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第十七話 愛情深い人

 その日、ゆりが廊下の掃除をしようと中庭の隅にある井戸に水を汲みに行くと、見知った人物がこちらに近付いてきた。

 目深に被った白いフード付ローブ。足音ひとつしないその歩み。ゆりの知る限り、それは一人しかいない。


「エメ!」

「……ヤナカ。元気? 食事は、してるの」

「うん、大丈夫だよ。様子を見に来てくれたの? ありがとう!」


 久しぶりの再会に浮き足立ってゆりがエメの手をぎゅっと掴むと、エメはその様をまじまじと見ていた。


「色々、あって、顔、見られなかった。……ごめん、ね」


 神官長にゆりを気にかけるよう言われていたことを思い出したのか、ごく小さな声で謝罪したエメの言葉を否定するように、ゆりは掴んだ手をブンブンと振った。


「そんなことないよ! 気にかけてくれてうれしい。テオくんも親切にしてくれるし、多分、ちゃんとやれてるよ」

「……そ」


 ゆりがこの一週間程で見たこと、知ったことなどをほぼ一方的に話すと、エメはしばらくそれを黙って聞いていた。


「ヤナカ。神殿の学者に、聞いた。……元の世界に、帰る方法」

「!」


 期待と緊張にゆりの心臓が痛いくらい跳ねたが、エメの告げた言葉は残酷なものだった。



「帰る方法、多分、ない」

「…………」

「過去に保護した召し人、全部、記録に、残ってる。――死ぬまで」

「…………………………。そっか」



 死ぬまでの記録がある。つまり、死ぬまで戻れなかったということなのだ。

 知りたくなかった事実だが、心のどこかで既にもう帰れないことはわかっていた気がして、諦めの気持ちの方が強かったゆりはエメが思うほど落胆してはいなかった。

 もちろん、未練はある。だが既に両親と決別し、恋人もいなかったゆりの心を元の世界に縛り付けるものは、それほど多くなかった。

 ゆりは、しばらく無言でエメの冷たい手を握り続けていた。そしてエメは、そんなゆりを無言でじっと見ていた。


「ヤナカ、ちょっと、来て」


 やがてエメはゆりの手を引くと、ゆっくり中庭を歩き出した。

 中庭は程よく手入れがされており、背の低い木が形を揃えて刈り取られ並んでいた。途中には畑や花壇もあり、様々な色の花が咲いて風に揺れている。

 この神殿の広い中庭は、中心部が丘のように隆起しており、その一番高台には巨大な女神像が神殿を見渡すように鎮座している。その女神像の足元までやって来ると、エメは庭のとある方向を、黙ってゆりに差し示した。


「……!」


 エメの白い指が示すものに気付いたゆりは目を丸くした。そして気付けばその場所に向かって全力で丘を下り駆け出していた。

 走って走って、転がるように走って、目的の大樹の元まで来たゆりは足をもつれさせ地面に両手をついた。



「桜……」



 ゆりの腕周りより太い幹。薄ピンクの花が枝をびっしり埋め尽くすように咲き、その重みで枝は少し垂れ下がって広がっている。たしかにそれは、桜だった。

 風が吹き、ピンクの花びらが辺りを舞う。見た目は間違いなく桜だが、その薫りはゆりの知るものとは少し違う、華やかで甘いものだった。


 ぽろり。

 ゆりの目から涙が溢れた。

 帰れない。わかってた。気がかりはせいぜいわずかな友人と、担任のクラスの子供達のことくらい。でも、理屈ではない本能が、郷愁を呼び覚ましゆりの心を揺さぶった。



 しばらく桜に似たその大樹の元で膝を抱えて泣いていると、いつの間にか追ってきたらしいエメがその隣に、静かに座っていた。



「この木ね、桜って言うの。私の国で」


 ぽつりぽつりとゆりが漏らす。それを聞いたエメは「サクラ……」と、何度かその言葉を反芻していた。


「春になって桜が咲くとね、木の下に皆で集まって、お酒を飲んだりして花を眺めるの。私の国では、特別な木」

「昔の、召し人の記録に、ヤナカと似たこと、言った人がいたこと……書いてあった」


 この一週間、エメは召し人のことを本当にたくさん調べてくれたのだろう。全ての召し人の生死や言動に関することまで。そのことが、ゆりは嬉しかった。


「たくさん調べてくれたんだね。エメ、ありがとう。…………ねえ、エメ。私、本当に貴方に感謝してるの。貴方がいなかったら、私はどこかに取り残されてたから」

「……?」


 ゆりは、自分の隣にあるエメの冷たい手をそっと握った。


「だって、エメはいつもこうやって私の手を繋いでいてくれたでしょ。森の中でも、街でも、さっきも。エメと手を繋ぐと、落ち着くの」

「……ジブンの、手は、冷たい」

「そんなことないよ? たしかにひんやりするけど。私の国ではね、手が冷たい人ほど心が温かいって云われてるんだよ。……エメは、優しいね」


 驚いているのだろうか。目深に被ったフードの奥、紫色の瞳が僅かに揺れていた。


「ジブンは、優しくない。『閃光』、だから」

「それはエメが仕事している組織の名前?」

「大教導の直属で、色々、やるところ。たくさん騙して……たくさん、殺してる」


 大教導――女神教のトップの名の下で不穏なことをしているという事実をさりげなく暴露したエメに、ゆりは少し驚き――ううん、と首を振った。


「そんなのは関係ないよ。私にとって、エメは優しい人」

「…………」

「――ねえ、エメ。私のいた所で、『エメ』って、どんな意味の言葉か知ってる?」

「…………」


 エメはもちろん知らないだろう。ゆりがそれを知ってるのは、高校と大学で使ったフランス語辞典に載っていたからだ。


「“Aimer”。愛する、って意味なの。しかも、愛が命! って感じの国の言葉で。だから、私はエメは愛情深い人に違いないって、勝手に思ってるんだけど」

「……愛」


 実際には、ゆりの思うようなロマンチックなものではなかった。

 エメ。この世界では、古代語で「七」という数字を表す言葉。つまり、現在の大教導の代になってから七人目の『閃光』のメンバーだという、ただそれだけを示す記号だった。


 でもそれは。


 エメにとって記号にすぎなかったそれは、今、ゆりの言葉で真にエメの「名前」となった。



 ザァァァアアアア……



 一際強い風が吹いて、ピンクの花びらがゆりの視界を埋め尽くす。

 エメのフードが風に舞い、覆い隠していた素顔が露になった。

 波打つ金の髪。鮮やかな紫の瞳。透けるほど白い肌。首筋には、蜥蜴族特有の鱗が鈍く輝いているのが見える。


 辺り一面ピンク色の雨が二人に降り注ぐ中、ゆりを見ていたエメは、たしかに笑ったように見えた。






 後日。


「ユリ、今度街、行く? 色々必要なもの、あれば用意、できる。時間、作るから……一緒に、行く」

「わあ! 行きたい行きたい! ……あれ? エメ、なんか……雰囲気変わった?」

「?」

「うーん。なんか……背、伸びてない? 声も、低くなった気がする」

「……。蜥蜴族は、雌雄同体、だから。その時々、感情によって、色々、変わる」

「ふうん。そうなんだ。便利だね?」


 フードの奥で、紫の瞳が静かに細められた。


フラグ回収率が目に見えてわかるキャラ。それがエメ。

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