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思春期スイッチ  作者: せせり
トライアングル
9/26

3

 つぎの日の朝、唯の母から連絡をもらった。熱が高くて学校を休むということだった。

 いつもの待ち合わせ場所をスルーして、ひとりで自転車をこぐ。唯が欠席するなんて本当にめずらしい。いっそ自分も休んでしまおうかとも思ったけど、やめた。

 唯ちゃんといつまでも一緒にいられるわけじゃないんだよ、という哲也の言葉が耳の奥にこびりついている。言われるまでもなく、わかっている。

 憂鬱だ。今日は茅野とふたりで行動しなきゃいけない。教室移動も、昼休みも。いつも三人でいるのに、唯が休みだからといっておたがい単独行動をとるのはさすがに不自然だから。

 何を話せばいいのかとか、果たしてふたりだけで間がもつのかとか。ほのかはいろいろ考えて煮詰まっていた。

 教室にひとりで入ってきたほのかに気づくと、茅野はまっすぐに寄ってくる。

「石田は?」

「お休み。……熱が出たって」

 ほー、と茅野はめがねの奥の目をまるくした。

「めずらしい。健康だけが取り柄なのに」

 茅野さんは嫌じゃないんだろうか。こんな、おとなしい、ノリの悪い、つまんない自分なんかとふたりきりで。

 そう思ってからだをこわばらせていると、茅野はくすりと笑った。

 え。なんでわらうの?

 おもしろいいたずらを思いついた男の子みたいな、そんな笑い方だったのだ。

 自分の席で荷物を片づけていると、茅野はまたもそばに来てじっとほのかの様子を見ている。

「相沢―。結び目、左右の高さがちがうよ」

 ふいに茅野はそう言って、耳の下でふたつにくくったほのかの髪を軽く引っぱった。

 びっくりして、びくりと肩がふるえる。

「わたしが直してあげよう」

「えっ、えっ? い、いいよ」

「信用してないな? これでも結構うまいんだよ」

 茅野はほのかの髪ゴムををほどくと、自分の櫛ですいた。髪をふたつにわけると、するすると三つ編みにしていく。毛先をたばねて結わえ、仕上げに三つ編みの編み目をわざとほぐした。

「こうすると、ゆるふわって感じになって、単なる三つ編みもぐっとあかぬける」

「へ、へえ……。すごいね、茅野さん」

 ヘアアレンジなどというものに詳しいようなタイプには見えなかったから意外だった。

「自分の髪は硬くて言うこときかないから。他人の髪をいじくりまわすのはたのしい」

「いじくりまわすって……」

 茅野は自分のめがねのフレームを押し上げて、こほんと咳払いする。

「前から聞きたかったんだけど、なんで相沢ってそんな半端なスカート丈なん?」

「え? えと。か、かわいくするとか、あたしには似合わないから。みんなに、笑われそうな気がして」

 ほのかのスカートは入学式以来ずっとひざ下丈のまま。クラスの女子の大半は、ひざこぞうがはんぶん出るくらいに短くしている。教師に注意されないぎりぎりのライン。

「ふーん」

 茅野はほのかの顔をまじまじと見つめた。

「やっぱりおもしろいね、相沢って」

「お、おもしろい?」

「うん。石田もたいがいおもろいけど。あいつもスカートださいじゃん? なんでって聞いたら、『女子っぽくしてる自分なんか想像するだけできもい』だって。意味わからん」

 ほのかは思わずふき出した。茅野はにいっと笑う。

「相沢も。みんなに笑われるかもとか、そんなこと気にしてんだね。だれもそんな他人のことまじまじと見てないっすよ。わたし以外は」

「か、茅野さんは見てるの?」

「うん。趣味は人間観察。じつは漫画を描いてるのでね、キャラづくりの参考ってことで」

 へへ、と笑う。その笑顔に、すこしだけほのかの心はほぐれた。

 へんなひと。茅野さんって。

 かちかちに緊張していた肩の力が、抜けていくのを感じていた。


 昼休みも。

 茅野はほのかのハンカチに目をとめた。

「前から聞こうと思っていた。それ、自分で刺繍したの?」

 チーズをかじるネズミの図案。ほのかはほおを赤く染めて、こくりとうなずく。

「ねえ、見せてもらってもいい?」

「下手だから恥ずかしいよ」

「どうして? すっごくかわいい。ハンドメイドのイベントとかネットとかで、売れるんじゃない?」

「そんな、売るだなんてとんでもない。だれも欲しがらないよ、あたしの刺繍なんて」

「そうかなあ。わたしは欲しいと思うけど」

 どきん! と心臓が跳ねた。欲しい、って。いま。

「あのっ」

 思わず、茅野の袖を引く。

「いっぱいあるから、あげるよ。ペンポーチとか、きんちゃく袋とか……」

 言ってしまって、すぐ後悔した。

「い、いらないならべつに無理にもらわなくてもいいからっ」

 だけど、にっこりと茅野は笑った。

「なんで? ありがとう。すっごく、うれしい」

 こころをつかまれてしまった。

 ほんとうにあっさりと。茅野はほのかの壁を突き破った。

 ほのかはもうすっかり茅野のペースにはまっていた。

 放課後も、茅野と連れだって部活に行った。描いているという漫画を見せてくれたけど、それは流血のホラーもので、絵はおどろおどろしいうえにところどころデッサンが狂っていて、ストーリーは意味不明。

