マラソン大会
すみません、今日は長いです。
とうとうこの日が来てしまった。
しかし穏やかな青空を見て安心した。これが風の吹きすさぶ曇りの日だったらもっと憂鬱な気分になっていただろう。
マラソン大会の日の朝、遥はマジックバッグを学校指定のブルーのリュックサックに変身させて、重たい水筒もその中に入れた。
二年生は三輪山神社まで行かなくちゃならないんだよね。
遥たちの中学校は毎年2月のはじめの金曜日に、学校行事としてマラソン大会をする。
一年生は学校の北にある宝山寺を折り返し地点にしている。三年生は東の方にある五重塔だ。この二か所より、二年生が走って行く南の三輪山神社は少し遠い。遠いだけではなく山道を駆けあがらなければならない。
運動神経がない遥は、この日を恐れていた。
自分が一番最後になったらどうしよう。
遥の担任の藤田先生は「今年は僕が一番後ろを自転車でついて行く係になったから、脱落しそうになったら保健室の大月先生を呼んでやるぞ~。」と冗談半分に言ってくれていたが、遥の場合その冗談が本当になりそうなので怖いのだ。
遥は用心のために福袋に入っていた1.5倍速く走れるソックスを履いて行くことにした。
でもこのソックスって、その速さで走ったら1.5倍疲れるんだよね。あんまり使えないかも。
疲れて走れなくなったら本末転倒である。
「最後の切り札だね。」
遥はリュックサックを背負うと、ため息を一つついて学校に向かった。
今日は通常の授業がないので、教室に集まった生徒はみんな家からジャージの運動着のまま登校して来ている。
重たい教科書もなくリュック一つで学校に来ているため、教室の中にはどことなく遠足の前のような浮かれた雰囲気が漂っていた。
「ねぇハルちゃん、運動部に所属している者は上位三分の一に入れっていう話を聞いた?」
恵麻ちゃんが、わざわざ遥のそばまでやってきてそんなことを言う。
「ウソッ、そんなの聞いてないよ~。」
「陸上部の末次先生が、うちのテニス部の錦織先生にそんなことを言ってるのを、通りがかった人が聞いたんだって。三分の一に入れない者は、ランニングの練習を増やすべきだとかなんとか。」
「ええーーっ! そんなことになったら私なんかテニス部じゃなくて走るだけの陸上部になっちゃう。」
「でしょう。私たち二人ともスポーツをするっていうより、入部の動機がマンガだったもんね。」
「うん。それに翼先輩、テニス部の王子様に憧れて入ったようなもんだし。・・でも恵麻ちゃんはまだいいじゃない。一年の時の順位は真ん中ぐらいだったでしょ。」
「うん。真ん中よりは後ろだけど。」
「私なんか後ろから数えたほうが早かったんだよっ。あー、今日のマラソンは憂鬱だったけど、もっと落ち込んできた。休めばよかったなぁ。」
「私も。昨日、その話を聞いてたらお母さんに頼み込んで欠席届を書いてもらってたんだけど。」
遥と恵麻ちゃんは、二人揃ってため息をついた。
しかしそんな話をしているうちに、生徒はみんな運動場に集まるように放送があり、学年別に分かれてマラソン大会が始まってしまった。
三年生が全員校門を走って出ていくと、遥たち二年生の番だ。
クラス別に5分おきにスタートして、運動場を半周してから校門に向かっていく。
遥は恵麻ちゃんと一緒に校門を出たが、大通りに出た所で後ろから美月がやってきた。
「遥も恵麻ちゃんもファイト! もうE組が来てるよっ。」
「うわっ、相変わらず速いね。」
「今年は10位内を狙ってるから。」
美月はそう言って遥たちを追い越して走って行った。美月の背中がみるみる小さくなる。
さすが走るのが得意なバスケット部だ。美月は去年、学年で15位だった。この調子だと本当に10位内に入るかもしれない。
遥が去年のマラソン大会の時に美月を褒めると「バスケは短距離の瞬発力と長距離の持久力の両方が必要だからね。上手くなろうと思ったら、学校行事も練習の一環として利用しなきゃ。」とケロリとした顔で言われた。
見上げた心がけである。
遥はだんだんと足が上がらなくなってきたので、恵麻ちゃんに先に行ってもらった。
