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第四十一話 今夜一番の美姫

 そろそろ宵の口。

 コンコン、とノックの音がして、ララミアが「どうぞ」と告げる。

 そこに立っていたのはいつも通りの白尽くめのエメだった。


「ユリ。教導との面会、ナオトの代わりに、ついてく」

「エメ! ありがとう」


 ゆりは立ち上がると、ドレスの裾を持っていそいそとエメを出迎えた。


「…………」


 エメは目を見開いて立っている。


「エメ? ……この格好、変だったかな?」


 普段無表情なエメが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのを見て、ゆりは不安げにその反応を伺う。

 下からフードの中を覗きこむと、エメはぷい、とそっぽを向いてしまった。


「…………。外、冷えるから。何か、着て」


 そう言って白いローブが部屋から出て行ってしまうのを見て、ゆりは自分の身の程を突きつけられる思いがした。

 侍女のノーラが慌てて外套を持ってきてゆりに着せかけると、外套を羽織ったゆりは気を取り直してララミア達の方を向き、これまでの学習の集大成、と言わんばかりに膝を折って美しい貴族の礼をした。


「ララミアさん、ノーラさん、ベスさん。今日は本当にありがとうございました。いってきます」


 その姿を見て、何故か今日初対面のはずのノーラとベスは涙ぐんでいる。


「ああ…。娘を嫁に送り出す時って、こんな感じなのかしら」

「ゆり様、貴女は間違いなく今夜一番の美姫ですわ!」


 そんな大袈裟な。


 ゆりが困ったように微笑むと、ララミアが一歩前に進み出た。


「ゆりさん、楽しんでらして。今度、トゥエッテの館に遊びにいらしてね。お茶をしながら今日のことを教えて下さいね」

「はい! アランさんに教えてもらった美味しいお菓子をお土産にします!」


 そう言って、ゆりは部屋を後にした。

 廊下では、エメが少し先に立ってゆりを待っている。


「エメ、お待たせ。行こう」

「ん……」


 いつも無言でゆりの手を下から拾うように握るエメは、今日はそれをしない。彼はしばらく考えるようにゆりを観察すると、自分の顔の前にすっと左手を出した。


 それは、男性が正式に女性をエスコートするための手の差し出し方だった。

 ゆりはそれをエメの優しさだと思って、にっこり笑うと自分の右手をその上に重ねた。



 神殿の前には一台の馬車が停まっていて、ゆりはエメに引っ張られながらそれに乗り込んだ。

 それは以前、この街に来る時に乗り合わせたような武骨な幌馬車(キャラバン)ではなく、貴族が乗るための豪奢な箱馬車(キャリッジ)だった。

 滑らかな触り心地の布張りのシートにゆりとエメが向かい合わせに座ると、馬の嘶きと共に馬車は動き出した。


 シートに並べられていたクッションをいくつか自分の周りに集めて置くと、ゆりは締め切られた車内が思いの外暖かいので外套を脱ごうと胸元に手をかける。


「ユリ、脱がないで」

「え?」


 腕を組んで座っていたエメがやや強い調子でそう言ったので、ゆりの動きが止まった。


「着たままだと、外に出た時かえって寒く感じるかと思って…」

「お願い。脱がないで」


 普段、エメがお願いだなんて言葉を使うのを聞いたことがなかったので、ゆりはびっくりして外套にかけていた手を引っ込めた。


「……そんなに変だった? ドレス」

「そうじゃ、ない。……綺麗だから。だからあまり、見ない」


 その答えは矛盾してないか、とゆりは思ったが、口には出さなかった。エメはそれきりゆりを見ることなく、窓の外へ視線を遣っていた。



 馬車は緩やかな調子で、街を北上していた。

 かつてここが王都だった時に王宮として使われていたものの一部が、現在中央評議会の本部として使われており、連日の連合会議もその中で行われている。今日の夜会と、教導とゆりとの面会もその旧王城が舞台だ。



 やがて馬車は王城のゲートをくぐり、広い広いその敷地を進むと車止めへ着く。夜会の時間にはまだ若干早いものの、他の馬車もちらほらと見ることができる。

 不意に、コンコンコン、と外から馬車の扉を叩く音がしたのでゆりは慌てて内側から鍵を開けた。



「アランさん!」



 馬車の扉の前に立ち、下からゆりを見上げているのはアラスターだった。


「ああゆり……! 良かった。勇者殿が討伐で来られなくなったと聞いて、飛んできたんだ」

「そうなんですか? わざわざありがとうございます」


 ゆりがほっとしたように微笑むと、アラスターは下からゆりに手を差し出した。ゆりはその手を掴むと慎重に馬車から地面に降り立った。


 今日のアラスターは帯剣してるが、鎧は身に付けていない。金の肩章の付いた黒の詰襟。その右肩には金の飾り緒が、左胸には沢山の勲章が並んでいる。これが騎士の正装なんだな、とゆりは思った。


