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二十七日。作戦通り、茅野は唯とほのかと一緒に「クリスマス会」を決行した。クリスマスなどとうに過ぎていたが、だれも問題にしなかった。
三人は国道沿いのバス停で待ち合わせ、スーパーでお弁当やら菓子やらジュースやら買い込み、唯の家に行った。言いだしっぺは茅野だけど、唯が「うちに来ていいよ」と言ってくれたので、甘えたのだった。
唯の母はパートに行って不在だった。父親は二年前から単身赴任しているのだという。
誰もいないのをいいことに、リビングのローテーブルにお菓子をめいっぱいひろげ、だらだらとつまむ。
「おかーさんの実家、近くにあるし。お父さんいないほうが、お母さん、のびのびしてるんだよね」
唯がぼやく。コーラをちびちび飲みながら。
「そんじゃあ、今、ふたり暮らしなわけ?」
茅野が聞くと、唯はうなずいた。
「いいなあ」
ほのかがつぶやく。
「うちなんて、お姉ちゃんは怖いし弟はうるさいし、ぜんぜん落ち着かない」
「みちる姉ちゃんたしかに怖いよね。高校生になって雰囲気変わったっつーか」
「お姉ちゃんったら、毎日ママとバトルしてるんだよ」
ほのかはため息をつく。
ほのかの姉のことを、茅野はまだ知らない。唯はほのかの幼なじみだから、当然知っている。そんな小さなことが、ちょっとだけ、悲しい。茅野とほのかの歴史はまだまだ浅い。唯どころか、三崎哲也にも及ばないだろう。
「バトルかー。ちょっとうらやましいかも。あたしも思いっきりバトルしたい。まじ、母親、うざい」
唯は眉間に思いっきりしわを寄せると、ヤケ食いでもするかのように、ポテチの袋を傾けて、残りかすをがーっと流し込んだ。
「バトルすればいいんじゃないすか?」
茅野はふふん、と笑った。
「ほら、いつだったか、三崎哲也と派手にバトルしたじゃん。あんな感じで」
唯の眉間のしわが、いっそう深くなる。
「せっかくあの時のことは水に流したのに、まーた思い出した。あんときの哲也、まじで意味不明っていうか。情緒不安定だったのかな?」
唯はコーラをあおるように飲んだ。おやじくさいなあコイツ、と思う。
ずり落ちためがねを、くっと押し上げる。
「だけど手加減してたよ、三崎は」
茅野はそう言ってポッキーの封をあけた。
「ほら、なんだかんだ言っても、相手は女子だから」
ちら、と唯の表情をうかがうと、案の定、むっとしている。
意地悪言っちゃったな、と少し反省した。唯の一番嫌がること。女子あつかい。
はーあ。と、ため息をつく。ぽりり、と唯がポッキーをかじる音が聞こえる。
「哲也くん……」
おもむろに、ほのかがつぶやいた。ひざをかかえて丸くなっている。
「あたしなんて無理だよね。哲也くん人気あるから……。森川さんだって断られたらしいのに、あたしなんて、ぜったい、無理に決まってる」
ほのかはほのかで、ひとり、自分のなかの迷宮に入り込んでいたようだ。
「どうしてあたし、叶わないひとばっかり、好きになっちゃうんだろう」
「ちょっとまって」
唯が目をぱちくりして、ほのかの独白に割り込んだ。
「ど、ど、どういうこと?」
「そういうことっすよ」
茅野は投げやりに言った。あーもう、涙が出そうだ。
唯は絶句したまま、固まってしまった。
茅野のバッグの中には、ほのかに渡すはずのプレゼントが入っている。うさぎのしっぽのついた、ベレー帽。おもむろに、取り出した。
「みょうな雰囲気のなか、アレだけど。プレゼント交換でもしようか?」
それぞれの用意したプレゼントに番号をふる。割りばしでつくったくじを引いて、書いてあった番号のプレゼントをもらうのだ。
茅野のプレゼントを引き当てたのは唯だった。茅野には「うまい棒百本つめあわせパック」、ほのかの手の中にあるのは、小さな紙包み。
茅野はうまい棒をひとつ、つまみあげた。
「つーかこれ、石田だろ」
「あたり」
