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思春期スイッチ  作者: せせり
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5

 なぜ哲也はあんなにも気安く女子の手を引いたりできるんだろう。自分なんて、こんなにも唯の手をにぎりたい、触れたいと思っているのにできない。

 ほのかの手をとったままずんずんと歩いていく哲也の背中が遠ざかる。

「帰ろうか」

 ようやっとそう告げた自分の声はあわれなくらいかすれていた。こんなんじゃ絶対に告るなんて無理だよと思う。

 丘をくだり、海岸沿いの細い道をゆく。波の音、灯台のひかり。

 唯も蒼もひとこともしゃべらない。どきどきと心臓がうるさい。なにか話さないと、彼女の家に着いてしまうまえに、なんでもいいから話さないと。

「哲也って」

 蒼の口から飛び出したのは親友の名前だった。

「ほのかのこと狙ってるのかな?」

 こんなことを会話のネタにするなんて、われながら卑怯だと思う。哲也がほのかを好きだなんて話は聞いたことがないし、そんなそぶりもない。

 だけど、意外にも唯は「うん」とこたえた。

「ほのかと肝試し回りたいから、誘ってくれないかって頼まれた。あたしが一緒なら来てくれるんじゃないかって」

「そうだったんだ」

 直感的に、それは嘘だと思った。蒼と唯をつなげるための哲也の嘘だ。どうしてそこまでしてくれるんだろう?

 唯ちゃんいつも蒼のこと見てるよ。はやく告りなよ。耳の奥で哲也の声がひびく。

「あのスケッチブック、何描いてたの」

 思い切って聞いてみた。

「え? ……海とか。空とか。草花とか。樹とか。そんなんだよ」

「だったら、おれに見られてもかまわなくね?」

「だめだよ」

 唯は口を引き結んで蒼を軽くにらんだ。海からの風が吹いて唯のみじかい髪を揺らす。胸がきゅっと苦しくなる。

「唯」

「なに?」

「唯。あの」

 立ち止まる。寄せる波が堤防に当たって砕ける音がする。

「好きなやつって、いる?」

 唯は何も言わず、蒼の顔を見つめている。首から上がかっと熱くなり、にぎりしめた手がじっとりと汗ばんでくる。

「唯、おれ」

 耳のすぐ後ろのほうでどくどくと鼓動が鳴る。こわれてしまいそうだ。早く言わないと。

「おれと」

 言ってしまえ。今しかない。

「おれと、その。つ、つ、つ」

 がんばれ、自分。

「おれと、つき合ってくれないか」

 言った。ついに、言ってしまった。

 だけど。

 汗だくの、決死の告白を受けたのにもかかわらず、唯は表情を変えない。

「いいけど。何すんの?」

 あまりにあっさりとした返事に、気持ちがうまく伝わってないことを蒼は悟った。

 つき合うって、買い物とかそういうんじゃないんだ!

