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「イ。イブの日って、なにか予定ある?」
帰り支度をしていた茅野千歳にそう聞いてきたのは、委員長の榎木和真だった。赤い顔をしてがちがちに固まっている榎木を一瞥し、茅野はめがねのフレームをくっとあげる。
「なにも予定はない」
「予定は、ない。そっか」
いったん顔の筋肉をゆるませた榎木は、再びこぶしをぐっと握って気合を入れ直した。
「じゃあ、その、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「えっと、イトコに誕生日プレゼント買わなきゃいけなくって、でも、女の子の喜ぶようなものがわかんなくて、それで、だから」
「わたしに一緒に選んでほしい、と」
「そうそうっ」
こくこくとうなずく榎木。
「イトコって、今、いくつ?」
「五年生」
「ふむ」
茅野はちいさく首をかしげた。
「いいよ」
「ほんとに?」
「うん」
ヒマだし。
んじゃお先、と席を立とうとすると、榎木は「あのっ」と茅野を呼び止めた。声が裏返っている。
「部活何時ごろに終わるの? その、いいい一緒に、帰らない?」
「何時に終わるとか決まってない。気分が乗らなかったらすぐ帰る。乗れば遅くまで残る。だから約束はできない」
茅野は早口でそう告げながら、前から二番目のほのかの席をちら見した。のろのろと支度している。見ているだけで顔がほころぶ。
かわいいなあ、ふわふわした小さな生き物みたいだ。かわいい。
「そんじゃ委員長、また明日」
さわやかに告げてほのかのもとへ向かう。榎木はまだ何か言いたそうにしていた。
あと一週間で冬休みがはじまる。茅野の二学期はなかなか忙しかった。合唱コンでピアノ伴奏をひきうけてしまったことが大きかった。こういう役を押し付けられるはめになるから、ピアノを習っていたことはひた隠しにしていたのに、どこからか情報はもれるものだ。このクラスに他にピアノ経験者がいなかったことも不運だった。
しかし、だ。全学年中上位三クラスに入ることはできなかったものの、そこそこいい演奏だったんじゃないか、と茅野は思う。最初はどうなることかと思ったが、最後にはなんとかまとまった。それに、練習をきっかけに、それまで接点のなかったクラスメイトたちとも仲良くなれた。榎木もそのひとりだ。
美術室は二階のいちばん西側の端にあり、冬でも晴れた日は光が入ってあたたかい。夕方には赤い夕陽に照らされてまぶしいくらいだ。色の感覚が狂うんじゃないかとさえ思う。
「これ見てくれない?」
石田唯が茅野の机の上にポケットアルバムをひろげた。
「ふーん。撮ってみたんだ」
海、空、樹、草花。犬、猫、石ころ。バス停、線路、校舎。
「どう思う?」
唯はしぶい顔をしている。
「自分がいちばんよくわかってるんじゃないっすかね」
「やっぱ、ありきたりっていうか、だれでも撮れるかんじっていうか、つまんない写真だよね」
「そこまで言ってないけど、まあ、そうだね」
唯はがっくりと肩を落とした。ほのかだけは目を輝かせながらアルバムを繰り、
「あーこれ野沢商店の猫だー」
とか、
「公民館とこの花壇ー」
なんて、声をはずませている。
瞬間を切り取りたいんだ、と唯は以前言っていた。
「ふとしたとき、なんでもない光景がきらっと光るときがあって。あっ、今を逃したら消えちゃう、って思うんだ。もったいない、残したいって」
その思いは、おそらく茅野にだけ打ち明けているのだろう。茅野は友人にたいしてもドライというか、あまり感情的に入れ込まないたちだ。だからこそ唯はこういう情熱をうっかり吐露してしまうことがある。そんなとき唯は、まじめに語りすぎたことに気づいた途端、赤くなってあわあわと照れまくる。だから、茶化すか突き放すかぐらいの距離感がちょうどいい。
「石田は絵のほうが向いてるよ」
茅野は言った。唯はふーむ、とまじめな顔をして腕組みしている。
茅野自身はというと、一学期から描きつづけていたホラーまんがにも飽きてしまって、クロッキー帖につまらない落書きばかりをしている。なにごとも理詰めに考えてしまうたちの自分にはホラーのセンスはないようだし、そもそも画力もない。人物を描くのはそこそこだけど建物や風景の描写がまったくできなくて、いつも背景は唯にお願いしていた。
クロッキー帖をめくる。入部したばかりのころに遊びで描いた二組の生徒たちの似顔絵。本格的なものではない。ゆるかわいいイラストだ。なかなか評判がいい。
榎木和真の顔もある。面長の顔、ふわふわとひよこみたいにやわらかそうな短髪、目、鼻、口など顔のパーツは小さめで、いつも口角が下がってて、いかにも気弱そうだ。
「ふむ。クリスマスイブ」
ひとりごちる。めんどうくささと好奇心を天秤にかけた結果、好奇心のほうが勝った。イトコのプレゼントを選ぶのを手伝ってほしいと言っていた。きっと深い意味なんてない。だけど、クリスマス・イブだ。イブに男子とふたりで出かけるのだ。
茅野は、あほらし、と首を横にふった。
だいたい、クリスマスやバレンタインなど、経済をまわすためのおまつりにすぎないと思っている。世間がやたら「恋人たちの」「家族のための」などとあおってレストランの予約を入れさせたりプレゼントを買わせたりするのだ。だから基本、クリスマスなど無視することにしていた。
相沢の家でパーティするとかいう展開なら別だけど。そう茅野は考える。おしゃれした相沢ほのかが見たい。ふりふりしたミニスカート希望。タイツはOK、レギンスは不可。髪は下ろしてゆるく巻くんだ。
茅野はクロッキー帖に、ほのかのための「理想のコーデ」を描きはじめた。最近お気に入りの遊びだ。茅野は、ほのかは史上最強にかわいいと思っている。本人が自分のかわいさに無自覚であるところもまた良い。無自覚どころかあまりに自己評価が低すぎて、奥ゆかしさを通り越して怖がりですらある。守ってやりたい。
しかしそう感じているのはどうやら自分だけみたいだ。男子の客観的な意見が聞きたいと思って、一度、榎木に聞いてみたことがある。
「じつは男子の中で相沢って人気あるんじゃない?」
と。榎木は首を横にふった。
「ダントツは森川さんだよ。つぎは沢口さんかな。吉田さんもわりと隠れファン多い」
などと言う。
ガキめ、お前らの目はふし穴か、と思った。森川や沢口もたしかにかわいいが、彼女たちはもう自分のスタイルを築き上げている。いわば生まれながらの「女子」だ。一方ほのかは原石だ。のびしろが大きいし、磨き上げる楽しみがある。自信のなかった人間が自信を得て輝き出す瞬間を、自分は見たい。そう強く思う。




