第32話 赤く染まる翡翠の丘
この場において帯剣をゆるされているのは、国王、王妃、大公と公妃マリーイ様のみだ。
勇者である私ですら許可はおりていない。まぁ持っていてもどうせ使えないし……などと思っていた矢先の事である。早速後悔する羽目になった。
出現した魔物は20匹前後。
全て、あの時公演の舞台で登場したフェンリルクラスである。熟練した兵士が4、5人のチームワークを組んでようやく倒せるものなのだ。
そんなクラスの魔物が20匹! ここには兵士も武器も足りない!
悲鳴と共に逃げ出そうと出口に駆け込む参加者達。
出口側で待機していた兵士たちが応援を呼ぼうと開門を促すが、閉ざされたままだ。そして開ける事も出来ない。外からも悲鳴が聞こえてくる。どうやら魔物が出現したのはここ、翡翠の間だけではないらしい。
再び上がる絶叫と肉塊が潰れるような音。このままでは犠牲者が増え続けてしまう。
国王及び大公両ご夫妻の4人が、それぞれ武器を取り出した。国王は大剣。大公は細身のブレード。王妃は短双剣。マリーイ様は円月を描いた刀。
重鎮達がそれを取り囲み、近衛騎士団と王宮騎士団を中心とした兵士たちが彼らを守るように陣形を組んだ。
ちらっと周辺に視線を走らせ見ると、エディ団員や他の見知った隊員たちもいる。しかし彼らは全て、私と同様、武器の携帯を許可されていない。
外からの応援は期待出来ない。このままではジリ貧だ。やがて負けてしまう。誰もが及び腰だ。
「国王様達と、勇者様を、お守りしろ!!」
落ち着け! と言わんばかりの、どっしりとした声で号令をかけるのは王宮騎士団団長であるネストリ氏。浮足立った兵士たちがその一声で覚悟を決めたようだ。そこを死地だと見出したようだけれど、私がそれを許さない。できるだけ助けてみせる!
なにか、武器になるものはないのか……ヴァルキュリア戦術で使える武器を!
そうだ!
舞台上にいる司会の人に向かって私は声をあげた。
「司会の方! マイクとスタンド……その音声拡張魔道具をこっちに投げて!!」
慌てつつも、さすがは王宮の訓練された人間と褒め称えるべきであろう。彼は疑問を挟まず、即座にマイクをしっかりとスタンドに固定し、それを私の眼の前に投げ込んだ。
キャッチして、受け取った勢いを殺すようにくるっと一回転する。
「ありがとう!!」
私はマイクをつけたままのスタンドの足部分を前に向かって突き出す形で構えを取った。
「勇者様、そんな装備でいいのか?」
側で大剣を構えている国王さまが、ニヤリとする。気のいいおじさまだと思っていたけれど、剣士として優秀なのだろうか。大剣を構えたその姿は貫禄にあふれていた。私も自信有りげな笑みで返す。
「……なにか策があるのか」
「国王さまは周辺の人間を守る事に専念してください。王妃さま! その双剣をぜひ、タンシャージャのシニッカへお渡しを!」
私が何をするのか気がついたようだ。マティルド姫も続いて叫んだ。
「大公さま! その剣、私にお貸しくださいッ!」
王妃と大公の二人から飛んできた武器をキャッチしたシニッカさんとマティルド姫も構えを取った。ユスティーナ姫の武芸は誰もが知るところだが、シニッカさんへ武器が行った事には、ヴァルト氏と私を除いて、誰もが驚きを隠せない。
「……ユーリ、私がコレを使えるって知ってたの?」
渡された本人も、構えながら驚いたようだ。なーにカマトトぶってんのよ!
「あなたのゴミ部屋に、使い古されていたのが飾ってあったから。もしかしたらってね」
知ってたわよ、というふうに肩を竦める私。
「さっすがユーリ!」
シニッカさんは、普段の飄々とした雰囲気が急激に成りを潜め、まるで舞台上でフェンリルに相対した時のようなセラさんのような獰猛な笑みを浮かべる。
この会場の中で、私と翻訳飴を相互に交換した事がある人物は、マティルド姫、ウルシュラちゃん、そしてシニッカさんの三人だけだ。しかし大量の魔物を瞬時に屠り去るには、戦力が圧倒的に足りない。
時間をかければいけるかもしれないが、こうしている間にも、兵士や貴族達の犠牲が増え続け、翡翠の間は赤い丘と化していく。
そんな私の思考を汲んだのか、マティルド姫とシニッカさんが私達を守る集団の一番外に立つ。準備はほぼ整った。
「じゃあ、行くよ!」
私が叫ぶ。
「「「はいっ!」」」
マティルド姫が飛び出しながら歌い出した。この場でヴァルキュリア戦術の試験を目にした人達が聞いた事のある曲の中で、近接戦闘向けな激しいロックナンバーを。マティルド姫とタッグを組んだ時に歌った曲だ。
歌い出しに合わせて、シニッカさん、セラさんとネストリ団長とエディ団員も続いて駆け出した。
マティルド姫とシニッカさんは器用に攻撃を交わし、カウンター気味に剣を滑らせていく。二人は飴を交換していないが、私やウルシュラちゃんが現場にいるせいか、ヴァルキュリア戦術の効果はある程度発揮出来ている。かすめた剣先から、魔物が魔素化しだした。
セラさんのエモノは武器検査で取り上げられなかったようだ。愛用の炎属性の篭手から炎が疾走り、フェンリルなどの炎に弱い魔物を優先的に仕留めていく。