「あたし、自分のが当たっちゃった」
ほのかが眉を下げる。
「だれかのと交換しなよ」
茅野はしたり顔で言うと、唯の持っているベレー帽をちらちら見やった。「いいよー」と唯はかるくオッケーする。
「おーっ。ポーチとハンカチのセットだ」
包みを開けた唯が歓声をあげる。
「これ、ほのかのお手製だよね? みつばちの刺繍、いいじゃん。ゆるキャラみたいで」
「ゆるキャラって」
ほのかがくすぐったそうに笑った。
ほのかのプレゼントをゲットした唯のことが猛烈にうらやましいけど、しょうがない。大切なのは、ほのかが茅野の選んだものを受け取ることなのだ。どきどきしながら彼女の様子をちらちらとうかがう。
「かわいい帽子」
ほのかは目をかがやかせている。茅野はひとまず、ほっとした。
「かぶってみて、相沢」
どきどきする。茅野の胸は今、最高に高鳴っている。
「でも、あたしには可愛すぎるんじゃないかな?」
「そんなことない。絶対、似合うから」
「笑わない?」
不安そうに茅野を見上げるほのか。茅野は、大きくうなずいた。
「あのね。相沢はかわいいんだよ。自分では気づいてないかもしれないけど、相沢はかわいい。自信持って」
ぽふっと、ベレー帽を、ほのかにかぶせる。
「似合う。似合う。似合うーっ!」
思わず、黄色い声をあげた。想像以上だ。きょうのほのかはシンプルなニットとひざ丈のスカートといういでたちで、髪も普段通りのふたつ結びで正直あか抜けないけど、ベレー帽によって一気にランク・アップした。
茅野はほのかの頭に手を伸ばすと、
「下ろしたほうが似合うよ」
と言って、するりとほのかの髪をほどく。ふわりと、シャンプーの香りが茅野の鼻先をくすぐる。
「ほんとだー。かわいい」
唯が身を乗りだした。茅野は誇らしげに胸を張る。
――何年もそばにいるくせに、気づくのが遅いんだよ。
「ほのか、それ、かぶって来なよ、初もうで」
唯のことばに、ほのかと茅野が顔を見合わせ、首をかしげた。唯は、ふいっとふたりから視線をはずした。
「誘われてんだ」
誰から、とは言わない。
「四人で行かないか、って。迷ってたんだけど」
あ、そう。また例の、四人で、ね。茅野はふんと鼻を鳴らす。ほのかは真っ赤な顔してうつむいて、茅野の袖をひいた。
「じゃあ、茅野さん、も。行かない?」
「わたしは行かない」
きっぱりと告げる。
「楽しんでおいで。ダブルデート」
デート、の単語に過剰反応して、唯が
「ちがうしっ、あたしはおまけだしっ、哲也がほのかを泣かさないか見張るだけだしっ」
などとあたふた言い訳している。そんな唯のことは放置して、茅野は、ほのかの耳もとでこっそりとささやいた。
「髪とか。服とか。相談、のるよ。相沢は、もっともっとかわいくなる」
物陰でおどおど怯えていた子うさぎが、輝き出す瞬間を。見たい。自分の魅力に気づいてほしい。
相沢ほのかは、史上最強に、かわいいんだよ。
日が暮れる前に、クリスマス会はおひらきとなった。ほのかが母親からメールで呼び出されたのだった。
「もう、いやになっちゃう。あたしばっかりこき使われるの。ごめんね、お片づけもしないで先に帰っちゃって」
「いいのいいの」
にこにこと手をふる茅野。ほのかは例のベレー帽をかぶったまま帰っていった。
菓子の袋だのペットボトルだのが散乱したリビングをざっくり片づけて、茅野はのびをした。
「そんじゃ、わたしもおいとましますかね」
「じゃあバス停まで送ってく」
唯が自分のコートを羽織る。
「いいのに」
「あたしが行きたいんだよ」
外に出ると、冷たい海風にさらされて茅野は身をすくめた。太陽は落ち始めていて、いまにも水平線のむこうに吸い込まれてしまいそうだ。
「友達が帰ってしまったあとの家にひとりでいるの、好きじゃなくて」
「わかるよ、それ。急にがらーんとしちゃって、みょうに静かで」
「そうそう」
「お母さん、何時に帰ってくんの」
「もうそろそろ」
唯は緑のタータンチェックのマフラーに顔をうずめた。