「ゆり、今日の夜会は俺がエスコートする」

「え……? でも、既に決まったお相手がいらっしゃるんじゃないですか?」


 ララミアから、夜会は通常、“絶賛募集中”の立場でなければ男女が伴って参加するものだと聞かされている。アラスターも例外ではあるまい。


「……妹に頼む予定だったが、嫌がられていたんでな。それに、こんな役得を逃す手はないだろう?」


 アラスターが不敵に笑ったのを見て、ゆりはそれ以上深くは聞かなかった。アラスターのように場に慣れた人物が側にいてくれるなら、それはゆりにとってもありがたいことだと思ったからだ。


 馬車の前方から御者が降りてきて外套を預かろうとするので、ゆりはそれを脱ごうと前のボタンに手をかけた。

 はらり、と肩を出せば、澄んだ夜気が当たって涼――


 ――と思ったら。


 バサッ!


 目の前のアラスターが有無も言わさず強引にゆりの外套を掴んで肩に被せ直した。


「……え?」

「ちょっと待て。……ちょっと、待ってくれ」



 ――なんだ今の尋常じゃない色香は。



 アラスターの鼓動が警告の早鐘を打ち鳴らし始めた。


 アラスターはこの時知らなかった。

 ゆりの身体から匂い立つ()()の正体は、ナオトの「おまじない」の魔力に反発して身体の内から立ち上る、ゆり自身の魔力だった。

 つまり、ナオトの意図に反して「おまじない」はこと獣人にとっては完全に逆効果になっていた。


「あの、アランさん……?」


 ゆりが怪訝そうにアラスターを見上げる。後ろではひとり音もなく地に降り立ったエメが、冷たい眼差しでこちらを見ている。

 更にゆりの両耳には、あの忌々しい(ナオト)の瞳と同じ色の宝石が、こちらを見張るように輝いている。



 ――俺を試しているとでも言うのか。



「ああ、いや、すまない」


 アラスターは脂汗を浮かべながら、掴んでしまったゆりの外套を再び脱がせるために手元を緩めた。


 外套を脱がせる。


 ただそれだけのことが、とてつもない背徳感と興奮となってアラスターの内を駆け巡った。緊張に手が強張り、思わず喉が鳴る。


 アラスターは女神の供物を捧げ持つかのような殊勝さでゆりの外套を取り去ると、御者に預けた。

 そしてその一仕事を終えると、額に手を当て目元を覆いながら、ふーーーーーーー、と長い息を吐いた。


「アーチボルト……卿。ユリは、トゥ=タトゥの教導と、面会の予定」

「あ、ああ。聞いている。教導が滞在している部屋まで案内しよう」


 エメにそう言われて向き直ったアラスターはそこで初めて、しっかりと今夜のゆりの姿を見た。



 大胆に胸元の開いたロイヤルブルーのドレス。

 首元にネックレスなどの類いは身に付けておらず、それがかえってゆりの白い肌を引き立てていた。その肌は磨きあげられ、まるでこの夜の闇の中で蛍が発光するかの如く見る者を惹き付ける。

 ウエストで細く引き締められたドレスは膝の下辺りから広がり、裾にかけて何重かにフリルの段を蓄えた優雅なマーメイドライン。そのフリル部分には星のように煌めくストーンが散りばめられ、ゆりの動きに合わせてきらきらと輝く。控えめに入ったスリットからは時折ちらりと白い足首が覗いている。


 緩めのアップスタイルにされた黒髪も、肌を内側から上気させるように施された化粧も、その全てが瑞々しく、耳には魔の黄水晶(ミスティックシトリン)のピアスが、唯一身に付けることを許された宝石としてその存在を遺憾なく主張している。



 なんてことだ、とアラスターは惚けるよりも先に怒りが湧いてきた。


 ゆりが美しいのは知っていた。でもそれはまだ控えめな蕾で、目に留める者は決して多くはなかった。

 だが、今夜のゆりは大輪の花である。こんな姿を夜会に晒せば、会場中の注目を一身に集めるのは自明だった。


 アラスターはそんな理不尽な怒りと共に、自分が側で直接その姿を守る役に収まることができた幸運に僅かばかり安堵した。



「ではゆり。行こうか」



 そう言ってアラスターの眼前に差し出された手をゆりが取ると、ぐいっと引っ張られ、半身がアラスターの身体の内に収まってしまった。アラスターは遠慮ない態度でゆりの腰に手を回すと、それをがっちりと捉えたのでゆりにはびくともさせられない。

 まるで他の男が入り込む隙など一分もないと主張するかのように、アラスターはゆりをぴったり引き寄せたまま歩き出した。


 後方からエメが苦々しげな表情でそれを見ていたが、己が立場を弁えている彼は、何も口にはしなかった。

ここからしばらくアラスターのターンです。

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