りつけておけよ。なんなら、おんしの()()()()で籠絡してもかまわぬ。――房中術は、おんしら『閃光』の得意とするところであろう?」



 エメがあからさまに顔をしかめたのを見て、セグヌンティリエはもう一度面白そうに笑った。


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