マイペースマイペース。とにかく順位よりなにより、私の場合は完走することだよ。
三輪山の麓に着いた時には息が上がっていたので、山道の入り口で「頑張れっ。道の右側を登ってっ!」と声をかけてくれている家庭科の先生に、ハイタッチすることも出来なかった。
「うっ、きつい。」
ここまで走って来て山道を登るのはそうとうにきついものがある。
よくテレビでマラソン選手が高低差のある道を駆け上ったり駆け下りたりしているけれど、半端ない脚力と心肺能力が必要なんだなということがよくわかる。
遥は坂の途中でしんどくなって、とうとう歩き出した。
「ハァーハァー。」
「遥~っ!頑張れっ。もうちょっとで神社だよ!」
坂を降りて行っている復路の人たちの中に、恵麻ちゃんがいた。なんとか手を振って恵麻ちゃんの声援に応える。
気合を入れなきゃ。ここでソックスの機能を使うべきかな・・・いや、ここで使ったら疲れちゃって学校まで帰れないかもしれない。なんとか神社まで頑張ろう。そうしたら下りになるから少しはスピードも出るだろう。
遥はだるい足を動かしてもう一度走り出した。
神社の鳥居の前で待っていた英語の先生に、折り返し点を通過したことを確認する名前を書いた紙を渡して、遥は登って来た道を今度は駆け下りた。
坂を下りきったところで疲れが足にきて転びそうになったが、何とか踏みとどまった。
一年間テニスをしてきたことで、少しは体力もついていたようだ。
復路を走り出したら、遅れた人やF組の人たちがこれからまだ大勢、坂を登って行こうとしているのが見えた。
・・・去年よりはましな順位かもしれない。
そう思った途端に気持ちが少し前向きになった。
中学校の校舎が見えて来た時に、遥は満を持してソックスの機能を使った。
去年はヘロヘロだった最後の足取りが、まるで走り始めた時のようにスッスッと前に進む。
「何これ?! 気持ちいい~。」
一年生の中位の人たちや三年生の遅れて帰って来た人たちを、スイスイと抜かしながら校門から運動場に入った。ゴールを駆け抜けて、学年団の先生から番号札をもらってタイムを告げられると、記録係の人の所へ自分の帰校時間を告げに行く。
しかし記録係の前の列に並ぶとすぐに、遥はガクッと身体ごと倒れ込んでしまった。
「うわっ、どうした?!」「戸田さんっ、大丈夫?!」
周りにいた同じクラスの人たちが心配して保健の先生を呼んでくれる。
「だ・・い・じょうぶ。疲れただけ。」
走るのを止めた途端に、身体が急に鉛の塊になったように重くなった。
1.5倍疲れるのって半端ない~。
「ハルちゃん!」
恵麻ちゃんがすぐに飛んできてくれた。何故か芳樹と山内君も一緒にやって来る。
「カッコつけて最後に全力疾走するからだよ。」
芳樹が呆れたようにそう言ったが、言い返す気力もない。
「戸田さん、たぶん去年より20位くらいは上位にいけるよ。ずいぶんテニスを頑張ってたもんね。」
珍しいことに山内君がフォローしてくれた。学校では頑なに女子に話しかけない人なのに珍しいことである。
けれど遥のぼんやりと疲れた頭の中で何かが引っかかった。
山内君って、私がテニス部だって知ってたんだ。
・・・・・それ以前に、どうして去年のマラソン大会の順位を知ってるんだろう。
恵麻ちゃんが話したのかしら??
保健の先生が「父兄の人に迎えに来てもらったら?」と言ってくれたが、今日は両親とも仕事で家にいない。遥が困っていると、山内君が「僕が送っていきます。」と先生に言ってくれた。
恵麻ちゃんと芳樹が何か言いたそうな顔でこちらを見ていたが、遥も山内君の言葉に驚いていたので、周りのことを気にする余裕もなかった。
校門を出た所で、遥は山内君に向き直った。
「家が反対方向だから送ってくれなくてもいいよ。山内君も今日は疲れてるでしょ。」
「いや、戸田さんにちょっと話があって。ちょうどいい機会だと思ったんだ。」
・・・なんだろ。
「持つよ。」
そう言って山内君は遥のリュックサックを持ってくれた。そして車道側を歩きながら遥の歩く様子をうかがっている。大丈夫そうだと思ったのか、歩きながら遥に話しかけてきた。
「戸田さん、あのさ・・・・・。」
話って・・。