 こほん、と咳払いをして心をいったんしずめる。乗りかかった船だ、ちゃんと言おう。

「そうじゃなくて。……おれ、唯が好きなんだ。だから、つき合うっていうのは、その、おれのカノジョになってほしいって意味なんだけど」

 蒼の説明をじっと聞いている唯の目が、次第に大きく見開かれていく。そして、ふいっと逸らされた。

「なに? なんかの罰ゲームで言わされてんの?」

「そんなんじゃないよっ」

 思いがけず大きな声が出てしまう。唯の細い肩がびくっとふるえる。

「ごめん。でも……、本気なんだ。信じて」

 唯は今度は何も言わず、ふたたび歩き出した。

「待てよ」

「やだ」

 唯のペースが上がる。蒼は追いかける。

「どうして逃げんの?」

「逃げてないし」

「じゃあなんか言ってよ。告ってんだよ? おれ」

 想像してた展開とあまりにも違う。いまにも泣いてしまいそうだ。

 唯は立ち止まり、蒼をきつくにらんだ。

「なんで? なんであたし?」

「わかんないよ。なんで唯なのかわかんないよ。いきなり頭の中が唯でいっぱいになったんだよ。なんか、もっとずっと一緒にいたいんだ」

 必死になるあまり、かなり恥ずかしいことを口走っていると自分でも思ったけど、止められない。

 唯はいきなり駆け出した。また逃げ出すつもりだ。

「待てって! 陸上部のおれから逃げられると思ってんのか!」

 唯は振り返らない。走り出した蒼はすぐに唯に追いつき、その腕をつかんだ。

 やっと触れられたのに、胸がひりひりと痛い。

「唯。もう、言わないから。つき合ってとか、言わないから。家まで、送らせてよ」

 逃げたことが、唯の答えなんだろう。

 こくんと、唯がうなずいた。うつむいているから、その表情は蒼には見えない。

 後頭部がにぶく痛む。こんなにもあっさりと、蒼のはじめての恋は終わった。


 夏休み最後の日。

 蒼は、まだ半分以上残っている宿題を、哲也の家でもくもくと仕上げていた。

 二次関数のことを考えて唯の存在を頭から追い払おうとしてもうまくいかない。

 寝不足だった。毎晩毎晩、みしみしと骨の鳴る音がして眠れない。胸の奥がきしんで、痛いのだ。

 すずしい顔でテキストを解く哲也の顔を、うらめしげに見やる。

「なに? 早くやんなきゃ終わんないよ」

「おれ、ふられた」

「うん。顔見てたらわかるよ。うまくいってたらもっとへらへらしてるはずだもんね」

「ああーっ」

 せつない雄たけびを上げて、たたみの上に仰向けに転がる。青くさい、いぐさのにおいがする。

「哲也言ってたよなっ、唯がおれのこと見てるって、言ったよなっ?」

「うん、言った」

 机をはさんで向かい側にいた哲也が立ち上がり、転がる蒼のすぐそばまで寄ってしゃがんだ。

「唯ちゃんは確かに蒼のこと見てた」

「じゃあなんでふられるの、おれ」

「さあ」

 首をかしげる哲也の顔は、どこか愉しげにほころんでいる。

 なんだよ、ひとの不幸をおもしろがりやがって、とむかついたそのすぐ後。蒼はふと思い当たった。

――なんで哲也は、唯がおれのことを見ているなんて、気づいたんだろう。

 しかも、蒼が失恋した今もなお、それは確かだときっぱり言い切るのだ。蒼はゆっくりと身を起こし、哲也とまっすぐに目を合わせた。

 まさか哲也も、唯のことが好き? 唯を見てるから、あいつが誰を見ているかに気づいた?

 いや、そんなはずは。すぐに思い直す。もしそうなら、べつに蒼が頼み込んだわけでもないのに、どうしてふたりをくっつけるためにあそこまで協力したのか。告白するように焚き付けただけでなく、哲也は唯に嘘までついたのだ。そう思うけど、時折見せていた哲也の浮かない表情を思い出すと、ふたたび蒼の心は揺れる。

「なに? なんかぼくの顔についてる?」

「……いや」

 首をふった。考えてもしょうがないことだ。

「あいかわらずイケメンだなーって思ったんだよっ」

 ばかばかしい冗談を言って、哲也の頭をぽんとはたく。いてっ、と大げさに叫んでみせた哲也の頬は少し赤くて、くすぐったそうに眉を寄せている。

「さー、宿題、宿題」

 テキストの続きに向かい合う。

 ふられてしまったけど、いまだ蒼は唯のことを思っている。はじまりのスイッチはあるのに、強制終了のボタンはないらしい。ふしぎなことに、告白する前よりも、した後のほうが思いが強いのだ。胸の痛みはとれないどころか、日ごとに増すばかり。

 夏が終わり、学校がはじまっても、きっと唯を見つめてしまうんだろう。そうして、もし唯を見つめている哲也に気づいてしまったとしても、もうどうしようもないのだ。その先に、哲也と唯が恋人同士になる未来があったとしても、それでもきっと強制終了なんかできないんだろう。

 グラスの麦茶を飲み干す。網戸から入り込んだ風がテキストのページをめくる。

 つくつくぼうしが鳴くのが聞こえた。


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