寒いんですけど
恵麻ちゃんと話をした後で自宅に帰った遥は・・。
学校から帰った遥が一番にしたのは明日の予習などではなく学校に持って行っていた手提げカバンを皮のショルダーバッグに戻すことだった。
今日は忘れ物をしなかったけど、このカバンを持ってると安心感があるね。
遥はうっかり者なので忘れ物をすることが多い。ハンカチやティッシュを忘れた時に限って検査があったりするからよく困ることになるのだ。このカバンのどこでもポケット機能は遥にとっては大きなアドバンテージである。
犬神様は奇しくも遥にピッタリのギフトを授けてくれたのかもしれない。
帰宅して冷蔵庫に貼ってあったメモを見た途端に、遥は今日の予定を変更した。
明日の英語の予習より先に買い物かな。
遥が恵麻ちゃんとお茶をしてきたので、もう美玖はお母さんに連れられてピアノ教室に出かけていた。これは福袋を存分に使うチャンスだ。
遥は新学期によく配られる親へのプリントをダイニングのカゴの中に放り込むと、ラップをかけて置いてあったサンドイッチのお皿や飲み物を持ってサッサと二階に上がって来た。
「あー、お腹すいたっ。」
ハンバーガーのいい匂いがしている中で恵麻ちゃんと話をしていたので、余計にお腹が空いたのだと思う。中学生のお小遣いでは、ハンバーガーはたまにしか食べられない。なので、部活帰りの死にそうな時以外はみんな飲み物だけで我慢している。今日も恵麻ちゃんとア・ウンの呼吸で、紅茶だけを飲んできた。
昼食がサンドイッチとは、うちのお母さんもいい感してるな。
こういうパン食が食べたい気分だったのだ。
あっという間に昼食を食べ終えた遥は制服から例のワンピースへ着替えて白い帽子もかぶった。そして机の上に置いておいたファッション誌を手に取って、お目当ての女の人を眺める。
これこれ。こういうお姉さんになりたいんだよね。
そこには「大学一年生19歳 Aさん。街で見かけた今月のお勧めファッション」と書いてあった。
髪は遥の憧れのサラサラストレートのロングヘアで、ふわふわの雪のようなニットキャップをかぶっている。今年流行りのAラインのクリーム色のコートの下から
申し訳程度に覗いているピンクと黒のチェックのスカートや、膝までのブーツに薄手のタイツと、どれをとってもカッコいい。
これだよねっ。
遥はその写真を目に焼き付けて、変身した。
鏡を見てみるとちょっと大人っぽくなって、シュッと引き締まった遥の顔が見えた。
へぇ~、こうしてみると私もなかなかじゃない? 19歳になるとこんな顔になるんだー。
いけない。こんなこと考えてないで早く家を出なくちゃ。お母さんたちに出くわしたら大変だ。
遥がショルダーバッグを肩に掛けて玄関まで降りて来た時に、ロングブーツがないことに気付いた。
え、そう言えば靴はどうしたらいいんだろう。
前に5歳の女の子になった時には履いていた靴がそのまま小さくなったんだけど。
「これはタタンに聞くしかないわね。」
遥がバッグからペンダントを出して星のチャームを擦ると、ポンッと音がして子犬のタタンが現れた。
「ヤァ、なんか困った事でもあった?」
タタンがペンダントを自分の首にかけるのを眺めながら、遥が尋ねる。
「靴は変身しないの? 今日はロングブーツを履きたいんだけど。」
「5000円の福袋でさすがに靴までは入ってないよ。」
「そうかぁ、そうだよね。」
仰ることはごもっともである。でも、どうしよう。こういうミニスカートにはロングブーツだよね。
遥はブーツなんか持っていない。
「あっ、お母さんが持ってるかも!」
靴箱を開いてお母さんの靴を物色してみたら、ブーツが1足あるにはあった。しかし、ショートブーツなのだ。
「これでいいじゃないか。足首に付いてるふわふわがその帽子とも合ってるみたいだし。サイズは遥に合わせて変わるハズだよ。」
確かに、ファーが足首の所に付いている。
タタンは、これでお役御免とペンダントを外して帰ろうとする。
「待って!タタン。変身って、何回まで出来るの?」
「何度でもできるけど、頻繫に変身するなら年齢を大きく変えるとかしないとバレるよ。同じ年代だと顔を覚える人もいるでしょ。その人がちょっと前と全然違う服で歩いてたら気づく人も出てくると思う。」
「わかった。サンキュー、もう行っていいよ。」
遥のあっけらかんとした言葉にタタンはやれやれと溜息をついて、ペンダントに帰っていった。
そうかー、タタンの言うようなことは考えてなかったな。危ない危ない、気をつけないと。
遥は家に鍵をかけて外に出た。
最初はファッショナブルな格好をして、憧れのお姉さんになったようなハイテンションな気分で歩いていたので気にならなかったが、駅へ向かう街路樹の歩道を歩く頃には足が寒くてたまらなくなっていた。
「うううっ、寒いっ!今日みたいな寒い日にする格好じゃなかったな。」
遥があまりの寒さに立ち止まって足をこすっていると、後ろから来た男の人が声を掛けてきた。
「どうかされましたか? 何かお手伝いしましょうか?」
「あ、いえっ。何でもありません。」
顔をあげてみると、その人は翼先輩だった!
「わぁっ! つ・・じゃなかった。冷たい日ですね。」
「ええ、寒いというよりも冷たいです。僕が風のくる方を歩きますよ。駅に行かれるんでしょ?」
「・・ありがとうございます。」
「いや、僕も美人のお姉さんと一緒に歩けて嬉しいです。今日が寒くてラッキーだったな。」
・・・恵麻ちゃんの言う通りだ。慣れてる。女慣れしてるよ、翼先輩。
しかし奇しくも翼先輩とお喋りしながら隣を歩いてみたいという、遥の夢は叶えられることになった。
翼先輩は遥を年上だと思っているので敬語で話しているというところは違ったが、おおむね遥が想像していたように翼先輩のやわらかな低音ボイスを心ゆくまで堪能することが出来た。
なんかこうやって歩いてると二人でデートに出かけてるみたい。
遥のその妄想は、前方から聞こえてきた女の子の大声で掻き消えてしまった。
「翼くぅ~ん!」
「あ、ヤベッ。じゃあお姉さん、ここで失礼しますっ。」
翼先輩があたふたと向かう先には、翼先輩と同級生の高見先輩の姿があった。
・・・彼女って高見先輩だったんだ~。一度別れたって聞いてたのに、まだつき合ってたんだね。
高見先輩は生徒会の副会長をしていたこともある才女だ。目立つ人には目立つ人がくっつくということなのかも。
遥の盛り上がっていた気持ちは、高い所から落とされたように見事にヘコんだ。
忘れていた寒さが一気に襲ってきて、遥の身体を震わせていた。
身も心も寒いねぇ。