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昼の一時をまわったところで、ファストフード店で遅めのランチをとった。店内は暖房がきいて暑いくらいだ。角のテーブル席に座って、もそもそとポテトを食べる。
「委員長ってさ。ひょっとして、わたしに気がある?」
ずばっと聞いた。短刀、直入に。
「ちがったら超恥ずいっすね」
あははと笑ってまぜっかえす。ちがってなくても恥ずい。さすがの茅野も少し後悔した。
榎木はしょんぼりと眉を下げて、
「気があります」
と、言った。消え入りそうな声で。
茅野はストローでぐるぐるとシェイクをかきまぜた。ほんとうは、うそだと白状された時、ちょっとだけ、ひょっとして……、と思った。だけど今まで異性に好意を寄せられる経験なんて皆無だったから、そんなことあるわけないって、無意識に否定してしまったのだ。他人のことはよく見えても、自分に関しては、その自慢の赤めがねのレンズもくもってしまうものらしい。
「えっと、なんでですかね? なぜにわたし。可愛さランクでは下のほうでしょう、わたしは」
シェイクをずずっとすする。あまったるいバニラがまとわりつく。
「合唱コンの練習のときから。いいな、って」
ああ、と茅野は納得した。
「それってあれだよ。単純接触効果」
「は?」
「会ったり話したりする機会が多いと、好きになりやすいってこと。合唱コンの時期さあ、よく一緒に帰ったじゃん? 流れで」
蒼やほのか、哲也とは自分たちは帰る方向が逆で、家までは榎木が送ってくれていた。
「んだからさあ、たくさんふたりで話したからさあ、わたしのこと好きなような気分になっちゃったんだよ。それだけだよ」
「気分って」
榎木はうつむいた。その顔を見ていたら、なんだか、若者たちであふれかえった店内の喧噪がすうっと遠ざかっていくような気がした。
「たしかにぼくは惚れっぽくて。女子と目が合ったりなんかしたら、すぐ、その子のこと好きなような気分になっちゃうんだけど。でも今度はちがうよ。ぼく、はっきりとおぼえてるんだ。さいしょの練習の日」
「うん」
「みんなぜんぜん真面目にやらなかった。ぼくがなんども注意しても集中してくれなくて。でも、茅野さんが言ったら一発でしずまった」
「あれは」
茅野はつい口をはさんでしまう。
「ほら、ふだんすみっこでおとなしーくしてるわたしが言ったから、みんなびっくりして静かになったんだよ。一回だけつかえるマジックだったんだ。委員長は役職上、しょっちゅうみんなのこと注意してるじゃん? だからみんな慣れっこになってて、それで」
「とにかくっ」
榎木はいらいらと茅野の屁理屈をさえぎった。
「あのとき、茅野さんかっこいいなって思ったんだよ。それで。気づいたら茅野さんのこと目で追っかけるようになっちゃったんだ。タンジュンナントカとか関係ないから」
「……すんません」
ひどく申し訳ない気分になって、茅野はシェイクを飲みほした。榎木は茅野から目をそらすと、無言でハンバーガーの残りを口にほうり込んだ。
ふたりの間にきまずい空気が流れていた。茅野も、もうウインドウショッピングを楽しむ気になれない。会話もなく、ただ並んでぶらぶらと歩くだけ。
アーケード中央広場には綺麗にライトアップされた大きなツリーが飾られている。榎木はそこで足をとめた。じっと見上げるその瞳に、赤や緑の電飾のあかりが映ってきらめいている。
「それで。返事とか、聞いてもいいのかなあ?」
ツリーを見上げたまま、つぶやく。聞かずともわかっているだろうに。
茅野は「ごめん」とだけ言った。
広場のベンチに座る。風が吹いて、ひどく寒い。マフラーを巻きなおした。
「委員長のこと、嫌いじゃないんだけど。むしろ好感もってるけど。だけど」
「ひょっとして、誰か好きなひと、いる?」
榎木はおそるおそる、聞いた。茅野はうなずいた。
「そっか」
榎木は小さくため息をつく。
「待ってちゃだめ? その、ぼく、が」
榎木の言わんとすることを察して、茅野はいたたまれない気持ちになる。
「ごめん無理。いつまで待っててもらっても無理。委員長が悪いんじゃなくって。なんていうか、わたしの好みはちょっと特殊なんだな」
榎木はそこで、うん? と眉を寄せた。
男にはときめかない。気になるのは、いつも女の子。幼稚園のときからそうだった。小学五年ではじめて女子に恋をした。おかしいのかなと思って、図書館に通っていろいろしらべた。心理学、脳科学、いろんな本をあさった。小説も読んだし、タレントのエッセイも読んだ。
結果、自分のようなひともたくさんいるんだと知った。
こんなこと、どう説明すればいいんだろう。
「えっと。なんか、叶わない人ばっかり好きになる」
これは本当だ。榎木は、ふうん、とつぶやいた。
「彼女いる人とか?」
「ま、そんなとこ」
ぜんぜん違うけど。
「ようするに、ぼくはだめなんだ。可能性、ゼロなんだ」
「申し訳ないけど」
未来のことはわからない。男子のことを好きになる日が、絶対に来ないとはいえない。
ただ自分は、初恋がやぶれても、ほのかのように「卒業」することはなかった。今だってほのかの髪にさわりたいと思うし、抱きしめたいとも思う。似たような感情を男子に対して持ったことは、ない。
「むなしいけどね。一度も報われたことはないから」
茅野は白い息を吐く。結局みんな男子のことを好きになった。ほのかだけはちがうと思っていたのに。泣いてしまいそうだ。まったく、らしくない。
「報われることなんてあるのかなあ? ぼくだって、これから先もそんな日はこない気がする」
榎木が、へへ、と笑った。
「いまだってふられたし。女子のこと誘ったのも、告ったのも、はじめてだったのに。すっごい、勇気出したのに」
「ごめんね」
「謝らないでよ。ぼく、ばかみたいじゃん」
「そっか、ごめん」
「また謝った」
榎木はすこし笑った。つめたい風がふたりの髪をなぶる。そろそろ帰りの電車の時間がせまっている。
「あれ、雪?」
榎木が茅野のコートのフードを指差した。首をひねって見やると、たしかにそこには白いちいさな雪のつぶがあって、つぎの瞬間には溶けてしまった。
「やっぱりあのベレー帽、買いたい」
茅野はそう言ってきびすを返す。榎木はだまってついて来た。
帰りの電車のなか。
茅野のひざの上で、ベレー帽の包みがあたたかな熱をはなっていた。もみの木の柄の包装紙、きらきら光る金のリボン。
「茅野さん」
向かい合わせに座っている榎木が、ふいに、声をかけた。
「ん?」
「彼氏がだめなら……」
「だめなら?」
「やっぱいい」
榎木は頭を掻いてうつむいた。茅野は首をかしげ、車窓から外をのぞいた。灰色の空から、ちらちらと、白い粉雪が舞い落ちてくるのが見えた。