「ていうか、うちのお母さんってさ、」
「うん?」
「いや、なんでもない」
ふたりの吐く息が白かった。刻一刻と日は傾き、冬の冷えた空気に、夕陽のオレンジが染み渡るように広がっていく。
畑をぬってひかれた、ゆるやかな坂道をのぼる。言葉もなく、もくもくと歩き続ける。
「あーっ」
突然、唯が雄たけびをあげたので、茅野はびくっと肩をふるわせた。
「どうした石田」
「うー。なんか、へんな気分で。さびしいっていうか、ちょっとちがうかな、センチメンタルっていうのかな」
「相沢のこと?」
唯はうなずいた。
「あたし、きょうだいいないから。ほのかのこと、ずっと妹みたいに思ってて。小さい頃から、あたしの後ろ、ひょこひょこついてきてさ。正直ちょっとうっとうしいこともあったけど、ほっとけなくて。それが」
「三崎にとられる、みたいな?」
唯のことを思って泣いていた、いつかのほのかの顔が、茅野の脳裏によぎる。
唯は、うーん、としばらく難しい顔をしてから、首をゆっくりと横にふった。
「花嫁の父的心境?」
わざと冗談でまぜっかえしたつもりだったけど、唯は「それだよ、それ」と手を打った。
「哲也いいやつだし、べつにいいんだけどさ。あー、でも、ほのかが哲也とくっついちゃうのか、って思ったら。あー」
「いや、まだ、くっつくとは決まってないんじゃ?」
茅野はまだ希望を捨ててはいない。三崎哲也はかなりもてるし、いくら昔馴染みとはいえ、厳しいのではないだろうか。というかそもそも、つい最近まで男子とまともにしゃべれなかったほのかが告白なんて、ハードルが高すぎる。
「だって哲也も」
唯は口をとがらせる。
「夏休み、肝試し大会あったじゃん? 多田の企画」
「ああ、あれ? わたしはスルーしたけど」
「ん。哲也のやつ、ほのかとふたりになりたいから誘ってくれって頼んできたんだよ、あたしに。それってつまりそういうことだよね?」
そういうこと。ぐわんぐわんと、頭の中がかき回されて揺れる。つまり、そういうこと。
好きになった相手に好かれるのは、めったにないこと。相手が同性だろうが、異性だろうが。
榎木の話を思い出す。報われることなんて、一生ない気がするよって言ってた。報われるやつなんて、ひとにぎり。なのにほのかは、するすると赤い糸を引きよせた。
茅野の糸は届かない。気づかれもしない。
「どうしたの? 顔色悪いけど」
唯が茅野の顔をのぞきこむ。ふるふると、首をふった。
「寒くて」
「うん。寒いね」
「うん」
とびきりの笑顔を見せるんだろうな。あの、うさぎのベレーをかぶって。茅野はポケットに突っ込んだ手を、ぎゅっと、握りしめた。好きな人に好きだと言われたら。ほのかのかたくななつぼみもきっと、ふんわりと、ほころぶ。
「あっ。見て見て茅野」
ふいに、唯が後ろを振り返って茅野の腕をひいた。
畑の向こうに開けた海に、まるい陽が落ちようとしている。真っ赤な火の玉みたいな太陽が、水平線を照らしている。
唯が指でフレームをつくって、海に沈む陽をとらえている。隣にいる茅野のことは忘れて、景色に見入っているのだ。
石田が好きだな、と思った。ほのかに対して感じる「好き」とは違う。石田唯に対してそんな感情をもつことはありえない。男子を好きになるのと同じぐらいありえない。
唯とのあいだにある、この距離感。未来が見えた気がした。大人になっても、おばあちゃんになっても、いつも石田とはこんな感じでいるんだろう、そんなふうに感じた。強く。
それは、好きなひとに好かれるのと同じくらい、得がたい奇跡のような気がして。
石田がまったく好みのタイプじゃなくてよかった、と茅野は小さく笑った。
「何がおかしいわけ」
唯が怪訝な顔をしている。
「べっつに」
「へんな茅野」
唯が茅野に軽く蹴りをいれてきたので、茅野は身をよじってかわした。
夕陽はあっという間に沈んでしまって、空と海のあいだには、その余韻のオレンジ色だけが残されていた。




