第9話 魔素、伝わりますか
お風呂から上がり、褐色金髪少女メイドのウルシュラちゃんの髪の毛をわしゃわしゃとタオルで乾かす。
ウルシュラちゃんは気持ちよさそうに目を細めて私のなすがままにされている。こうしていると妹が出来たような気分に浸れる。
私一人っ子で鍵っ子だからさ。
愛に飢えているのです。
その横でウサミミ隊員こと、ユスティーナさんがなにやら複数の小道具を用意している。
彼女はまるで兎の毛皮で作られたかのようなふんわりしたパジャマを着用していた。母性溢れる彼女によく似合う。……本人の毛で作られたって事はないよね?
「さて。ゆりか様にはまず魔導器具の使い方を学んで頂きます」
おー。ついに勇者様である私の秘められた超スゴイパゥワーが発現してしまうイベントがやってきたのね!!
「この世界では、文字の読み書きが出来ない事は普通ですが、魔導器具を扱えないのはまずあり得ませんから」
それだけ魔導器具が普及しているという事か。ゴブリンとケルベロスを倒して魔素状態に還元した時も似たような事を言っていたな。
そしてそれは、明日から踊り子として王宮に潜り込んだ後の話に繋がるはずだ。私は翻訳飴経由で言葉は喋れるし聞いて理解する事も出来るが、文字は全く読めないのだ。イチから勉強するような時間も無い。せめて魔導器具は使えるようにならなければ。
「魔導器具の使用は簡単です。大気中に漂う魔素を、人体を通して魔導器具の中に書き込まれた魔法陣に注ぐだけです」
ね。簡単でしょ? という感じのユスティーナさん。
「え、魔法ってそんな簡単なの? 呪文でえいやっと火の玉を飛ばしてモンスター吹き飛ばしたりしないの?」
片手を前に突き出して火の玉を飛ばすジェスチャーをしながら尋ねる。
「そんなの、お伽話にしか出て来ませんよ?」
クスクスと笑うユスティーナさん。
……ファンタジー世界の人間にファンタジー世界のど定番であるファイヤーボールが御伽話扱いされてしまった……。
「先程ウルシュラがお湯を張りましたよね? あれは浴槽の中に仕込まれている水を生成する魔法陣と、水を温める魔法陣に魔素を注入したのです」
水は大気中の水分を直接集める、あるいは水素と酸素を結合すれば行けるとして。水を温めるとは……分子を振動させているのかな? 見たところ、浴槽の下に火が使われていた形跡もない。そもそも火を使ったところで、あれだけの水量をあっという間にお湯には出来ないはず……。
……まいっか。
理系は苦手なのだ。
「という事は、王都ではさっきみたいなお風呂場は結構普及しているんです?」
あんなに簡単にお風呂が沸かせる便利グッズ、女性なら誰もが欲しかろう。
「中流家庭程度であれば、大抵皆さん持っていますよ。私の場合は、排水や湯気、あと火の煙などからセーフハウスの存在を知られたくないので、もう一工夫した特注品ですけれどね」
だから自慢のお風呂って訳なのね。
「では、ゆりか様にはまずこれを試して頂きましょう」
取り出したるは、なんの変哲も無いポッド。
「まずこのポッドからいきましょう。これは水を生成する魔導器具となっています。取手を握り、中に水が溜まっていくイメージを流し込んでみてください」
きたぞー。ハイファンタジーローファンタジー、どちらのジャンルにも欠かせない初めての魔法使用イベントが!
『なんだこの激しい生成量は!! 信じられんこいつは天才か!』という状況になるか、一滴すらも水分が発生せず『この無能力者め!!』と唾棄されるパターンになるか……。
魔素が人体を通して魔法陣に注がれて魔導具が発動する……。簡単そうに聞こえるが、もし、魔素を伝導させるための回路が、異世界人たる私に存在しなかったら? ……この世界に私の存在価値が無くなるのでは?