「やっぱホラーは不条理感がだいじっすから」

「不条理とか、そういう次元の話じゃないような気がする……」

「え? 相沢って怖いの苦手?」

 意味がわからなすぎて怖くない。とは言えず、あいまいに笑ってごまかす。

 茅野はその笑みを自分の都合のよいように解釈したらしく、満足げに鼻をふくらませると、

「ま、そんなに怖いなら無理に見なくてもいいよ。わたしさ、ふつーのギャグ漫画っつーの? エッセイコミックっつーの? そういうのも描いてるから、今度持ってくるわ」

 と、親指をぐっと立ててみせた。


 つぎの日も唯は休み。もうほのかは自分も休もうなどとは考えなかった。たった一日で、どうして今まであたしは茅野さんと向き合ってこなかったんだろう、とまで思うようになっていた。

 唯と茅野のふたりだけの会話はぽんぽんとリズミカルにはずむけど、ほのかに対しては、ペースを落として話してくれている。ナチュラルにそういう気遣いができるところは唯ちゃんと似ていると思った。そう、唯と茅野はどこか似ているのだ。

 部活を終え、茅野と連れだって校舎を出る。夕焼けが街並みをオレンジ色に染め上げていた。徒歩通学の茅野に合わせて自転車を押して歩き、国道に出たあたりで別れる。

 茅野に手を振って見送ったあと、信号が青になるのを待った。なかなか変わらず、いらいらと焦れていると、後から来た自転車の男子生徒がボタンを押した。

 哲也だ。

「押さなきゃいつまでも青になんないよ」

 哲也がにっと笑う。恥ずかしくて、かあっと顔が熱くなる。

「美術部って結構遅くまでやってるんだね」

「…………」

「がんばってるね。唯ちゃん休みでも、トモダチと楽しくやれてんじゃん」

 むっつりと押し黙る。肝試し大会からずっと、哲也には腹をたてていた。

「あ。青になった。行こう」

 行こう、って。ほのかはとまどう。一緒に帰る気? たしかに同じ地区出身だから、通る道も進む方向も同じなわけではあるけど。

 自転車をこぐ。陸上部の哲也は運動音痴のほのかより当然自転車をこぐのも速いはずなのに、おもしろがるようにゆっくりと蛇行しながら後ろをついてくる。むきになってスピードをあげると、からかうみたいにすっと追いつき、となりに並んだ。

 まるでほんとに一緒に帰ってるみたいだ。焦ってしまう。だれかに見られたくない。哲也のファンの女子たちに目をつけられるかもしれない。肝試し大会の日も、くじびきで哲也とペアになった自分に、容赦なく冷たい視線が刺さってきて痛かった。

 畑に囲まれたゆるやかな坂道をくだる。視界の先に、夕陽に照らされた海が開けてくる。

「ねえねえ無視しないでよ、ほのかちゃん」

「……無視なんか」

 かぼそい声で応じるけど、風を切る音にまぎれて哲也には聞こえなかったみたいで。

「蒼ならねえ、先に帰ったー。すっげえスピードでかっとばして行ったよ。また膝痛くなったらどーすんだろ? バカだよなあ」

 そんなことぜんぜん聞いてないのに。哲也も哲也で、たいがいマイペースだ。

「お見舞いに行くんだってー。一回ふられたぐらいであきらめんなよ、勇気出して行けっつったら、あいつ単純だからその気になって。あー、セイシュンだよねー」

 思わず、ききっとブレーキをかけた。隣を行く哲也も、少し遅れて止まる。

「お見舞いって、唯ちゃんとこ?」

「もちろん」

「一回ふられたって、どういうこと?」

「なんだあ。ちゃんと会話できるんじゃん」

「答えてよ、哲也くん」

「落ち着いてよ。唯ちゃんから何も聞いてないの?」

「なんにも」

「ふーん。なんにも」

 このやりとり、どこかでだれかとしたような気がする。一瞬よぎった既視感を、すぐにほのかは隅に追いやった。そんなことは今、どうでもいい。

「要するに、蒼くんが唯ちゃんに告白して、唯ちゃんはそれを断ったの?」

「そういうこと」

 なんで? なんで断るの? 両想いなのに? どうしてつき合わないの?

「あー。さっさとくっつけばいいのに。あのふたり」

 哲也はそう吐き捨てると、ふたたびペダルを漕ぎ始めた。今度は、ほのかがあわてて哲也のあとを追う。自転車が切り裂く夕暮れの海風は冷たかった。

「あたし、あたしはイヤ」

 気づいたら、そう口走っていた。

「唯ちゃんをとられるなんて、イヤ。イヤ」

 哲也は振り返らず、

「早くふたりがつき合ってくれたほうが、ぼくたち楽になると思わない?」

 と言った。意味がわからない。哲也の言っていることの、一ミリだってほのかの心には響かない。


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