入園 <午後二時四十五分>
ミラーハウスの写真を見直しながら観覧車の方へと歩いてゆく。
「先輩~。観覧車の噂は知ってますかぁ?」
とバカに抜けた加田屋の声が俺に語りかけるが、そんなの知ってるに決まってるだろう。
お前の記事を読んだからな。
「あぁ。『助けて』って小さな声が聞こえるってヤツだろ?
どうせ老朽化して錆びついた車輪がキイキイ音を立てて、それが『助けて』に聞こえただけだ」
そう言って俺は観覧車にカメラを向けると、パシャリとシャッターを下ろした。
真昼の太陽を背負って佇む錆びだらけの観覧車。俺はついそれを美しいと見惚れてしまった。
が、鉄の赤サビで浮いてしまった水色のペンキが、いい感じにひび割れていて気持ち悪い。まるでアカギレした手の甲を、どアップで見ているようだった。割れ目を伝って垂れた赤サビの雨水跡も、出血しているようで痛々しい。やっぱり俺は廃墟が嫌いだ。
この観覧車も、あのミラーハウスと同じように俺にとっては特別な乗り物だった。
鏡の迷路を堪能して出てきた俺に、これで本当の最後にしようと、父と母とでこの観覧車に乗った。その頂上で見た遊園地はまさしく、宝箱に詰められた宝石のように輝いていて、俺の夜景好きのルーツの一つとなっていた。
「もうこれでいいだろ。次、行くぞ!」
「えー!! そんな! 声聞こえるまで粘りましょうよ!」
「お前一人で粘ってろ」
「あっ、先輩! 今、上のゴンドラが揺れてますよ!」
「よかったなー……」
俺は加田屋の言葉を半分……、いや、ほとんど聞き流しながら次のアトラクションへと向かっていた。
額に流れる汗を粗く拭って空を見る。山の中と言っても、遊園地の跡地はだだっ広いコンクリート広場。白いコンクリートはお天道さんの日光をご丁寧に反射して、俺たちの事を焼いてくれていた。風の一つや二つ吹いてくれれば、多少はマシになるだろうに。後ろの方でキイキイと、何か金属の擦れるような音が鳴っていたが、それが何なのかを確認することすら面倒くさい。
「次はお城かぁ……」
俺は可愛らしいピンクのお城を前に、呆れて大きくため息を吐いた。
「ドリームキャッスルの拷問部屋。
血まみれな人間が発見されたねぇ……ホラー映画の見過ぎだよ。っつたく」
「先輩~、血まみれイコール、ホラー映画って考え、僕は嫌いだなぁ」
いつの間にか背後に忍び寄っていた加田屋に、俺はつい飛び上がってしまった。
加田屋は、やれやれ分かってねぇな。とでも言ったように首を横に振る。
「ホラー映画と言ってる割にビックリやスプラッターでしか人を脅かせない映画って、僕は三流だと思うんですよ。わかります?」
「お前の言ってる意味がわからん」
「ひっどいなー! 僕が真に怖いと思うホラー映画はですね、見終わった後もこう……、胸の奥に残る不快感? が永遠とトラウマ並みにこびりつくような作品だと思うんですよ。わかります?」
「お前の言ってる意味がわからん」
「だーかーら、無闇に着ぐるみのお化けが女性を襲って、ゴア表現して、ほらグロいでしょー! キモいでしょー! お前らこういうのが好きなんでしょー? って制作人が映画を使ってまで言ってくるような作品はですね~、もうZ級ホラーなんですよ! 永遠の三流!!」
本当に言っている意味がわからなくなってきたので、俺は城の周りをぐるりと一周することにした。
ピンクの可愛らしいお城。だったもの。
今やその栄光は無く、俺には地方の廃れたラブホにすら見えてしまった。ああ無常。
まあ、男の子がピンクのお城が好きかといえば、好きだという子はごく僅かだろう。俺も例には漏れず、あまりこのドリームキャッスルには夢を持たなかった。
中に入ってもお姫様のお部屋を再現しているだけだからなぁ……。と、考えているうちにもう一周してしまった。そう、大きさも広さも全く無いのだ。これのどこに楽しむ要素がある。