ポッドを前に、青ざめて固まる私の心情を察したのか、ユスティーナさんがそっと後ろから抱きしめてくれた。
「大丈夫。どんな結果になろうとも、私はあなたの味方ですよ」
ちゅっと頬にキスされた。
ふわりと漂ってきた石鹸の香りで心が落ち着く。
「では……行きます」
左手で取手を握り、ポッドの蓋を開けて中を見えるようにした。
そしてイメージする。イメージするのは蛇口。
大気中から水分をかき集める蛇口だ。
ポッドの上に空想上の蛇口を浮かばせ、右手で捻る。
ジョロロロと水が出てきた。
やった大成功!
ポッド内部の八分目まで溜まったところで再度蛇口を閉じ、イメージを消した。
……ふぅ……水を出すだけでどっと疲れた……。MPという概念がこの世界にあるかどうかは不明だけれども、そういったモノが消費された気がする。ただの気疲れかもしれないけれど。
でもまぁちゃんと魔導器具使えたのでよかったよかった。
ホッとした表情でユスティーナさんとウルシュラちゃんを見ると……二人とも不思議な物を見た、という顔をしている。
「えっ、ちゃんと水……出せませたよね……?」
生成した水の匂いを嗅いでみる。へんな匂いはしない。手元のコップに少し出して飲んでみる。うーん、純水って感じだ。もっと水晶ゲイザー的な軟水っぽいのが好みなんじゃがー。
「ゆりか様……どのようなイメージでポッドを使いましたか?」
なんか焦っている口調に違和感を抱きながらも、先程の流れを説明した。
「……このポッドは、底から水が上がってくるような作りになっているんです。浴槽にお湯を張った時みたいに。ですがゆりか様は……空中から直接水を出していましたよね」
……えーと、つまり?
「……ウルシュラ、このポッドで水を出して見て」
私が使ったポッドをウルシュラちゃんに渡すユスティーナさん。一体何が起こっているのだろうか。
ウルシュラちゃんも取手を持ち、何やら呟く。しかし水は生成されなかった。
「ゆりか様、もう一度お願いします」
またもや同じポッドを手渡されたので、先程と同じように空想の蛇口で水を生成させた。
「……ゆりか様が使用した事で、魔導器具の作動方法になんらかの変化が起きたようですね……」
うーむ。 初めての魔法イベントにこんなパターンがあったとは……。
今後はむやみに魔導器具を触らない方がいい気がしてきた。王宮の物を壊したなどと告発されでもしたら冤罪もいいところである。
壊れてないじゃーん!
ちゃんと使えるじゃーん!
使えるのが私だけになってしまうが。
やっぱ器物破損じゃねーか!!
ユスティーナさんが、もう一つ別のポッドを手渡してきた。
「次はこのポッドで試してみてください」
左手で取手を握り、同じ要領で蛇口を……蛇口を……。あれ? 蛇口のイメージが生成出来ないぞ?
「だいたいですが、わかりました」
ユスティーナさんがキリッとしている。王宮魔導士の顔だ。
「ゆりか様と言えども、魔法陣、あるいは魔導器具がなければ魔法が発動出来ない事がわかりました。しかし、既存の魔法陣をゆりか様に使わせると…… 魔法陣の作動方法が大きく変質してしまうようですね」
こんな事は初めてですが……と、完全に研究者モードに入ってしまったようだ。
「ゆりか様の魔素干渉力となにか関係があるのかもしれませんね」
「ウルシュラ! 明日の朝まで研究しますよ!」
過酷なその命令に、しかしウルシュラちゃんはやる気マンマンな様子だ。
結局私は一人寂しく寝室に入る事となった。あーあ、二人を抱き枕にしてむふふするはずの予定が狂ってしまった……。そんな事を考えながらも寝落ちに近い速度で意識が遠のいていく。
「……もしかしたら、 これが神さまがゆりか様を召喚した理由の一つかもしれないわね……」
ユスティーナさんのそんな声が、かすかに聞こえた気がした。
この世界に来ての1日目が、ようやく終わろうとしている。