武器を持たない王宮騎士団や近衛騎士団のみんなは、鎧を使った体当たりで、守る事に専念している。
マイクスタンドを刺股の要領で構え周囲を警戒しつつ、私はウルシュラちゃんを呼び寄せた。
「ローブで私とユスティーナさんをちょっとの間、隠してくれる?」
「うん、頑張って、ユスティーナ様!」
これからする事を察したウルシュラちゃんがユスティーナさんを応援した。
ウルシュラちゃんが差し出したローブに隠れるようにし、私は翻訳飴を起動させる。
「……ごめんね、ユスティーナさん。こんな状況での飴玉交換になっちゃって」
「いいえ、むしろ光栄です。こんな大事な時に私を信用してくださって。……ありがとうございます」
起動した飴を、私の口の中に放り込む。少し舐めて表面を溶かし、ユスティーナさんへ、そっと受け渡すかのように近づいた。
「ユスティーナさん……受け取って……ください」
「……はい」
嬉しそうに私の口づけを受け入れるユスティーナさん。こぼれた涙も、続けてのキスで拭い取る。再び軽くその唇を重ね合わせた。ちろりと、舌の先端同士を触れ合わせ、ジンっと戦闘の高揚感とは別の感情がうずかせる。
ローブを取り去り、立ち上がる私達。
「ゆりか様! マティルド姫! ヴァルキュリア戦術での援護をお願いいたします! 一撃で仕留めてみせましょう! ウルシュラ! アレを使います!!」
「「「任せて!」」」
阿吽の呼吸で、私もマティルド姫の曲に加わる。マイク乗って広がった歌声による魔素干渉力が、光を帯びたかのような錯覚と共に翡翠の間を輝かせて行く。
実際には私の干渉力で魔素化しかけている魔物から発生している粒子がそう見せているだけなのだが、ここでは言うまい。
「おおっ!!そうだ!ここには勇者様がおられるのだぞ!!」
絶望に満ちていた赤い翡翠の間から、勝利にすがるような声があがる。そう、欲しのは事実ではなくて希望。
ユスティーナさんが没収されないように懐に隠していたらしき折りたたみ式の簡易魔導儀仗を一振りで組み立て、印を描きだす。以前見せてもらったそれよりも、激しく光が溢れていた。
「ゆりか様から見せていただいた電気のイメージ! それを私流にアレンジしてみました! 見ててくださいッ!」
発動準備を終えたユスティーナさんが叫んだ。
「『スキャン!』」
手の平を前に突き出し、それで部屋の全てを探知するかのように水平に殴り払う。
「『 ロッォオオオック………オンっ!』」
そのワードで魔物達の頭上に、甲高い音と共に魔法陣が展開した。獲物を長距離から狙う無数のスナイプサインのようだ。
「な、なんだこの魔法は!!」
周辺にいた貴族の誰かが張り詰めた声を上げた。
声がした方向を見ると、重鎮ヴァッサ侯爵の次男アグリコラ、及び、王国第二王子たるイェルクの頭上にも、同じサインが現れていた。
それを見て、慌てるユスティーナさん。
「なんで王子が!? ええいっ!『キャンッセル!』」
アグリコラとイェルクの頭上のサインへ向かって、儀仗で印を結び二人分の魔法陣を消しさる。
「どういう事だユスティーナ!」
逆ギレ気味につばを飛ばしながらユスティーナさんへ食って掛かるイェルク王子。
「説明はあとです! むしろ己の心配をしたらどうですか?!」
怒り任せに儀仗を床に突き刺し、叫ぶ。
「みなさん! 熱と衝撃にお備えくださいっ!」
魔素と魔力が干渉しあい、大気が唸りを帯びて振動しだす。歌いながらユスティーナさんの支援魔法を練り上げているウルシュラちゃんが、これまで扱った事のない膨大な魔力に青白い顔をしていた。必死でそれを抑え込み魔法の精度を上げていく。土壇場でそれを制御しきる彼女もまた、天才と言われる領域に立つ魔道士なのだ。
ウルシュラちゃんの視線のピントが空間の一点に向かって合っていった。
「ユスティーナ様! 行けますッ!!」
「全てを消し去れッ! 『雷ッッッ!!!』」
地球の電気というイメージから得た新たなる魔導理論に加え、私とマティルド姫のヴァルキュリア戦術による魔素干渉力の強化。それは単純な広域攻撃魔法であった『雷』を更に超え、魔法陣によるマーキングを施した複数対象物にのみ攻撃が届く広域選択性攻性魔法という新しい分野の誕生であった。
白い光が疾走る。
激しい明滅と高温が赤く染まった翡翠の間を白く、青白く染め上げた。魔物たちが叫ぶ断末魔ですらイカズチが放つ轟音にかき消され魔素化し粒子となって消えて行く。
雄叫びをあげる人類。彼らは目にしたのだ。勇者が、真に勇者であるという事を。その戦力は人類の希望となりえるである事を。
「「「「勇者ゆりか様!!!!バンザイ!! 人類!! バンザイ!!」」」
国王と大公が叫んだそのフレーズが、人々の間に伝播していく。大きなうねりとなり、それは翡翠の門が開かれたあとも暫く続いた。
一度に大量の魔力を使ったせいか、それとも安心したのか。魔物が全て消え行くのと同時に、床に倒れ込むユスティーナさん。薄れゆく意識の最後を振り絞り、彼女は側にいたネストリ団長に囁いた。
「イェルク様と……アグリコラ様の拘束を……進言いたします……」