「とりあえず中に入りましょう!」
外だけ見れば十分だと思っていたのだが、どうやら許してくれはくれないようだ。
嬉しそうな声が聞こえるたびに、どんどんと気が滅入っていく。
お城はどこから入るかといえば、正面突破が妥当だろう。
俺たちは何の疑いも無く正面玄関の扉を開けた。木製の立派な門はすっかり腐りきっており、蝶番が外れて寄りかかってこないかとヒヤヒヤした。
中に入れば大きなダンスホールに王座が一つ。あっという間に城を侵略してしまった俺たちは、なぜだか真ん中は避けて壁沿いをゆっくりと見て回った。
「怪しい扉とか無いですね~」
加田屋はちゃんと仕事をしていたようだ。
「ああ」と適当な生返事をしながら、俺は天井をぼんやりと見上げていた。
天井を見たって特別な物は無い。おそらくシャンデリアもどきをぶら下げていたであろう突起物とスプリンクラーの亡骸が点々とあるだけだ。
特に変化を起こさない天井をボーッと見上げながら歩いていると、何か大きな物にぶつかった。
前を見ていなかった俺が一番悪いのだが、沸々と湧いてくる怒りに、ぶつかった相手をキツく睨んだ。
睨んだ先には何の変哲も無いただの椅子が置いてある。かつては王座と呼ばれていた特別な椅子。だけど王が座らなきゃただの椅子だ。
しかしその時、加田屋はその椅子、詳しく言えばその椅子の上を指差して
「あー! 先輩! それ、それ!」
と驚いたような声を張り上げた。
意味がわからないが、とりあえず加田屋が指差す方を見てみると、ボロボロのカーテンの隙間から”関係者以外立ち入り禁止”の看板が覗き込んでいた。
かつては立派な赤いカーテンに守られていた秘密の扉。しかし扉を守るカーテンは経年劣化により破れて地面に突っ伏している。
俺たちは何の迷いなくドアノブに手をかけると、ゆっくり扉を開いた。
地下へと続く長い階段。奈落の底につながっていそうな闇が、静かに俺たちが来るのを待っている。
「本当に地下室があった……」
「こういうのはスタッフの休憩室とか、小道具しまってる倉庫だろ」
俺はもう一度ヘッドライトをつけると、慎重に階段を下りていった。
そこに広がる暗闇はミラーハウスとは全く違う真の闇。
雨漏りなどで腐敗した階段が、しなる音を立てるたびに恐怖を覚える。
地下だからか、ミラーハウス以上にツーンとしたカビの臭いが鼻の奥を刺激する。俺は持っていた汗拭きタオルを急いで口の周りに巻くと、より慎重になって辺りを照らした。
「ドリームキャッスルの拷問部屋……」
誰も頼んでいないのに、加田屋が怪談調で語り始める。
「ドリームキャッスルに訪れた子供たちの内、遊園地の王様に気に入られた子供たちは秘密の地下室へと招待される。
そこには秘密の拷問部屋が隠されており、泣いても叫んでも誰も助けに来ないと言う……」
しかし俺はその語りを無視し続けた。危なっかしい階段をようやく下りきり、安堵の息をつい漏らす。
やはり俺たちが持っている電気以外に使える電気はないようだ。湿気も酷く、蒸し暑い。今すぐ用事を済まして外に出たいところだ。
「……そして今なお子供たちの怨霊が、この地下をさまよっているっ!!」
まだ加田屋は説明していたようだが、丁度終わったみたいだな。
足元に散らばるダンボールを避けながら、前の壁に光を当てる。
壁には時間表やイベントのチラシ。忘れ物のメモなどが張ってある。
他には電動ドリルやノコギリ、斧……手錠? が吊るされていた。
従業員の休憩室だと思われる掲示物の次に見たのは、その場に似合わない工具たち。一体何に使うんだ?
コツンと何か硬いものがつま先に当たり、俺はゆっくりと足元を見た。
するとそこには、首があらぬ方向に折れてしまっている幼い少女の亡骸があった。